23:愛の確認
その日、プリシラはダレンの部屋を訪れた。
今まで滅多に無かったことに当然だがダレンも面食らったような顔をしていたが、すぐさま厳しい表情に変え、低い声で「何の用だ」と言い放った。妻に対する態度とは思えないが、そもそも妻とは思っていないのだろう。
「部屋にいろと命じていたはずだが」
「そうね。でも私は部屋にいたくなかったの」
はっきりとプリシラが言い返せば、ダレンの眉間に寄った皺が更に深くなった。生意気な、と、彼の纏う空気がプリシラに圧を掛けてくる。
だがプリシラは臆することもなく、かといって自ら喧嘩を売るような真似もせず、ただ落ち着き払った声でダレンを呼んだ。その声には妻から夫への情は微塵も込められていないが、それはダレンだって同様だ。むしろ彼のような威圧感を含まないだけマシである。
「私、貴方の事を愛していないわ」
単刀直入にプリシラが告げる。心からの言葉。
これにはダレンも不機嫌そうだった表情を驚きの色に変えた。目を丸くさせた表情は彼らしくなく、もしもずっと以前に、それこそ結婚したばかりの頃にこの表情を見ていれば、意外な一面と好意的にでも思っただろうか。
「突然どうした」
「突然もなにも、ずっと昔から分かっていたでしょう? それとも貴方、まさか私から愛されていると思っていたの?」
あれだけぞんざいに扱って、嫁としても、貴族の夫人としても、一人の女性としても、全てにおいて踏みにじっておいて。
まさか愛があると考えていたのか。
そう視線に乗せて問うように見つめれば、ダレンの表情が次第に怪訝なものへと変わっていった。
「なぜ急にそれを言い出す」と答えをはぐらかすのは、自分から申し込んで結婚した手前、愛が無いと公言するのは気が引けるのか。もしくは公言は不利になるやもと危惧したか。
だがなんにせよダレンの返答は明確ではないが肯定の意志があり、ならばとプリシラは話を進めることにした。
「貴方への愛は無いし同じように貴方から愛されているとも思っていないわ。だけどそれで良いの。貴族の結婚なんてそんなものだもの。だけど結婚したのは事実だわ。それは愛の有無では変わらない」
「……まどろっこしい言い方をするな。何が言いたい」
「貴方の愛が誰に向けられていたとしても私は構わない。だけど結婚した事実を蔑ろにされるのは困るって言いたいの」
きっぱりとプリシラが告げれば、ダレンが僅かに顔を顰めた。
言わんとしている事を察したのだろう。「それは……」と言い淀んだ彼の口調には躊躇いの色がある。
そんなダレンを、そして彼が次に何を言い出すのかを、プリシラはじっと見据えながら待った。はたしてダレンは己の不貞を認めるのか、認めたならばどう出るのか……。
だというのにプリシラの考えを他所にダレンは何も言わず、重苦しい空気を纏って沈黙するだけだ。身に纏う空気で不機嫌を訴えてはいるものの話し出すことはない。
呆れた、とプリシラは内心で溜息を吐き、もう一押しするために口を開いた。
「離縁は珍しいことじゃないわ。それに、貴族の男に愛人がいるのも、胸を張って言えることじゃないけれど珍しい話でもない」
淡々としたプリシラの言葉に、ダレンが露骨に視線を逸らした。
さすがにこの男も申し訳なさを感じているのだろうか。だがこの男の性根からすると、どう言い包めるか考えを巡らせている可能性も高い。
せめて前者であれば……、とプリシラが考えるのだが、残念ながらダレンからの返事は「馬鹿なことを言うな」というものだった。普段よりも声は低く、まるで唸るように威圧的。
「離縁だのとお前が考えることじゃない。それに愛人だと? 馬鹿々々しい。貴族の女なら慎ましさを持て」
「そう……。それが貴方の答えで良いのね」
「答え? 何を言いたい。おい、何を企んでる」
怪訝な色を強めてダレンが尋ね返してくるが、プリシラはそれを無視して部屋を出て行った。
去り際に、今日は一日自室に居ることを告げておく。
ダレンが追いかけてくるとは到底思えなかったが。
◆◆◆
ダレン・フィンスターには愛人がいる。
セリーヌ・アトキンス。アトキンス商会の夫人。今年で三十一歳になる、向上心の強い才知ある女性と聞く。
個人経営の小さな商店に生まれた彼女はその手腕で店を大きくし、アトキンス商会の長男スコット・アトキンスと結婚した。
当時すでにアトキンス商会は大陸中に名を馳せる規模の商会であったが、跡継ぎであるスコットは商会を継ぐには些か心許ない商才だったという。セリーヌはそこに目を付けたのだ。商才のある彼女はさぞや歓迎されただろう。
そうして首尾良くスコットと結婚しアトキンス家に入り、スコットが後を継ぐと彼を押しのけて商会の長の座に就いた。今やセリーヌあってのアトキンス商会と言われている程だ。
そんなセリーヌとダレンは恋仲だった。
いつからかは分からないが、少なくともプリシラと結婚するよりも前からだろう。下手すれば前妻との結婚より前かもしれない。
だがいかに早く出会っていようと二人は結ばれず、それぞれ別の所帯を持って今に至る。
ダレンは伯爵家の嫡男であり次期当主、対してセリーヌはどれだけ商才があろうと商売人の娘なのだ。
その結果ダレンは前妻を亡くしたのち、セリーヌではなくプリシラと結婚した。
最初の妻を亡くし世間体の為に娶ったのだ。もしかしたらセリーヌとの仲を怪しまれないためもあったのかもしれない。
プリシラの扱いの酷さもまた、真に愛するセリーヌとは結ばれない腹いせだったのだろう。プリシラを蔑ろにすることで心はセリーヌにあるとアプローチしていたに違いない。
「馬鹿な男……。そんな男に嫁いで、私の人生は何だったのかしら……」
ダレンの不誠実さを実感すればするほど、そんなダレンに嫁ぎ、そして殺された己が哀れでならない。
じわりと目頭が熱くなる。あの男のことで流す涙など無駄でしかないと分かっていても、惨めさで胸が痛み視界が歪む。
そうしてついに、深い溜息を吐くのと同時に目尻から涙が零れ落ちた。




