16:気高い女性
しまった、とプリシラは小さく息を呑んだ。
今のやりとりをオリバーに見られていた。メイド長に対して冷たく対応した事も、最後に呟いた言葉も、すべて彼に聞かれてしまった……。
冷酷な女と思われただろうか。もしくは己の立場を笠に着る傲慢な女と思われたかもしれない。
先程の自分がどれだけ冷え切っていたかを自覚しているからこそプリシラの中に焦りが生まれた。あれが自分の本性なのは分かっている、分かっているが、知られたくなかった。
「オリバー……、今のは」
違うの、と言いかけ、だが言葉を飲み込んだ。
いったい何が違うのか。先程の一件は紛れもなく自分の本性だ。
心の中でそう己に言い聞かせ、胸中を落ち着かせると共に窓辺へと近付いた。幸い彼は逃げずにその場で待ってくれている。
「恥ずかしいところを見せてしまったわね」
「プリシラ様……」
「冷たい女だと思った? それとも我の強い女とか、傲慢と言った方が良いかしら」
オリバーの様子を窺いながら問えば、彼はプリシラからの問いに一瞬驚いたような反応を見せた。
だが次第に表情を和らげていく。
春の陽だまりのような微笑み。精悍で男らしい彼がそんな表情を見せるのは意外ではあるが、見る者の心を暖めてくれる魅力がある。メイド長との対話で凍てついていたプリシラの心まで溶かすように……。
「そんな風には思いません。俺の目には、先程のプリシラ様は芯のある気高い女性と映りました」
「気高い……? 私が?」
「はい。ですがイヴと話す時は楽し気で年相応の女性らしく、ジュノ様といる時は包み込むような母性を感じさせる。魅力に溢れる方です」
「そ、そう……。ありがとう、そんな風に私を見てくれていたのね」
「俺は……。あ、えっと……」
話していたオリバーが何かに気付き、途端に口籠ってしまった。
どうしたのかとプリシラが彼の顔を覗き込めば、穏やかに微笑んでいた彼の顔が次第に赤くなっていく。視線を泳がせ、ついには耳まで赤くさせてしまった。
雑に髪を掻き上げるのは動揺の表れか。
「も、申し訳ありません。見ていたと言っても、イヴからプリシラ様に危険が及ばないよう見守るように言われていたので、それで……」
「オリバー、どうしたの?」
「そこまでいつも見ていたわけではありませんので……」
しどろもどろになりながらオリバーが事情を説明してくる。
そんな彼の態度に今度はプリシラがしばし目を丸くさせ、次いで笑みを零した。
「大丈夫よ、変な風になんて思わないから落ち着いて」
「はい……。申し訳ありません、お見苦しいところを」
「気にしないで。それより私のことを見守っていてくれたのね。ありがとう」
「いえ、お礼を言われるような事ではありません。見守ると言っても、プリシラ様が冷遇されているのを見ても何も出来ていませんし……」
プリシラは確かに冷遇されている。だがあくまで冷遇でしかなく、暴力を受けているわけではない。屋敷の者達も陰口こそ言えども直接暴言を吐くわけでもないし、ダレンも命じるだけで罵倒はせず、手を挙げることもしない。卑怯で姑息な彼等は、プリシラに訴える隙を与えずに心を折ろうとしてくるのだ。
ゆえにオリバーも今は見守るだけに留めているのだという。
「それに、俺は外に居る事が多いので常にプリシラ様を見守れるわけではありません」
オリバーは御者だ。馬の世話や庭師の手伝いを仕事としており、基本的に日中は屋外で過ごしている。
対してプリシラは屋内に居る事が多く、彼も常時プリシラを見守れるわけではない。下手に関与してプリシラの屋内での冷遇が悪化したらと考えているのだろう。本来の仕事を放棄して屋内に入り浸ろうものなら、ダレンがすぐさま解雇を言い渡してくるだろう。
「そのうえイヴから『勝手な行動はしないように』と釘を刺されているんです」
「イヴがそんなことを?」
「実は、俺は昔からこうと決めたらすぐに行動するところがありまして……。それで、プリシラ様かイヴの指示を待つまで何かするなと言われているんです」
事情を話すのは気恥ずかしさがあるのだろう、オリバーの口調は先程のしどろもどろよりはマシになったとはいえ、まだ所々口籠っている。
再び雑に髪を掻き上げる。彼の癖なのかもしれない。
「あ、でも、別に血の気が多いとか喧嘩っ早いというわけではありません。イヴはよく昔のことを例に出して話してくるんですが、それも俺が十歳にもならない頃の話ですし。ただ、彼女にはどうにも昔から強く出られなくて」
話すオリバーの口調や態度には情けなさすらある。もっとも嫌悪を抱くような情けなさではなく、親近感を持てるような弱さだ。
彼は身長も高く体躯も優れている。まさに立派な青年で、同年代の同性よりも精悍な凛々しさがあるだろう。
対してイヴは小柄な女性だ。二人が並べば頭一つ近くの身長差があり、どちらが強いかは一目瞭然。だというのにオリバーは昔からイヴには頭が上がらずにいるのだという。
それを話す彼はどこか楽し気で、イヴを語る口調には友情を感じさせる。
……友情以上のものも。
「そう……。昔からイヴとは仲が良かったのね。イヴの頼みでフィンスター家に来てくれるほどだもの」
「プリシラ様……?」
「私のことを見守ってくれているのも有難いけれど、イヴのことも守ってあげてね。彼女、私の味方でいるせいでフィンスター家の中で孤立してしまっているから」
だから、とプリシラが話せば、オリバーが何かを言おうと口を開いた。
だが声を発することはなく、はっと息を呑むと同時に他所へと向いてしまった。庭の隅、そこをじっと見つめている。
「オリバー?」
「誰か来ますね……。プリシラ様、ここに居ることは他の者には?」
「秘密裏に動いているわけじゃないわ。でも、あまり詮索されるのは気分が良くないわね」
腹の内を探られるのは気分が悪い。なにより、今この部屋には魔女から借りた鈴の猫がいるのだ。
あの猫は棚の方で探し物をしており姿を見せてはいないが、もし目当てのものが出てきたらどうするのか分からない。この場の空気を読んで誰も居なくなるまで身を隠してくれているのか、あるいは人間の事情などお構いなしと高く鳴いたり姿を見せるのか……。
仮に後者だった場合、見られたのがオリバーだけならまだ説明のしようがある。いっそ魔女について打ち明けてしまっても、彼は口外せずにいてくれるだろう。
だが他の者達が居たら対処に困る。猫を追い出そうと書庫内に集まるかもしれないし、その流れから書庫で何を探していたのかと探られるのは火を見るよりも明らか。
それを危惧すれば、プリシラの表情から察したのだろう、オリバーが潜めた声で「お任せください」と告げてきた。
「俺が行って、うまいことここを通らせないようにします。プリシラ様は窓を閉めて出来るだけ窓に近付かないようにしてください」
「え、えぇ……、分かったわ」
指示を出してくるオリバーの表情は途端に真剣みを帯びたものに変わっていた。
先程までの慌てた様子も、イヴに強く出られないことを語る弱さもない。じっと道の先を見据える瞳には警戒の色さえ漂わせている。
彼の変わりようにプリシラは気圧されつつ、それでも言われるままに窓をそっと閉めた。カチャと鍵を締めれば、それを聞いたオリバーが軽く一礼をして颯爽と歩き出していった。
そっとカーテンを引いて身を隠す。
耳を澄ませばオリバーの声が聞こえてくる。こちらに近付いてきたのはフィンスター家の使用人達だろうか。
野良犬が入り込んだというオリバーの嘘を彼等は信じ、犬を探すために別の場所に向かっていくのが聞こえてきた。オリバーもまた彼等を誘導するように離れていったのだろう。
去っていく彼の背中を思い出し、プリシラは小さく、誰にも聞かれないほど微かに、弱々しい溜息を吐いた。
胸が少しだけ苦しい。
あらすじのオリバーの名前を間違えていたので訂正しました…!
ご指摘ありがとうございました。よりによってここを……!




