15:伯爵家のメイド長
冷ややかに見据えてくるメイド長に、プリシラは臆することなく真っすぐに彼女の瞳を見つめて返した。
ただし敵意を持つように睨みつけるわけでもなく。そもそも、どうして貴族の夫人がメイド長を挑むように睨まなければならないのか。
あくまで些末なものを相手にしているように感情を一切込めず見つめれば、それが癪に障ったのかメイド長の眉間に皺が寄った。仕える夫人を相手にこんな表情を浮かべるなど許されるわけがないのだが、彼女はプリシラを軽視するあまりそれすらも忘れてしまったのか。
ならば思い出させてやれば良い。
「前にダレンにも言ったけど、イヴはフィンスター家のメイドではなく、私が連れてきたアミール家のメイドよ。そうでもなくとも私付きなんだから、私が指示を出すのは当然でしょう?」
「そうですが、彼女にも仕事の割り振りがあります。それを無視されては」
「割り振り、ね。それにしてはイヴの仕事の負担が多いように思うけれど」
プリシラの言葉に、メイド長が一瞬だけ言葉を詰まらせた。
だがすぐさま「そうでしょうか?」と白を切ってくるあたり、誤魔化せると高を括っているに違いない。ダレンのように威圧的にこそ接してこないが、彼女の態度にはプリシラへの軽視が感じられる。
年齢差、置物にすらなれない夫人への侮蔑、そして先代から仕えている驕りもあるだろう。
「イヴには夫人付きの侍女という何より大事な仕事があるの。それを考えずに貴方達に勝手に指示を出されては困るわ」
「夫人付きですか……。あまり大変な仕事には思えませんが」
メイド長が小さく鼻で笑う。胸の内の嘲笑が漏れ出たように、ほんの少し、微かに、彼女の口角が上がった。
だがたとえ僅かとはいえ許されぬ態度だ。プリシラはきつく彼女を睨みつけ「その態度は何?」と問い詰めた。
「私がいま話したこと、何か間違えていたかしら?」
「いえ、そんなことはありません」
「もしも夫人付きの仕事が楽だと考えているのなら、貴女、代わってみる?」
「え……?」
プリシラの提案にメイド長が怪訝な表情を浮かべた。
「私が?」という言葉には意図を探る色しかない。普通であれば夫人付きメイドへの昇格と考えるであろうに。
だが彼女が疑うのも当然だ。プリシラとて善意で言っているわけではなく、善意の色を醸し出してすらいない。これで喜ばれてはプリシラも拍子抜けしてしまう。
だからこそ歓迎の意は全く示さず、厳しくメイド長を見据えたまま口を開いた。
「当然、貴女なら完璧にこなしてくれるんでしょう?」
「え、えぇ、もちろんです……。不手際の無いよう務めさせて頂きます」
「それなら明日からお願いするわ。私が起きたら五分以内に身支度のために部屋に来なさい。五分以内よ。一度でも時間を過ぎたらすぐに暇を言い渡すわ」
「……それは」
「私がどんな服を着たいかも直ぐに理解して用意しなさい。服も、靴も、アクセサリーも、全て間違えないように用意して。私に『これじゃない』なんて言わせないで」
はっきりとプリシラが命じれば、メイド長の顔がより怪訝なものに変わった。
そんな事は無理だとでも言いたいのだろう。だが流石に真正面から無理と発言する気はないようで、歯切れ悪く「ですが……」と躊躇いの言葉を口にした。
「そんな事はイヴにも出来ていないはずです」
「えぇ、もちろんイヴは出来ていないわ」
「それなら私にだって」
「イヴは良いのよ。朝起きてイヴが来てくれるのを待つ時間は私にとって心地良いものだもの。五分どころか十分、一時間だって待てるわ。それに洋服も、たとえ彼女が間違えたものを出しても良いの。どれが合うかを話し合う時間は楽しいもの」
イヴとのひとときを思い出せば自然とプリシラの表情が和らぐ。
だが次の瞬間には表情を厳しいものに変えてメイド長を見据えた。
「だけど貴女は違うわ。貴女を待つ時間は私にとって無駄でしかないし、一緒に服を選ぶ気にもならない。私の大事な時間を貴女のために消費する気は無いの」
拒絶の意思を込めてプリシラが告げれば、メイド長が分かりやすく怯んだ。らしくなく困惑の色を隠し切れずにいる。
だけどこれだけでは終わらせない。そうプリシラは心の中で己に告げ、再び口を開いた。
「それと、貴女が私付きになるのなら今以上に出かけることが増えるわね。他所のお茶会にも顔を出したいわ」
「な、なぜですか……」
「今はイヴが相手をしてくれているから屋敷の中でお茶をしているのよ。でも貴女とはお茶をする気は無いし、そうなれば他に話し相手を求めるのは当然でしょう? ダレンは嫌がるかもしれないけれど、私、あいにくと一人じゃお茶が出来ないの」
ダレンはプリシラの外出を嫌がり、出来得るなら屋敷の自室に閉じ込めておきたいと思っている。
『隠居している友人』の所に遊びに行くのすら文句を言い、夫婦で招待されているパーティーにさえも理由をつけてプリシラを欠席させるのだ。他家のお茶会に参加などもっての外である。
だというのに侍女が変更されたから参加するようになった……。となればダレンはどうするか。
考えるまでも無い。イヴを再びプリシラ付きに戻すのだ。そしてきっと、プリシラが外出する要因になったメイド長を使えないと判断するだろう。
「確かに貴女はフィンスター家のメイド長だわ。だけど勘違いしないで、貴女は『フィンスター家のメイド長』なのよ」
いざとなったら、否、そこまで切羽詰まらずとも、ダレンは迷うことなくメイド長を切り捨てるだろう。
立場を弁えろと暗に告げてやれば、顔を青ざめさせていたメイド長が悔し気に眉根を寄せ……、だが反論はせず「かしこまりました」と頭を下げて書庫から出て行った。
プリシラの話を聞いて我が身を省みたか。もしくは、一旦ここは引くべきと判断して、ダレンに今回の事を言いつけに行ったか。
前者ならば良いが後者であれば煩わしい限りだ。深く吐いた自分の吐息に嫌悪の色が混ざっているのが分かる。
「二度目の忠告は無いわ」
そうメイド長が去っていった部屋の扉をじっと見据えて呟いた。
カタン、
と物音がしたのは、プリシラが冷え切った声色で呟いたのとほぼ同時。
思わずビクリと肩を震わせて振り返れば、窓の外にオリバーの姿があった。庭師の手伝いをしていたのか動きやすそうな服装に手には庭いじりの道具を持ち、唖然とした表情でこちらを見ている。
まるで意外なものを見たと言いたげな顔で……。




