11:小さな少年の美しい鳥の羽
「羽の加工が終わったよ。これで多少ぶつけても破損しないはず」
お湯を注いだばかりのティーポットを片手に、そしてもう片手に小さな箱を持って魔女が戻ってくる。
箱の中にしまわれているのは一枚の鳥の羽。
全体は白く、黄金色の模様が描かれている。たった一枚と言えども芸術品に並ぶほどの美しさだ。これほど美しい羽は見たことが無い。
魔女が言うには、稀少な鳥の羽でかなり珍しい代物なのだという。口振りからするに、もしかしたら羽だけでも値が張るものなのかもしれない。
それをプリシラは譲り受けた。ジュノにプレゼントするためだ。話を聞いた魔女は快く譲ってくれたうえ、保存するための加工も買って出てくれた。
「本当に代金を支払わなくて良いの? 私も少しは自由に出来るお金があるのよ。アミール家から出る時に貰ったお金もまだ残っているし、それに、身の回りの物を売れば資金も作れるわ」
「別に要らないよ。珍しいからって買ったはいいけど、どっかに飾ろうと思ってしまったままだったし」
淡々と話しながら魔女が鳥の羽を出して渡してくる。
当然と言えば当然だが、手にしたところで重みは感じない。だというのに存在感を感じさせるのは美しさからか。
白い羽枝は見ただけで分かる程に柔らかく、黄金色の模様はまるで金細工のようだ。触れても傷まないように加工をしたが柔らかさと繊細さは失われていない。
ただ鳥の羽を補強しただけ。だが一級の芸術品にも引けを取らぬ美しさがある。
プリシラも今でこそ惨めな生活を送っているが、かつては男爵家令嬢として相応の生活をしていた。芸術品を幾つも目にしているし、美しい宝石のついた装飾品も持っていた。だがこの鳥の羽に並ぶ美しさは今まで一度も見ていない。
「ありがとう。きっとジュノも喜んでくれるわ」
「それは良かった」
「ジュノは動物が好きなのよ。特に鳥が好きで、庭に来る鳥を調べて、自分でスケッチもしているの」
まだ幼いジュノはプリシラの事を慕っており、よく話しかけてくれる。
その際によく話題にするのが動物。中でも鳥の話題が多い。時には図鑑を持ってきて話をする事もあり、その時の彼の青い瞳は美しい程に輝いている。
「前回の人生では、ジュノに話しかけるとダレンに怒られるからあまり構ってあげられなかったの」
ジュノの母になるには当時の自分はあまりに若く弱かった。
唯一の心の支えだったイヴさえも奪われ、自分を守るだけで必死だったのだ。傷付くのを恐れて自室と言う名の殻にこもり、幼い少年の事を気にかける余裕は無かった。
母の愛を求めていただろうに……。
とりわけ、父親があのダレン・フィンスターなのだから猶更だ。彼はジュノのことを息子として育ててはいるものの、そこに愛があるとは思えない。
そのうえ、今後ジュノには……。
そこまで考え、プリシラはふると首を横に振った。
今は過去を憐れんでいる場合ではない。そう心に決めるも、まるで追い打ちをかけるように魔女が口を開いた。
「ジュノ・フィンスターかぁ……。人間って言うのは、たった十数年生きただけで母親を殺すようになるんだね」
気遣いの欠片も無い魔女の言葉に、プリシラは何とも言えない表情で肩を竦めた。
◆◆◆
屋敷に帰ってきたプリシラを出迎えたのはイヴとジュノだった。
「お母様!」とジュノがプリシラを見て呼ぶ。屈託のない笑顔。駆け出せば眩いばかりの金色の髪がふわりと揺れる。
「お母様、お帰りなさい」
「ただいま、ジュノ。外で何をしていたの?」
「語学の先生が、テストの点数が良いからって早く終わらせてくれたんです。前に夕方になると庭に綺麗な鳥が来るって僕が話をしたのを覚えていてくれて、見てきて良いって。それで外に出たらイヴが居て、お母様がそろそろ帰ってくるからって二人で待っていたんです」
普段よりも饒舌にジュノが話す。
母と話が出来ることが嬉しいのだろう。その気持ちがほんのりと赤らんだ頬と輝く青色の瞳から伝わってくる。
そんなジュノを見ているとプリシラの胸がじわりと暖かくなる。……それと同時に宿るのは罪悪感と不安。
だが今は負の感情は抑えようと小さく息を吐き出し、プリシラは持ってきていた紙袋をジュノに差し出した。彼の瞳がプリシラから箱へと視線を移す。
「お母様、これは?」
「待たせてしまってごめんなさい。今更だけどお誕生日おめでとう」
プリシラが祝いの言葉を口にすれば、自分へのプレゼントと察したジュノの表情がより一層明るくなった。
箱を受け取り「開けていいですか!?」とプリシラに尋ねてくる。プリシラが頷いて返せばさっそくとリボンを解きに掛かった。はやる気持ちが抑えきれないのだろう、それでいてリボンを傷つけないようにと丁寧に解く様が可愛らしい。
そうして箱を開け……、「わぁ」と感嘆の声を漏らした。
「凄い、綺麗な鳥の羽……。白と金色が宝石みたい。見てくださいお母様、傾けると色が少し変わって見える! 僕、こんなに綺麗な鳥の羽は見た事ありません!」
「この国にはいない珍しい鳥の羽なんですって」
「ありがとうございます、お母様! 大事にします! 机に飾っていつでも見られるようにして……、あ、だけどベッドの横なら寝る前まで眺めてられるかも。でもまずは図鑑でこの羽の鳥を調べて……!」
あれこれと話すジュノは一目で鳥の羽に魅入られていると分かる。元より輝かしい青色の瞳が、今は鳥の羽の美しさを受けてより輝いている。
そんな彼の横顔を眺め、プリシラは小さく笑みを零した。
(ジュノが喜んでくれて良かった。……だけど、この子は四年後にはどうなっているのかしら)
時に変化は変化を呼ぶが、時に変化は元に戻りもする。そう魔女は言っていた。
ならば今目の前に居るジュノの変化はどうなるのか。
このまま母を慕う息子になってくれるのか。もしくは、結局は母の死に笑みを浮かべる息子になってしまうのか……。
プリシラの脳裏に冷え切ったジュノの瞳が思い出される。
突き落とされたプリシラに対して一切の情もなく見つめてくる瞳。罪悪感も後悔も無く、まるで当然の事を見届けるように静かだった。
まるで石が転がり落ちるのを見るかのように。それどころか薄ら寒い笑みを浮かべて……。
だがそこまで考え、プリシラは小さく息を吐くと脳裏に浮かぶかつてのジュノの姿を掻き消した。
(今考えたところで答え合わせはまだ先だわ。それなら、今出来ることをこの子にしてあげないと)
不安に駆られるのは最後、すべてが上手くいかず崖の上に立たされた時だけで良い。
そうプリシラは己に言い聞かせ、ジュノの頭を優しく撫でると屋敷の中へ入ろうと促した。
……二階にあるダレンの執務室、その窓からこちらを見下ろす女性の視線には気付かないふりをして。