第3話「一つ目の分岐点」
「お、お兄ちゃん、なにかな……!?」
桃花が不安そうに俺の服にしがみついてくる。
現場に出たことがない桃花は、こういった事態に慣れてないので、仕方がない。
「月樹、桃花とここにいてくれ」
「どうする気なの?」
桂はジッと俺の顔を見つめてくる。
俺がどう動くか観察しているようだ。
「悲鳴だからな、無視はできないだろ?」
ここで俺は、桂に桃花を預けなければならない。
それがこのゲームのシナリオだ。
「お兄ちゃん、危ないよ……!」
「大丈夫だって。じゃあ、桃花を任せたぞ?」
俺は二人に背中を向けて、声がしたほうを目指して駆け出す。
路地裏に近付くと、建物から顔だけ出して確認をしてみる。
すると、女性が獣に襲われていた。
いや、獣というか、獣人なのだが。
あれは人間が、《ギフト》によってなった姿だが、どうやらモデルはオオカミのようだ。
「た、助けて……」
「ぐへへ、いいからついてこいよ……! いいところに連れて行ってやるからよぉ……!」
獣人は、女性に尻尾を振りながら近づく。
まったく……朝っぱらから迷惑な奴だ。
現在登校中ということで、俺は銃も何も持っていない。
獣人型は筋力が数倍に膨れ上がるとのことなので、普通にやればボコボコにされるだろう。
しかし――。
「待て……!」
俺は立場上、傍から見たら無謀なことをしなければならない。
「あぁん? なんだガキ、死にてぇのか?」
獣人はいかれた目つきで俺を見据えてくる。
確かこいつは、組織の末端どころか、ただの金で雇われたごろつきだったはず。
要は、動きが素人だ。
俺はチラッとお姉さんに目配せをする。
だけど、お姉さんは涙目でへたりこんでおり、立てそうにない。
本当は、俺が時間を稼ぐうちに逃げてほしかったが……。
「たくっ……朝から女性を襲うなんて、どういうつもりだ?」
お姉さんを逃がせない以上、俺がこいつを止めるしかない。
幸いゲームのほうでも、ここで主人公は本気で戦う。
なぜならこの時点では、桂のことを一切疑っていないからだ。
ただ、知人に《ギフト》を使っていることがバレるのはまずいということで、それを封じて戦うという枷があるだけになる。
「てめぇには関係ねぇだろ。ゴチャゴチャ言ってると、殺すぞ!」
獣人はそう言いながら、右手で殴りかかってきた。
俺は腰を屈めて腕を躱し、お腹に一発右ストレートを叩きこむ。
「ぐぇ……!」
こちらを舐めてくれていたおかげで、無防備なお腹に綺麗に入った。
筋力が数倍になるからといって、急所などの無防備な部分は防御力が上がらないので、鍛えた体の拳ならダメージを与えられるのだ。
「悪く思わないでくれ」
俺はそう言って、前かがみになってお腹を押さえる獣人に対し、後ろから股間を蹴り上げた。
「うぎゃぁあああああ!」
当然、男の急所をやられた獣人は、手で押さえながら飛び跳ねる。
かなり痛いだろうな。
だけど、俺はまだ手を止めない。
今度は、顎に本気の一撃を入れた。
「あぐっ……!」
獣人は地面に倒れ込む。
脳震盪になっているので、少しの間動けないだろう。
「――お兄ちゃん……!」
女性に近寄ろうとすると、背後から桃花に呼ばれてしまった。
待っておくように言ったが、来てしまったらしい。
まぁ、心配性な桃花がジッとしているわけがないのだが。
というか、俺を観察したい桂が唆しているはずなので、桃花が来てしまったのは仕方がない。
「凄いね、獣人の《ギフト》を持つ相手を、一人で倒したのかい?」
倒れている獣人を見て、桂は驚いたような表情で聞いてくる。
「まぁ昔、空手をかじったことがあったんだが……正直、運がよかったよ」
「そっかそっか、影之君って強いんだね」
「別に強いってわけじゃないが――」
笑顔を向けてくる桂の相手をしていると、桃花の背後で動く影が目に入った。
そう、このイベントはこれで終わりじゃない。
実はもう一人現れていて――そいつが、桃花に怪我を負わせるのだ。
それが、桂が壊れ始める原因になる。
まだ桂は、実際に手を汚してはいない。
だからこそ、今回手引きをしたことで初めて人に怪我を負わせ、そのことを気にし続けるようになるのだ。
逆に言えば、これはチャンスでもある。
「桃花……!」
「えっ――きゃっ!?」
俺は桃花の腕を引いて、横に飛びのく。
それによってタッチの差で、桃花の後ろより飛び掛かってきた男から、桃花を守った。
さて、問題はここからだ。
俺が知っているシナリオから外れてしまったが、終着はほぼ同じにしなければならない。
じゃないと、これから知らない未来に繋がってしまう。
「もう一人いたのか……!」
「月樹、下がってろ! こいつは俺がやる!」
俺は桃花をお姫様抱っこして、月樹のもとに駆け寄る。
そして桃花を下ろすと、二人を背に庇うようにして、もう一人の獣人と向き合った。
「弟を、よくもやってくれたな……!」
「弟の心配をするなら、連れて逃げればよかったのに……やっぱ、脳まで獣なんだな」
「なんだと!?」
挑発すると、獣人がまっすぐと突っ込んできた。
怒らせれば、それだけ動きは単調になる。
しかし、今は桃花たちが後ろにいるので、躱すわけにはいかない。
だから俺はあえて真正面から距離を詰めた。
「なっ!?」
俺が突っ込んでくるとは思わなかったんだろう。
獣人は身構えるように動きを止め、体を硬直させた。
その隙を俺は見逃さない。
「兄弟、仲良くな」
俺はそう言って、先程と同じように顎に一発喰らわせる。
それによって、獣人は倒れるのだが――ふと、疑問に思った。
ゲームのほうでは、桃花を傷つけられたことにより、主人公は怒りに任せてこの獣人をボコボコにする。
それこそ、血だらけにするのだ。
俺は今、そこまでしたほうがいいのだろうか?
でも、桃花は元気なんだよな……。
「お兄ちゃん……?」
俺が考えごとをして固まっていたからだろう。
桃花が不安そうに覗き込んできた。
……うん、まぁそこまでする必要はないか。
ここで獣人をボコボコになんてしたら、桃花や桂には俺がいかれてる奴に見えてしまう。
それよりは、普通にこの後駆けつける警察官に引き渡したほうがいい。
「《ギフト》は多分……使ってないよね……? じゃあ、あの強さは持ち前のもの……?」
背後では、俺たちを見つめながらブツブツと桂が何か言っているが、かすかに聞き取れる言葉から察するに、ゲームのシナリオから外れなかったようだ。
「桃花、大丈夫だったか?」
「うん……私何もしてないし……」
「そっか、よかったよ。月樹、お前も大丈夫か?」
「えっ!? う、うん、大丈夫だよ!」
考えごとをしているところに話しかけると、桂は慌てたようにかわいらしい笑みを浮かべた。
うん、シナリオ通りだ!
問題なし!
こうして俺は、桃花に怪我を負わせないことで、一つ目の分岐点を終えるのだった。