不老不死
科学技術の進歩によって、今や人が思いつくことは全て娯楽として体験できる時代になっていた。深海から宇宙に至るまで気軽に旅行が楽しめ、体一つで空を飛んだり、透明人間になったり、過去と未来を簡単に行き来できたりと、ありとあらゆることが可能になっていた。たった一つのことを除いて。
それは死だ。医療技術の目覚しい発展のおかげで、人は死ななくなっていた。遺伝子治療で病気のリスクは事前に排除し、老化や怪我で損傷した組織は再生治療で瞬く間にもとに戻る。死にたくても死ねない時代だ。
〈だからこんな商売が成立するんだ……〉
そんなことを思いながら男はほくそ笑む。彼が雑居ビルの一室で開いた非合法その店は、死を体験できると噂が噂を呼び、客が途絶えることは無かった。
その日も店には一人の女が訪れていた。既にベッドに横たわり、複雑な装置に繋がれている。閉じた瞼越しには、先ほどから激しい眼球運動が確認できた。
やがて女の目がゆっくりと開かれた。男の合図で彼女に繋がれた何本ものコードやチューブを助手が外していく。
「いかがでしたか?臨死体験、ご満足いただけましたでしょうか?」
男の声で女はゆっくり起き上がると、満面の笑みを浮かべた。
「すごいわ。こんなの初めて。最初は暗いトンネルの中を歩いていたの。そのあと急に明るくなって、気がつけば綺麗なお花畑にいたわ。でもね、どこからともなく声が聞こえてきたの。『戻っておいで』って。何度も言ってたわ。それで来た道を戻ったの。そうしたら、この世に戻ってきた。確かあの声には聞き覚えがあるわ。誰だったかしら……」
首をかしげる彼女に男はクスリと笑ってみせる。
「きっと、生前あなたのことを大切に思っていらっしゃった方の声ですよ」
その言葉に女は目を潤ませた。
ビルの戸口まで見送りに出た男と助手は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。またのご利用を」
「もちろんです。今度は友だちも誘って来ますね」
興奮気味に言って、女は去っていった。
その後姿を見送りながら、助手が男に言った。
「単純なものですね。夢を見ただけなのに」
「そう。人はみんな自分の中で死のイメージが出来上がっているんだ。だから眠らせるだけで、勝手に死後の世界を見たと思い込んでくれる。仮に夢を見なくても、死後の世界は無だと教えやれば信じ込むのさ……」
そこで男は慌ててあたりを見渡した。
「大丈夫です。誰にも聞かれていませんよ」
助手の言葉に安堵の表情を浮かべた男は、
「危ない危ない。これは墓場まで持って行かなきゃならない秘密だからな」
と言ってから、自嘲の笑みを漏らす。
「おっと、人間は不老不死だ。持って行こうにも墓場は無いんだった」