一流と、孤独と。
日本の夏は、老兵となった今の私にはさらに堪える。
湿気が高く、少し歩いただけで代謝の良い私は汗だくだ
タオルで汗を拭う、そこから ほんのりおじさん臭がして
また嫌になる。
必死に働いているだけなのに、報われないものだ
家での、妻や娘との会話も減っているように思える。
こんな時に飲むビールは最高だろうなぁと
想像して、生唾を飲み込む
いかんいかん、まだ平日の昼間だ
しかも今はまだ仕事中…
仕事といっても、得意先で わが社のミスを平謝りして来た帰りな訳だが…
こんな時はそう、ランチだ
美味い飯に集中して、一瞬でもいい 幸せを味わおう…
うーん、でも ここはオタクの聖地、秋葉原か
家電やアニメグッズは揃うだろうが 美味い店
と、なるとあまりイメージはない
だからといって、飯屋がない訳ではないのだから
新たな新境地の開拓が出来るかもしれない…
オタクと呼ばれる人々が舌と腹を満たす場所がどこかにあるはずだ
私は、こういう嗅覚 勘だけには自信を持って生きてきた。
「ん?なんだ…」
一瞬、美味そうな匂いがした
こんがり、焼けた卵のような… 米を炒めた時の あの幸せな香りが…
私は、その匂いと直感を頼りに歩きだす
ビル…?
この中に店があるのか??
なんだか、古ぼけた看板が 辺りに散乱してよくわからないが
とにかく、昇ってみよう…
「メイド喫茶…?」
なんという事だ、まさかメイド喫茶に来てしまうなんて…
別に、オタクさん達の文化を否定する訳ではないが
こういう所は苦手で避けて来た、そういう人も多いだろう
いわゆる、萌え文化すら知らない私が立ち入って良い場所ではない
メイドのコスプレをした若い娘さん達がグイグイ来るあの感じ
テレビの特集で見た事がある程度だが
静かに食べたいだけの私には真逆の嗜好だ。
私の勘も鈍ったか
他を探そう…
ぐーぎゅるる
うーん、腹が大分減ってるな 今日はだいぶ歩いたし
時計を見ると、もう昼休みと帰りで通用する時間までにはギリギリのラインだとわかる
目的の店があるなら別だが、迷いながら探す余裕はない
「仕方ない、これも人生勉強だ」
私は、覚悟を決めて メイド喫茶に入った。
私は、身構えていたのだが 何も来ない、というかアレが来ない?
いらっしゃいませ、ご主人様~♪
これが来た時、どんな表情をすれば良いのか
それを不安に思いながら飛び込んだのだが…
すると、奥からやっとメイドの格好をした女性がスタスタと歩いて来た
安心した、やはりメイド喫茶である事は間違いないのだ
スタスタ…というよりは、のそのそ が適切かもしれない
「…っしゃせ~、お好きな席にどうぞ~~」
驚愕した、メイド喫茶とはこれでもかと”あざとい”サービスの押し売りがされる場所だと思っていたからだ。
おもてなし大国日本、しかも飲食店で これほどまでにやる気のない接客は久しぶりに受ける!
クレーマーなら、すぐさま文句を言うテンションの接客であろう
私も、普通の店に入って今の接客なら気分を害していたに違いない…!
しかし…!ここは私にとって未知の領域、メイド喫茶だ…!!
正解が、わからない…!!!!!!
もしかしたら、そういうコンセプトの店なのかもしれない!
だとしたら、間違っているのは私なのだ、悪いのは私!
「ご注文決まりましたら~ニョニョニョニョ・・・」
どんどん、言葉が小さくなり 最後は何を言っているのかわからなかった…
典型的なメイド喫茶のあの萌え圧力で来られるよりは、こちらの方がまだ気が楽という気もする
氷がいっぱいに詰め込まれたコップに注がれた水に手を伸ばす
ゴク…ゴク…ゴク…!
かぁーーー!!!!!うまい!! 喉が痛がっている!!!!!
あー、ただの水で満足してしまいそうだ
強烈な冷たさで、ビールを欲していた喉が爆発した感じ
水なら、何の罪悪感もなく いっきに流し込めるし
まさに生きている事を実感させてくれる
ただの水がこんなに美味いとは…
慣れない場所での緊張もあってか、私の喉は限界だったようだ
そういえば、この店クーラーが効いていないな? 壊れているのか??
「そうだ、メニューを…」
またしても、私は驚かされた
下敷きのような、ラミネート加工されたメニュー1枚には
「普通のオムライス 500円」 「愛情たっぷりオムライス 900円」
の、2つだけがデカデカと並んでいるだけだったからである
オムライス、一本勝負か…
もっと、色々華やかなメニューが並んでいるイメージだったが
職人カタギを感じさせるメニューだ
しかも、値段も安い
確か、こういったカフェでは普通の食べ物でも1200円越えが相場だと聞いた事がる。
まあ、オムライス ちょうど良いじゃないか
さっさと食べて退散しよう
「お、お姉さん…メイドさん? 注文いいかな…?」
「・・・・はーい」
一瞬悩む、値段からして普通のオムライスを頼みたいのだが
ちょっとした冒険心がこういう時に、決まって顔を出すモノだ
(うむ、郷に入りては郷に従えだ… 人生初の経験なのに普通で済ますのはもったいない)
「あ…愛情たっぷりオムライスの方でお願いします…」
「……………はい、愛情ひとつね」
間が、恐かった… 心なしか睨まれたような…?
「硬さは? 半熟ふわふわか、カリカリで選べますが~」
なに、硬さ!?
オムライスで硬さの種類が選べるとは意外だった‥‥
昨今は、なんでも半熟、なんでも ゆるふわの時代だ
昭和を生き抜いた日本男子足るもの、少し物足りなさを感じていたのは事実である。
「かっ、カリカリで…」
「ちっーす…」
ふぅ、水をもう一杯…
メイド特有の接客を怖がっていた私にとって、彼女の素っ気ない対応は助かるというもの
そうなると、逆に怖いもの見たさでメイドメイドした接客も見てみたい…と、なるのだから
人間とはどこまでいっても、無いものねだりである。
ザァーーーーーーーー
奥の厨房から、軽快な音が聴こえる
卵汁をフライパンに流し込む音だろうか
音から察するに、60代を越えた年季を感じる
おそらく、人生の先輩 熟練したベテランなのであろう
私の耳は、確実にその音から料理人をプロファイリングしていた
なぜ、このメイド喫茶にいるのかは わからない
色んな事情があるのだろう、孫の店の手伝いとか?
なるほど、あのシンプルなメニューなのも頷ける。
「お待ちどうさま~、それでは 愛情タイムに入りますね~~」
オムライスが運ばれ、ギャル風のメイドさんがケチャップを手に取った
ゴクリ…
例の奴がはじまるんだ…! テレビとかで観たやつが…!!
「あい、あいじょう~いっぱい、夢いっぱい~…ラブラブ、きゅ、きゅるっきゅるるん きゅる…あれ? くそっ! ちっ」
グチャァ!!!!ベシャ!!!!ベチャチャチャチャチャチャ!!!!!!
「ごゆっくり、どうぞ~」
メイドさんは、そそくさと去っていく
これは、近代アートだろうか?
目の前には、赤い塊と皿からはみ出す地獄絵図が形成されていた
正解がわからない!!!!!!!!
これが、この店の愛情表現なのだろうか??
そうなのか、そうなのかもしれない、そうであって欲しい
しかし、オムライスに乱暴にかけられたケチャップは、どういう訳か食欲を駆り立てる
良い匂いだ、この店に誘われた香り…
間違いではなかった
スプーンで切れ目を入れ、それを掬い上げる
さっさと、たいらげて帰ろうとするのは
失礼にあたる、そう思わせる気品があった…
…パクり
・・・・・・・・・・!!!
■ フランスで、40年間 美食家として知られ
料理評論家として知られる、ヴァルヌ・カッシアーヌはこう語る
「彼の料理を一口、口にした瞬間 美味い以外に もう一つわかった事があるんだ」
それは何ですか_?
「私は、彼の料理を食べる為に生まれてきた。」
辛口で知られる、カッシアーヌにここまで言わせたインタビューは、当時話題となる。
うまい、うまい、うまい!
なんだ、これは!?
米が…なんと表現すればいいのだっ!?
米の一粒一粒が際立っている!? ケチャップと絡み、包まれた卵の甘さがそれを
何倍にも膨らませている…!!
手が、止められない…!! ゆっくり、味わいたい、のに!!
喉が!胃袋が、それを許してくれない!!!!
味覚など無いはずの彼らが要求している…!!!!!!
早く、渡せ!!!!! と、そのうまい食い物を!!!!!!!!
この美味いものを流し込めと、口全体が流動する・・・!!!!!!!
皿の、オムライスがどんどん減っていく、こんな!悲しい事はない!
幸せが、幸せな時間、約束された時間が 目に見えて減っていくのだ!!!
あっ・・・・
もう、皿は空だった
最後の一口を飲み込むと、水をそこに流し込む
矛盾している、出来るだけ長くその味をあじわっていたいのに、今ここに水を流し込めば 最高にスッキリとした食後感が得られると、本能で、経験で知っている。
「ありが、いってらっしゃいませー ごしゅじんさまー」
ニコッ
私は、思わず そのメイドさんに笑顔を向けながら会釈した。
メイド喫茶、侮りがたし
足取りは軽い、幸せは今も持続している
冒険した自分を誇りたかった、自分の勘はやはり正しかった事を誇りたかった
じじ臭くなったタオルを肩にかける
匂いがなんだ!これが労働の証だ!!!!
俺の汗だ!!
ごちそうさまでした、私は何度も心の中で唱えていた。
孤独ゆえに、出会える味がある・・・。
これが私にとっての、ファーストメイド喫茶であり、ベストメイド喫茶でもあった