40.北部同盟
謁見の間でリルケ子爵夫妻を見下ろすイエルハルトは、表情を消していたが、内心では彼らの腹の内をさぐりかねていた。
リルケ子爵は国の財政に関わっていたことがある。結婚し、爵位を継いでからは領地の経営にも忙しく、徐々に王宮での仕事の割合を減らしていったが、飢饉のあとまで王都にはいた。
だから無論、フォルシウス公爵の企みにも気づいている。
直轄領が買いとられていることまでは知らないだろうが、セルデンからの報告によれば、エリンディラの借金がフォルシウス公爵からなされたものだということを明らかにしたのはこの男だったという。
(諫言でもしにきたか)
物腰の柔らかそうな、悪く言えば気の弱そうなリルケ子爵の隣には、彼とは正反対に凛々しいとも言える眼差しを持った夫人が控えている。
「王太子殿下におかれましては、御多忙の中拝謁を賜りまして、真にありがたく存じます」
「御託はいい。用件を言え」
挨拶を遮りイエルハルトは首を振った。
元出納役が今の王宮を見ればどういう状況かはわかるはずだ。普段どおりの仰々しい挨拶は慇懃にすぎる。
それでも、リルケ子爵は王宮へやってきた。実質的に権力を奪ったフォルシウス公爵のいる屋敷ではなく、正式な国王の代理であるイエルハルトのいる王宮へ。
「はい。それでは」
リルケ子爵はイエルハルトへ近寄ると、数枚の文書をさしだした。本来ならばイエルハルトの隣には侍従がついていて、貴族たちを直接近づけることもなく文書を受けとりイエルハルトへ渡す。
視線を伏せて敬意を示すリルケ子爵に、この男はこういう男らしいとイエルハルトは思った。決められた礼儀や格式を重んじ、あまり融通の利かない性格だ。
そんな男がわざわざ何を持ってきたのかと文書に目を通し、イエルハルトは息を呑んだ。
「これは」
「北部の領主たちより、王太子殿下への忠誠を誓う署名にございます」
リルケ子爵は顔をあげた。
気弱で、礼儀や格式を重んじあまり融通の利かないと推測した男の思いがけない強い眼差しにイエルハルトはたじろいだ。それを顔色に出すほど政治にもの慣れないわけではないが、それでもたしかに驚いた。
数枚の紙には、セルデン伯爵領、リルケ子爵領、ゴード男爵領などをはじめとして、北部地域の領主たちの署名と、数々の名産物や数字が書かれていた。
「そこに記載したとおりのものが、ひと月以内に王宮へ揃う予定です」
リルケ子爵がノシュタット領に立ち寄ったのは、この北部同盟ともいえる集いの先頭にはやはりノシュタット子爵アランが必要であろうと思ったからだ。
アランが王都にいるのはわかっているが、何かあれば執事を訪ねてくれとも言われていた。だから、ノシュタット領から献上できるものがあるかを尋ねに行った。
応対したスウェイは考え込むこともなく多額の献金に交易で得られる異国の織物や香辛料のほか、ノシュタット領で収穫できる作物なども書き加えた。
そして言ったのだ、自分も連れていってほしい、と。
北部の発展はいまやノシュタット領を中心としている。その内政をよく知る者を同行させたことで、他領との交渉もすんなりと進んだ。
どの作物をどれほど蓄えれば安心できるのか、今後の交易の見通し、値上がりの期待できそうな特産品などを、スウェイは惜しげもなく語ってくれた。
「旦那様からは、もうノシュタット領の財政は隠さなくてよいと言われておりますので」
隠していたのはイエルハルトの監視から逃れるためだった。その気になって調べれば近隣領の領主たちにはわかるはずだ、と。
実際彼らは、アランとマデレーネの披露目の晩餐会に訪れ、想像よりもはるかにノシュタット領が発展していることを身をもって実感した。それだけに、自領が発展する未来も、信じることができたのである。
そうした経緯もあり、北部領主たちが献上すると約束した品々は、リルケ子爵が一人で頼むよりもずっと多くなった。
献上目録ともいえるそれにざっと目を通し、イエルハルトの胸中に湧きあがってきたのは複雑な想いだった。
そこに書かれていることが真実であれば、フォルシウス公爵から直轄領を買い戻す相談ができる。
「なぜこれを俺にさしだすのだ」
「我々は飢饉の折りに王家からの援助を得ました。そのご恩に報いなければなりません」
「……マデレーネか」
イエルハルトが顔をしかめても、リルケ子爵は目を逸らさなかった。
謁見の前に、彼らはマデレーネに会っただろう。この連判状の使い道を相談したはずだ。これをカイルとハーシェルに渡せば、風前の灯火となりかけていた彼らの権威は回復する。中央貴族たちも動揺したはずだ。
なのに、マデレーネはこれをイエルハルトに渡すように言ったに違いない。
(罪滅ぼしのつもりか)
燃えあがる気持ちは怒りなのだろうと思う。
イエルハルトが何年かかってもできなかったことを、マデレーネはやすやすと実現してみせる。
――三人で力をあわせなければ国の繁栄はないと……!
カイルの言葉が耳によみがえる。





