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34.イエルハルトは回想する(中編)

 飢饉の年の記憶は曖昧だ。

 気づけば王宮は死の手に包まれていた。エリンディラの葬儀が終わるやいなや、憔悴しきった国王も床に臥せた。イエルハルトやカイル、マデレーネをはじめ、侍従たちにも、キッチンのコックたちにも、下働きの者たちにも病は訪れた。

 

 それでも国全体が傾く前に飢饉も疫病も終わった。終わらせることができたのは、エリンディラの改革に効力があったからだ。

 被害の大きかった北部領は援助を受けて崩壊の寸前で踏みとどまったし、前年までの豊作のおかげで他領地の被害は少なくすんだ。

 

 そういった報告をイエルハルトが聞いたのは、混乱が収まり始めたころだ。

 

「各地は領主がなんとかするでしょう。今もっとも財政に困難を抱えているのは王家です。僭越ながら、わたくしが王家の直轄領を買いとらせていただきました。質素におすごし遊ばされれば、一年は耐えられましょう」

 

 フォルシウス公爵の言葉にイエルハルトは衝撃を受けた。

 質素に暮らしたとて、王家は一年しかもたないのだ。罪を断じられたかのような心持ちがした。

 青ざめるイエルハルトの肩を抱き、公爵は慰めるような笑顔を向ける。

 

「公爵家は、王家あってのものです。十分に援助はさせていただきます。……王妃殿下に貸した金も、返済は十年後でようございます」

「……エリンディラ妃に……貸した金……?」

 

 驚愕に目を見開くイエルハルトに向かって、はい、とフォルシウスは頷いた。

 

「そうですな、小さな領地なら、二つ三つは買えるでしょう」

「……!!」

 

 信じてもいいかもしれないと思った。心を預けてもいいのでは、頼る相手としてもいいのではと。

 けれどもそれは間違いだった。

 国を救う王妃の決断は、結果的に王家を苦しめることになった。

 

「貴殿の援助、ありがたく受けよう、フォルシウス公爵。今後は父上に代わり俺が政務を執り行う」

「わたくしも精いっぱいお仕えいたします」

 

 こうべをたれるフォルシウス公爵に、イエルハルトは頷いた。

 

 

***

 

 

 直轄領を売った金を切り崩しながら、王家はなんとか生き延びた。ただし、もとのようにとはいかない。

 人員の整理や給金の見直しが行われ、口には出さないものの、従者たちの中に不満が渦巻いているのをイエルハルトは感じとった。

 

 財政の立て直しは進まなかった。

 フォルシウス公爵に直轄領を売り渡したことにより、王家の所領は減った。去年よりも領地の減った状態で、去年よりも稼ぎをあげるなど、無理なことだ。

 

(騙された……?)

 

 イエルハルトがそのことに気づいたときには、すでに一年の半分は終わっていた。

 

「国王陛下もお目覚めになりそうにない。我々はこの先どうなるのやら……」

「イエルハルト殿下に政治は無理だろう、まだたったの十六じゃないか」

「貴族の方々も王宮に寄りつかなくなった。領地の復興に忙しいのだと言っているが王家に関わりたくないのさ」

 

 侍従たちの噂声は日々大きくなっていく。王家の権威が失われつつある今、忠誠を誓うはずの者たちは畏敬の心を失っている。

 イエルハルトにはわかっていた。やがてそれは敵意となって、王家そのものに向かう。

 

「それでもまだイエルハルト殿下は必死にやっているじゃないか。カイル殿下やマデレーネ殿下はまだうじうじと喪に服してるんだから」

 

 年かさの侍女が大きなため息をつきながら言う。

 彼女の夫は、エリンディラと同じ病で亡くなったのだった。

 

 

***

 

 

 射貫くような視線を向けるイエルハルトに、フォルシウス公爵は笑顔を崩さなかった。彼にとっては予想できたこと、計画の範囲内であるから、当然動じるわけがない。

 

「俺を嵌めたな」

「いいえ。イエルハルト殿下のお力を信じればこそ、お役に立てるかと思ったのですよ」

 

 宰相の権限で勝手に直轄領を売り払ったことを、イエルハルトは咎めなければならなかった。直轄領を買い戻すだけの金は王家にはない。降ってわいた多額の金に感謝をすべきではなかったのだ。

 そのことは、手さぐりにでも政治を執り仕切ってみて理解した。

 

「わたくしを罷免しますか? そうですね、ダルグレン侯爵あたりを宰相につけてみてもよいかもしれません。息子が優秀だそうですよ」

「……お前の条件を聞こう」

 

 感情が表に出ないよう気を払いながらイエルハルトは告げた。

 ここで対立の姿勢をあらわにしても、今のイエルハルトには味方がいない。王家の命綱を握りつつある公爵と真っ向から戦う貴族がいるだろうか。

 

「わたくしは親ばかでしてね。娘のカトリーナは器量も気立てもよい子で、将来はよい縁で結ばれてほしいと願っています」

「王妃の座を、彼女に渡せと?」

 

 そして生まれた公爵の孫を、王位につけろと。

 十代のイエルハルトからしてみれば、公爵の要求はなんとも気の長い話に思えた。

 

(彼も今はまだ大きくは動けない?)

 

 一瞬、イエルハルトの脳裏に疑念がよぎる。だがそれを打ち消すように、公爵はにんまりと笑ってみせた。

 

「わが娘と婚約してくださるのなら、買い取った直轄領の収入権を王家に貸しましょう。それに、同じ条件でほかの直轄領を買いとってもようございます」

 

 本来の価値の三倍で買いとり、しかもその収入は従来どおり王家のもの。

 公爵家には、金がある。そのことを見せつけるかのような提案だった。

 

 父と母の並んだ姿を、それから父とエリンディラの並んだ姿を、イエルハルトは思い浮かべた。

 己の結婚はそうはならないのだろう。

 

「……わかった」

 

 それが王太子としての役目なのだと、イエルハルトは自分に言い聞かせた。

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