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7.メイド長は心を入れ替える

 呼び出しを受けたベルタは、その夜、マデレーネの部屋の扉を叩いた。

 一応しおらしい表情をつくってはいるが、心のうちは高揚している。みっともなく許しを請うような真似はしない。むしろマデレーネの罰が苛烈であることをベルタは望んでいた。

 

「おはいり」

「失礼いたします、奥様」

 

 さて、どんな顔で自分を出迎えるのか見てやろうと顔をあげ、

 

(?)

 

 想定外の光景にベルタは思わず首をかしげそうになった。

 

 ユーリアが想像以上に怒った顔をしている。侍女だからとドレスを着せられて舞いあがってしまったのか、完全にマデレーネの側についたようだ。だがそれだけではない。

 マデレーネもマデレーネで、一応真顔になろうとしているのだが、頬は赤く、目は細められ、口元は怒りのためというよりはゆるむのをおさえるために引き結んでいるような気がした。

 なんというか、好物をたくさん食べたあとのような満足感のある表情であった。

 

「リュフにパンとミルクポトフをわたくしの夕食にするよう言ったそうね」

「はい。毎週金曜のまかないはミルクポトフと決まっているのです。旦那様がいらっしゃればほかの食材を買っておくのですが、あいにく旦那様はお出かけで、奥様が突然いらっしゃったものですから準備ができずになってしまいました」

 

 用意してきた言い訳をすらすらと並べ立てる。これで許されるなどとは思っていない。本心はその逆、挑発だ。

 悪びれない態度にマデレーネの表情が曇る。

 

「それならわたくしに一言断りを入れるべきね」

「奥様のこと、すっかり忘れておりまして。メイドだと思ったものですから」

「ベルタさん! 失礼ではねえですか!!」

 

 マデレーネの背後でユーリアが声をあげた。ベルタはフンと笑う。

 

「失礼だと思うなら罰を与えればいいでしょう? それが主人の仕事です」

「昼間のこともあります。一日に二度も使用人の無礼を見逃すのは示しがつきません。手を出して」

 

 マデレーネはため息をつくと鞭を手に取った。

 

(どちらが罰を受ける側なのやら)

 

 ベルタがそう思うほどに、マデレーネは青ざめ、眉を寄せている。対してベルタは堂々とした態度でテーブルに手を置いた。

 ひゅっと鞭が空気を裂き、手の甲を打つ。

 とはいえ、当たる直前に力を抜いたであろうマデレーネの鞭は、ぺちんと気の抜けた音を立てただけだった。手の甲に赤い痕はついたものの明日には治っているだろう。あかぎれと見分けすらつかないほどだ。

 

「もう終わりですか?」

 

 もはやせせら笑いを隠そうともせずベルタは問う。

 無礼を責め立てたいはずなのに鞭をうまく使うこともできないとは。

 

(箱入りの王女様なんてこんなものなのね)

 

 自分はもっとつらい目に遭ってきた。負けるわけがない。

 ユーリアもまた罰の弱さに口をへの字にしている。

 

「ベルタさんのなさったんはひでえことですだ。もっとひっぱたいてやんないと――」

「もっと?」

 

 ぽつん、と落とされたのは、ぞくりとするほど冷たい声だった。

 顔をあげれば、己のか弱さに唇を噛んでいると思っていたマデレーネは、眉を寄せ、虚ろな視線をベルタにむけている。

 幽鬼のような表情にベルタの全身はこわばった。

 

「こんなこと、するのもされるのも嫌なことなのに。あなたたちはわたくしにもっと叩けと望むの?」

「……奥様?」

「わたくしは嫌よ。笑いながら誰かを鞭打つなんて」

 

 マデレーネの手から鞭が落ちる。

 その姿には見覚えがあった。ベルタはその感情を知っていた。息が止まりそうになって胸をぎゅうと押さえる。

 

 ベルタの脳裏に幼いころの記憶がよみがえった。

 

 

 最初に奉公に出たのは十の年頃だった。王都で代々織物を扱う古い商家で、それだけに躾は厳しかった。

 なにかをしくじれば右手を叩かれ、言い訳を重ねれば左手も打たれた。毎日何度も打たれ、赤い傷跡の何本も走る肌で涙を拭うと疼くように痛く染みた。ベルタを鞭打った主人や番頭はその姿を見て笑っていた。これで馬鹿な小娘でも仕事を覚えるだろうと。

 年月を重ね、自分が上に立つようになったとき、ベルタは鞭が使えなかった。それほどに恐怖が心に沁みついていたからである。鞭で打たれる痛みはわかる。そのあとどのような傷になり、どう膿んで、痕が残るのかも。

 

 失敗を鞭打てぬベルタを主人は役立たずだとみなしたようだ。与えられた地位は取り上げられ、ベルタはお払い箱になった。その後にノシュタット家に拾われた。

 また失望されないように、下の者たちに嘗められないようにするには、相手を傷つけなければならない。口汚く罵って、お前は使えない、役立たずだと教えてやって、二度と失敗させないように。

 

 でも――そう、マデレーネの言うとおり。

 ベルタは誰かの失敗を嘲笑ったことは、一度もない。

 

 本当は誰も傷つけたくなどなかったのだ。

 

 

「申し訳ございませんでしただ、マデレーネ奥様あああ!!」

 

 部屋に不躾な大音声が響き渡り、ベルタの意識は現実に戻った。

 見ればユーリアがマデレーネの足元の絨毯に額をこすりつけ、わんわん泣いている。マデレーネはしゃがみこんでその髪を撫でた。

 

「おら、奥様にもっとひっぱたけなんて、なんてひでえことを言ったんだべか……」

「わかればいいのよ、ユーリア」

 

 ベルタもはっきりと気づいた。

 自分はこの女主人を敵とみなしていた。家の中に入れたくないもの、平穏だったノシュタット家を混乱させるものだと思ったからだ。そして家を守ろうとするあまり、いままでしてこなかったことを――心の底から望んで誰かを傷つけることを、そして相手が同じ憎しみを持つことを、願っていた。

 マデレーネはその感情を悲しんでいたのだ。

 

「ベルタ」

 

 はじめて、マデレーネの声を正面から聞いた気がした。自分の中で歪ませてしまった〝金食い虫の王女様〟ではなく、マデレーネその人を見た気がした。

 鞭を手放したマデレーネは、ほっとしたようにほほえんでいた。

 

「わたくしは、アラン様のため、ノシュタット家のために働きたいと思っています。あなたと同じよ。だから聞いてくれる? わたくしの話を」

 

 ああ、と小さな悔恨の呻きがベルタの唇からこぼれた。

 

 ノシュタット家の使用人たちの中で、ベルタはリュフに次ぐ古株だ。アランの幼いころを知っている。両親を亡くし失意のアランが家の立て直しのために無茶をしたことも、そのせいで周辺貴族から妬みを買ってしまったこともそばで見て知っている。

 伴侶を得られるのがよいでしょうと何度も進言したのはそんなアランを慮ってのことだった。アランには、仕事から離れ、安らぎを与えてくれるような妻を選んでほしかった。王女を娶ると聞いたとき、アランは家のために我が身を犠牲にしようとしているのだと思い、アランを利用する王家を憎んだ。

 でもそれはすべて、自分の思い込みだったのだ。

 

 膝を折り、ユーリアと同じように額を絨毯に擦りつけながら、ベルタは声を詰まらせた。

 

「はい、奥様。なんなりと」

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