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32.いったいなぜ

「いったいどういうことですか、この状況は!!」

 

 執務机を叩き、声を荒げるカイルを、イエルハルトは冷めた視線で見上げた。

 正義感の強い弟は許せないだろうとわかっていた。ダルグレン侯爵家と手を結ぶならそれでもいいと放置していたが、結局は公爵家の敵にならなかった。

 自分を責める理由がカイルにあるのなら、自分にもカイルを責める理由があると、イエルハルトは思う。

 

「俺もお前も、勝てなかったという点では同じだぞ」

 

 ため息をつきながら言えば、カイルは言葉に詰まった。

 

「血すじが残り、名が残る分、俺のほう()()()()だ」

「援助が打ち切られたと聞きました。……だから、侍従たちを解雇したと。援助とはなんです? 王家には直轄領からの収入も貴族たちの税もあるはずだ」

「フォルシウス公爵は公爵家から使用人を送ってくださると言っている。すぐに人は戻る」

「公爵家の息のかかった者たちで王宮を埋め尽くす気なのですか」

 

 まるでそれがイエルハルトの意思であるかのように、カイルは問う。イエルハルトを責める。

 だが――と、イエルハルトの脳裏に、昨夜同じように執務室に立っていたマデレーネとカトリーナの姿がよぎる。

 おそらく、昨夜の時点でマデレーネはそのことに気づいていた。それでも責める言葉を口にせず、イエルハルトを労わってみせた。

 

「フォルシウスは密輸をしています」

 

 カイルの手から、金のスプーンが投げだされた。散らばった書類の上に落ちたそれには、たしかに覚えのない刻印がある。

 ノシュタット家で見つかった不審なスプーンは、メッキを剥がせば黄金の姿を見せた。

 銀だと偽って金を売り、おそらくはほかにも禁制の品々を密輸している。

 

「北の支店が拠点になっています。フォルシウスはダグマル商会を使って許可のない国との取引をし、国に収めるべき税を――」

「そうか。ならダルグレン侯爵に告発させてみればいい。うまくいけば密輸品は押収できるだろう。それが王家の利益にもなる」

 

 なげやりなイエルハルトの言葉にカイルは眉をひそめた。

 

「まだわからないか?」

 

 マデレーネは理解したというのに。

 

 これはフォルシウス公爵の示威行為なのだ。

 少しでも逆らえばこういう目にあうと、言外に脅しをかけている。イエルハルトが自ら望んでこんなことをするわけがない。

 

「援助とはなんだと聞いたな」

 

 十年も耐えてきた。そろそろ手を離してもいいかもしれないと、イエルハルトは仄暗い視線をカイルに向ける。

 

「王家直轄領は、飢饉の折りにほとんどを売り払ってしまった。買ったのは公爵家だ。ただし当時の地価の数倍で買い取ってくださったのだ。恩を感じこそすれ、不正な取引ではない」

「そんな――」

「元直轄地からの収入を公爵は変わらずに王家に収めるよう指示していた。それが援助だ」

 

 黙り込むカイルを鼻で笑い、イエルハルトは出ていけと手を振って示した。

 

「忠臣だろう? 父上も臥してしまわれたあの状況で、公爵家以外に頼れるものはなかった」

 

 カイルはこぶしを握った。

 こうしてイエルハルトに言い返すこともできず、執務室を出ていくのは、何度目だろう。

 

「……気にすることはない。お前は幼すぎた」

 

 振り返ったイエルハルトは、皮肉げに笑っていた。

 

 

***

 

 

 王宮内を見てまわったカイルの反応は、絶句だった。

 

 無理もない、とアランはため息をつく。偶然カイルに同行したおかげで事情を知ることができたものの、知らずにいたほうが気持ちの上では楽だっただろうとすら思う。

 そのまま執務室へ飛び込んでいくカイルを、アランとマデレーネは声をかけることもできずに見送った。

 

「アラン様」

 

 マデレーネの呼びかけにアランは顔を向ける。その唇の端に、ふ、と笑みがよぎった。

 

「カイル殿下から、あなたと離縁するように言われました」

「イエルハルト様からも、アラン様と離縁するようにと言われました」

 

 二人は顔を見合わせて、小さく笑い声をあげた。

 

「……あなたのことを考えれば、そうしたほうがいいのかもしれなかった」

「ええ、けれどできませんでした」

 

 領地のため、領民のためと、自分のことは二の次にして働いてきたつもりだった。マデレーネを娶ったのも、彼女のためになるならばと思ったからだ。なのに、マデレーネを守るためなのだというカイルの提案に頷くことはできなかった。

 もっともらしいことを言ったけれども、本音はただ、アランが嫌だったからだ。

 

「俺たちは思っていたより我儘だったようですね」

 

 アランの言葉にマデレーネは首をかしげる仕草をした。

 

「あら、もう少しよい言い方があると思いますわ」

 

 彼女らしい、春風のような穏やかな笑顔を見せて、マデレーネはアランを見つめる。

 

「まだ希望が見えるから――すべてを諦めるべきときではなかったから、頷かなかった。そうではありませんか?」

 

 アランは瞠目した。

 マデレーネの瞳は嘘をついていない。彼女は本心から、この状況を覆す希望が残されていると信じているのだ。

 

「そう思えるようになったのは、ノシュタット家での経験があったからです」

 

 ただ笑顔を浮かべて言われることに従うしかなかった王宮から、外の世界に出て。

 自分は強くなったのだと、マデレーネは思う。

 変化をもたらしてくれたのは、ユーリアやベルタといった使用人たち、リルケ夫人やゴードといった北部貴族たち、そして誰より夫であるアランだ。

 

「こんなときですが……いえ、こんなときだからこそ、わたくしは、ノシュタット家の妻でありたいと思うのです」

 

 アランののばす腕に、マデレーネは逆らわず身を委ねた。

 

 カイルの足音が聞こえてくるまで、ふたりはじっと身を寄せ合っていた。

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