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27.お友達、ではなく

 カトリーナは動きを止めた。

 

「カトリーナ様」

 

 ひそめた声がもう一度届く。もう侍従も侍女も王宮にはほとんどいない。だから人目をはばかる意味もないのに、きっとカトリーナに気を遣って、マデレーネはやさしい声で語りかける。

 

「わたくし、考えたのです。もしかしたら、ですが……カトリーナ様は、イエルハルト様のお役に立ちたいのではないかと思って」

 

 カトリーナは息を呑んだ。見開かれた目はまだ扉を凝視している。

 

「わたくしも、イエルハルト様がお困りなら、助けになりたいと思います……でもきっともう、わたくしの声はイエルハルト様には届かなくて」

 

 濡れたような、深い悔恨の滲む声だった。

 どうしてマデレーネがそんな声を出すのだろう。家族だから? でもずっとマデレーネは、イエルハルトに寄り添おうとはしなかった。だから北部に売られて、そして北部で勝手に幸せになって。

 イエルハルトのことなど、どうでもいいのだと思っていたのに。

 

「カトリーナ様」

 

 マデレーネの声に力がこもる。一瞬よぎった悲しみを、マデレーネは拭い去ったのだ。

 酷い目にあったはずなのに、マデレーネはまだ、希望を捨てていない。

 

「イエルハルト様を、信じていただけますか?」

 

 気づけばカトリーナの手は、扉を開けていた。

 同時に、我慢していた涙が、あふれだした。


   *


 顔を見せるなり泣きだしてしまったカトリーナに、マデレーネの目に滲みかけていた涙は引っ込んだ。

 

(わたくしの泣く場所はここではないわね)

 

 あえて口元に笑みを作り、マデレーネはカトリーナをソファに座らせると、やさしく肩を撫でる。

 そんなマデレーネを、カトリーナはじっとりとした目で見上げた。

 

 マデレーネは、嫁がされたときまだ十七の歳だった。

 今年で二十になるカトリーナは、マデレーネより年上だ。なのに、自分(カトリーナ)のほうがずっと幼いのだとわかってしまう。

 

 むっとした顔つきのまま、カトリーナはマデレーネのさしだしたハンカチで涙を拭った。やわらかくて、花の香りのするハンカチは、きっとマデレーネに仕える使用人たちが心を込めて洗い、香りづけを施したのだろう。

 もう一度マデレーネを見たカトリーナの瞳は、まっすぐなものだった。

 

「ここで何があったのか、教えていただけますか? カトリーナ様」

「わたくしにも、すべてはわかりません」

 

 マデレーネの問いにカトリーナは首を振る。

 

「ですが、ひとつわかっているのは……わたくしの父が、イエルハルト様への援助を打ち切ったということです」

「フォルシウス公爵は、イエルハルト様にも援助をされていたのですか?」

 

 マデレーネは青い目を見開いた。

 マデレーネの脳裏に、イエルハルトの姿がよみがえる。

 

 新しいものを次々と買い入れては、気に入らないという理由で売り払ったり、下げ渡したりしていた。異国の食材や値の張る香辛料をふんだんに使った晩餐会にたくさんの貴族を招待して、王宮に客人を招待することも多かった。

 あれは、贅沢だと思っていた。自分と違ってイエルハルトは贅沢が好きだったと、ノシュタット家に嫁いだばかりのマデレーネは思った。

 

「はい」

 

 カトリーナは頷いた。

 

「わたくしとの婚約を前提に、援助をしていたと聞きました。一人娘を嫁がせるのだから、貧乏な王家だと貴族たちに嘗められていては困ると言って……けれど、先日わたくしたちは婚約を発表しました」

 

 その途端に、フォルシウス公爵は援助を打ち切ったのだという。

 原因については、カトリーナにもわからない。

 イエルハルトは、最低限の者だけを残して侍従たちを解雇し、家財もほとんどを売り払ってしまった。

 

「今の王宮では、お客様をお迎えすることも、晩餐会を開くことも、できないのですね……?」

「そうです」

 

 それが王族としてどれほどに致命的なことなのか、イエルハルトはわかっているはずだ。

 

「カトリーナ様が王宮に滞在していらっしゃるのは……」

「お父様に、抗議するためです。わたくしの夫となる方にどうしてこんな仕打ちをなさるのか、わたくしにはわかりません」

 

 カトリーナは握ったこぶしを震わせた。

 

「きっと、悪いのはフォルシウス公爵家(わたくしたち)なのでしょう? イエルハルト様は、国を守るために仕方なくわたくしと婚約されたのでしょう?」

 

 返す言葉は見つからなかった。肯定も否定も、何も知らない今のマデレーネにはできない。

 マデレーネが来たのは――。

 

「カトリーナ様。わたくしとともに、立ちあがっていただけますか」

 

 カトリーナのこぶしに手を添え、マデレーネはしっかりと彼女の濡れた瞳を見つめた。

 

「わたくしは、元王女として、また国を愛する一人の臣下として、カトリーナ様にお願いいたします」

 

 イエルハルトを救うことができる者がいるとすれば、それは家族ではない。

 カイルも、自分も、イエルハルトのそばにいながら、イエルハルトを見ようとしてこなかった。

 

 マデレーネが北部を訪れたことで北部貴族たちとアランの関係に変化があったように。

 強い想いを胸に抱いた、新しい人物が必要だ。

 

「わたくしはイエルハルト様に笑っていただきたい。それが国を助けることにもなると信じています」

 

 マデレーネの言葉にカトリーナは目を瞬かせた。

 それからハンカチで涙を拭うと、しっかりと頷いた。

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