6.執事の困惑
スウェイは困惑していた。
呼ばれて訪ねたマデレーネの自室で、ほかならぬマデレーネ自身がこう切り出したからだった。
「この婚姻は、イエルハルト様からの打診ね?」
主人の顔を思い浮かべ、嘘をつかぬほうがよい、と判断したスウェイは、静かに頷いた。
「はい。王太子殿下より打診があったと聞いております」
「イエルハルト様はなんと?」
「……それは、旦那様にお尋ねください。私の口からは……」
さすがに言える範囲を超えている。
マデレーネは「そうね」と呟いた。
「……あなたも、わたくしの持ち物は知っていると思いますが……この城にお客様がいらっしゃったとしても、おもてなしができません。ドレスや家財を買い揃えさせていただきます」
「はい。ユーリアから聞いております。奥様のご随意になさってください。旦那様もご承知です」
「けれど、その後もわたくしはお金を使いつづけなければいけません」
マデレーネの言葉にスウェイは目を見開いた。
「わたくしは、贅沢をしろと命じられております」
「奥様……」
「わたくしがなにかしら浪費をしなければ、わたくしを粗末に扱っていると言って、イエルハルト様はアラン様を責めるでしょう」
まさにそれがスウェイの危惧していたことであった。
子爵の地位は決して高いものではない。いまノシュタット家が存在感を増しているのは事業の成功で財を成したから。
その権勢も王家を敵にまわせば弱くなる。本当ならば、関わらないのが一番なのだ。なのにどうしてマデレーネを娶ることになったのか、アランの本心はスウェイですら知らない。
しかしマデレーネが子爵家の立場を理解してスウェイと話をするということは――。
「王家ではなく、こちらにつく気ですか」
思わずこぼれてしまった問いにマデレーネは困ったように眉を下げた。
「あなたはアラン様の右腕だそうね」
「し、失礼いたしました」
これこそ答えようのない質問だ。
あわてて頭を下げるスウェイを咎めようとはせず、マデレーネは首をふった。
「アラン様にご迷惑をおかけしたくないだけよ」
「奥様……」
「だってアラン様は、わたくしのために冷たい態度をとっていらっしゃるのでしょう?」
「!」
「アラン様は、わたくしを責めるお言葉を一つも口になさらなかったわ。本当に冷たい人というのはね、笑いながら相手の心を傷つけることができるのよ」
マデレーネの視線がなにかを思い出すようにさまよう。
アランに会い、愛のない結婚であると告げられたとき、マデレーネは驚く顔になり、それからほほえんだ。あの驚きは、アランの拒絶の中にあるやさしさを見抜いたからだったのだ。王家から見捨てられている、という主人の言葉を思い返し、スウェイはこぶしを握った。
(この方は本気でノシュタット家を案じてくださっているのだ)
スウェイもわかった。だからこそ、彼女を迎えて一日で城内の雰囲気が変わった。
あれほど王女を迎えることに反対していたベルタが、渋々とではあるがこの女主人にかしずきつつある。本人は認めないだろうが、スウェイがたしなめても直らなかったマデレーネへの非難が鳴りを潜めているのである。
使用人たちはいつのまにかマデレーネに信頼の視線を向けるようになっているし、とくにユーリアなどは「マデレーネ奥様に意地悪すったんならおらが許しませんよっ!!」と鼻息を荒くしていた。
「それでね、スウェイ」
マデレーネはやはりおだやかに笑っている。
「わたくし、ほしいものがあるの」
***
夕食の席で、スウェイはふたたび困惑していた。
ユーリアは顔を真っ赤にしていまにも爆発しそうな勢いであった。リュフは目を泳がせている。
「旦那様がいらっしゃらないもんで、食材がなにもなくてですね……」
アランは領地の見まわりに出かけてしまい、数日は城に戻らない。主人のいないあいだはあまり高級な食材をそろえていないのだ、とリュフは弁解した。マデレーネは運悪く使用人たちしかいない期間に輿入れしてきてしまった。
けれどもそれが嘘であることはこの場の誰もが知っている。
なぜなら、昼食にはアランに出すものと同じだけの料理が並べられていたからだ。アランが不在とはいえ急な客に備えてそれなりの備蓄はある。
いまマデレーネの前に置かれているのは、種なしの固いパンとシチューのみ。シチューは、ミルクポトフという、この地方の平民たちのあいだで食べられているもの。比較的保存のきく干し肉と根菜類に、ミルク、季節の葉物などを加えて煮込んだ料理だ。
当然、王族に出してよいものではない。
「ベルタさんに言われたんでしょう……!? どうして言うこと聞いちまうんだすか!」
「いやぁ、だってベルタさんに睨まれたら城中の女の子が敵になるんだもんよ……」
「おらは奥様の味方ですだ~~!! こんなの、ベルタさんのほうが悪ぃでねえですか!」
ユーリアが地団太を踏みながらリュフに詰めよる。
スウェイもまったく同じ気持ちであった。昼にあったいざこざは報告を受けている。自分を解雇させることによってマデレーネへの批判を生み出そうという捨て身の攻撃であろうが、せっかく罰を受けずに許され、使用人たちがまとまりかけているというのに、わざわざ逆らうのは愚行でしかない。
マデレーネの望んだ〝ほしいもの〟を思い出し、スウェイは天井を仰いだ。
(とにかくすぐに作り直させて――)
と、微妙な空気の食堂に、食器を置く小さな音が立つ。
「あの……おかわりをくださる?」
見ればマデレーネが空になった器を指し示していた。リュフが慌てて飛んでいく。
追加のミルクポトフをよそわれた器に、ちぎったパンをひたし、口に運ぶ仕草は慣れたもの。一口食べるごとに幸せそうに目は細められ、頬はつやつやと上気する。
ベルタを庇うために我慢して食べている……という表情では到底なかった。
「幼いころ、よく食べていたのと同じ味です」
「奥様、よろしいのですか……?」
「ミルクポトフはいい料理ですよ。簡単で、お腹いっぱい食べられて、残りものがなんでも入れられて、肉も野菜も摂れます」
「それは、そうですが……」
だからこそ、王族に出す料理ではないのだ。なのに、幼いころよく食べていた、とはどういうことであろうか。
愕然とする使用人たちの視線に、マデレーネはハッと居住まいを正した。しかし食べ進める手は止まらない。
(イエルハルト様から与えられていた食事に比べれば、栄養もあるし、十分に豪華なのよね……)
身体じゅうに染み込むような、あたたかくてやさしい味。
以前に宮殿にいた料理人がよくミルクポトフを作ってくれた。けれど彼はマデレーネを庇ったせいでイエルハルトの不興を買い、下働きに降格させられたと聞く。胸の痛む記憶だ。
だが同時に、マデレーネにとっては、最後に自分にやさしくしてくれた、思い出の味でもあった。
「ベルタには、わたくしから注意をしておきます。部屋に来るように言ってください。……ただ、ミルクポトフは、これからも食べたいの。子爵夫人には相応しくないかもしれないけれど……」
ちらりとスウェイをうかがうマデレーネ。
もとより、アランにはマデレーネの好きにさせろと言われている。格式ばった見方をすれば相応しくないという判断になるだろうが、アランはそういったことには無頓着だ。アラン自身も時折、時間がかからずに楽だからと使用人と同じ食事をとる。
それよりも気になるのは。
(この方は……どんな生活を送ってこられたというのだ……?)
いまだに怒りを収めないユーリアと、ユーリアに叱られているリュフには、スウェイの表情はわからなかった。