20.ノシュタット夫妻の休日(後編)
アリナス宝飾店で指輪を注文したあとは、昼食をすませ、アランとマデレーネ、そしてユーリアは劇場へ向かった。
タイトルだけはアランも知っている。父の蔵書の一冊にあった。
「お父様の御本は今から100年前の物語なのですよ。それが様々な劇団により、形を変えて演じられ続けているとか」
「知りませんでした」
「わたくしも、知りませんでした。王宮の図書室にはなかったので」
マデレーネが目を細める。その表情に切なさを感じとってアランは眉を寄せた。
ノシュタット領からほとんど出なかったアランとは違って、マデレーネは幼いころから王都で暮らしていた。けれども早くして母親を失い、国王である父の庇護も失ったマデレーネは、好きなように出かけることすらできず、ひとり王宮に閉じ込められていたのだろう。
「……さあ、行きましょう、マデレーネ」
アランは手をさしだした。
過去に後悔はある。イエルハルトからの婚姻の打診を受け、マデレーネに多額の借金が課せられていると知ったとき、アランは領地にこもりきりだった己を責めた。心の中で気にかけながらも行動に移さなかった己を。
なのにマデレーネに会えば突き放すような態度をとり、いつでも彼女が自由になれるようにと言い訳をした。
マデレーネはそんなアランの弱気を打ち砕き、隣にいたいのだと言ってくれた。
自分を見つめるアランの視線を受け、マデレーネはほほえみ、手をとった。
姫と呼ばないと約束したアランは、臣下としてマデレーネを見ることはやめた。かわりに、夫として守ってくれようとしているのだ。
「ありがとうございます」
「いってらっしゃいませですだ!」
手を振るユーリアに手を振り返し、マデレーネはアランに寄り添う。
(……これくらいならいいかしら)
席に座り、わずかにアランの肩に頭をもたせかけるようにしたマデレーネへ、アランは顔を向けた。
けれども何も言わず、――むしろ、つないだ手を握り返してくれたのだった。
***
アランとマデレーネと――なぜか泥酔したユーリアがノシュタット邸に戻ったのは、夜も更けてからのことだった。
「ど、どうしたので……?」
顔を赤くしてぐでんぐでんになっているユーリアを担いでやりながら、リュフが尋ねる。
「ワインを飲ませてしまったのよ……」
マデレーネが申し訳なさそうに肩を落とした。隣ではアランも何とも言えない顔をしている。
「村ではいつも飲んでいたから大丈夫だって言われて」
その言葉で、料理人であるリュフはすべてを悟った。
「村で作ってる酒はそりゃ純度が低いんです。王都の料理屋で出すワインとは比べ物にならない」
「そうよね。わたくしも、いま考えればわかるのだけれど……」
「つい浮かれてしまった」
反省する主人夫妻に、リュフは顔をあげた。
「ワインを注文したのは、旦那様と奥様なんですか?」
飲ませてしまったと言うが、もちろんアランとマデレーネが無理に飲ませるわけがない。ユーリアが興味を示したので、少し注いでやったというのが真実だろう。
だが、そもそもなぜワインがテーブルにあったのか。
贅沢をしないアランは、領地でも酒の類をほとんど飲まなかった。例外は晩餐会だ。あの夜だけはサン=シュトランド城に多くの酒があった。リュフもヨハンとこっそり晩酌をした。
ただしそれ以外では、アランは王都から酒を取り寄せて夜な夜な楽しむ……などという人物ではもちろんない。
そんなアランが、そしてマデレーネが、浮かれてワインを注文し、うっかりユーリアにまで飲ませてしまったというのだ。
あらためて見れば、気まずそうにしているふたりの頬は、わずかに染まっていて。
年甲斐もなく、リュフも照れてしまった。
「楽しくすごされたようでなによりです」
「――そうですだっ!」
へへへ、と頬をかきつつ言えば、肩を貸していたユーリアががばっと顔をあげた。
「今日は最高の一日でしただ! 宝石もきれーだったし、旦那様と奥様もらぶらぶで、お芝居も、えへへ、おらも隅っこで見せてもらって、ご飯も、うめえし、おら、酒はつえーんですだ……」
「なるほど、らぶらぶだったんですね」
「天国かと思うくれえらぶらぶでした~……スウェイさんに、手紙……」
一日の出来事を語りながら、ユーリアはふたたびリュフの肩につっぷしていく。
「おら、旦那様と奥様にお仕えできて、本当に幸せですだ……」
肩からくぐもった声が聞こえてきて、リュフは仕方ないなと笑い、赤面してしまった主人夫妻に向きあった。
「この酔っぱらいはおれが面倒を見ますので、旦那様と奥様はお休みください。ロブを呼びましょうか?」
「いや……いい」
「ありがとう。おやすみなさい、リュフ」
マデレーネの手をとり、アランは寝室へ向かう。
「……今日は本当に幸せでした」
「ええ」
「よい思い出になりますね」
気のせいだろうか、階段をあがっていくふたりのあいだに一瞬、緊張した空気が走ったような気がしてリュフは首をかしげる。
そして、リュフの直感は間違いではなかった。
ノシュタット家のキャッキャウフフを一生書いていたい気持ちなんですがそういうわけにもいかないのでがんばって話を進めていきます…!





