17.温かなミルクポトフ(後編)
「旦那様、奥様」
「は、はい」
「失礼いたしますだ」
思わずマデレーネが返事をしてしまうと、ドアが開き、ユーリアが入ってきた。
手をとりあう二人を見たユーリアは、当然、驚きに目を丸くする。
「!?」
バタン、と騒がしい音を立ててドアが閉まる。
「もももも申し訳ごぜえません……!」
「違うの、ユーリア、わたくしが悪かったの……!」
ドア越しに、ひゃあーっというユーリアの悲鳴が聞こえてくる。
マデレーネは慌ててドアを開けると、ユーリアを中へ招き入れた。実際にはなにも違わないし、『いい雰囲気』を察知してドアを閉めた侍女の対応は、正しいとも間違っているともいえない。
おそるおそる部屋に足を踏み入れたユーリアはテーブルに盆を置いた。盆には二つのマグカップがのっている。
「……」
憮然としたアランの表情に内心で恐れおののきながら、ユーリアはマグカップを渡した。マデレーネもどんな言葉をかければよいのかわからない微妙な表情のままマグカップを受けとった。
ミルクとメイエル海老の香りがふわりと室内へ浮かびあがる。
ミルクポトフの具材はいつもより細かく刻まれて、いつもより時間をかけて柔らかく煮込まれていた。おかげで、スプーンを使わなくてもいい。
両手でマグカップを持ち、マデレーネはほろほろと蕩けるような野菜や海老の身を味わった。
今日の食事がまだ残っているかのように言っていたけれども、疲れて帰ってくる自分たちのために、特別に作ってくれていたのだろう。
マデレーネとアランは顔を見合わせてから、ふたたびユーリアを見た。
「ユーリア」
「へえ!」
「……気にしなくていい」
アランに呼びかけられビシッと背すじをのばしたユーリアに、アランは肩を落としながら告げた。
「今のは俺が悪かった」
サン=シュトランド城でも、ユーリアを台所へ行かせ二人で内密な話をしたことはあった。けれども今回のこれはそのときとはまったく違う。
正直に言えば、アランはユーリアの存在を忘れてしまっていた。マデレーネもそうだろう。
お互いしか見えていなかった――と、陳腐な表現でいえばそういうことになる。
「おら……」
ユーリアはちらりとアランの顔を見た。それから、直立不動の姿勢のまま、まっすぐにアランを見つめる。
「いんえ、おらたちみんな、旦那様と奥様が幸せになってくださることがおらたちの幸せですだ」
「……」
ユーリアの思わぬ言葉にアランは目を見開く。
彼女を拾ったのはアランだ。家族を救うために人買いの手をとった彼女やそのほかの少女たちを、まとめてアランが買いあげた。
引っ込み思案で、気が弱い。だからこそマデレーネの侍女に命じた部分もある。
そのユーリアが、こんなふうにアランに心情を伝える日が来るなど。
マデレーネの影響は、彼女自身が思うよりずっと大きい。
アランを、サン=シュトランド城の使用人たちを、北部貴族たちを、マデレーネは向きあうことで変えてきた。
「……ありがとう」
ぼそりと落ちた言葉に今度はユーリアが目を見開く。
否、言葉だけでなく、アランの表情にも――。
「温かいものを飲んだら気が休まった」
「ええ、ありがとう、ユーリア」
アランを見たマデレーネもほほえむ。
「着替えは自分でできるわ。ユーリアも休んで」
「では、おやすみなせえ、旦那様、奥様」
主人の言葉に、空になったマグカップを受けとって、ユーリアは部屋を退出した。
(ス、スウェイさんへの手紙に書いたほうがいいんだべか!? 怒られちまうかな!?)
普段ならばさがってよいと言われようと就寝の手伝いをさせてくれと言うところだけれども、ユーリアも動揺していた。その動揺を見抜いたマデレーネがああ言ってくれたのだ。
たぶん、アランは無自覚だ。
礼を言ったとき、アランは目を細め、ユーリアにむかって笑いかけていたのだった。





