15.罠
マデレーネに似た、けれどもやや異なる金髪に、冷たい暗青色の瞳を持つ青年。
鬱屈に沈んだ瞳を隠すように、表情は笑顔を作っている。
(この方が、イエルハルト殿下……)
借金の肩代わりを持ちかけ、その報償にマデレーネを嫁がせた異母兄。
フォルシウス公爵のいる屋敷の奥へとつながる扉から、イエルハルトは美しい令嬢の手をとり現れた。
対するアランとマデレーネは、広間を抜けようとしていたところ。
ほかの貴族たちに倣いアランも頭をさげる。我に返ったマデレーネも、ドレスのスカートを持ちあげて腰を折った。
イエルハルトはそんな彼らに一瞥をくれることもなく、エスコートした令嬢とほほえみあい、フォルシウス公爵にも笑いかけた。
頷いた公爵は集まった貴族たちを見まわし、厳かに述べた。
「本日お集まりいただきましたのは、ほかでもありません。この上なくよろこばしい、かつ名誉なご報告を、皆様にさしあげるためでございます」
どくり、とマデレーネの心臓が鳴った。
震える手のひらにじっとりと汗がにじむ。
(聞きたくない)
アランにはまだ理解できていない。
だが王宮での暮らしで近しくイエルハルトを見てきたマデレーネには、異母兄の企図がわかるような気がした。
フォルシウス公爵への弁明なら、マデレーネは堂々と語ることができる。けれども、相手がイエルハルトでは。
「マデレーネ……?」
マデレーネの様子に気づきアランがかけようとした声は、弾んだ声に遮られた。
「このたび、イエルハルト王太子殿下と娘のカトリーナとの、婚約が結ばれました」
ふたたび、広間を満たす喝采があがる。
王太子を称え、公爵とその令嬢をよろこぶ祝いの声が交わった。
「――……!」
くずおれそうになる身体をなんとか支え、マデレーネは平静を保とうとした。それでも、顔は青ざめ、表情には恐怖が滲み出ている。
「どうしたのです、具合でも」
「アラン様」
マデレーネは笑顔を作る。サン=シュトランド城では見たことのなかった、痛々しい笑顔だった。
「イエルハルト様は、このためにわたくしたちを」
アランはイエルハルトを見た。手を挙げて貴族たちの祝福に応えたイエルハルトは、その手をアランとマデレーネへ向ける。
「皆の祝福の心に感謝する! 今日は我が愛する妹もこの場に来ている――妹マデレーネは北部の雄、アラン・ノシュタット子爵に嫁いだ。どうか、彼らにも祝福を!」
貴族たちは立ちすくむアランとマデレーネに視線を向けた。薄ら笑いとおざなりな拍手が二人を包む。
ようやくアランにもマデレーネの言った意味がわかった。
表立ってはないが、王都では今、フォルシウス公爵とダルグレン侯爵が秘かに派閥を争っていた。
金にものを言わせ、やり口の潔いとはいえないフォルシウス公爵を、貴族たちは歓迎してはいなかった。ダルグレン侯爵に票が傾きつつあったのは事実だ。
だが、そこに、北部の〝成り上がり貴族〟が名乗りをあげたらどうなるだろうか。
「――ああ、本当によい縁談だこと」
誰かの呟きがまばらな拍手の中に落ちた。
隠されていた敵意が、突然剥き出しにされる。
「ええ、そうですね。やはり王族の伴侶は中央の貴族でなければ」
「地方領主が公爵などと……夢の見すぎでしょう」
「いくら金があるといっても、気品がなければね」
この婚約で、イエルハルトはフォルシウス公爵とこれまでと同等の――否、それ以上の親密さを保つことを宣言したようなものだ。
そして、これまでなら公爵家の独占にいい顔をしなかったであろう貴族たちは、フォルシウス公爵とダルグレン侯爵を比べるのではなく、フォルシウス公爵とノシュタット子爵を比べることで、北部の子爵家が己の上に立つよりは――と、心を決めてしまったらしい。
いくらアランに公爵位を望む気持ちがないと言ったところで、彼らは信じない。
見下していた側の者に上に立たれるほど、王都に住む貴族たちにとって屈辱的なことはないのだから。
「アラン様、わたくしは、間違っていたのかもしれません」
「そんなことは」
ノシュタット領での晩餐会で、もてなしを尽くしてはいけなかったのだ。
成功させてはいけなかった。北部貴族を一致団結させ、ノシュタット領を中心とした発展を模索すべきではなかった。
脅威となりえる〝敵〟を見出した中央貴族たちは、こう考える――北部が先に中央を脅かしたのだ、と。
先ほどまでの怯えを抑え、マデレーネはアランの腕をとり凛と立った。背をのばした一輪の花のように、まっすぐに、けれども儚いほほえみは悲しみに満ちていて。
笑顔を絶やさぬままマデレーネは貴族たちに向きあった。
アランもそんなマデレーネに寄り添い、不躾な視線と囁き声に耐えた。
向けられる敵意の視線にほほえみを返し、恭順を示すこと以外、アランとマデレーネにできることはなかった。





