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9.窓から見える雨

 ダルグレン侯爵家から戻った翌日は雨だった。

 灰色の雲から落ちる雨粒を受け止めながら工夫たちが働いている。彼らは雨など存在しないかのように快活と言葉を交わしあう。

 

 そんなざわめきに耳を傾けながら、マデレーネはほほえむ。だがアランの表情は固かった。マデレーネにとっては周囲に人がいることの証明であるざわめきが、アランにとっては己の心象風景のように思えてしまうのだ。

 

 アランの心は晴れず、風もないのにざわめいている。

 否、風ならあった。昨日までダルグレン侯爵家でともにすごしたハーシェルという男。

 

 数日の滞在で、晩餐会に呼ぶ招待客のリストは完成した。王女の婚礼の披露目なのだからと、王都に住む貴族らすべてに招待状が送られる。ハーシェルの助けを借り、主だった知識人や商家、組合ギルドの長も名を挙げることができた。

 

「こりゃあ、ノシュタットでやったのの数倍の規模になりますね……」

 

 リュフとヨハンがリストを眺めながら眉根を寄せる。うんうんと悩み声をあげる二人だが、難題を前に顔は生きいきと輝いている。

 

「ほかにも料理人を雇い入れなければなりませんな」

「食材の交渉も開始すべきだろう」

「あとは、宿に、馬車の手配に……」

 

 ユーリアまで混じって額を突き合わせているのを見守り、マデレーネは頷いた。

 

(彼らがいてくれればどんなことも乗り越えられる気がするわ)

 

 もちろん領地に残してきたスウェイやベルタといった人々の支えがあるからこそ、でもある。

 あらためて、思いがけず手に入れた暮らしの幸福さにマデレーネは感謝した。そのきっかけとなったのは異母兄イエルハルトである。

 マデレーネにとっては、感謝こそすれ、恨みなど微塵もない。

 

(できれば、イエルハルト様と、きちんとお話がしたい)

 

 イエルハルトにはイエルハルトなりの言い分があるだろう。母エレンディラの借金で王家に迷惑をかけたのは事実なのだ。王太子であるイエルハルトが、継母のふるまいを快く思わないのは当然だ。

 そのことを謝罪し、今後は王家に関わるつもりはないことをわかってほしかった。

 

(それに、旦那様とも――)

 

 ちらりと視線を送れば、アランは難しい顔をして眉根を寄せ、窓の外を眺めていた。屋敷の修繕に不安があるというのではない。もっと漠然とした悩みを抱えている表情だった。

 

 実はこのときアランはマデレーネへの贈りものについて頭を悩ませていたのだが、マデレーネにそんな内心が推察できるわけもない。

 

 マデレーネは視線を逸らす。

 アランがマデレーネをふりむいたのは、そのすぐあとだった。

 

「……何を考えている?」

 

 自分の心の内をそのまま口にしたかのようなアランの問いに、マデレーネは軽く目を見張った。

 

「わたくしですか?」

「あ、いや……眉が寄っていたものだから」

「まあ」

 

 マデレーネは眉間を押さえる。まさかそんなことをアランに言われるとは思ってもみなかった。

 

「……旦那様も」

「これは……」

 

 眉間に指先を当てたままくすりと笑うマデレーネに、アランも同じ場所に手をやり、ばつの悪い顔になった。

 

「……あなたに何を贈ればいいのか考えていた」

「え?」

 

(((え!?!?)))

 

 ふたたび驚きを表すマデレーネだが、その背後でもっと驚いているのはリュフたちだ。

 そう聞こうと思えば口説き文句にも聞こえる台詞である。

 

「俺はダルグレン侯爵のように気の利いたことなど言えない。だから――」

 

 アランはマデレーネに歩み寄った。

 縮まった距離に、普段とは違う気配を察したマデレーネが頬を染める。

 

(ももももしかして今から告白が始まる!?)

 

 出ていくべきか、それともここで息を殺して「私たちはなにも聞いていません」を装うべきか。

 使用人たちは内心でパニックに陥っている。

 

 アランは小さくため息をつくと、真剣な眼差しでマデレーネを見つめ――、

 

「あなたが今一番欲しいものを教えてほしい」

 

(((え、ええええっ!?!?)))

 

「それだけですか!?」

 

 思わず叫び、リュフは慌てて自分の口を押さえた。しかし飛びだしてしまった言葉はもう戻せない。

 アランはリュフをふりむき、不思議そうに首をかしげた。

 

「どういう意味だ?」

 

 そう問われて、「告白する気だと思ったのに」などと言えるわけがない。

 

「なんでもありません!」

 

 リュフは首を振った。

 アランにとっては、考えても考えてもマデレーネの好むものがわからず、白旗をあげて尋ねたというところだろう。その苦渋の思いが表情をいやに真剣にさせてしまった……ということらしい。

 

 マデレーネはさぞや落胆しているだろうと、彼らは女主人へ目を向けた。

 

「わたくしの、欲しいもの、ですか……」

 

 だが、マデレーネは落胆などしていなかった。むしろ彼女の頬は薔薇色に輝き、瞳は生き生きとしていた。

 

(旦那様がわたくしのことを考えてくださっていたなんて。なんて嬉しいことでしょう)

 

 マデレーネのそんな心の声が、アラン以外の者にははっきりと伝わった。

 

「なんでもいいのですか」

「俺にできることなら」

「そうですね、では、旦那様とのお時間がいただきたいです」

「…………なんなんだ、それは……」

 

 思わぬ切り返しにアランは頬を染めて顔をそむけてしまう。

 けれども耳の先まで赤くなって照れているのがわかるから、マデレーネは笑顔のままだ。

 

(((なんなんだこの夫婦は……!!)))

 

 使用人たちの心の声は、三度きれいに重なったのだった。

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