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8.ダルグレン侯爵家への訪問(後編)

 自らの想いに気づいた――からといって、アランの態度は変わらなかった。むしろ、悪化したといってよい。

 おまけにそんなアランに見せつけるかのように、ハーシェルはマデレーネにばかり話しかけた。

 

「実は、妹がカイル殿下に想いを寄せているのです。贈りものをしたいと言うのですが、なにかお好きなものはあるでしょうか」

「そうですね、カイルお兄様は本を読むのがお好きですわ。とくに異国の書物を集めておられました」

「異国の……」

「ええ。ご自分の目で見たいからと、書物問屋を宮殿に呼ぶこともございました」

「マデレーネ様も読書はお好きですか?」

「わたくし? はい。わたくしも本は大好きです。幼いころから読んでおりましたから」

「ではわたしからマデレーネ様にも、一冊なにか贈りましょう」

「まあ……そんな、ありがとうございます」

 

 そのやりとりを、アランは離れたソファに腰かけて黙って聞いているだけだ。

 従者役として背後に立つリュフはハラハラと主人を見守った。なにか贈りものを、とは昨夜リュフがアランに提案したことだった。

 だが、いくつかの問題が立ちふさがっていた。

 なにを贈ればよいのかが、決まらない。

 

 なにを贈ったとしてもマデレーネはよろこぶだろう。そこにアランの気持ちがあるなら。

 だが、せっかくならば本人の好みそうなもの、または役立ちそうなものを贈りたいというのは、当然の望みである。

 

 そしてここでまた問題が発生する。

 マデレーネの好むもの、いまほしいと考えているものを聞き出すだけの話術が、アランにはなかった。

 

「よろしければ図書室をご案内しましょうか」

 

 その誘いはマデレーネだけにかけられたものだ。含みのある声色と視線――さすがにアランといえど、その意図がわからないほど社交経験がないわけではない。

 マデレーネだけと内密な話がしたいのだろう。

 そっとアランのもとへ歩むマデレーネにも困った表情が浮かんでいる。

 

「旦那様……」

「……行ってくるといい」

「はい、行ってまいります」

 

 当然、マデレーネもハーシェルの誘いの意味を察している。そうでなければ「ぜひ旦那様もごいっしょに」と言うはずだ。

 そこまで考えて、アランの口の端に苦い笑みがのぼった。

 

(いつのまに俺はこんなに図々しく、臆病になってしまったんだ)

 

 マデレーネへの好意を表すこともできないくせに、彼女が自分を尊重するだろうことには自信を持っている。

 ハーシェルのあとに続くマデレーネの後ろ姿を見送って、アランは小さくため息をついた。

 

 

 しばらくして戻ってきたマデレーネはどこか青ざめていて、アランと目が合うと安心したようににこりとほほえんだ。

 よほどに負担のかかる話題であったらしい。

 なんの話だったのだ、とは尋ねられない。その問いを発したい理由が、マデレーネを案じてのことなのか、ハーシェルへの警戒心のゆえか、自分でも判断がつかなかった。

 

「いま、軽食の用意をさせましょう」

 

 ハーシェルもマデレーネの疲れを感じとったのだろう。メイドに軽食を言いつける。

 ほどなくして運ばれてきたのはおちついた香りのハーブティーとタルト。マデレーネの口元がわずかにほころぶ。

 

「これはヨハンが作ったものなのですよ」

「左様ですか。ヨハンが、ハーシェル様はすばらしい主人だと言っておりましたわ」

 

 ああ、とアランは内心で嘆息する。

 ヨハンの話題を出せば、マデレーネはヨハンの言葉を伝えようとする。マデレーネの口から己の賞賛を言わせることで、警戒を解こうとしているのだ。

 見事と言うほかはない。

 

 そのうえ、ハーシェルはさらに予想外の行動に出た。

 今度はアランを図書室へと誘ったのである。

 

「……俺と彼女とを別々に呼んで、なにを吹き込むおつもりですか?」

 

 扉を閉めるなり剣呑な空気を隠そうともしないアランに、ハーシェルは軽く瞠目した様子だった。

 

「ノシュタット子爵といえば、若さに似合わぬ冷徹さで領内の事業を発展させたと聞くが……どうして、それだけではないらしい。これもマデレーネ殿の魅力のせいか」

 

 くすりと笑われてアランの頬に朱がのぼる。

 ようやく己の短慮を自覚した。いきなり手の内を見せてしまったことに気づき、アランは呼吸を整えた――が、それも整わぬうち、ハーシェルは挑発めいた笑みを見せる。

 

「マデレーネ殿にとっても、アラン殿でよかったことでしょう。フォルシウス公爵に嫁ぐよりずっといい」

「フォルシウス公爵に……?」

 

 なぜその名が出てくるのかなどという間抜けな問いはせずにすんだ。

 アランの脳裏に記憶がよみがえる。

 はじめてサン=シュトランド城を訪れた日、マデレーネはアランの顔を見、驚きと安堵の入り混じった表情を浮かべた。それはすぐに隠されて消えてしまったが、彼女が予想していた待遇はもっとひどいものだったのだろうとアランは見当をつけた。

 いまとなってはどうでもよいその推測が当たっていたことをアランは知った。

 

 アランの名を出されるまで、マデレーネは、自分はフォルシウス公爵に嫁ぐのだと思い込んでいたのだろう。幾人もの男児を妻に産ませ後継ぎの心配の失せたあとには、理由をつけて妻を離縁してしまい、金に飽かして妾を囲っているような男に。

 

「それで、あなたは何が言いたいのです、ハーシェル殿」

 

 印象どおりの挑発なら、理由がない。ここでアランと仲違いしたところで意味はないのだ。むしろダルグレン侯爵家がフォルシウス公爵家と対立しているなら、味方に引き込んでおきたいはず。

 そこまで考えが及んで、アランははっと息を呑んだ。

 

「フォルシウス公爵が彼女を狙っていると……?」

 

 以前のマデレーネは王家にとってお荷物だったかもしれない。だが多額の借金はノシュタット家によって清算され、いまの彼女には、その美貌と、聡明さと、王女という血筋だけが残っている。

 宮殿の改修を行ったというホッグも、ノシュタット夫人がマデレーネであることを知らなかった。王都に住み、平民の中では貴族社会の噂話に誰よりも近いだろうに。

 ノシュタット家に王女が嫁いだという事実は、王都では知らされていないのだ。

 

 それがなんのためかと考えれば、

 

「王家は……最初から王女を取り戻すつもりだったのか」

「さあ、それはどうでしょうね」

 

 含みのある物言いはそれ以上語る気がないことを告げていた。

 

(ノシュタット家()()()()()のではなく……ノシュタット家()()()おつもりだったのでしょうなあ、あのイエルハルト殿下は)

 

 ハーシェルは内心でそう嘆息する。

 ノシュタット家は北部の雄だ。どの派閥にも与さず、独立して発展した。好むと好まざるとにかかわらず、北部一帯はノシュタット領の影響を受けている。かの家を取り除くことができれば、北部は弱体化し――フォルシウスの息のかかった者が、主導権を握るだろう。

 

(ぼくに言えるのはここまでだ)

 

 ダルグレン家にもダルグレン家の計画がある。

 ただ、宮殿から拾いあげて連れてきたヨハンの料理は美味であるし、彼の口から語られたアランとマデレーネの人物像は期待の持てるものだったから。

 

「さあ、部屋に戻ってタルトはいかがですかな。マデレーネ殿から聞いておりますよ。アラン殿は甘いものがお好きだと……」

 

 マデレーネの名を出せばすぐにアランの雰囲気が変わった。一瞬甘く、それでいて自分以外の口からその名が紡がれるのが許せないというように刺々しい気配に。

 本人は気づいていないらしい。

 

(しかも、マデレーネ殿も気づいておられぬ……)

 

 奇妙な夫婦だとハーシェルは苦笑した。

 そして、願わくばその絆が永く続きますように、と心の中で願った。

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