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7.ダルグレン侯爵家への訪問(前編)

 馬車から降り立つアランとマデレーネを、ハーシェル・ダルグレン侯爵が笑顔で迎えた。

 

 ヨハンと《風鶏亭》で再会を果たしてから数週間。

 ヨハンはアランとマデレーネが王都へ入ったことを彼の主人に伝えたらしい。すぐに招待の書状が届き、アランとマデレーネはダルグレン侯爵邸を訪問することになった。

 

「お招きいただき光栄です」

「こちらこそ。名高いノシュタット領主を真っ先にお呼びできて光栄ですよ」

 

 アランとハーシェルが握手を交わす。

 ゆるくウェーブがかった亜麻色の髪と琥珀色の瞳を持つハーシェルは、アランよりも高い背をわずかに屈めるようにして、歓迎の意を示した。

 

「お忙しいところをお呼び立てして申し訳ありませんが、一刻も早くお会いしたかったもので」

「いえ、こちらとしても王都に知人は少ない。こうしてお声をかけていただけること、嬉しく思います」

「そうですね。ぼくはアラン殿に必要なものをお渡しできると思いますよ。()()()()()()を」

 

 中央貴族の優雅さを感じさせる物腰のハーシェルに対し、アランもまたマデレーネ仕込みの笑顔で応じる。

 はたからみれば、和やかな会話だ。

 

(なんのに、どうして冷や汗が出るんだべか……!?)

 

 野生の勘といおうか、ユーリアは貴族同士の含みのあるやりとりに不穏なものを嗅ぎとり、青ざめていた。

 マデレーネも眉をさげている。

 

 二人が感じとっているのは、アランの内心の苛立ちだった。そばで暮らしていたからこそわかるもの。だが、理由まではわからない。

 というより、アラン本人にもわからなかっただろう。

 

 ハーシェルは現在のヨハンの主人だ。そしてマデレーネに興味を持っている。おそらくはヨハンからもマデレーネの話を聞いたに違いない。ヨハンは関わった家の内情を吹聴するような男ではないが、流暢に嘘が言えるような男でもない。核心に切り込まれたときには言葉を濁してごまかすのがいいところ。

 

 とすれば――アランとマデレーネが仮面夫婦であることが、ハーシェルに知られているかもしれない。

 無意識のうちでアランが苛立ちを覚えているのは、このことだった。

 

 そしてその懸念は、現実のものとなって突きつけられた。

 

「おふたりのお部屋は二階に用意させました」

 

 ハーシェルに告げられ案内された部屋は、アランの寝室とマデレーネの寝室が、別に準備されていたのである。

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言うほかはなかった。これまでは割り当てられる部屋が同室であることに困惑していたくせに、別れればまた反応に困る。

 夫婦なのだからひとつの部屋にしてくれ、とは言えない。

 こういった揺さぶりには、アランは弱かった。

 

「旦那様、落ち込んでらしたですだ……」

 

 荷物を運び入れ、ひと息ついてから、ユーリアはぽつりと呟いた。

 アランの部屋にはリュフが付き添った。スウェイがいれば、とまたユーリアは故郷で歯噛みしているに違いない執事のことを思い出す。

 マデレーネも苦笑いを浮かべている。

 

「良くも悪くも、王都の方々は北部領の方々のようにはいかないわ」

 

 マデレーネの言葉に、そういうものなのかとユーリアは頷いた。

 

 

 一方、アランの寝室では――。

 

「そろそろ覚悟を決めたらどうですかい」

 

 主人アラン料理長リュフに説教を食らっていた。

 明後日の方向を見つめ何も答えないアランの顔にはありありと「スウェイを連れてくればよかった」という表情が浮かんでいる。

 

(スウェイならば何も……いや言うかもしれんな)

 

 マデレーネが城に嫁いできたばかりのとき、そわそわとしていたスウェイを思い出す。それにアランに休暇をとらせてマデレーネとふたりきりにしたのもスウェイだった。

 

「贈りものでもなんでもしたらどうですか。王都はもってこいじゃないですか。ノシュタットにはないものがなんでもありますぜ」

「……」

「奥様だっておよろこびになるでしょう」

「……」

 

 無言を貫き通すアランにリュフはため息をついた。無視されたのだと思ったのだ。だが、数秒後。

 

「…………よろこぶと思うか」

 

 ぼそりと呟かれた言葉に、リュフはあんぐりと口を開けた。

 

「もしかして、悩んでらしたので?」

 

 ユーリアとは違って、古株のリュフには遠慮がない。

 

「……」

「そりゃ、およろこびなさるでしょう。決まってるじゃないですか」

「なぜだ。俺にものをもらってなにが嬉しい」

「なにって……」

 

 今度はリュフが黙り込む番だった。

 

(まじか、この人!? いや、この人たち!?)

 

 である。

 いくら遠慮がないとはいっても、さすがにそれは口に出せない。主人だから使用人だからという上下関係以前に、人間関係の問題だ。

 

「奥様は、もちろん、旦那様を大切におもっていらっしゃいますから……」

 

(気づけよおおおおおお!!!)と心の中で盛大にツッコミを入れつつ、リュフは引きつった笑顔を浮かべた。

 

「そうか……」

「それに、旦那様はこれまで奥様に贈りものなどされたこともないでしょうが。旦那様から奥様へも大切におもっていらっしゃることを示すべきですよ」

 

 真面目な表情になって言うリュフに、アランは少々驚いたようだった。

 

「……そうだな」

 

 アランの脳裏にマデレーネから贈られた襟巻と白い仔山羊キッドの手袋とがよみがえった。

 あのとき、アランはマデレーネに一切の感情を示してはいなかった。だがマデレーネは夫の邪険な態度を責めもせず、未来のアランに必要なものを考えてくれた。

 

(俺は……彼女を、どうしたいのだろう)

 

 ふと、アランは己の絡み合った感情の蔓に気づいた。

 アランは――自分は、マデレーネとの未来など考えていないのだ。イエルハルトの誘いにのってアランがマデレーネを妻に迎えたのは、幼いころ自分を助けてくれた彼女への贖罪のつもりだった。マデレーネが王都へ戻るならそれでもいいと思っていた。

 けれど、マデレーネははっきりと言った。

 

 ――ノシュタット家に、ずっとおいていただきたいのです。ここでの暮らしは、わたくしの幸せです。

 

 あの一言がアランの心をほんのわずかにだがゆるめた。

 そうでなければ、晩餐会に向けて笑顔の特訓など、頑として跳ねのけたに違いなかった。

 

 マデレーネは先に心をひらいた。ノシュタット領での暮らし、ノシュタット家の人々を受け入れた。それはすなわちアランも受け入れたということである。無意識にだが、アランはそれを感じとったのだ。

 

(俺は……嬉しかったのか……?)

 

 王都へ帰すつもりの妻に、いっしょに暮らしたいのだと言われて。

 矛盾しているではないか。

 

「もしかして……俺は、彼女のことが……」

 

 ぼそりと呟くアランに、目をむいたリュフは、今度こそ遠慮もなく言ってしまった。

 

「まだ気づいてなかったんですかい!?」

 

 ――と。

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