6.ヨハンとの再会
聞き覚えのある声にヨハンはふと顔をあげた。
いま彼がいるのは《風鶏亭》という食事処で、一階は平民向けの大衆食堂、二階はおちついた個室になっており、貴族が利用することもある。
貴族たちは食堂とは別の扉から出入りするため、両者が顔を合わせることはないのだが――。
「リュフさん! こっちですだ!」
「おお、ユーリア。なんだよ、ここじゃねえのかよ」
聞き覚えのある声は、今度ははっきりとよく知った名前を告げた。
ぱっと顔をあげる。するとむこうもちょうど席を立ち、ふりかえったところだった。
視線が合う。
「ヨハン!」
「ヨハンさんではねえですか!」
歓声をあげて駆けよってくる元同僚に、ヨハンは「変わんねえな」と笑った。
「王都に来たのか」
「三日前にやっとな。寂しかったか」
「馬鹿言え。ならいずれおれを雇ってくれるんだろうな?」
軽口をたたき合うヨハンとリュフの袖を、ハッと気づいた顔になったユーリアが引いた。
「旦那様と奥様は上ですだ」
「店の名前しか言わねえから、ここでずっと待ってたんだぜ」
「ヨハンさんもおいでなせえ」
「いいのか?」
逆らわずにヨハンは立ちあがった。まだ食事は来ていない。上に運んでもらうよう頼むと、リュフとユーリアとともに厨房の横にある階段をのぼる。
ユーリアがノックをして開けた部屋には、アランとマデレーネの懐かしい顔。
それに加えて、どう見ても丁稚といった風体の少年と、異国の少女。
「……相変わらず、度肝を抜いてくれますね、姫様」
「ヨハンじゃない」
「お久しぶりです」
アランと、立ちあがるマデレーネに礼をする。アランも会釈を返した。ぶっきらぼうなのはいつものこと……だと思っておきたい。
(邪魔者が増えたって顔してなさるような……)
賑やかになる室内に、タイミングよく料理も運ばれてくる。トビアンとレイラが目を輝かせる。
リュフやユーリアがとりわけ、食事の時間となったのだが……。
やはりアランとマデレーネがどうにもぎこちない。
というより、マデレーネはいつもどおりに見えるのだが、アランの態度がどこか浮ついているような気がするのだ。話しかけられても頷くばかりだし、目が合うとすぐに逸らしてしまう。
(いや、こんなもんだったような)
なにせヨハンがサン=シュトランド城へ滞在していたとき、主人であるアランは領内の視察やら見まわりやらでほとんど城にいなかった。
(でもやっぱり以前はもっと冷たかったような)
いまのアランからは以前のような険が感じられない。マデレーネを避けようとしているというよりは、どんな態度をとっていいのかわからないといった印象だ。
「……なあ、アラン様とマデレーネ様に、なにかあったのか?」
「あとで教えてやる」
ひそりと隣のリュフに尋ねると、そう返された。
つまり、やはりなにかあったらしい。
*
食事をしつつトビアンとレイラの経緯を聞き、ヨハンは「へえ」と声をあげた。
「北に支店なんてあったんですね。ほかの店はよく行きますが、知りませんでした」
「そうね、屋敷からも近くて便利なのに、次からは中央の本店に来てほしいと言われてしまったわ。品ぞろえに問題はなかったように思うけれど……」
「あの店長は、あんまりやる気がねえんですよ」
トビアンがぶすったれた顔で言う。
「店員もオレと店長だけです。客も来やしねえし、来てもひどいもんです。むっつり黙り込んで品を受けとって、ありがとうも言いやしねえ」
品ぞろえもあまり代わり映えがしないのだとトビアンは唇を尖らせた。止まらない愚痴にユーリアが呆れた顔になっているが、それにも気づかないようだ。
「ほかのやつらには北支店じゃ出世は望めねえって言いやがるし。オレがみなしごだからって、一番売れてねえ支店に飛ばされたんだと……」
「でも、トビアン、しごと、すき」
口を挟めない大人たちに助け舟を出したのはレイラだった。
にっこりと笑う少女にトビアンが顔を赤らめる。
「そりゃ、そうだよ。いろんなきれいなものが見られるもん。あ、レイラたちから仕入れた商品もさ、すぐ売れたぜ。キラキラしてきれいだもんな、あの絨毯」
「ふふ、うれしい」
笑い声をあげる少年少女をマデレーネやユーリアがやさしく見守っている。アランも、笑顔でこそないものの、彼らがそこにいること自体は受け入れているようだ。
もともとノシュタット家に仕える者たちは、困窮して人買いに売られた農民たちも多いと聞くから、出身階層による偏見はないのだろう。
「そういえば、おれがいま仕えているダルグレン侯爵も、アラン様とよく似ていますよ」
「ダルグレン侯爵?」
「はい。お知り合いですか? 侯爵様はマデレーネ様のことを知っておられるようでした」
「ダルグレン様ご本人とは、何度かお会いしただけね……」
それも、晩餐会や式典などで、決まりきった挨拶を交わしただけだ。
近ごろカイルが親しく付き合っているというから、カイルからなにか話を聞いたのかもしれない、とマデレーネは判断した。
「ダルグレン家にも、たくさんの使用人がいるのです。ノシュタット領のあの城を思い出しましたよ。侯爵様が気さくな方で、明るく話しかけてくださってね。使用人たちの仲もよい」
言ってしまってから、ヨハンはハッと口をつぐんだ。
めずらしくアランから感じるまっすぐな視線が、
(明るく気さくな侯爵のどこが俺に似ているんだ?)
という無言の圧力に思えたからである。
「使用人や、領地のことも気にかけていらっしゃるところが、アラン様に似ていらっしゃると……」
「いい方にお仕えできてよかったわね、ヨハン。シーラも安心したでしょう」
「ええ。赤ん坊も元気に育ってますよ」
冷や汗をかきながらヨハンは笑顔を浮かべた。アランの視線は外れたようである。
(やはり、変わられた)
内心で考えるのも憚られることではあるが、
(少し面倒くさい方向に変わられたのでは……)
もともとアランと長年の付き合いであるリュフやユーリアは気にしていないようだ。宮殿暮らしが長く、貴族の顔色を窺いすぎているとダルグレン侯爵にも言われたヨハンであった。
「まずは王都のうまいもんを腹いっぱい食っておかないとな。海鮮のトマト煮込みと、羊の香草焼きと、そうだワインも……」
「この『ふるーつどるせっと』てデザートはなんだべかね……? リュフさん、これも……」
「お前らは気にしなさすぎだな……」
メニュー表を覗き込みはしゃぐリュフとユーリアは、トビアンとレイラよりも子どもっぽい。
というか、楽しそうに語りあい、ときおり互いの目をしっかりと見つめあっている少年少女は、もしかするとアランとマデレーネよりも先を行っているのかもしれない。意思疎通という点で。
とはいえ、本人同士の問題だ。他人があれこれと考えても始まらないのはたしか。
ヨハンがひとりでこの店を訪れた理由は、いまのリュフと同じである。
ノシュタット家が王都で披露目の晩餐会をひらく際に、少しでも力になるため。王都料理の学びなおしだ。
「おれにも選ばせてくれ」
ふたりからメニュー表を奪いとりつつ、ヨハンは笑った。
ダルグレン侯爵からは、ノシュタット家の晩餐会に手助けが必要ならば、そのあいだは休みをとってもいいと許可をもらっている。
(使用人に対しても行き届いたお人だ)
マデレーネもすぐに侯爵とうちとけるに違いない。
機会があれば屋敷を訪ねてほしいものだとヨハンは思った。
その希望が数日後に叶うとは知らずに。





