4.使用人ではないのですが…
夕刻までには終わってしまった荷分けののち、ユーリア・ブランテと名乗った侍女に連れられて、マデレーネは城の中を見てまわった。
「先ほどのが台所、こちらが食堂、むこっかわの扉が応接間、あがって二階の三部屋が客室でございます」
心を開いてくれたようだと感じた途端に悲鳴をあげて頭を抱えてしまったときにはどうしたものかと思ったが、大丈夫だと言い聞かせれば笑顔に戻って城の案内をしてくれた。
ところどころ耳慣れぬ言葉が混ざるのも、わからないほどではないからマデレーネは笑顔でうなずいた。
城の中はやはりどこか懐かしい空気をはらんでいる。
まだ幼かったころ、いまは亡き母親エレンディラ妃に連れられて領地を周遊していたというが、そのときにこの地方を訪れたことがあるのかもしれない。
「こんがら先は使用人どもの部屋です。これで案内さ全部でございます」
「ありがとう、ユーリア。これからよろしくね」
あらためて礼を言えばユーリアの頬が染まる。
自分よりも年上だが、一生懸命でどこかかわいらしい。
笑顔を見せると、ぐっと奥歯を噛みしめ、ユーリアは先ほどマデレーネがしたように、マデレーネの手を握った。
「旦那様から、奥様のおっしゃるこたぁできんだけ叶えてさしあげるようにと言いづがっでます。なんでも言ってくだせえ」
「ええ。ありがとう」
「おらはマデレーネ奥様の味方でんすから! ほんに、いつでも! 言ってくだせえね!」
マデレーネは目を細めてユーリアの手を握り返した。ぎゅうぎゅうと痛いくらいの握力も許可なく主人の手に触れることも、ともすれば不敬に当たるのだが、ユーリアの心はきちんとマデレーネに届いていた。
「なら、あなたには甘えることにするわ」
マデレーネの表情が、花びらの揺蕩うようなこれまでの笑顔から、どこか幼い年相応の笑顔になる。
「まずは着替えを手伝ってくれない?」
「はい! もちろんですだ!」
砕けた口調が嬉しくて、ユーリアも目を輝かせた。
侍女としての初めての身支度のお手伝い。
立派にドレスを着つけてみせようと、ユーリアは燃えた。
*
……数十分後。
着替えたマデレーネを、ユーリアは無言で見つめていた。
ユーリアにもわかった。マデレーネが着用しているドレス。型は流行から遅れたもので、装飾品はあったと思われる場所から取り外され、裏地には継ぎ接ぎが当てられている個所もある。
緊張のあまり目に入っていなかったが、先ほどまで着ていたドレスもそうなのだ。だからこそマデレーネが床に倒れこんだとて裾が破けるだけですんだ。宝石や金飾りがついていればそうはいかない。
これは……ボロい。
(どうして?? お姫様ではねえのですか??)
衣装棚から取り出したのは、マデレーネが輿入れの際に持参したドレスだ。ペルメ城で着ていたもののはず……だが、本当にこんなものを姫君がお召しになるのだろうか。なんならユーリアのドレスのほうが新しくてきれいだ。
マデレーネ本人が美しいだけに、ドレスのみすぼらしさがことさら際立ってしまう。
絶句したまま固まっているユーリアを見、マデレーネもまた悲しそうに眉を下げた。
(いいドレスはすべて、イエルハルト様から持ち出しを禁止されてしまったものね……さすがにこれはアラン様に失礼だわ)
困った顔のマデレーネに、放心状態だったユーリアがハッと気づいて立ちあがる。
これは、ユーリアの出番だ。
「あ、え、えぇと、新しいドレスを買うてくれるよう、スウェイさんに確認してきますだ」
「えぇ。申し訳ないけど、お願いできる?」
ばたばたと部屋を出るユーリアを見送って、イエルハルトの抜け目のなさにマデレーネは肩を落とした。
贅沢をしろ、と言いながら、そうせざるをえないように仕向けたのだ。翌日を出立と定められたマデレーネは荷物の確認をする暇さえなかった。ドレスの費用を賄える宝石類なども一つもないのだろう。ノシュタット家に支出をしてもらうしかない。
「贅沢、ね……」
父王が臥せる前にどんな暮らしをしていたかは、もうあまり思いだせない。
一般的な価値基準でいけば、贅沢とは、お金を使うことだ。豪華なドレスに装飾品、値のはる食材を使った料理に、遠方から取り寄せた調度品、珍しい花々の庭園、大勢の客を招いた宴など……。
(けれど、わたくしには興味のないものばかり)
そういったことが好きなのはイエルハルトのほうだった。母親が亡くなってのち自由のなかったマデレーネに贅沢をする権限はなかったし、あったとしてもそうしたいとは思わなかっただろう。
おかげで、散財するという経験がない。経験のないことは難しい。
どうしたものか、と悩んでいるマデレーネの背後で、扉の開く音がする。
もうユーリアが帰ってきたのかとふりむきかけて、
「アンタ、こんなところで何をしているんだい!」
「――……?」
声とともに勢いよく腕をひかれる。
腕をつかまれたままのマデレーネを、女性はじろじろとねめつけるように眺めた。
「奥様についてきたメイドかい? メイド長のあたしに挨拶もしないで!」
「あら、それは申し訳なく……わたくしがマデレーネです」
突然の剣幕にたじろいだマデレーネであったが、相手がメイド長であることを知るとにこやかな笑顔を返した。
子爵家当主の妻となったからには〝女主人〟である。たしかに最初に彼女に挨拶をしておくべきだっただろう。現に彼女、スウェンが言っていたのを思いだせば、たしか名前はベルタといったか。ベルタはこうしてマデレーネをメイドと勘違いしている。
(このみすぼらしいドレスでは仕方がないわね……)
女主人がこれでは下の者にも示しがつかない。やはり早くドレスを買ってもらおう。アランも出費の必要性はわかってくれるはずだ――などと、考えていたのだが。
「はいはい、あんたの主人がマデレーネ奥様なのはわかったよ。で、奥様はどこだね?」
マデレーネの身なりがあまりにも貧相なため、ベルタはマデレーネの言葉を曲解して受けとってしまったらしい。
一つにまとめた髪にモスリン帽をかぶり、ふくよかな身体に黒の使用人服をまとうベルタ。マデレーネのドレスはたしかに、その使用人服よりもみすぼらしく見えた。
「わたくしがマデレーネです」
「アンタを通さないと口も利かせないって?」
「あの、わたくしの輿入れにメイドはいなくて……」
「メイドなんて下等なもんはつけてこないってのかい! じゃああんたはなんとお呼びすればいいのかね? 侍女様か? 御婦人かい! でもね、この家に来たからには特別扱いはしないよ!」
どうすれば伝わるのだろうかと口ごもるマデレーネ。
ベルタはつかんだままだった腕をマデレーネ自身に見せつけるように持ちあげた。
「こんなきれいな手をして!! 城ではなんにも教えていないんだろうね! 恥ずかしいと思ったほうがいいよ! ほらこっちへおいで!!」
そしてそのまま、マデレーネの腕をぐいぐいと引きながら、使用人部屋へひっぱっていってしまったのである。