2.デートはいかが
翌朝、ユーリアの目覚めは芳しくなかった。就寝前のマデレーネの悲しげな呟きが耳を離れず、夜が深くなっても寝つけなかったせいだ。
けれど、朝の着替えにと主人の部屋を訪れたユーリアは、輝くばかりの笑顔に出迎えられた。
己の気持ちに、先に向き合ったのはマデレーネだった。
「旦那様にわたくしを好きになっていただきたいの」
まっすぐなまなざしではっきりと、マデレーネは己の願いを口にした。
「奥様……」
「旦那様は、わたくしを妻と思うつもりはないとおっしゃったけれど、それでも……ユーリア? どうしたの?」
「いえ、なんでもねえですだ」
よろめきかけたユーリアにマデレーネが不思議そうな声で問う。首をふり、ユーリアは背すじをのばした。
あれほどに互いを意識しあっていながら? と思うものの、アランのほうは動揺が大きすぎて己の恋心に気づいていない可能性もある。マデレーネからアプローチしてもらったほうがいいのかもしれない。
「奥様ぁ」
「たしかに険しい道だけれどね、ユーリア。前向きに考えなくてはだめよ」
まどろっこしさに身もだえするユーリアの態度を悲観だと勘違いしたらしい。マデレーネは眉をさげつつも、自分を励ますように言った。
「どうすれば旦那様は、わたくしをおそばにおいてくださるかしら……」
アランは王家が金目当てであることをよく理解している。だからこそ、金さえ払えばマデレーネと婚姻関係を続けようが離縁しようが王家は気にしないということもわかっている。
以前のアランは、王家の状況がおちついたのならばマデレーネを王都に帰そうとすら思っていたのだ。
だが、その気持ちは薄れているのではないか、とマデレーネは思う。ぶっきらぼうになった口調も、距離が縮まった証左といえるかもしれない。
「そうだわ!」
マデレーネはぱっと顔を輝かせる。
「リルケ夫人が言ってくださったの。わたくしはもう、ノシュタット領になくてはならない存在だと」
「そらぁそうですだ」
教育や制度改革などはマデレーネの指揮で始められたものだし、それを抜きにしても、ノシュタット家のみならず周辺領の貴族たちもマデレーネをノシュタット夫人と認識している。農民たちのあいだにも徐々に「とんでもねえ別嬪なうえにかしこくてやさしい奥様」の噂は伝わってきていた。帰省のたびに率先して流しているのはユーリアだ。
「わたくしがお役に立てばたつほど、旦那様は別れを切り出しがたくなるはずね」
別れを切り出す前提で考えられているアランが不憫な気もするが、これまでの態度が態度だけに仕方がない。
「そうと決まればやはりお披露目の準備を急ぎましょう。そうだわ、アウロラ先生にもお手紙を書いて、カリキュラムを増やしていただきます。速達でお願いしましょう。その相談ということにすれば、旦那様とお話しする時間もとれるし」
「奥様……」
いまのアランと距離を縮めるためには、たぶんそれは正しいのだろう。でも、
(結局家政の話になっちまってるだす……!)
根本的に、マデレーネも経営中毒なのである。
そのあたりは、母であるエリンディラ妃の血を受け継いでいるのかもしれない。
「朝食のあと、紙と筆の準備をしてくれる?」
「承知しますただ」
もちろん侍女の立場でそんな指摘をくりだすわけにはいかず、ユーリアはしずかに頷いた。
言葉どおり、マデレーネは朝食のあとに手紙を書いた。
マデレーネがどうぞと言うので、ユーリアも恐縮しつつ、その隣で手紙を書いた。なにをどう書けばよいのかわからなくて最初から最後まで切々と書いた手紙はスウェイの指示しただけの文量になった。
(もすかすて、スウェイさんは最初からこんことを見抜いていらしたのではねえだべか……)
そんなわけはないのだが、スウェイの能力を信頼しきっているユーリアは彼の先見の明に慄いた。
「スウェイさん、まんだまんだ『気持ちが通じあう』ってやつにはならねえようだす……」
手紙にすべてを託す気持ちで、ユーリアはそう締めくくった。
数日後、それを読んだスウェイがひっくりかえるとは知らずに。
*
だがしかし、ユーリアはマデレーネを見くびっていたと言えよう。
午後になって、ユーリアはすぐに手紙の内容を後悔することになった。
「旦那様、デートをいたしませんか」
朝食をすませ、ひとり外出の支度を始めたアランに、マデレーネはにっこりとほほえみかけると、そう誘ったのだ。
「デ……ッ!?」
顔を真っ赤にして言葉を詰まらせるアラン。マデレーネの背後で、ユーリアも叫び出しそうになる口元を両手で押さえている。
「改修のための大工を雇い、調度を揃えに、街へいらっしゃるのでしょう」
「……そうだ」
「わたくしも参りたく存じます」
「それは、もちろん……」
アランの言葉は尻すぼみになる。マデレーネがともに行くべきなのをわかっていながら、ひとりで行こうとしたからだ。
マデレーネが声をかけてくるのかどうか、アランにとっても五分五分だったのだろう。恋心を自覚していなければ、マデレーネも何も言わずに旦那様に任せたかもしれない。
だがいまのマデレーネは、これまでのマデレーネとは違うのだ。
ユーリアは目を輝かせた。スウェイに訂正の手紙を出さねばならないと思った。
けれども、次の瞬間、ユーリアは衝撃的な事実に気づいてしまう。
「王都を訪れた初日から別々に行動しているだなんて、屋敷の者たちも周囲の人々もあやしみましょう。ここではどこに人の目があるかわかりませんもの」
「……そうだな」
マデレーネの言葉に、アランも不承不承といったように頷いた。
――つまりアランは、デートのお誘いがマデレーネのアプローチだと気づいていないし、マデレーネのほうは、アランのこの反応を見てもまだアランの気持ちを察していないのである。
(スウェイさん……やっぱりだめかもしれねえですだ……)
ユーリアの心に、先ほど早馬を頼んだ手紙のことがよみがえった。
「エスコートしてくださいませ、旦那様」
浮かれたようにも見える表情で手を差し出すマデレーネに、照れ隠しとわかる素っ気ない態度で腕を貸すアラン。
マデレーネにも外出の支度を整えるため部屋に引き返しながら、ユーリアは内心で頭を抱えていた。





