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3.記憶はよみがえる

 養蜂場で昼食をとったのち、一行は軽食を携えて散策に出かけた。蜜蜂の飛ぶ花畑は散策には向かないため、丘を整備し、小径を設けてあるのだという。

 丘は頂上を見通せるほどのほどよい高さで、半分は林になっている。林に沿って作られた道にはところどころに休憩のための木陰があり、ベンチが置かれていた。

 そよぐ風に金髪をくすぐられつつ、道端の草木にマデレーネははしゃいだ。

 

「まあ、これはグサリの実。赤くなるととても甘いのです。それにミズナシの葉もありますわ。サラダに入れてもおいしくて……」

「そうなのですか。マデレーネ様は博識ですね。この丘は隣にある村から買い取ったのです。農民たちが食糧になるものも育てていたのでしょう」

 

 ユーリアがいれば「どうして王女様がそんなことを……」と青ざめるであろうが、ゴードは気づかずににこにこと相槌を打っている。

 そんなふたりを、アランは相変わらずじっとりとした視線で見つめている。

 

 草むらから頭の白い蛇がひょっこりと飛び出してきたのは、そのときだった。

 ドレスの縫い取りの煌めきに刺激されたのか、蛇は牙を見せると細い体を揺らして威嚇の体勢をとった。ぎくり、と皆の動きが止まる。

 

「マデレーネ様……!」

 

 じりじりと身をうごめかせマデレーネの足元に近寄る蛇に、ゴードがステッキをふりあげる。使用人たちも武器となりそうなものをさがした。

 しかしマデレーネだけは動じない。

 

「動かなければ大丈夫です。それにこれはシュラトヘビといって、毒のない蛇で――」

「違う!!」

 

 言葉は途中で遮られた。

 気づけばマデレーネは芝生に倒れていた。

 そんなマデレーネを庇うように、アランが覆いかぶさっていた。

 

「あれは王都に棲むシュラトじゃない、北部の別種だ。噛まれれば命に関わる!」

 

 必死に訴えるアランをマデレーネは瞠目したまま見上げた。

 アランが身を盾にして自分を庇った背後を、牙を剥き出しにした蛇が飛ぶように移動していくのを、マデレーネは見た。

 その動きは知っている。敵に尾を見せて逃げれば食われるから、牙で威嚇しながら前に逃げるのだ。逃走の線上にいたものに噛みつきながら。

 

 驚きの理由はそれだけではなかった。

 マデレーネには憶えがあった。まったく同じ台詞を言われたことがある。同じように庇われたことがある。不幸にもそのときにはすでに、毒を持たない蛇だと信じて手をのばしたマデレーネは噛まれていたのだが――。

 マデレーネを助けようとして、少年は自らも蛇の毒牙にかかった。

 

 あれは――……。

 

「アラン……?」

「!?」

 

 アランの肩がびくりとふるえた。

 目を見開いて自分を見つめるマデレーネを、アランも見つめ返す。

 

「思い出したのですか……?」

 

 呟くようなその問いが、すべてを雄弁に物語っていた。

 

「はい……」

 

 マデレーネの記憶の中に、幼いころの思い出がよみがえってくる。

 母親とともに様々な領地を訪れていたこと。ノシュタット領にもサン=シュトランド城にもマデレーネは足を運んだ。だからはじめてのはずの城があれほどに懐かしかったのだ。

 そして――アランとともに毒蛇に噛まれたこと。薬を譲ったこと。

 

 高熱を出して昏睡状態に陥ったあと、マデレーネはその前後の記憶を失った。成長してからも母との思い出がつらいものになっていた時期もあり、幼い日の出来事を詳細に見つめなおすことはなかった。

 いま、ようやく思い出したのだ。

 

 同時に、マデレーネの視界が霞んだ。

 それが涙だと気づくまでには時間を要した。

 

「どうしたのです? どこか痛みが?」

 

 アランがぎょっとした顔で身を離す。

 

「いいえ……」

 

 倒れたときに腕や背中を打ったようだが大事ではない。

 涙はいくすじかの雫になって流れ落ちたあと、すぐに止まった。ハンカチで拭えば何事もなかったかのように。

 

「大丈夫ですわ、旦那様」

 

 マデレーネは首をふり、さしだされた手をとって立ちあがった。ドレスに汚れはついてしまったものの、怪我をしたわけではない。

 そう言われてしまえばアランも深く尋ねるわけにはいかず、手を貸すだけ。

 安心させるようにマデレーネは笑った。

 

 ただ、心が酷く痛かった。



***



 思わぬ出来事を受け、ゴードはすぐさま屋敷に引き返した。マデレーネは恐縮しきり、何度も謝罪を述べたが、ゴードのほうも強いて涙の理由を尋ねようとはせず、

 

「夕食はまたとびきりのものをご用意します」

 

 と言っただけだった。

 おかげで、ぎこちない雰囲気は、屋敷の中までは持ち込まれずにすんだ。

 

「ヘビんば見なさってえたって……」

 

 話を聞いたユーリアが意外そうにこぼすのに、マデレーネは苦笑する。

 気を使ったのだろう、アランとスウェイはゴード男爵と遊戯室へ出て行った。部屋にはマデレーネとユーリアのふたりだけ。

 

「奥様んことですから蛇くらいどってことねぇと思っちょりました」

「ええ、蛇は平気なのよ……」

 

 どことなく元気のないマデレーネにユーリアは首をかしげる。

 マデレーネはそんなユーリアを見つめ返し、小さく笑った。

 

「ユーリアには言ってもいいかしら……わたくし、思い出したの。子どものころにね、ノシュタットへ来たことがあったの。旦那様と出会っていたのよ」

「それは、素敵なことではねぇですか。運命を感じますだ」

 

 ユーリアは頬を染めた。出会っていただけならきっとそうなのだろうとマデレーネも思う。

 

「旦那様に、薬をさしあげたの……旦那様は、わたくしのことを命の恩人だと思っていらっしゃる」

 

 ずきりと胸が痛む。ひらきかけた唇がふるえた。でも言いだしてしまった想いは止められなくて、マデレーネは素朴な性格のユーリアに深く感謝した。

 

(ユーリアになら、弱音が言える……)

 

 そんな存在が自分にできようとは、思ってもみなかった。

 ユーリアを侍女として選んでくれたアランにも感謝しなければいけない。

 莫大な借金を肩代わりし、マデレーネのすることに口出しもせず、ユーリアをはじめとする使用人たちに彼女が女主人だと示し――アランはマデレーネの居場所をつくってくれた。

 

 どうしてそれほどまでに、と思ったものだ。イエルハルトやアランが言うように、爵位のためとは到底思えなくて。

 そしてその理由がわかってしまった。

 

「……旦那様は、わたくしに恩を返そうとしただけなのかしら……」

 

 眉をひそめるマデレーネに、ユーリアはやはりきょとんとした顔で首をかしげる。

 なにがいけないのかわからないといった表情だ。

 マデレーネもそう思う。律儀でありがたいことだと思ってしまえばいい。恩着せがましい理由を言わなかったのはアランの配慮だろう。アランがマデレーネの苦境を救ってくれたことには変わりないし、今度からはマデレーネのほうがアランに報いていかねばならないと思う。

 

 でも、なぜか。

 胸の奥が、いばらを敷き詰めたように痛いのだ。

 

 たとえば爵位がほしかったのだとしても、それはそれでよかったのだろうとマデレーネは思う。アランの役に立つことができるかもしれないからだ。

 でも、マデレーネを危機に陥れたことへの償い、命を救われたことに対する恩返しなのだとしたら。

 アランのためにマデレーネができることはない。過去のマデレーネがそれを成してしまっているのだから。

 

「奥様は――」

 

 ユーリアはマデレーネ以上に眉根を寄せて考えこんでいたが、やがて顔をあげた。

 

「旦那様が、むかすの奥様を大事でえじに思っとるのが気に食わねえんですか?」

「……え?」

「え?」

「いえ……」

 

 思いがけぬ質問にマデレーネは胸に手を当てた。

 

 アランは、自分を救った、幼いころのマデレーネを見ているのだと思った。

 だから王家に言われるままに、金と引き換えにマデレーネを手元に置けば目的は達成された。だから当初のアランは、王家の内情がおちついたのなら、マデレーネを王都に帰してもいいとさえ考えていた。

 その、一見やさしさに見える冷徹な献身の裏に、過去の自分がいたことが、ショックだったのだ。

 

(もしかして……嫉妬……?)

 

 マデレーネの思考はぐるぐるとまわりはじめる。頭に血がのぼっていくようだ。それは思考を助けるためというよりは、逆上といったほうが正しそうで。

 

「わ、わたくし、自分に嫉妬していたの……?」

「違えのですか?」

 

 なんのてらいもなく尋ねるユーリアに、マデレーネの顔は茹であがったように真っ赤になった。

 

「だ、だって、それって、それって――」

「マデレーネ奥様?」

 

 驚くユーリアの手を両手で握りしめ、行きついてしまった結論にマデレーネは悲鳴をあげた。

 

「わたくしは、旦那様のことを……!?」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ヘビどこ行ったの?
[一言] アランより先に恋心自覚したのねっ!! かわいいぁ
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