2.旦那様の困惑ふたたび
「夫婦なのですから当たり前ですわ」
ゴード男爵が去り、ユーリアが侍女の控え室へと引っ込んでふたりきりになったのち、「同じ寝室でいいのか」と尋ねたアランに、マデレーネは笑顔でそう答えた。
「……そうだな」
「はい」
「ゴード男爵に夫婦仲を怪しまれても困るし」
「然様ですね」
しばしの沈黙がよぎる。
「着替えをして参ります。ユーリア」
「はい、奥様!」
マデレーネは礼をすると、ユーリアを呼びつけ、衣裳部屋へ入っていった。
「グリーンのドレスを出してもらえるかしら。髪飾りは……」
「蔓薔薇のブローチはいかがですだ?」
「ふふ、いいわね」
夜のドレスに着替えるのだ。ゴード男爵の厚意で、ささやかながら到着を祝う夜会が開かれるという。
ドア越しに漏れる弾んだようなマデレーネとユーリアの声を聞きながら、アランはベッドに腰かけてため息をついた。
利害が一致した故の結婚だ、と言ったのは自分だ。マデレーネはその言葉を忠実に受け止めているにすぎない。それはわかっている。
(わかっているが……どうしてこう釈然としないのだろう)
はじまりは、使用人たちに半ば騙されるような形でマデレーネとふたりきりの時間をすごしたとき。だがあのときに抱いた気持ちは純粋な興味だった。
戸惑いに変わったのは、笑顔の訓練をしろと言われてから。訓練の最中に、心の底から笑っている自分がいることに気づいたものだ。
極めつけは晩餐会のあの夜。
(なにが妻だ……)
己の口から咄嗟に出た一言に、アランは困惑していた。スウェイの読みどおりである。
そのスウェイは、ユーリアとともに控え室から出て、アランにジャケットを着せつつ、その内心の煩悶を推し量っていた。
スウェイからしてみれば、アランの変わりっぷりのほうが驚くほどだ。マデレーネがサン=シュトランド城にやってきたとき、アランの考えはスウェイにはわからなかった。それが顔色を見るだけで困惑を察知できるようになったのである。
(いいことなのか、悪いことなのか……)
タイの歪みを直し、髪型を整え、礼をしたのち、スウェイは一歩下がって最終チェックをした。
夜会服に身を包んだアランは颯爽として歳に似合わぬ貫禄があるが、面映ゆげな表情がいつもとは違って新鮮さを感じさせる。
(うむ……旦那様なら、すべてヨシ)
旦那様至上主義な従者はあっさりと結論を出した。
ちょうどそのとき、隣室のドアがひらかれる。
「お待たせいたしました」
ドレスを着替え現れたマデレーネにアランは黙って腕を差し出す。マデレーネも何も言うことなくその腕をとるとアランにほほえみかけた。
「わたくしどもはここで控えております」
頭をさげるスウェイとユーリアに主人たちは頷いて出ていった。
アランとマデレーネが部屋に戻るのは深夜になるだろう。それまでに荷ほどきされた用具がそろっていることの確認、ベッドのチェック、室内の把握等々、やるべきことは多い。
(ス、スウェイさんとふたりきりだべ……っ!?!?)
城ではありえないシチュエーションに頬を染めるユーリアを残し、スウェイはさっさと仕事にとりかかった。
***
翌朝。
ゴード家の屋敷は裏が林になっており、客室の窓からは木漏れ日と葉擦れのざわめきが入り込む。
そんな爽やかな朝の気配を感じ――アランは、澱んだ視線を窓に向けると、よろめきつつ起きあがった。
昨夜はワインを飲んだにもかかわらず、ほとんど眠ることができなかった。
それというのも、隣にある人の気配のせいである。両親が亡くなってからというもの、誰かと同じベッドで寝た記憶など皆無だ。
と、言い訳がましく考えてはみても、その相手がマデレーネであったことが原因の大部分を占めるのは瞭然であった。
ゴード男爵肝いりの夜会はつつがなく終わった。
ほどよいアルコールと旅の疲れに加え、社交といういまだに苦手意識のある場に出たことで気力も使った。夢も見ぬほど深い眠りに沈むはずだったのに。
マデレーネの寝息を聞きながら、アランはまんじりともせず夜を明かしてしまったのだった。
*
ゴード男爵の配慮で、朝食は遅めで野菜を中心としたメニューだった。マデレーネはアランよりも寝過ごしてしまったことが気恥ずかしいのか頬を染めてうつむきながらの朝食となった。アランはといえば、自分よりも早くマデレーネが目覚めるのは不可能だったろうことを知っているから気にしないのだが。
「本日は養蜂場へご案内します」
昼はむこうでとりましょう、とゴード男爵は言った。
四頭立ての大型馬車に乗り込み、小一時間ほどの距離のところに、観光用の養蜂場を作ったのだそうだ。
ついてみればたしかにそこは養蜂場というよりちょっとした庭園であった。色とりどりの花が咲き乱れ、小道はシンメトリーの図案を描く石畳の舗装がされている。それを、テラスのある建物から眺めおろすという趣向だった。
あまり花に興味のないアランでも目を見張るほど丁寧に手入れがされている。
「城下町の近くですからね、それなりに人が来るのです。ノシュタット領からの商人も多いですよ。彼らは商売に貪欲ですから、新しいものはなんでも見に来る」
そういった人々を相手に食事や土産物を売り、賑わいも出てきたそうだ。
「すばらしいですわ。この美しい花々からできあがった蜂蜜を見れば、つい味わいたくなりますもの。なるほど、農業や工業を、観光に活かす……」
マデレーネも刺激を受け、考えこむ顔つきになった。
そこに、給仕が盆を持って近づいてくる。
「蜂蜜がけのポテト・スナックでございます」
「まあ……!」
テーブルに置かれた皿を見、マデレーネが抑えきれない声をあげる。
「棒状にスライスした甘藷をナッツ・オイルで揚げ、蜂蜜でコーティングしたものです」
飴色に光る薄衣をまとった甘藷が、陽光のもとにキラキラと輝いている。
「いただきます」
フォークで刺し、かじる――少々はしたない食べ方だけれども、野外という解放感に加えて蜂蜜とポテトという素朴な食材が合致しておいしさをひきたてている気さえする。
カリッとした蜜の食感に、爽やかな甘み。次いでやってくるあたたかくホクホクと舌の上でくずれる芋の甘み。
「おいしいです……!!」
マデレーネが目を輝かせた。
「マデレーネ様の……あ、いえ、アラン様とマデレーネ様の披露宴でいただいたスイート・ポテトをヒントにしたのです」
慌てて言い直しつつちらりと視線を向けられ、アランはふんと鼻を鳴らした。ゴード男爵は本気で男爵の地位を降り、商売っ気を出して生きていくつもりらしい。貴族の中には商人の儲けに依存しつつ商人を蔑む者もいる。アランのやり方を非難していた者たちもそうだ。
ゴードが考えを改め、己の道を見つけたのはよいことだし、道を示したマデレーネに感謝するのも当然のことだ。だが、
(俺といるときよりも笑顔が多いような……)
そのことが気にかかってしまう理由に、アランはまだ気づいていなかった。





