1.新婚旅行(のようなもの)
ちょっとした小話、「新婚旅行(のようなもの)」編です。
二章を書きためつつ週1くらいでゆるっと更新できればいいなと…!
それは、マデレーネとアランが王都へ旅立つより少し前。
一通の手紙から始まった。
「ゴード男爵からご招待、ですか?」
マデレーネの言葉にアランは頷いた。手には一通の書状がある。それをマデレーネに差し出すと、マデレーネはアランに近づいて受けとった。
「以前よりくっついておられますだ……」
「これまでは旦那様が引いていたのが、避けなくなったのだ。やはり旦那様の心情に変化が……」
その様子を見たスウェイとユーリアがひそひそと囁きを交わし合っている。
(あんたたちも距離が近くなってるけどね……若い者はいいわね)
それをさらに遠くからベルタが眺め、肩をすくめた。
サン=シュトランド城は平和であった。
晩餐会から早半月。
宴のあと、招いた客を領内の観光などでもてなし、そのあとも各領地と交易の約定を交わしたり領内の商人を紹介したりとアランとマデレーネを始め使用人たちは走りまわった。
数日前に最後まで逗留していたリルケ子爵夫妻が帰領し、多忙を極めたスケジュールがようやく終わって、日常が戻ってきたのだ。
そこへやってきたのが、ゴード男爵からの招待であった。
「まだ礼が言い足りないそうだ。今度は自分がもてなすからゴード領へお越しいただきたいと書いてある。……新婚旅行も兼ねて、と」
マデレーネも手紙を読み、アランが言ったとおりの理由が綴られていることを確認する。
「どうする?」
「わたくしは旦那様がいらっしゃるところならどこへでも」
お任せします、とほほえむマデレーネにアランの頬が染まりかけ、すぐに手で覆われた。
「……そうか、なら行くか」
「はい、ほかの領地を見せていただくことも学びにつながりますわ」
呟いたきりふいと顔をそむけてしまうアランだが、マデレーネは気にしない。そういった態度は晩餐会以前からであり、いまさら反応することでもないのだ。
しかし使用人たちはそうは思わない。
アランが顔を赤くして微妙な表情をしているのは、晩餐会での自分の台詞を思い出したからだ、ということをスウェイとユーリアは察していた。
妻を侮辱された、と怒りを見せたアランは、ほどなくしてそれが彼らしくない対応であったことを自覚したのだろう。それ以降どうやってマデレーネに対応したらよいのかわからないのだ。
以前のように露骨に避けるわけにもいかず、かといって急に馴れ馴れしくもできない。
「距離が縮まったことで、奥様を意識していらっしゃるな」
「はぁ~、胸がドキドキすつまいますな。新婚旅行だなんて素敵だんべ~」
マデレーネを非難した男爵の屋敷だというのが気になるが、マデレーネはすぐに許していたし、礼とは言いつつ詫びの意味もあるに違いない。
それよりも新婚旅行とは、なんと甘い響きだろう。
両手で頬を覆い、いまにも踊りだしそうなユーリア。対照的に、眉を寄せるスウェイ。
「だが、一つ不安が……」
「なんだすか、スウェイさん」
その〝不安〟を口にする前に、顔色を戻したアランに手招きされ、スウェイはユーリアから離れてしまった。
いまの二人に不安などあるのだろうか。皆目見当のつかないユーリアは首をかしげるばかり。
「ではゴード男爵には行くと返事を出そう。スウェイ、支度を頼む」
「承知いたしました」
なにはともあれ――。
こうして、数日後の昼すぎ、アラン、マデレーネ、スウェイ、ユーリアを含む一行は、サン=シュトランド城を出発したのだった。
*
ゴード男爵は両手を広げ、親愛の情を目いっぱいに示しながらアランとマデレーネを迎えた。
「ようこそお越しくださいました、アラン殿、マデレーネ様」
「こちらこそお招きありがとうございます」
ほほえむマデレーネは当然ながら、アランも晩餐会に見せたのと同じ笑顔でゴードの出迎えに礼を述べた。
アランの笑顔も、いうなれば〝対外用〟として板についてきている。
「ゴード様、わたくしのことはマデレーネと……」
「いいえそんなわけには参りません。マデレーネ様は王家の血筋であらせられる」
アランの手を握り、マデレーネの手をうやうやしく捧げ持つゴード男爵の笑顔はてらいのないもので、マデレーネは内心でほっと息をついた。晩餐会ののちゴード男爵がどのようにすごしているのか、気になっていたのだ。
「その後はいかがでしたか」
「マデレーネ様のおかげで決心がついたのです。実はいま、弟に家督を譲ろうと手続きをしているところでして」
ゴードははにかんだような笑顔を浮かべて言った。
「当主の座にしがみついていたのは、プライドもありましたが、何より周囲の目が怖かったからです。しかし弟を認めてしまえば気持ちは楽になりました。肩書が変わるだけで、やることはこれまでどおりなのです」
「ゴード様がお決めになったことでしたらそれが一番ですわ」
「マデレーネ様がいらっしゃらなければ、私はずっとセルデン伯爵の太鼓持ちをしていたでしょう。本当にありがとうございます」
「わたくしは、そんな……」
謙遜するマデレーネにゴードは陶酔しきったまなざしを向ける。
「……?」
マデレーネといっしょになって笑顔で話を聞いていたユーリアは、ふと感じた何かに視線をめぐらせた。なんだか空気が重たいような、冷たいような……。
(ヒッ!?!?)
思わず悲鳴をあげそうになった口を両手で覆う。
マデレーネとゴードから数歩離れた場所で、アランが笑顔を消し去っていた。城内ではよく見かける仏頂面のようでいて、目の奥になんともいえない揺らめきがある。
(だだだだ旦那様、怒ってらっしゃるんだべか!?!? どうして!?)
ユーリアは動揺した。
ゴード男爵はまだあれこれとマデレーネに話しかけている。ユーリアはハッと気づいた。ゴード男爵は独身だ。晩餐会の因縁の相手でもある。アランが怒りを覚えているのだとしたら彼に対してだ。
あわあわと青ざめるユーリアに対し、スウェイは冷静だった。
「馬車から荷物を降ろしたいのですが、どちらに運べばよろしいでしょうか」
ゴードの隣に控える執事に話しかける――ようでいて、普段よりも力強く発声された問いは、ゴード男爵の耳にも届いた。
「ああ、そうだ。玄関ホールで話し込んでしまって申し訳ない。部屋に案内しましょう。荷物もそこへ」
その言葉とともに、それぞれが動き出す。
アランはマデレーネの手をとり、ゴード男爵のあとに続いた。スウェイは下男たちに荷降ろしの指示をするため馬車へ戻り、ユーリアはマデレーネに付き従って部屋へと向かう。
(さすがはスウェイさんですだ、一言で解決なすった)
感心しきりのユーリアは、ふとスウェイの言葉を思い出した。
一つ不安が、と言っていたこと。それはアランの愛想が途切れてしまうことを指していたのだろうか。
(たしかに、奥様とご一緒だと、旦那様はうめえ態度がとれねえかもしれんですだ)
だが、スウェイの不安は、ゴード男爵との関係ではなかった。
「こちらがおふたりの部屋になります」
ある扉の前まで来てゴード男爵は中を示した。
サン=シュトランド城の貴賓室にも並ぶ重厚な造りの広い部屋。人を迎えるためのソファやテーブルがあり、寝室へのドア、クローゼットなども見える。
(奥様にぴったりの素敵な部屋ですだ……)
とため息をつきかけ、ユーリアは顔をあげた。
(ん? いま男爵様は、おふたりの部屋と)
「ありがとうございます。参りましょう、アラン様」
「ん、ああ」
マデレーネに促され、どことなくぼんやりとした返事をしてアランも足を踏み入れる。
違和感の正体に気づき、ユーリアはまた悲鳴をあげそうになった。
(ふ、ふたり部屋ですだ!?!?)
考えてみれば、夫婦で訪れたのだから当然である。晩餐会の折にも、リルケ子爵夫妻やその他の夫婦にはそうやって部屋を割り当てた。
だが、ノシュタット子爵夫妻は――アランとマデレーネは、違うのだ。二人は城で、別々の部屋で暮らしている。
おそらくマデレーネは予想していたのだろう。部屋を別にしてくれとゴード男爵に言えるわけもない。スウェイやユーリアが心配したところで、「夫婦なのですから当たり前ですわ」とあっさり受け入れてしまう。
現にいまのマデレーネに狼狽したところは何もない。
問題は――、
(旦那様は……)
アラン、マデレーネ、ゴードのあとからおそるおそると部屋に入り、息を殺して窺い見たアランの顔は、先ほどの仏頂面のまま真っ赤になっていた。





