32.ふたりの出会い(後編)
「早く薬を! 解毒を!」
アランが叫ぶ。背に負われたマデレーネはぐったりとして早い呼吸を繰り返している。発熱で身体中が赤く、腫れぼったくなっていた。
使用人たちは大慌てでマデレーネをベッドに寝かせると、傷口の手当てをし、薬を飲ませる。容態が安定し、ほっと息をついたのもつかの間――。
「……待って……」
小さな手が侍医の白衣の裾をつかんだ。
「アランも……アランもよ」
「……アラン坊ちゃまが……なんでしょう?」
意図を汲みきれずに眉を寄せる侍医に、マデレーネの必死な声が届いた。
「アランも、蛇に……」
「!?」
廊下に響く足音。サン=シュトランド城は騒々しいかけ声で満ちた。使用人たちはあちらこちらへと駆けまわる。
「水を! 湯もだ! それから薬を――薬が足りない。町へ行け! リルケ子爵領へも馬をやるんだ! 薬がなければ材料をかき集めろ!」
「誰かアラン坊ちゃんをさがせ!!」
扉を破るようにしてアランの自室に踏みこんだリュフは、そこで床に倒れているアランを発見した。
「アラン坊ちゃん!! どうか、マデレーネ様のお部屋へ」
侍医はマデレーネを離れるわけにはいかない。抱きあげようとしたリュフの手を払い、アランは重苦しい息をついた。
「黙っていて、すまなかった。だがマデレーネは……俺よりも家格が上だ。……万が一のことがあれば、ノシュタット家の存亡に関わる」
「あなたもノシュタット家の一人息子だ! 存亡に関わります!」
「薬も人員もすべてマデレーネにまわせ!!」
熱を持った手がリュフの頬を叩く。当時のリュフにはアランがどうしてそれほどに必死になるのかわからなかった。マデレーネは伯爵家の娘であると言われていたからだ。
アランは子爵家の次期当主。現在の家格でいえばマデレーネが上かもしれないが、将来の地位ではアランが上。
「坊ちゃん、申し訳ありません!!」
「っ、放せ……!!」
アランを担ぎあげるとリュフは走った。アランは八歳。身体のできてきた年頃とはいえ、大人に比べれば身体は小さく毒に対する抵抗力も少ない。
けたたましくドアを開ける音に侍医がふりむく。
その手には白い薬包紙が握られていた。
「先生! その薬は坊ちゃんに……」
「だめだ!」
アランの様子を見て、侍医もすぐ状況を理解した。「だが――」とふるえる声で侍医は手の中の薬を見た。
「いま城外を当たらせてはいるが……解毒にも傷口の治療にも時間がかかる。薬は与え続けなければならない。二人に十分な量はない」
それは暗に、マデレーネを完全に回復させるためには、アランを犠牲にしなければならないということを示していた。
そのことがわかっていたからこそ、アランは己も毒に侵されつつあることを隠そうとしたのだ。
リュフも絶句する。
「いいか、薬はマデレーネに――」
「だめよ。アランに、飲ませて」
ぜいぜいと息を荒げながら身を起こそうとするアランの言葉を、マデレーネが遮った。
「……わたしが悪かったの。わたしが蛇に近づいたのよ……アランは悪くないの」
「違う! 俺がけしかけたから――マデレーネは道を外れて……」
マデレーネは首をふった。緑の瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
「アランを助けて……お願い」
それだけを告げると、マデレーネはまた意識を失った。
まだ幼い、アランの歳の半分にも満たない少女だ。それが、苦しいとも痛いとも訴えず、ただアランの身だけを案じている。
「坊ちゃん!!」
リュフはアランの襟首をつかみあげた。「坊ちゃんに何をする!」と侍医の怒声が飛ぶがかまっている暇はなかった。
「あんなに必死な願いを無駄にするつもりですか!? お嬢ちゃんは最低限の処置を受けた。助かる見込みはある! けどあんたは、このままじゃ死んでしまうんですよ!!」
「……!!」
アランの黒い瞳が揺れた。涙の滲むその瞳に、アランもまた恐怖と苦しみを精いっぱい隠しているのだとリュフは知った。
マデレーネがアランの失態を責めたなら、アランは喜んで残りの薬を差し出しただろう。次期当主としての覚悟がすでにアランにはあった。
だが、アランを思いやるマデレーネの言葉が、アランをただの少年に引き戻した。
「どんなことになっても、俺は一生坊ちゃんについていきますからね……」
浮かんだ涙がこぼれることはなかったけれども、あんなに頼りないアランを見たのは後にも先にもあのときだけだ、とリュフは語った――。
***
「……最後の薬は旦那様が飲んで、おかげで二人とも命はとりとめたが……三日三晩高熱にうなされ、目覚めたときあのお嬢ちゃんは……いや、マデレーネ様は、ノシュタット領での記憶を失っていた」
エリンディラ妃は誰も責めなかった。ノシュタット夫妻はその後も数度、謝罪のために王都へあがったが、国王にも事を大きく構えようという気はなく、まだ幼いマデレーネにも黙っているつもりなのだと説明された。
――マデレーネが成長し、受けとめられる歳になってから聞かせよう。そのときになってからまた謝ってやってくれ。今のあの子にわざわざ要らぬ恐怖を与えたくない。
国王はそう言った。ノシュタット子爵夫妻もその言葉に同意した。
しかしその約束が果たされることはなかった。数年ごとに訪れた飢饉と、疫病のせいで。
「……」
ヨハンはため息をついた。ワインに透かして見る広間は海底に沈んだ過去の王朝を臨んでいるようだ。晩餐会の喧騒は消え、灯りの落とされた広間は全体を見渡すこともできない。
それは人と人との関わりのようだった。
「マデレーネ様とノシュタット子爵が、幸せになってくれるといいのだが……」
「ああ、まぁそれは大丈夫だろう」
思わず呟いたヨハンに、リュフはにんまりとした笑顔を見せる。
「最初は罪悪感からだったかもしれないがね。いまの旦那様の視線はそれだけじゃねえ。……あの方を前に、不愛想に突っ立ってろってほうが無理な話だと思わんかね」
「……そうだな、相手はあのマデレーネ様だ」
主人たちがここにいるわけではないが、一応の憚りで忍ばせた笑いをくすくすとかわし、それからヨハンとリュフははたと顔を見合わせた。
「ノシュタット子爵が――マデレーネ様に惹かれるとして、だぞ」
「奥様は旦那様のことをどう思っていなさるんだ?」
「……」
「……」
見つめあうこと、数秒。
気づいてはいけないことに気づいてしまった二人は、ワインのボトルを持ちあげると、無言で互いのグラスにそそぎ始めた。
晩餐会編、終わりです。
次の一話で第一章も区切りとなります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
晩餐会編はこれまでのお話よりもたくさんいいねをつけていただいていて、盛り上がってもらえたのかな!?と嬉しく思っています(〃艸〃)





