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3.侍女はおびえている

 早朝から城を騒がせた王女マデレーネを前に、ユーリア・ブランテはひきつった表情を隠せずにいた。

 

 そもそもユーリアがマデレーネの侍女となることを決められたのはほんのひと月前だった。主人であり領主であるアラン・ノシュタットが突然「マデレーネ王女と結婚することにした」と言い出したのだ。

 ノシュタット家が飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ、王女と結婚できるわけがない。しかしアランはこれまでに嘘をついたことは一度もない。

「お前が王女様専属の侍女だ」と言い渡されたときも大抜擢に実感が持てず、ぴんとこなかった。

 それでもお仕着せが新調され、ユーリアからしてみれば夢のようなドレスを与えられ、万が一もしかしたらもしかするのではないかと使用人一同心構えはしてきたつもりだったが――それは本当に、()()()だったのだと蜂の巣をつついたような騒ぎになっている城内を見て思う。

 そして正直に言うならば、自分も一緒に大騒ぎをして、荷物の片づけを手伝いたかった。

 

「マママママデレーネ奥様まままま」

 

 身体のふるえにあわせて声もふるえる。

 驚いた顔のマデレーネに失態を悟る。けれど焦れば焦るほどどうにもならない。

 城の者たちは旦那様が王族とつながりを得るために大金を出して王女を娶ったのだと噂している。むしろ貧乏な王家が金のために王女を押しつけてきたのだと言う者もあった。「贅沢三昧だったにしろ金に困っているにしろ、うちにきたら金食い虫になるに違いないよ」とメイド長は渋い顔をしていた。

 出迎えの途中にスウェイがやってきて「あの姫君にはなにかある。くれぐれも目を離すんじゃないぞ」と険しい顔で言い置いていった。おかげで緊張と不安と警戒は強まるばかり。

 

「ししししし失礼いたしましししし」

 

 王都の宮殿からやってきた王女様は、驚いたような顔をしている。

 王都といえば、この国のすべてがあるという場所。宮殿は話に聞かされても想像もできぬほどに大きくきらびやからしい。ユーリアはずっと憧れてきた。いつか王都へ行きたい、お姫様のお顔を拝みたいと思ってきた。それがこんなふうに――半分だけが強烈に叶うなんて。

 

 ユーリア・ブランテは貧しい農民の出身だった。

 顔を泥だらけにして働いて、それでも飢饉がくればひもじい思いをする。自分を売ってくれと言い出したのはユーリア本人だ。いくらか見られる顔立ちだったユーリアのもとへは、たびたび人買いがやってきた。追い払う両親を止め、金になるのなら、と土で汚れたマメだらけの手をとった。

 そんな自分が王女様の侍女だなんて、バレたら首を刎ねられるのではないだろうか。

 

 お前たち農民とは住む世界が違うんだと父親を足蹴にした役人たち。貧乏人のためには祈ってくださらなかった司祭様。彼らの顔がよみがえる。

 唯一の例外は、主人であるアランだけ。

 

 声だけでなく手足もふるえはじめる。

 飲み物を用意しようとキャビネットへのばした指先は目標をとらえそこね、薔薇模様のえがかれたティーカップがカチャリと音を立ててすべりだした。

 

「あ……!!」

 

 受けとめようとした手はソーサーまで落としてしまう。

 

(割れ……!!)

 

 クビ。弁償。処罰。ユーリアからの仕送りを待つ家族の顔が脳裏をよぎる。

 凍りついたような身体は動くことができず、見たくない未来を拒絶するかのようにユーリアは涙のにじんだ目をぎゅっとつむった。

 

「……」

 

 息も止まった数秒。

 食器が粉々になる音は、聞こえない。

 どうしたのかとうっすら目を開けて、ユーリアは悲鳴をあげそうになった。

 

 床に這いつくばったマデレーネが、ティーカップとソーサーを胸に抱きかかえ受け止めていた。

 

「割れていないわ」

 

 マデレーネは立ちあがり、テーブルに食器を置く。ドレスの裾が破れているのを見、ユーリアの全身はふたたびふるえはじめた。

 クビ。弁償。処罰――いや、王女様をこんな目に遭わせたのだから、まさか処刑か。

 

「ももももも申し訳――」

 

 目に涙が浮かぶ。こんなことではいけないと思うのに呼吸が塞がれているようで――。

 

 もがくように宙を掻いたユーリアの手を、暖かいなにかがつつんだ。

 

「大丈夫よ。ユーリア。ティーカップは割れていないの」

「あ……」

 

 引き戻された意識が現実に戻ってくる。

 が、ぬくもりのもとを認識して、ユーリアの意識はまた飛びそうになった。

 

 しっかりとユーリアの手を握っているのは、マデレーネの両手だった。

 白魚のような透き通った肌を持つ細いなよやかな指が、しっとりとしてあたたかな手のひらが、ふるえる手を支えるようにつつみ、我が胸元へとひきよせた。

 

「マママママデレーネ奥さ」

「ユーリア」

 

 おちついた声で名を呼ばれた。

 

「ユーリアの尊敬する人を頭にえがいてごらんなさい」

 

 わけもわからぬままにユーリアはアランの顔を思い浮かべた。育ててくれた父と母、仕事を教えてくれた執事のスウェイにメイド長のベルタ、ほかにも尊敬する人はたくさんいるが、ひとりだけと言われればアラン。

 身売りしたユーリアに本来どれほどの労苦が待っていたのかは知らずにすんだ。いの一番にアランが買い取ってくれたからだ。

 

「どうしてユーリアはその人を尊敬しているのかしら」

 

 誰とは問わぬマデレーネの声が頭の中に響く。水面を打つように過去の思い出がよみがえる。

 ぼろぼろの身なりをしたユーリアを、アランは冷徹な視線で一瞥した。そして――。

 

 『もう大丈夫だ』と、言ってくださった。

 先ほどのマデレーネのように。

 そのことに気づいた途端、ぴたりとふるえが止まる。

 

「マデレーネ奥様。……お許しくださるのですか?」

 

 マデレーネはうなずいた。おだやかなほほえみは、知るはずのないユーリアの生い立ちすら見通しているかのようで、けれどもそこに蔑みの表情は欠片もない。

 

「アラン様のよき妻となり、あなたのよき女主人となれるよう、わたくしも心がけます」

 

 握られたままだった手に力がこもる。

 サン=シュトランド城へくるまで、ユーリアの心は靴底でしか触れられてこなかった。城の外の人間は皆冷たいのだと思って怯えていた。

 しかし今から自分の仕えるこの方は違うのだと、ユーリアは理解した。

 

「食器は洗って元の場所に戻してちょうだいね」

「マデレーネ奥様……」

「ユーリア。わたくしには夢があるの。いっしょに歩んでくれるかしら」

「もちろん――」

 

 もう声は震えない。

 腹に力を込め、旦那様へと同じ、心の底からの忠誠を――、

 

「おらも精いっぱいお仕えいたしますだ!!!」

 

 ユーリアは、誓った。

 そしてすぐに、自分のふたたびの失態を悟り、膝から崩れ落ちた。

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