28.今宵の献立
「しかしマデレーネ様、セルデン伯は……」
「わたくしが先ほどのお話を明らかにしていただいたのは、それでアラン様の名誉が守られると思ったからです。お母様が借りたお金は、誰がなんと言おうと、お母様の責任です。皆様が責任を感じる必要はありません」
マデレーネは困ったように目を伏せた。
ゴードもリルケ夫人の言葉を思い出す。なにも起きないのなら言うまいと彼女は決めていたという。
それはおそらく、こうなることを見越してだ。
マデレーネを責める理由としていた借金が、自分たちを救うためだったと知ったとき、それぞれの胸に落ちたのは抱えきれないほどの悔恨だった。そして貴族たちは、その悔恨をセルデンへの恨みに変えた。セルデンだけは事情を知りながら心を痛めず、可哀想なマデレーネを利用しようとした。あれは非人間的な存在だと責めることで、罪の意識から逃れようとした。
だがマデレーネはそれを是としなかった。
「わたくしたちは対立するためにセルデン伯爵をお呼びしたのではありません。おもてなしをするためです。それは皆様も同じです」
セルデンも等しく客人であるのだとはっきり言われ、ゴードはハッとして身を引いた。
怒りに駆られて乱闘でも起こせば、結局はノシュタット家の名誉に傷がつく。
ふりあげようとしていた拳をおろし、しおらしくなった貴族たちに、マデレーネは笑顔をむけた。
「どうぞ、こちらへ」
(マデレーネ様は許してくださるおつもりだ)
先ほどの直感が正しかったことを知り、ゴードは握った手にじっとりと汗が浮かぶのを感じた。
悪意を持って訪れた客たちですら、マデレーネは真心からのもてなしをしようとしている。
――それはいったい、どれほどの覚悟からくる態度なのであろうか。
案内されて訪れた広間には晩餐の用意がされていた。
使用人たちが客を席へとつかせる。爵位の異なるセルデンとゴードは離れた席に案内された。
ゴードの隣に座ったのは、アーネス男爵という。セルデンの夜会に参加していたものの、ゴードの糾弾を黙殺しなにも言わなかった男だった。年かさの男爵から気まずそうにちらちらと視線を投げかけられ、彼もまた自分と同じように板挟みの立場にいたのだと気づく。
皆がそうだ。この先の展開がわからぬまま、何が正解かを悩んでいる。
「これは……北部の料理ですね」
ぼそりと話しかけられてゴードは顔をあげた。
「鴨肉の塩漬けや、旬の野菜。味付けも……わたしたちが食べ慣れているものです。テーブルに飾りつけられている花も」
「……たしかに……」
「使用人たちも北部の出身者だ。王都から呼びよせたという料理人の話は聞きましたが、そもそも、呼びよせるまでは王女は専属の料理人などいなかったということ」
冷静になって考えればそうだった。
貴族同士の結婚ですら、慣れた使用人の何人かは連れていくものだ。輿入れの前後は何かと物入りになるのも、支出が増えるのも当然のこと。
「わたしは、これ見よがしな王都風の料理が出てくるのだと思い込んでいました」
「わたしもです」
「よくできている。おいしいですね」
「ええ」
マデレーネは最初から、対立するつもりなどなかった。借金と引き換えに輿入れした己の立場をよくわかっていたのだろう。彼女がただの〝子爵家の妻〟になるつもりであるのは、この料理を見ればわかった。敵意を持ち込んだのは自分たちのほうだ。
だがそれすらも気にするなと、マデレーネは言う。
ところどころどんよりとした空気を漂わせている貴族たちとは違って、商会の者や親方連中は上機嫌で食事を褒めちぎっている。マデレーネの潔白が証言されたことで、ノシュタット領との通商に関する障害がなくなったのだ。貴族たちはもう口を出せない。
「しかし、我々のような者がマデレーネ様の厚意に甘えて通商を望むこと、アラン殿は許してくださるだろうか……」
最大の懸念はそこだ。アーネス男爵も頷く。
重苦しい胸のうちを吐き出したそのとき、ゴードの鼻に香ばしい湯気が入りこんできた。
「メイエル海老のポテトグラタンですだ」
緊張した面持ちの使用人がゴードの前に皿を置く。
「これは……」
「このために王都の料理人を?」
出された料理を見て、あちこちから驚きの声があがった。
大皿に乗せられたのは、半身に切られたメイエル海老。両手をあわせたほどの大きな体に身のたっぷり詰まった高級食材で、王都でのパーティには必須だと聞くが、海のない北部領では滅多にお目にかかることはない。
そのメイエル海老の殻に、こんがりと焼けたチーズ。チーズのむこうには赤い引き締まった身が見え隠れする。
立ちのぼる熱気を逃しつつ頬ばれば、濃厚なミルクとバターの香りのなかにメイエル海老の風味が溶け込み絶妙な味わいを引き出している。赤く爆ぜた殻からも凝縮された旨味が移りこんでいるようだ。
そしてそれらを支えるほくほくの食感と甘み――。
「これは……そうだ、先ほどポテトと言っていた」
「甘藷……?」
ゴードは驚いた。
彼らの知る芋は、土にまみれて、ひょろひょろと根の生える無骨そうな皮を持った、美味とは思えない見た目をしていた。それが、こんな甘みが隠されているとは。
(まさか、マデレーネ様は――)
皆が同じ気持ちなのだろう、あちこちから感嘆の声があがり、視線はマデレーネへと集中した。こびりついていた様々な先入観を、マデレーネが一つずつ拭い去った。誰もがマデレーネ自身の言葉を聞きたいと望んでいた。
心が開かれたのだ。
「皆様」
見守る人々の前で、マデレーネは凛として立っていた。
「わたくしは母の遺志を継ぎ、皆様との絆を結ぶために参りました」





