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27.ならば彼女の貧しさは

「わたくしから皆様へ、マデレーネ様が抱えていらっしゃるという借金について、お話しいたします」

 

 誰もが突如名乗りをあげたリルケ子爵夫人に注目していた。

 セルデンと袂を分かったとはいえ、〝貧乏王女〟と〝成り上がり子爵〟の事情に疑問を感じている者は多かった。それがわかっているからこそ、リルケ夫人は説明役を買って出たのだ。

 

「わたくしの夫は王都で出納役を務めておりましたから、王家の財政について実際に見聞きした立場です。マデレーネ様は、このお話が皆様の心の靄を取り払うのならばと、わたくしに許可をくださいました」

 

 そう前置きをして、リルケ夫人は語り始めた。

 

 ことの起こりは、十数年前。当時妃となったマデレーネの母エリンディラは、国内の財政改革を行おうとしていた。

 領地をめぐり、技術を伝え、制度を整え、領主たちを援助した。飢饉となった際にも国が耐えられるように。

 領主たちは喜んで彼女を迎え入れたが、一つだけ受け入れようとしないことがあった。

 食事の変化である。

 

 増える人口に対応するには、場所を選ばず、比較的手間のかからない食物――芋類を、というのがエリンディラ妃の考えた施策であった。だがそれらは貴族たちにより、「家畜の餌を食えというのか」とはねつけられた。

 

 大規模な飢饉とそれに続く疫病が国を襲ったのはそのすぐあとだ。

 

「エリンディラ妃は北部にも駆けつけてくださいました。もともと作物の少ない北部は特に被害が大きかったからです。わたくしも含め、皆様は寄ってたかって援助を求めましたね。妃はそれに応えた。ここで耐えればまた国がゆたかになると。いまは希望を見せるべきだと――ですが、エリンディラ妃もまた病に倒れ、援助は打ち切られました。それが十年前の話です」

「そんなことは……そんなことはわかっている! 我々の親類も多く亡くなった、あのときは皆が貧困に喘いで――」

 

 叫んだ一人が、ハッと口を閉じた。

 自分の言った中に答えがあったことに気づいたからだ。

 

「まさか……」

 

 応接間はふたたびざわめきに包まれた。

 誰もが同じ推測にたどりつき、かつまたそれが外れていればいいと思った。

 

「そうです」

 

 無慈悲にも思えるリルケ夫人の一言が、その推測を肯定する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それ以前の国内への投資で、王家の財政に余裕はなかった。わたくしたちを援助するため、エリンディラ妃は自らの名で借財なさった……それが彼女の死により、王家へ、そしてマデレーネ様へと移ったのです」

 

 集まった人々に動揺が走った。ゴード男爵もぽかんと口を開けている。蝋燭の灯された明るい部屋も、煌びやかな衣装をまとった人々も、食前酒の香りも、すべてが遠いもののようだった。

 やがてすべり落ちるように呟かれたのは、懺悔の言葉。

 

「ならば――ならば、マデレーネ様の貧しさは、我々が原因で……?」

「飢饉が起きたとき、マデレーネ様はまだ物心ついたばかりの六つのお歳でした。ですからエリンディラ妃が作ったという借金が北部領への援助であるということはご存じなかったのです」

 

 母親が作ったからという理由で押しつけられた借金と〝貧乏王女〟の汚名を拒絶することなく、マデレーネは粛々と生きた。

 イエルハルトの望みどおり、彼女を娶り、借金の肩代わりをしてくれる者が現れるまで。

 

 リルケ夫人がアランを見る。その場にいた客人たちの視線もつられた。

 いまはもうほほえみを消し去ったアランの表情は冷たいもののように見えたが、その瞳の奥に宿る熱は感じられた。

 

「借金の原因に気づいておられたのは、アラン様だけでしたでしょう」

 

 リルケ夫人の唇から重いため息が漏れた。

 

「わたくしたちは、王家を頼っておきながら、自分たちとは別の存在だと考えていました。資金をくれたのだから金はあるに違いない、援助ができるのだから金があるに違いないと――王女が苦しんでいるはずはない、苦しむならそれは、自業自得だと」

「……では、アラン殿は……我々のかわりに」

 

 北部領は、エリンディラ妃の提案を拒絶し、飢饉で苦しんだ。

 マデレーネはその北部領のための借金を負わされ。

 唯一エリンディラ妃からの援助を受けなかったノシュタット家が、その借金を肩代わりした。

 

 ノシュタット家が成り上がったのは、いち早く飢饉を抜け、他領に小麦を売りつけたからだ。

 ではなぜそんなことが可能だったのかといえば……。

 

「我が家はもとから領民たちとの隔たりを少なく努めてきました。使用人たちと食事をとることもあった。それは父の代からの慣習です」

 

 アランが静かに告げる。

 貴族たちが〝農民食〟と蔑み拒絶したレシピを、ノシュタット家は受け入れた。所領の隅々にまでレシピはいきわたり、領民を救った。

 ただそれだけのことだったのだ。

 

 ゴードはセルデンを見た。不敵な笑みを浮かべてはいるが、皺の深まった顔は青ざめ、腹の前で握られた両手はふるえている。良心の呵責に苦しんでいるにしては違和感があった。

 その理由はすぐに知れる。

 リルケ夫人はセルデン伯の前へと歩みを進めると、閉じた扇で彼を示した。

 

「セルデン伯爵はそのことについてご存じだったはずです。なぜなら王家に貸し付けをしたのは伯爵の懇意にしていらっしゃるフォルシウス公爵閣下なのですから」

「セルデン伯が……!?」

 

 今度こそ、応接間は渦を巻いたような興奮に包まれた。

 マデレーネの抱える借金について、セルデンが知っていたというのなら。

 

(俺たちは最初からコマ扱いだったんだ……)

 

 悪いのは浪費をした王女だ、そこに付け込んで王女を娶ったアランだと焚きつけて、対立を煽ろうとした。

 

 ゴードは怒りで引きつった表情でセルデンに向き合った。セルデン伯のサロンに参加していたほかの者たちも同様である。

 イエルハルトとマデレーネの確執を知らない彼らにはなぜセルデン伯がそんなことをしたのかはわからなかったが、自身が欺かれたこと、利用されようとしていたことはよくわかった。

 

「これはどういうことですか、セルデン伯爵!」

「我々を軽んじていたのはあなたのほうではありませんか!」

「ぐ……」

 

 追い詰められたセルデンは、それでも傲岸な笑みを浮かべていたが、それはもはや負け惜しみにしか見えなかった。

 

(騙された! 騙されて、無実の王女を責めた! 悪いのは誰だ――セルデン伯爵だ)

 

 息を荒くし、ゴードは血走った目でセルデンを睨みつけた。

 ゴードだけではない。殺気だった貴族たちはじりじりとセルデンに詰め寄る。

 

 と、息をひそめて見守る人々の前で、ゴードとセルデンのあいだにふわりと割り込んだ影があった。

 

「――皆様、晩餐の支度ができました。広間へお越しくださいませ」

 

 今にもつかみかからんばかりだった勢いが削がれ、ゴードは目を丸くした。

 彼の前でほほえむのは、マデレーネだった。

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