26.太鼓持ち男爵は突撃する
(聞いてた話と違うぞ)
ノシュタット家の晩餐会を訪れたゴード男爵の思いは、その一言に尽きた。
ゴード男爵は領地から出たことがなかった。王家とのやりとりを円滑に進めるため、爵位のある家は王都にも別邸を持つ。当主は別邸と領地の本邸を行き来するのが普通だが、ゴード家の場合、その役目は弟に任されていた。
理由は単純――弟のほうが、有能だったからである。
兄弟の序列に従って当主の座に就いたものの、実質的な支配権を握っているのは弟だ。その弟というのができた人間で、王都では身体の弱い兄を立てるようなことしか言わない。兄を軽んじればまだ退ける手もあったろうに、王家とのつながりも父の寵愛も弟のものだった。
だからこそ領地については失敗するわけにはいかない。様々な事業を起こし、自分にもやればできるのだと示してみせた。万全を期すため、北部領でもっとも権力のあるセルデン伯に近づいた。セルデン伯はお抱えの商会に融通を聞かせてくれ、ゴード領での交易量を増やしてくれた。
セルデン伯がいたからこそ、彼は領地では弟を忘れ、当主の顔をしていられたのだ。
セルデン伯の命令はいつでも正しいはずだった――それが。
(話が違う)
寄り添い、歓迎のほほえみを浮かべるノシュタット子爵夫妻を見つめ、ゴード男爵は歯車の食い違いを悟った。
王家の金を遊びで使い尽くし金を目当てに子爵家へと降嫁した恥知らずのはずの王女は、そうは思えぬ優雅さで男爵を迎え、男爵家の名産である蜂蜜の話をした。
「花が違えば味も香りも違うのですね。ゴード男爵肝いりの事業だと聞いておりますわ」
長らく敵対関係であったはずのノシュタット子爵は、これまでのことなどなかったようにやさしい表情で挨拶をした。
「どうも、ゴード男爵。ご無沙汰しておりました。こちらが妻のマデレーネです」
ちなみにこの台詞も何十回と練習された台詞であるが、もちろんゴード男爵は知らない。
差し出された手を握ると、純白の子山羊のむこうに豆だらけの手を感じた。城で椅子にふんぞり返っている者の手ではない、手綱を握る者の手だった。せめて領地だけはと動きまわっているゴードにはそれがわかった。
マデレーネはリルケ夫人と親しげに語る。これも思わぬことだった。
(なんだ、この婆さん……近頃サロンへ顔を見せないと思ったらすっかり雰囲気がかわってやがる)
なお一層ゴード男爵を困惑させたのは、晩餐会の場に養蜂と工房を任せている親方まで招待されていたことであり、その彼が上機嫌で事業の展望を語り聞かせてきたことだった。
「いやあ、話がわかりますね、ノシュタット様は。今回の晩餐会で食材を運んだっていう商会の者に引き合わせてくれました。うちの蜂蜜を王都にまで出荷できるかもしれませんぜ!」
「ま、待て、我が家はセルデン領を通って、西部領へ……」
「ここだけの話、セルデン領は税が高いし売上も悪い。別の販路を探したほうがいいですぜ、旦那様」
「な……」
そんなことをセルデン伯に聞かれたら、と青ざめるゴードに、親方はさらに続ける。
「蜂蜜っていうのはいまの王都にはないんだそうです。ヴァルデローズは常春の国だが、南へ行けば暑すぎる。夏の暑さをしのげる場所じゃなきゃいけません。旦那様が養蜂に目をつけたのは大当たりだったんですよ」
「大当たり……」
親方の目は、「セルデンとは手を切ってノシュタットと組みましょう」と訴えかけている。
ぐう、と喉が奇妙な音を立てた。
儲けの話に喜んでいる場合ではなかった。いったい自分はなんだったのだ。せめて領地だけはと、事業に投資し、セルデン伯におもねり、必死で成長させてきた自分は。王都で最大のダグマル商会はフォルシウス公爵の庇護を受けている。そこへ話を通してもらうべく、セルデンに擦り寄ったのに。
足元が崩れ落ちるような錯覚にとらわれ、思わずハンカチで汗をぬぐうゴードに、親方は無自覚なトドメを刺した。
「本当のことを言やあ、最初からノシュタットの旦那と組んでれば、今頃何倍も稼げてたでしょうね……」
「……!!」
ぷつん、と糸が切れたような気がした。かろうじて自身を〝ゴード男爵〟たらしめていた糸が。
立ち尽くしたまま、視線だけがきょろきょろとあたりを見まわす。アランとマデレーネ、そしてセルデン伯。両者のあいだを視線は行ったり来たりした。
見比べて、ゴードは気づいてしまった。
マデレーネは優美であり、アランは気高い。
それに比べ、セルデンのなんと頼りないこと……。チェリー酒のグラスを片手ににやついた笑みを浮かべながら、視線だけはちらちらとゴード男爵に走らせ、いつアランを糾弾するのかそればかり気にしている。
これまではほかに比べるものがなかったのだ。弟と比べられ続けた自分が誰かを比べるなど怖くてできなかった。
ゴードは立ち尽くした。
(選べない……)
セルデンの指示どおりノシュタットの敵にまわれば、領地じゅうの商売人からそっぽを向かれる。しかしノシュタットの側につけば、これまでに積み重ねてきた地位が崩れ去る。
――マデレーネと視線があったのは、そんなときだった。
先ほどから自分をちらちらと見ているゴードの視線に気づいたのだろう。マデレーネはゴードを見、その顔が青ざめているのを知ると、ほほえみを消して心配そうな表情になった。
セルデンからはついぞ向けられたことのないやさしさであった。
反射的に、ゴードは近づこうとするマデレーネを指さした。
(マデレーネ様は許してくださる)
本能にも似た直観がそう言った。
その確信は藁にも縋りたい思い込みだったのかもしれない。だが己の判断を検討する余裕なく、ゴードは声をはりあげた。
「私はこの結婚に反対です!!」
応接間のおしゃべりがぴたりと止む。
「アラン殿。あなたは借金のカタに王家をゆさぶり、無理やり婚姻を結んだとか」
周囲の奇異の視線をひしひしと感じながら、ゴードはなおも言い募った。
「王家との結びつきを利用して、公爵位を得、我々から北部領を奪いとるつもりではありませんか!!」
しん、と広間に沈黙が満ちる。
ゴードに呼応してあがるはずの賛同の声はなかった。数か月前に気焔をあげていたサロンの仲間たちは、早々にセルデン伯から離れ、ノシュタット家につくことに決めていたらしい。誰もがゴードから顔をそらし、それどころか「いったい何を言っているのか……」と囁きあっている者までいる。
セルデン伯をふりかえれば、我関せずといった顔でグラスに口をつけている。
(なんだ……)
地面が崩れ去ったように、全身から力が抜けた。
(また間違えた)
セルデンは最初から、信頼を預けるに足る人物ではなかったのだ。そしてそれは自分も同じ。
人を見る目も、情勢をさぐる頭脳も、持ち合わせてはいない。
(狼藉の責任をとって当主を降り、弟に家督を譲るよう父上に進言しよう)
ゴードがそう思ったときだった。
「それは違いますわ、ゴード男爵」
凛とした声が応接間に響いた。マデレーネのものではない。
その声の主はリルケ夫人。
「なにも起きないのなら言うまいと思っておりましたが、そのような讒言を口にされるのなら、わたくしからも申しあげることがあります」
夫人はマデレーネにちらりと視線を送った。マデレーネが頷く。
晩餐会の前夜、夫人はノシュタット家を訪れ、セルデン伯の企みを打ち明けていた。そしてマデレーネにこう言ったのだった。
「わたくしから皆様へ、マデレーネ様が抱えていらっしゃるという借金について、お話しいたします」





