25.それぞれの思惑
笑顔で客人を出迎えながら、アランは相手の空気が明らかにゆるむのを感じた。
警戒して応接間に足を踏み入れた客が、アランとマデレーネの笑顔にぶつかるなりほっと息をついて緊張を解くのである。
自分の社交嫌いはよほどに広まっていたらしい、と自覚する。マデレーネに諭されなければ一生気づかなかっただろう。
ちらりと隣を見れば、マデレーネはこやかな笑顔で客人の応対をしている。
(それにしても……王家はずいぶんと宝の持ち腐れをしていたものだ)
マデレーネの武器は心の素直さだけではない。農業や開墾、ノシュタット領の詳細な地理や生産、さらには周辺領の経済まで莫大な情報を把握する能力である。
ノシュタット領の発展は彼女が嫁いだことによって速度を増している。
(彼女のこの優秀さを知っていれば、王家は手放すことなど考えなかったのではないか)
管財人の言うとおりであった。彼女を自由にさせておけば、ノシュタット家が王家に支払った〝支度金〟など、数年で取り戻せる。
(だが、だからこそ彼女には穏やかに暮らしてほしい)
マデレーネの力を知ってしまった今、彼女を王都に帰すのは憚られた。彼女を欲しがる貴族はいくらでもいるだろう。そして一度〝成り上がり〟に嫁いでしまった彼女を、イエルハルトはどんな男にでもくれてやるに違いなかった。
(できれば、このまま俺と――)
晩餐会の喧噪の中、アランは変わりつつある己の心に気づき始めていた。
***
同じ夜、ノシュタット領から遠く離れた王都では、イエルハルトがワイングラスを傾けて薄笑いを浮かべていた。
「そろそろ晩餐会も始まるだろう。セルデンからの手紙では、晩餐会の場でノシュタット家を糾弾すると……ふふ、結果が楽しみだな」
カイルは何も答えない。そんな自分の態度もイエルハルトを楽しませるとわかっているからこそ、腹が立って仕方がなかった。
今夜は星が少ない。窓の外の満月は、明るすぎる輝きで周囲の星々を霞ませてしまう。奇妙に胸騒ぎがした。晩餐会でアランとともにマデレーネが糾弾されるからだろうか。それとも……。
無言で礼をとり部屋を出るカイルを、イエルハルトの笑い声が蛇のように追いかけてくる。
逃れようと足を速めたカイルの前に、一人の侍従が飛び出してきた。
「もっ、申し訳ありません! ですが、国王陛下が目を覚まされて、お話を……!」
「父上が!?」
「はい。皆様をお呼びです。急ぎ知らせなければと」
カイルは走り出した。病状の進んだ国王は一日のほとんどを昏睡状態ですごし、目を覚ましたとしても意識は朦朧としている。会話ができることは稀だった。病床の国王を毎日見舞うのはカイルと、宮殿にいたころのマデレーネだけで、イエルハルトは同じ宮殿に住んでいるというのに顔を見ようともしない。
「父上!」
駆けつけたカイルに国王はふりむいた。
瘦せこけた青白い顔。けれどもその目ははっきりとカイルをとらえ、口元にはわずかな変化があった。
(笑ってくださった)
それだけで涙が滲みそうになる。マデレーネがいなくなってからというもの、カイルの周囲からは徐々に人が減っていった。自分と同じく王位継承権を持つ弟が万が一にもおかしな気を起こさぬよう、イエルハルトが手をまわしたのだ。
仲のよかった貴族子息や侍従たちは皆、宮殿を追い出された。マデレーネもこのようなつらさを抱えていたのだとカイルは思う。
「カイル……」
枯れ枝のようになった手が頭を撫でる。
「父上……申し訳ありません。マデレーネは……マデレーネは、わたしが父上のお言いつけを守れなかったせいで……」
声をふるわせるカイルに国王はなにがあったかを悟った。
もとより、マデレーネが宮殿にいるならば、カイルとともに駆けつけるはずなのだ。
「そうか……マデレーネはどこへ?」
「ノシュタット子爵家に嫁ぎました。王家の借金と引き換えに……」
「ノシュタット……北部領の家か」
国王はため息をついた。そこに安堵が含まれている気がしてカイルは顔をあげる。
「ならよい」
もう一度、こぼれ落ちるような吐息とともに王は頷いた。カイルにとってみれば驚きの言葉だった。
「よい、とは?」
「ノシュタット子爵なら、息子のアランであろう。彼はマデレーネを手荒に扱わぬ」
「……かの者を、ご存じなので……?」
「会ったことはないが、エリンディラから話を聞いた。……わしがマデレーネを政略の道具に使わぬように命じたのはな、カイル。あの子の価値に気づく者がいれば、国が荒れるからだ」
「……!?」
「あの子は聡明な子だ……しかし無欲だ。だから穏やかな暮らしができていた。しかしあの子が持つ知識……なにより迷わぬ心の強さ。それに気づき、悪用する者が現れたとき、国は必ずや荒れる。だから……」
ぐっと痩せた胸がせりあがる。身体を丸め、大きな咳を繰り返す国王の背を支えながら、カイルは父の言葉に混乱していた。
父の知らぬあいだにイエルハルトに虐げられ、満足に食事すら与えられず、襤褸のようなドレスをまとっていたマデレーネ。それが穏やかな暮らしだとは到底思えない。だが不安を語る国王の声色はそれ以上の恐れをまとっていた。
「父上、大丈夫ですか」
「あの子が北部領で、小さな子爵家で暮らすならそれもよい。あの子が幸せならば」
「幸せだ、と……手紙にはありました。使用人たちとも仲良くやっているようで……あの家にずっといたいと……」
「そうか。中央から離れたことはよかったのかもしれぬ」
国王は安心したように目を閉じた。身体をベッドに横たえ、ほほえみを浮かべる。
「さあ、カイル。マデレーネばかりでなく、次はお前の話を聞かせておくれ」
「父上……」
(マデレーネは、穏やかな暮らしを送れないのです。兄上はあの子を苦しめようとしてしまう)
喉まで出かかった言葉を、カイルは飲み込んだ。
マデレーネからの手紙には、子爵家での暮らしがどれほど充足したものであるかが綴られていた。できればずっとここにいたいのだと、マデレーネは願っていた。
カイルが無暗に引っ掻きまわしたからといって、ノシュタット家以上の居場所が彼女にあるだろうか。
「わたしは……近頃、ダルグレン侯爵の次女殿と、知り合いまして……」
先ほど己の胸によぎった不安から目を逸らし、カイルは頼りない希望に縋ることにした。





