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24.笑顔の特訓

 和解とは、互いに一定の信頼があるからこそできるものだ。信頼なく紡がれた言葉や、信頼なく結ばれた約束を、誰があてにできるというのだろう。だからこそアランは周辺領との交渉を最低限に抑えてきた。意味がないと思ったからだ。

 マデレーネの言い分には大きな欠陥がある。

 

 こちらが真心を見せれば相手も真心を見せると、理屈のすべてが人間の対等さに置かれているところ。

 その前提が破られたとき、一方的に傷つけられ裏切られるのはノシュタット家の側になる。

 

「あなたの考え方は正しく美しい。だが現実はそれほど甘くない」

「……旦那様」

 

 マデレーネは眉をさげながらも、まだほほえんでいた。

 

「裏切られることはないと思いますわ」

「……?」

 

 思わぬ反論にアランの動きが止まる。

 

「ヴェロニカ様のお話では、セルデン伯のサロンを訪れる顔ぶれは多く見て十数名ほどだそうです。爵位を持つ方やその奥様がほとんど。けれどわたくしどもが招待したお客様はその四倍にあたり、かつ貴族階級でない方も多数含まれます。商会や組合ギルドの方々です」

「……」

 

 そういえばそうだった、とアランは思い出した。

 招待客のリストはマデレーネが作成し、アランも目を通した。周辺領の主だった工商人たちも呼ばれており、中にはアランの知らない商会や組合ギルドもあった。

 

「いくら上に立つ者が旗を振ろうと、実際に働いて富を生み出している方々がそのとおりに動くとは限らない。だから旦那様も視察を欠かさず、できるだけ領地の実情を知ろうとしていらっしゃいます。逆を言えば――」

 

 ほんの少し、照れくさそうにマデレーネは咳払いをした。

 

「彼らを味方につけることができれば、領主といえどもノシュタット領をないがしろにする政策はとれません。それに我が家にはいまヨハンがおります。王都との販路を開拓し、これまで北部領には届かなかった交易品を仕入れている」

「……他領の商会は、俺と話をしたがるでしょうね」

「そんなときに旦那様が仏頂面をしていらっしゃるのと、お客様を迎える心でにこやかにしていらっしゃるの、どちらがよろしいでしょう?」

 

 にっこりとほほえみ首をかしげながら、マデレーネはまた自分の顔を指さした。

 わざわざ言わなくとも答えは明白だ。

 むしろ、そんなことにすら気づかなかった自分の間抜けぶりを自嘲したくなるほど。

 

「旦那様、社交とは、いらした方々を理解するための場なのですわ。そのためにはこちらがまず真心をもって接しなければなりません。そのうえで無礼な態度をとられたならそれは仕方がありませんが……始まる前から何もしないことを決めているなど、わたくしの晩餐会では許しません」

 

 笑顔からうってかわって、腰に手を当て、背伸びをしながら、マデレーネは言った。眉はより、口はへの字に引き結ばれている。

 

(まったく怖くはないが……)

 

 おそらくはそれが彼女の精いっぱいの虚勢。自分を大きく、恐ろしげに見せる術など、彼女は知らない。

 だが、そんな小手先のものではない器の大きさを、アランは感じとった。

 

「あなたは、戦う気なのですか」

「仲直りの前には、頬を叩かれることもあるということです」

 

 それでも矢面に立つには勇気がいる。アランだって強い人間だと自負している。だが人の悪意にさらされることを自ら望むほどではない。

 

(勇気――そうか)

 

 マデレーネは悪意の先にある心を信じている。悪意に包み込まれ道を見失った人間が、それでもかつては持っていたはずの真心を。

 媚びる笑顔ではなく、心を開くための笑顔を見せろと、マデレーネは言っている。

 

「……そのために、俺の笑顔が必要なのですね?」

「はいっ!」

 

 問えば、ついに伝わったとマデレーネは喜びに目を輝かせた。これまでで一番の満面の笑顔で見つめられて、アランの頬が染まる。

 こういった表情も、関係を築かなければ見ることはない。

 

「わかりましたよ……完敗です」

 

 アランはため息をついた。

 マデレーネは正しい。儀礼上しかたなく披露目の晩餐会を開き、嫌々ながら客をもてなしたというのなら、それはセルデン伯たちの形式主義と変わるところがない。

 

「ただし俺は本当に笑うのが苦手です。社交の場も嫌いです。マナーは知識として知っていますが、タキシードに身を包んだことは数回しかありません。いいですね?」

「ええ。なんのためにわたくしのお部屋に旦那様をお呼びしたと思っているのですか」

 

 並みの家庭教師なら顔が引きつりそうな申告だが、マデレーネは自信に満ちた顔で胸に手を置いた。

 

「わたくしの部屋には姿見があるからですわ。これで全身のチェックができます」

 

 指さす方向に視線を向け、アランはそこに無表情な己を見た。笑顔だけではない。不安も恐れも、ありとあらゆる感情を表に出さぬよう自分を律しながら生きてきた男の、完成された鉄面皮がそこにはあった。

 我ながら、この男がにこやかな表情を浮かべるとは思えない。

 

(……早まっただろうか)

 

 そんな不安が脳裏をかすめたものの。

 マデレーネの特訓のかいあって、アランはリルケ子爵夫妻の度肝を抜いた笑顔を身に着けたのであった。

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