23.晩餐会の始まり
サン=シュトランド城は、十数年ぶりのざわめきに包まれていた。
スウェイは招待状を確かめると応接間へ案内する。集まった貴族たちはアランへ、それから互いに挨拶を交わしあう。メイドたちが飲み物を配る。
その裏では、ヨハンとリュフがキッチンで大わらわであった。この日のために準備は万端に整えていたとはいえ、当日はめまぐるしいスケジュールになる。下働きの三人もあちらこちらへ走りまわる。
ノシュタット家の誰もが内心に緊張を抱えながら、不慣れを表には出さぬようほほえんでいた。そんな空気を感じとれるのはアランとその妻マデレーネのほかは、リルケ夫人だけであったろう。
リルケ夫人は子爵とともに入室した。
すぐに出迎えたマデレーネは花のほころぶような瑞々しい笑顔を浮かべ、リルケ夫人は年甲斐もなく心の浮き立つような気持ちになる。この城を訪れたときはいつもそうなのだ。
「ようこそお越しくださいました、リルケ子爵、ヴェロニカ様」
「こちらこそお招きいただいて光栄ですわ、マデレーネ様」
「アランもすぐに参ります」
そう言ってマデレーネは背後をふりむく。
いよいよアランとの対面である。
リルケ夫人がサン=シュトランド城に滞在するあいだ、アランはきまって外出していた。マデレーネによれば避けられているのはリルケ夫人ではなく彼女なのだという。
周辺領の貴族たちから孤立していたアランを、過去のリルケ夫人も嫌っていた。当然、会話をかわしたこともない。夜会や晩餐会で鉢合わせしたときには睨みつけていた。
自身の所業を申し訳なく思い、謝りたいと願ったが、城にいないアランにまた怒りは大きくなった。領民から好かれているとはいえ、妻であるマデレーネを放っておくとは。仕事人間であったリルケ子爵にも通じるのかもしれない。
(どんな偏屈な男なんでしょう、お可哀想なマデレーネ様)
セルデン伯がマデレーネについての情報を操作していたことは事実だ。だが、それとは別に、アラン自身はセルデン伯以外の人間からもいい噂を聞かないのである。
マデレーネはアランを憎からず思っているようだから、自分の目で確かめてみなくてはなるまい。
(マデレーネ様に相応しくないお方なら、わたくしにも考えがあります)
そう身構えるリルケ夫人の前に現れた男は――、
「ようこそいらっしゃいました。リルケ卿、リルケ夫人。私がノシュタット家当主、アランです」
マデレーネの頬がわずかに上気する。目が細められ、深みを増した瞳にリルケ夫人は何かを感じたような気がした。
けれどもその正体がわからぬうちに、リルケ夫人の視線はマデレーネが視線を向ける先、アランへと釘付けになる。
(想像していた方と違うわ)
そつなくタキシードをまとったアランは夜会慣れした雰囲気で、優雅に会釈をした。すらりとした長身に整った顔立ち。
なにより、はっきりと正面から二人を見つめる力強い視線と、口元に浮かぶやわらかなほほえみが、アランが真心から彼らを迎えていることを示していた。
――そう、アランは、ほほえんでいたのである。
「私の不精により、長年このようにご挨拶をすることもできず、申し訳ありませんでした。今夜はぜひゆっくりとお楽しみください」
おだやかな声が耳を打つ。
リルケ夫人は思わず夫を見た。彼ならアランと面識があろうと思ったのだ。妻の動揺した視線を向けられたリルケ子爵もまた、ぽかんと口を開けていた。
「あとでまたお話しいたしましょう、ヴェロニカ様」
マデレーネに言われてハッと我に返ると、アランと彼女は次の招待客へと挨拶へ移っていくところだった。
ようやく我に返ったリルケ子爵が「ふむ」と呟きを漏らす。
「君といいノシュタット子爵といい、マデレーネ様に関わった者は性格が変わるのかい?」
「どういうこと?」
「無愛想で、笑顔なんて見たことのなかった男だ」
声をひそめる子爵が誰のことを指しているのかは一目瞭然だった。
もう一度アランをふりむき、リルケ夫人は口元をゆるめた。
警戒するリルケ夫人の心を不意打ちの笑顔で突破し、過去を水に流すと態度で示したアラン。
「そうね、きっとマデレーネ様のお力だわ」
そしてそれは、当たっていた。
*
晩餐会がひと月と迫った頃のことである。
使用人たちに半ば騙されたような形で休暇をとってから、アランがマデレーネとともにすごす時間は増えた。ぽつりぽつりと会話も成り立つようになってくる。
話題は主に領地経営についてだが、マデレーネは時折子どもに語って聞かせるような滑稽話を教えてくれることもあった。ユーリアの村で飼い始めたという羊と羊ベッドの進捗を教えてくれることもあった。
アランはそれを聞きつつ、子どものような無邪気な一面を持つのだなというほほえましい印象を深めていた。
マデレーネから自室への誘いを受けたのは、そんなときだった。
「――旦那様」
いつになく鋭い視線で見つめられ、アランはたじろぎそうになるのを堪えなければならなかった。
使用人たちが「奥様はたまに迫力がある」と言っていたのを思い出す。いまのマデレーネは、いつものほほえみを浮かべてはいるが、目の奥に有無を言わさぬ決意があった。
「わたくしは晩餐会の準備のほとんどを取り仕切ってまいりました。旦那様はわたくしに、思うようにしろとおっしゃいましたね」
「……ええ」
アランは頷いた。
会話の折りに報告や相談を受けてはいたが、式次第から飾り付け、料理のメニューに至るまで結局マデレーネに一任してしまった。
「最後に一つだけ、足りないものがあるのです」
「なんでしょう」
そわそわとしたものを感じながらも、アランは尋ねることしかできない。
そんなアランに――今度はにっこりと深い笑みを浮かべ、マデレーネは自分の顔を両手で示して見せた。
「旦那様の笑顔です」
「……」
「……」
「……」
「さあ、どうぞ」
マデレーネの手がアランをむく。その意図を理解はしても、行動に移すことは難しい。
アランとマデレーネはじっと見つめあう。マデレーネの自室で熱視線を交わしあうなど、リュフにでも見られたらなにを言われるかわかったものではない。マデレーネの人払いによりリュフどころかユーリアまでいないためその心配はないが、こんな理由だったのかと合点がいく。
「先日は笑ってくださったではないですか」
「……二か月前の話ですが……」
「はい。あの笑顔がとっても素敵でしたので、ぜひもう一度と思いまして」
(……もしや滑稽話を聞かされたのは、俺が笑うかと思ってなのか?)
子どもむけの、駄洒落のような話もあったことを思えば、マデレーネにとって自分はどのような存在なのだろうかとなんとなく微妙な気持ちになる。
「あまり、笑うことは得意ではないのです」
マデレーネがつらいときでも笑顔を絶やさない人物なのはわかる。そのほうが周囲に安心を与えるだろうということも理解している。
だが弱冠十二歳で当主の座を受け継ぎ、歯を食いしばり続けてきたアランにとって、他人の心を慮り愛想笑いを浮かべるというのは、あまり気持ちのいいものではなかった。
領民も使用人たちもそんなアランを受け入れている。
しかし、マデレーネは違ったようだ。
「旦那様。わたくしは晩餐会の責任者ですね」
「……そうです」
「足りないものが一つだけあると申し上げましたね」
「……」
許すつもりはない、と鉄壁の笑顔が語っている。
「晩餐会の目的は、旦那様とわたくしの婚姻をお披露目したうえで、王家におもねるわけではないということを周辺領の皆様に知っていただくことです」
「ええ」
アランも頷く。
マデレーネが輿入れしてきた途端に披露目の席を要求したセルデン伯。彼の目論見は、アランが王家に擦り寄っているという印象をほかの貴族たちに与え、アランを孤立させること。
ならばアランとマデレーネが目指す晩餐会は、彼らと敵対するのではなく支持を得るような場だ。
「そのためには全力でおもてなしをしなければなりません。笑顔は大切ですわ」
それはアランもわかっていた。だが、もてなすということは――。
「……それとも旦那様は、許すことができませんか?」
マデレーネの言葉が、アランの本心を掬いあげた。
「――……」
なにを、とマデレーネは言わなかった。一つ一つ挙げていくには数が多すぎる。
若くして領主となったアランに、救いの手を差しのべるどころか、嘲りをぶつけたこと。復興したノシュタット領を妬み、〝成り上がり〟と呼んだこと。夜会や晩餐会で敵意の視線をぶつけてきたこと。
セルデン伯のように、笑顔の裏でアランを陥れようとすること――。だからアランは笑顔が嫌いだった。
「それを考える場にしませんか、旦那様」
「え?」
「招待状をお出しした皆様が、本当にわたくしたちと相容れない方々なのか、それともお話をすればわかってくださる方々なのか」
マデレーネは変わらぬほほえみを浮かべている。
その笑顔にエリンディラ妃の笑顔が重なった。アランのまだ幼いころ、エリンディラ妃は国内の領地をめぐっていた。北部も訪れ、サン=シュトランド城にも立ち寄った。マデレーネのほほえみは彼女と同じものだ。
「そうでなければ、いつまでも同じことです。互いに相手が悪いのだと言いあって、反目し続けるばかり」
無条件に相手を信じ、食いつくされることを厭わない者の慈愛のほほえみ。
マデレーネは知らない。エリンディラ妃はそのせいで――。
「それで……どうするのですか。相手が聞く耳持たなければ。相手から出てきた言葉が自分を傷つけたら。相手が笑顔を見せながらこちらを裏切ったら?」
アランの口から思わず本音がこぼれた。





