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22.ノシュタット領への道のり

 常春の国の北部では、穏やかな夏が短くすぎ去り、眩しいほどだった新緑は視界を染める紅に変わろうとしている。

 秋が訪れつつあった。

 

 マデレーネの輿入れから半年、披露目の晩餐会が数日後に迫っていた。

 主だった仲間たちと誘い合わせ、セルデン伯はノシュタット領へ向けて移動の中途。

 彼にとっては待ちに待った、といってよいだろう。いち早く王都との縁を結んだ自分を差し置いて北部交易の覇者となったノシュタット家を、彼はこの十年来ひそかに目の敵にしていた。その牙城がついに崩れ去るのである。

 

 王女を迎え、経済のみならず地位すらも北部領で突出せんとするノシュタット家は周囲の家からの反感を買う。そうなれば、交易の断絶を周囲に呼びかけることは容易いであろう。そうなれば――とセルデンはさらに想像を逞しゅうする。

 ノシュタット領に潜ませた部下たちが商人の反発を煽る手筈になっている。領主のせいで交易が断たれたと知れれば、かの家は苦境に立たされる。領主であるアランさえ廃すればあの家に跡継ぎはいない。浮いた領地の管理を、王家はセルデン家に任せてくださるはずだ。

 

「ここ一番の役目は、君に任せるよ、ゴード男爵」

「は、はいっ」

「うまくいけば君にも便宜を図ろう。わかるね」

 

(幸せの絶頂から地獄へ突き落してやる……)

 

 思わず漏れた歪んだ笑みを、不安げな顔つきで見つめるのは、同乗を許されたゴード男爵であった。

 

 

***

 

 

 セルデン伯の馬車から二台先、大鷹の紋章付きの馬車でも、晩餐会を心待ちにしている人物がいた。

 リルケ子爵夫人ヴェロニカである。

 

 すっかりマデレーネと意気投合した彼女は、サン=シュトランド城をたびたび訪れながらも、夫以外に訪問を告げることはなかった。マデレーネの言うとおり、セルデン伯たちを説得することは不可能だろうと考えたからである。

 自分のように、マデレーネに直接会い、彼女のもてなしを受けなければ、凍った心を溶かすことはできない。

 

(マデレーネ様にお会いになれば、皆様もきっと……)

 

 照りつける日差しを窓越しに浴びながら、リルケ夫人は思った。それほどまでにマデレーネの心はあたたかい。王都で常春の姫君と呼ばれていたのはこのことだったのだ。

 

「楽しそうだね」

「えぇ、もうすぐですもの。あなたも驚くでしょうね」

 

 このところすっかり丸くなったリルケ子爵は夫人の笑顔に自らもほほえみを浮かべた。夫人に付き合って過激な意見にも頷いていただけで、どちらかといえば日和見的な性格なのだというのは結婚して三十年で初めて知った。近頃では、物事をはっきりとさせたい自分に無理をして合わせていたのかもしれない、と気遣う余裕まで生まれた。

 馬車のすぐ近くをツバメが二羽、からかいあうように飛んでゆく。留守がちなノシュタット子爵に会ったことはないが、あの二羽のように睦まじくあればいいと彼女は思った。

 

「それにしても、結局、借金とはなんだったのかしら……?」

 

 セルデン伯爵が言っていたマデレーネの巨額の借金。それを肩代わりして返済したのがノシュタット子爵だという。

 

「王家の借金のことかい?」

 

 意外なところから返事があった。

 顔をあげれば夫が困ったようにひげをいじっている。

 

「そういえばあなたは王家出納役を預かっていたのでしたね」

 

 そんなことも、今の今まで忘れていた。

 

「なにか知っていることがおありですか?」

「ああ――」

 

 夫人のまっすぐなまなざしに、リルケ子爵は目を泳がせつつ、口を開いた。

 

 

***

 

 

 一行がノシュタット領へ足を踏み入れたあたりで、夕闇が彼らに追いついた。アランの命令で領内の全土には領外からくる貴族たちを歓待するよう準備が整えられている。

 ノシュタット領東端の宿場町でセルデン伯たちは腰をおちつけた。

 

「遠くからご苦労様でございます」

 

 にこにこと愛想のいい主人に迎えられ、それぞれが部屋へと案内される。

 通された部屋は彼らが領地に持つ屋敷の客室にも劣らない豪奢な部屋であった。広く、調度はしっかりとした造りの北部のもので揃えられ、明かりはふんだんに灯されている。

 町で一番の宿屋を選んだとはいえ、ここまでなのかと貴族たちは目を見張った。

 この部屋はそのまま、ノシュタット領の趨勢を表している。

 

「宿代など頂戴しませんから、どうぞごゆっくりおくつろぎくださいませ。アラン様はこんなに小さいころからようく知っておりますからね、我々にとっても祝い事です」

 

 手で自分の腰あたりを指し示しながら主人は言う。

 その言葉に貴族たちはまた衝撃を受けた。

 

 末端の平民が領主の名を知っているということは、通常ありえない。

 自らの馬車を持ち国内を様々に移動できる身分の者は限られていて、それ以外の者は住む場所から出たことすらないのだ。彼らにわかるのは自分たちが住む町の役人だけで、その上の者といえば〝領主〟という漠然とした肩書を知るだけの存在。――の、はずだった。

 ノシュタット領の領民たちは、アランの名を知り、顔を知っている。アランに親しみを感じている。

 

(こやつらはわたしを領主とは認めないだろう)

 

 セルデンの感じた危機はそれであった。

 アランさえ退ければノシュタット領は崩れ、自分の手に入るものだと思っていたセルデン伯にとって、この問題は脅威である。

 ノシュタット領の主に収まったところで、領民たちが自分を認めないのであれば、暴動が起こるかもしれない。鎮圧には金がかかる。むしろセルデン側が先に金を使いつくすこともありえる。

 

(いや、いざとなれば公爵閣下が……王家が、きっと手を貸してくださる。それに、ノシュタット家にはもう金はない。領民たちも多くの税をとられているはずだ)

 

 そんな内心の焦りを知らず、リルケ夫人は宿屋の主人とおしゃべりに興じている。

 

「お父上様の手袋をつけられてね、同じ馬で、同じ馬具で……あの小さいころのお姿を見ておりますから、今度の祝いはそれはもう、我々も心躍るというもの。できるなら城まで行きたいくらいなのですよ」

「そうですの。アラン様はよい方のようですね」

「ええ、いらっしゃる客人のためにと、街道の整備もされているのですよ。この町からサン=シュトランド城まで、舗装された道をゆくことができます」

「サン=シュトランド城まで……!?」

 

 貴族たちはふたたびざわめいた。

 交通網の発達もまた、領地の繁栄を表す指標である。街道の整備は投資であり、財のない領主には不可能。城のある都市の中をこぎれいに作ったとしても、領地内に街道を張り巡らせることは難しい。

 驚かないのは、すでに何度かサン=シュトランド城を訪れ工事を見知っていたリルケ夫人だけだ。

 

「ますます交易も盛んになるでしょうね」

「はい。ありがたいことです」

 

 リルケ夫人と宿屋の主人の会話を聞きながら、彼女以外の貴族たちは冷や汗をかいていた。

 交易の後押しのほかに、街道にはもう一つの側面がある。

 

 有事の際に、すばやく兵を動かすことができるのだ。

 

 ノシュタット家とほかの家がぶつかった場合、ノシュタット家の援軍はすぐに到着するだろう。それはセルデン伯が恐れた暴動の場合も同じである。

 一つの町で領民たちが蜂起すれば、セルデン領から鎮圧のための軍隊を送り込む前に、各地から蜂起した民たちが集結する。

 この分では情報伝達も素早く行われているのだろうとセルデンは思った。

 

(もしかして我々は、とんでもない相手に喧嘩を売ろうとしているのでは……?)

 

 背筋を伝う汗を感じながら、貴族たちは暗澹たる思いでそれぞれの部屋へ散っていった。

お読みいただきありがとうございます!

感想、いいね、ブクマ、評価、等々とても励みになっております。誤字報告もありがとうございます!


ここから週末にかけて、第一章のクライマックス、晩餐会編です。過去の話なども明かされます。

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