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21.旦那様の変化

 開け放った窓から涼やかな風が流れ込む。図書室の一角、本を読むためのスペースには、思い思いにソファに腰かけ、本を手にとるアランとマデレーネ。

 

(どうしてまたこうなっているんだ)

 

 それは「自由な時間ができた場合には読書に充てる」というアランとマデレーネの習慣が一致したにすぎないのだが、農耕について書かれた手引書に目を通すふりをしつつ、アランの内心はわずかに動揺していた。

 ふと本から顔をあげマデレーネを見ると、彼女もまたアランへと視線をむけたところだった。

 目が合ったマデレーネの表情にほほえみが浮かぶ。けれどそれに笑い返すわけにはいかず、態度はどうしてもつっけんどんになる。

 

 アランの態度には理由がある。

 マデレーネとの婚姻を受け入れたときから、彼は妻をノシュタット領に縛りつけておくつもりはなかった。王家が本当に借金のためだけにマデレーネを差し出してきたのなら、金を払ったあとはマデレーネを自由にしようと考えていた。つまりは離縁である。

 

 王太子イエルハルトがノシュタット家に脅威を感じ、さらに財力を削ごうとするならそれでもいい。マデレーネをしばらくサン=シュトランド城へ住まわせ、王家が安堵できるだけの材料がそろえば、そのときは、と。

 ユーリアをマデレーネにつけたのは、いずれ王都へ戻る際に王家から絶対に間者の疑いをかけられぬ者と思ってのことだった。彼女の生い立ちに同情し、都への憧れを満たしてやりたかったのもある。

 だからこそ輿入れの当日からマデレーネを突き放し、徹底的に避けてきた。

 

 しかし、マデレーネの態度は、アランの身勝手さを浮き彫りにした。

 アランが、ある意味ではマデレーネを無視しながら、女主人としてのマデレーネに城を委ねるという矛盾した態度をとっているうちに、マデレーネはノシュタット家のために働いたのだ。

 晩餐会の準備はマデレーネ主導のもと滞りなく進み、かつ反目しあっていた周辺貴族を、一人ではあるが取り込むことに成功した。

 

 もとよりアランは、冷徹であっても冷酷ではない。

 自分の態度がマデレーネの献身に見合わないものだとは気づき始めていた。

 

(とはいえ、いまさら歩みよろうにも……)

 

 事実いまさらすぎるし、その方法がわからない。

 一人で苦い表情をしているアランに、マデレーネが困ったように眉をさげる。

 

「申し訳ありません、これも干渉ということになってしまいますか?」

「あ、いえ……」

 

 悲しそうに尋ねられてまた言葉に詰まる。もちろん目が合った程度で干渉などと騒ぐつもりはない。

 

「どのようなご本を読んでいらっしゃるのか知りたかったのです」

「……」

 

 アランは黙ったまま本を持ちあげてマデレーネから背表紙が見えるようにしてやった。

 

「『農耕全書』でございますか。第二巻ということは、山地の開拓をお考えなのですね」

 

 読み進めていた内容をぴたりと当てられ、アランは目を丸くした。

 

「読んだことがあるのですか?」

「はい。旦那様がお留守の折に。エストベリの山には以前畑があったと聞きましたもので」

「……!」

 

 まさに、アランが考えていたのはそのことだった。

 サン=シュトランド城の東に位置するエストベリは、十数年前まで村の名前でもあったのだ。それが飢饉の際に村民たちが逃亡し、役人もこれを阻止することが難しく匙を投げたため荒れるに任されていた。

 今、ノシュタット領は人口を増しつつある。

 周囲の領地がいつ手のひらを反すかわからない以上、自領内で食料が確保できるに越したことはない。エストベリを復活させ、その周囲に開墾を広げていくこと、それがアランが漠然と考えていた計画だった。

 

(そういったことをすべて見通して?)

 

 もしかしたら、次の彼女の〝我儘〟は、エストベリの山を買い取ってほしいと言い出すのかもしれない。

 驚きとともに、興味がわいた。

 マデレーネと協力すれば、ノシュタット領はさらに発展するであろう――それが王家の不興を買うことはわかっていながら、アランは純粋に、このときはじめてマデレーネ自身に興味を持った。

 

(彼女はなにを考えているのだろう)

 

 それは輿入れの日に口にしたのと同じ疑問でありながら、意味は大きく変わっていた。

 

「あなたはどんな本を読んでいるのですか」

「わたくしは……」

 

 視線だけでなく顔をむけたアランにむかって、マデレーネは本を持ちあげて見せた。

 

「……『羊の飼い方』?」

「ノルド村――ユーリアの故郷の村で、羊を飼うことにしたのだそうです。まずは小さなひと群れを。慣れたら子も産ませようと言っていて」

 

 想像したのかマデレーネは目尻をさげ、夢見るようなうっとりとした視線を宙にそそぐ。

 

「羊さんたちのベッドで眠れるかもしれません……!」

「羊のベッド……?」

 

 ウールなら今でも毛布として使うことができる。

 マデレーネの言っているのは、ほんものの羊の背に寝そべりたい、ということであるらしい。

 

「はい。あたたかくてふかふかのベッドで眠るのが幼い頃からの夢でした。おまけに羊たちは群れるのです。城のどのベッドより大きくなりますわ」

 

 頬を上気させて力説するマデレーネに、アランの口元がゆるんだ。彼女らしい、おとぎ話のような夢だと思ったからだ。

 

「気をつけてくださいよ。あいつらはなかなか狂暴です。俺はヒヅメで胸を叩かれて、しばらく咳がとれませんでした」

 

 さっとマデレーネの顔色が曇る。しかしアランの顔を見たマデレーネは、すぐに笑顔に戻る。

 

「はじめてです」

「え?」

「旦那様が笑ってくださったのが」

 

 思わず口元を手のひらで覆うが、すでにマデレーネには見られている。

 

「旦那様。もう一つ我儘を申しあげてもいいですか」

「……なんですか?」

「ここに――ノシュタット家に、ずっとおいていただきたいのです。ここでの暮らしは、わたくしの幸せです」

 

 目を細めて頬を染めるマデレーネは、先ほど夢を語ったときよりも瞳を輝かせ、その言葉を裏付けた。

 

(なんて顔をするんだ)

 

 いまさらだ。本当にいまさらなのだ。なのに、いまさら歩みよろうとした男にも、マデレーネは笑顔をむける。そのまっすぐな視線が眩しくて、アランは黙り込むしかできなかった。

 

 

 けれども、それからしばらくしてのベルタいわく、

 

「城にいる時間も、奥様と会話をなさることも、少しだけど増えたかね」

 

 ――ということであったそうだ。

 マデレーネの心は徐々に、アランをとらえ始めていた。

晩餐会の準備編、以上です。

次回からは晩餐会編。もう少しお付き合いいただけると嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
[一言] 女の戦い方を美しく描いてくことになるのかなあと期待。ぎゃふんと言わせたりぶん殴ったりするようなのがカッコいいという風潮も面白くはあるが、やはりこういう王道がいい  
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