20.旦那様の休暇
(嵌められた……)
内心では苦々しいため息をつきながら、さりとてあからさまに表に出すのは憚られ、アランは無表情を保っていた。
むかいにはマデレーネが、昼食の支度とともに待っている。
いや、むしろ、なぜかマデレーネしかいない、といったほうが正しい。
使用人たちは誰もおらず、アランはマデレーネと二人きりであった。
主だった使用人たちから晩餐会についての相談を受けたのは先日のこと。
豪奢になりすぎなければそれでよい、とだけ希望を伝え、あとはマデレーネに一任してあったのだが、やはり一度話し合うべきだろうというのである。スウェイから報告は聞いていたにしろ、すべてを人づてにすませるのは非効率であるし城を挙げたイベントに領主が関わらぬのはさすがによろしくないとかなんとか説得されて、では城にとどまる日を設けようと約束した。
マデレーネの輿入れから三か月、季節は夏の盛りとなり、領地内の種まきもひと段落した。たまには休暇をどうぞ、数日は城にいてくださいと言われ、それもそうかと頷いた。
その結果がこれである。
「メイドたちは田舎に帰っておりますようで」
「ヨハンやリュフはどうしたのです」
「旦那様に試食いただくためのメニューを懸命に作っておりますわ。あとで持ってくるでしょう」
「そうですか……」
それきり会話は続かない。
だからといってどうということもないはずなのだが、使用人たちが自分に期待していることがわかってしまっている以上背中がむず痒くなるものである。
おまけにマデレーネへと視線をむければ、緑の瞳が嬉しそうにこちらを見つめている。
冷たくしている、と思う。輿入れの対面でははっきりとした拒絶を示し、その後も避け続けてきた。マデレーネもそれはわかっているはずだ。
わかっていてどうしてそれほどに、自分と同じ席につくのをよろこんでいるのか。
マデレーネはゆっくりと前菜を食べ進めるだけで、ことさら話しかけようという意識はないらしい。ならばそれでいいではないかと自分に言い聞かせる。
ただ、時折、マデレーネの視線を感じるのだ。
それから、花がほころぶときのような、音もなく小さな空気の振動が。そのたびにアランの脳裏に先ほどの笑顔がよみがえった。
だから、マデレーネが「あ」と小さな声をあげたとき、アランはフォークを取り落としそうになってすんでのところで握りなおした。
「旦那様に、さらに我儘を言わせていただきたいのです」
「あぁ……その話ならスウェイから聞きました。問題ありません」
内心の動揺を押し隠しアランは頷く。
スウェイを通じて、城下町周辺の各村に教育を受けた者を派遣したい、という提案を受けていた。そのために教育者となれる人間を雇い入れたいと。
実際、交易の発達したノシュタット領には大きな市場が形成され、商工業を営む者は増え続けている。ギルドのつながりで相互補助を図っているようだが、領主側からも保護と支援が必要だろうと思っていたところだった。「あおガラス 3まい」程度でも、読めて書けるならばそれなりに需要がある。
表向きは彼女自身のために使用人を雇用したように見せ、機を見て領内に戻すことで、マデレーネは、自分の使わざるをえない金をなんらかの形でノシュタット領に還元しようとしている。
「ありがとうございます」
ふたたびの沈黙。マデレーネの声が途絶えた途端、空気が硬直したように感じてもやもやとする。
なにか話題をさがすべきか、無言を貫くべきか――。
(いや、なにを考えているんだ俺は)
干渉するなと言ったのは自分だ。
と、そこへ、にやけた笑みを浮かべながらリュフが料理を運んできた。
「旦那様、奥様、いい雰囲気のところ申し訳ありません」
あとにはヨハンも続く。焼けたチーズの重厚な匂いに、嗅ぎ慣れぬ香ばしい匂いが重なっている。
(これがいい雰囲気に見えるのか)
リュフの背後で微妙に眉を寄せているヨハンも同じ気持ちらしい。
二方向からの冷たい視線には動じず、リュフは料理の皿をアランとマデレーネの前に置くと、銀の覆いを取り去った。
マデレーネの瞳がきらきらと輝く。アランもまた、驚きを隠すことは難しかった。
「これは」
「まあ……」
漏れる感嘆の声にリュフはにんまりと笑みを深くする。
「どうですか。リルケ夫人にも合格をもらったんですよ。当日はこいつを殻付きで盛り付けて――」
「待て、どうしてリルケ夫人が出てくるんだ」
思わずリュフの言葉を遮ってしまうほどに、飛び出した名は不可解だった。
リルケ子爵といえばセルデン伯取り巻きの中心人物であり、その夫人もまた苛烈な性格で、たまにしか出ない社交場でもアランのことを親の仇とでもいうように睨みつけてくるのである。誘ったとて城へ来るような人物ではない。
「お友達になりましたので」
「お友達に?」
あっさりと答えるマデレーネ。
「はい。昨日まで遊びにいらしていたのですわ」
「聞いていませんが」
先月、不在中にリルケ夫人が押しかけてきたが、マデレーネのあしらいで問題になることなくお帰りいただいたというのは報告を受けていた。
しかしその後にまたノシュタット領を訪問していたとは、アランにとっては初耳であった。
「それは……ユーリアが報告を忘れていたのかもしれません。申し訳ありません」
「城を留守にしてばかりで奥様とお話ししていないからじゃないですか、旦那様」
茶々を入れるリュフを横目で睨みつける。その反応自体が普段の彼と異なることにアランは気づいていない。
スウェイを問い詰めたいところではあるが、昨日までというのであればアランの帰城と入れ違いだったのだ。帰るなり晩餐会のことをマデレーネと相談しろと言われ、ほかの報告はそのあとに、となったから、スウェイもユーリアと同じく忘れていたのだろう。
「それにしても、リルケ夫人とは。あなたは本当になにを考えているのか……」
「あら、旦那様が、わたくしが誰と付き合おうと文句は言いません、とおっしゃってくださいましたから」
「……たしかに、言いましたね」
そういう意味ではなかったことは、マデレーネにもわかっているはずだ。本来の意味どおり愛人でも作ってくれたほうがまだ驚かなかった。
言葉につまるアランにリュフが笑いをこらえる気配がする。
マデレーネはふふっと笑い声を漏らした。悪戯の成功した子供のように。
「さあ、冷めないうちにいただきましょう」
促されて食卓に意識を戻す。
想像以上にノシュタット家に、このサン=シュトランド城に馴染みつつある妻を前にどのような感情を抱けばよいのか、アランにはわからなかった。
*
――ちなみに。
打ち解けたリルケ夫人が北部領で三十年ぶりの友人を得たことにはしゃぎ、心を若返らせたことを聞けば、アランの衝撃はこんなものではすまなかっただろう。
「わたくし、主人に言ってやりましたの。あなたのような冷酷な男とはもう付き合えない、と。そうしたらあの方ったら、顔面蒼白になって……」
豹変した妻の態度に、リルケ子爵はいったい自分のなにが悪かったのか、と涙を浮かべたという。
思いがけぬ反応につもりに積もった鬱憤を爆発させつつよくよく話を聞いてみれば、事の発端は嫁いだばかりのヴェロニカの一言だった。
『早くリルケ家に馴染みたいわ。いけないところがあったらなんでも教えてくださいませね』
快活で努力家なヴェロニカの性格を知っていた夫は、妻が北部の礼儀作法を完璧に身につけることを望んでいるのだと思った。実際ヴェロニカはそうなったのだ。
従順な妻の役割をこなしながら彼女が苦しんでいたことを知ったとき、子爵は涙を流した。
「お恥ずかしい夫婦ですわ。わたくし、目の前の雲が晴れたみたい。でも今まではどんよりと曇っていることすら気づきませんでしたの。自分では快晴のつもりでしたわ。ねぇ、マデレーネ様――」
少女のような表情を浮かべ、リルケ夫人は囁いた。
「マデレーネ様ももっと、旦那様と距離を縮めてもいいのではなくって? 我が家のようにならないためにも、話し合いは大切ですわ」
アランにとって、敵ではないが味方よりも厄介な存在が現れた瞬間であった。





