16.ミルクポトフを改良せよ
「はあ~~~~、疲れたですだ~~~~!!!」
講堂の扉から出て開口一番、本音をぶちまけてしまったユーリアは、ハッとして口元を覆った。
あのあと皆の発表を聞きながら考えてみたのだがやはり将来の夢を考えきれず、脳みそを絞りつくしたような疲労感に襲われていた。元来ユーリアは健康で頑丈ではあるが知恵をまわすようにはできていない、と自分で思う。
「す、すみません」
謝るユーリアにスウェイは真顔を崩さず、こういうことには人一倍厳しいベルタもまたどんよりとした視線をむけるだけだった。
「ベルタさんも、お疲れですだか……?」
「あたしだって手引書くらいは読むよ。アクセサリーの扱い方や食器の手入れは人に聞いただけじゃ心もとないからね。けど、作文……作文は苦手だ」
ユーリアを叱る元気もないほど本気で疲れているらしい。
気をとり直して奥様のところへ行こう、とユーリアは思った。家庭教師が来ているあいだ、マデレーネは一人で読書でもしていると言っていた。マデレーネがいては家庭教師であるアウロラも授業を受ける使用人たちもおちつかないだろうから、というのが理由だった。
たしかに今日の内容では、そうだったかもしれない。
「では、スウェイさん、ベルタさん――」
別れの挨拶をしようとしたユーリアに、スウェイは頷いて、
「そうだな、月例会議を始めよう」
「……へ?」
「なんだ? そう言おうとしたんじゃないのか」
「いんえ、月例会議てば、スウェイさんとベルタさんがなさるものですだね?」
館全体の使用人の動きや雇用、財政をとりまとめる執事スウェイと、メイドたちを始め女性のトップであるベルタ。
月に一度、この二人が翌月の予定や人員の配置について話す時間をとっているのは知っていた。
「今月から君も出るんだ、ユーリア。侍女は女主人であるマデレーネ奥様の直轄の使用人。今は君一人しかいないのだから、君が侍女頭だ」
「じ、侍女頭!? 知らねかっただす……!!」
「言うのを忘れていたかもしれん。すまんな」
さらりと謝罪を口にするスウェイ。当然、言われていなかったから辞退というわけにもいかない。
愕然とするユーリアの前でスウェイは手帳を開いた。先ほど講堂で見たのと同じ流暢な文章が視覚から飛び込んでユーリアの精神を圧迫した。
(なんで……なんで勉強の始まんのと同じ日に会議を入れたんだすか……)
ユーリアの心の叫びは、声にはなることなく消えた。
*
まるで塩漬けの干し肉のように生気を失ったユーリアが台所の隣に設えられた食堂へたどりついたのは、正午を少しすぎたところだった。
使用人たちの使う食堂は、飾り気のないテーブルがふんぞりかえるように中央を占め、背もたれも肘掛けもないやはり簡易な椅子がぐるりとテーブルをとり囲むように配置されている。
しかしその最上座に腰を下ろすのは使用人ではなかった。
マデレーネだ。
「奥様~~~~、長らくおそばにいませんで、申し訳ございませんですだ」
「ふふ、ユーリア、お疲れ様」
よろよろと歩みよると、事情をお見通しなのだろうマデレーネが笑顔でいたわってくれる。
一応マデレーネの椅子はほかの者より豪華だが、本来はこの食堂にいてよい身分ではない。
が、近頃のマデレーネは、この食堂で使用人たちと食事をとることにしていた。
実をいえば、マデレーネが嫁ぐ以前のアランもここで食べることが多かった。王女と結婚した手前アランもしばらくは正式な食堂で食事をとったり自室へ運び込ませたりしていたのだが、それを知ったマデレーネがこちらの使用人食堂で食べるようになったのである。
「さて、全員揃ったし、食べるとするか!」
リュフの一声でカミュ、エミール、ヘレンの三人が湯気を立てる器を配った。
待ちきれずのぞきこめば、白いシチューの海にごろごろと切られたベーコンと野菜が沈んでいる。
毎週金曜の昼食はミルクポトフと決まっている。その週に使った食材のあまりと芋とを入れてミルクでよく煮込む、いわゆるまかない料理である。
輿入れの初日、ベルタはリュフに命じてこの料理を作らせた。貴族には、地面に近い場所にできるほど野菜の価値はさがると考える者たちがいるらしい。彼らは果実やナッツを好み、根菜を軽蔑し、芋は農民の食べるものだと考えている。
王都からやってきた王女様もそうであろうと、嫌がらせのつもりで出したのだ。
ところが、王女は気分を害するどころかそれをもてなしとして受けとめ、非常によろこんだ。ついには使用人たちとご相伴に預かることになった、というわけであった。
全員に行き渡ったことを確認し、マデレーネが両手を組む。
「では、感謝していただきましょう」
「いただきます!」
皆も声を揃えると、銘々スプーンをとりあげた。
「チーズとバターの配分を変えてみたんだがどうだ? コクが出ただろう」
さっそく口の周りをシチューまみれにするカミュに、ハンカチを押し付けてやるヘレン。黙々と食べるエミール。
ヨハンが尋ねると、三人は同時に頷いた。
「うん、おいしい!!」
「先週のあっさりとどっちがいい?」
「どっちもおいしい!!」
「三人の言うとおりよ、リュフ、ヨハン。どちらもおいしくて選べないわ」
「お前らなに食わせてもおいしいしか言わねぇからなぁ。奥様もおれたちを信頼しきってるし」
「ぼやくか自慢するかどちらかにしろ、リュフ」
頭を掻くリュフに苦笑を浮かべるのはヨハン。二人は息もぴったりの気のおけない仲になっていた。とはいえ、料理人だけでは打破できない局面もある。
「あーあ、舌の肥えた誰かが来てくれねーかなぁ。できれば北部領の料理にもほかの地域の料理にも詳しい……」
椅子の背もたれにだらしなくよりかかりながらリュフがぼやく。
その願いは冗談のようなものだった。
けれど、一週間後。
まるでリュフの願いに応えるかのように、子爵家の門前に一台の馬車が停まった。
門番が慌てふためいてマデレーネの指示を仰ぐ。
「リルケ子爵夫人が、お越しになりました……!!」
思い設けぬ名を告げながら。





