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15.勉強のお時間です

 ノシュタット子爵家が祝宴の招待状を近隣貴族に配り終えたのは、ヨハンが派遣されてからひと月もたった頃だった。

 婚礼の祝宴となれば忙しいのは当然だが、それだけではない。

 

「ええと、ホタテやアサリは水槽に入れてくればしばらくもつだろ。そのための設備費用と運搬費……まぁこんなもんか。おい、ちょっと待て。果実の販路にボルド領は入れるな。あそこで買い尽くされたら商人たちはここまで来ねぇ」

 

 地図を広げてうんうんと唸るヨハンの目の下にはくっきりとクマができている。

 王都出身であるヨハンの伝手を使い食材の買い付けを進めつつ、出入りの商会の協力のもと販路を確立してゆく。そのおかげで、徐々に食材は増えていた。

 おまけに領主がわざわざ運び込ませたとなれば富裕商人層も興味がわくもので、しばらくすると城下町の市場にも異国からの食材が並ぶようになった。活気とともに、複雑に増えた税収の処理にスウェイ以下役人たちはあちこち駆けまわって働いた。

 

 王家に支払ったマデレーネの〝支度金〟の支出があけた穴は大きかったが、この分で進めば二年もかからずに取り戻せるかもしれない、と喜色にあふれて報告をする管財人へ、アランはただ一言、

 

「利益はすべて街道の敷設にまわせ」

 

 と命じた。元々が財など興味のない主人で、増えるならば増えるに任せておけという態度であったから、この反応は意外だった。王家の監視が途切れるまでは支出を増やしておきたいという事情を知るのはスウェイだけである。

 ともあれ、こうしてまた仕事は増えた。

 

 そのほかの者たちもマデレーネのもたらした変化から無関係でいることはできなかった。

 増築した屋敷の一角で、家庭教師によるレッスンが始まったのだ。

 

 *

 

「将来の夢……」

 

 出されたお題を前に、ユーリアは頭を抱えていた。

 マデレーネが〝講堂〟と呼んだこの部屋は、以前の屋敷に併設するようなかたちで建てられた。仕切りはなく、広い部屋にテーブルと椅子が並べられ、前方が一段高くなっている。

 家庭教師――彼女はアウロラ・マクレアン嬢といい、アランの遠縁にあたる。祖父の代で貴族籍からは離脱したが、一家はノシュタット家に忠誠を誓い、城下町の役人として働いていた。

 アウロラ嬢は壇上に立ち、光る眼鏡の奥から生徒たちの様子を見まわしつつ、背後の黒板に文字を書き込んだ。

 

「本日の作文のタイトルはこれです」

 

 真新しいなめらかな板面には、ユーリアが呟いたとおりの言葉が書かれていたのである。

 

「まずは砂時計が二度落ちるまで。時間になったら書けたところまで拝見していきます」

 

 その宣言から、すでに半分の時間が経過した。

 ユーリアはちらりと周囲を眺めた。ベルタやリュフといったある程度の歳を重ねた者だけでなく、下働きの子どもたちや同じ年頃のメイドも頭を抱えている。

 そもそもなぜこんなことをしているかといえば、それはマデレーネの発案であった。

 

 サン=シュトランド城の使用人のほとんどはアランが引き取って働き口を与えてやった者たちで、平民のうちでも下位から中位に位置づけられる出身だ。もとより教養などない。

 城へやってきたときに単語の綴りくらいは習ったが、それはたとえば「トマト ひとはこ あしたくる」とかそういう類のもので、子爵家の使用人たちの中で本が読めるのはスウェイを筆頭とした上層陣だけであったし、作文などと言われると未知の世界。

 そのままでも業務に支障はなかったが、マデレーネがスウェイと相談して教育の機会を与えてくれたのであった。

 

将来(しょーれえ)……とでいうんば(というのは)、こん先のもんだべ(ものよね)。おらの将来(しょーれえ)の夢()づったらば(いったら)、……)

 

 ユーリアはちらりとスウェイを見た。

 スウェイは赤毛の髪を肩のあたりで一つにまとめ、真剣な顔つきでペンを走らせている。ユーリアと違って都市の出身で、最初から彼に訛りはなかった。若くして冷静沈着、主人の信頼を得ているスウェイを城のメイドたちは熱っぽい視線で見つめたが、それはユーリアとて例外ではない。

 

(スウェイさんと結婚……すつ(しちゃ)ったりすて、町で家()建てちまったりすて~~!)

 

 スウェイと腕を組む白のドレスをまとった自分を想像し、内なる乙女の心が「キャ~~~~ッ!!」と黄色い悲鳴をあげる。

 が、それを書いて提出するのはよくないということくらいはユーリアにもわかる。

 

 きっとこの題を決めたのはマデレーネなのだろうとユーリアは思った。

 ほとんどの者たちは日々を生きるのに精いっぱいで、未来にどうしたいかなど考えたことがない。マデレーネは夢があると言っていた。マデレーネのしなやかな強さの源はそれなのだろう。

 と、そこまでは想像できる。

 

(おらは……なんがすてえ(したい)んじゃろ……)

 

 しかし実際に考えてみれば、難しいことに変わりはない。

 

 そのとき、悩み続けるユーリアの隣で、スウェイがすっと手を挙げた。

 

(もうできたんだべか……!?)

 

 早い。さすがは執事だと皆の尊敬の視線がスウェイに集まる。

 

「では、前に立って読んでみてください」

 

 アウロラの言葉を受け、スウェイは壇上にあがった。書きつけた紙を掲げ、朗々と読みあげる。

 

「おれの将来の夢は、旦那様と奥様が安心して城をお任せくださるようにすることです。おればかりが仕事をしていては属人的になりますから、後継者も育てます。信頼して仕事を託せる後継者が現れればおれ自身は引退し、城内の炭焼き小屋にでも暮らして、ときどき旦那様と奥様のお子様たちにお目通りし、いっしょに遊ばせていただいたら、こんなに幸せなことはありません。おれの全霊を捧げて旦那様と奥様の未来を明るくする。それがおれの夢です」

 

 読み終わり、一礼して壇からおりるスウェイ。その一挙手一投足を見つめながら、誰もが息すら押し殺していた。

 講堂を沈黙が包む。というのも――、

 

(((重すぎる……!!)))

 

 誰もがそう心の中でツッコんでいたからである。

 

(旦那様と奥様の子どものことまで考えてるの気が早すぎじゃない!?)

(立場を独占しようとするんじゃなくて冷静に後継者を育てようとしてるのがまた怖い)

(さりげなく引退しても城内に住む気だ……!!)

 

 アウロラがかろうじて「文法に誤りもなく、各文のあいだで矛盾もありません」と評価を下すが、表情から内心の動揺は明らかだった。

 

 けれども、たった一人だけ、目を輝かせてスウェイの夢を聞いた者がいた。

 

「おらも……! おらも同じですだ!! マデレーネ奥様にお仕えするのがおらの喜びですだ、これからもそうありてえ」

 

 ユーリアである。

 

「はあ~、スウェイさんはさすがですだ。おらはいまのことで手いっぺえで、あとの人のことなんか考えたこともねえかったです。けんど、お子様もお生まれになるかもしれんし、おらたちも歳をとる。あとのことば考えていかねばならねえすな!」

「……」

 

 講堂内をふたたび沈黙が支配した。

 やがて、ぽつりぽつりと声があがる。

 

「そういえば、たしかに……」

「未来……か。未来のことなんて考えたこともなかったけど、そういうことだよなぁ」

「まーて待て待て!」

 

 なんとなくまとまりかけた空気を打ち破ったのはリュフだった。

 

「そこまで滅私奉公しなくたっていいんだよ。おれたちは自由民なんだからな。いいか、おれ様が手本を見せてやる。〝将来の夢〟ってのはこういうんだ」

 

 アウロラの許可を得ることもなく壇上に駆けあがったリュフは、講堂の壁を突き抜けるような大音声で自らの作文を読みあげた。

 

「おれは大陸じゅうの料理を学んで、誰もが認める最高の料理人になり、おれの料理を食べたやつらを幸せにしたい!!」

「はいっ、ぼくは、かわむきがはやくできるようになりたいです!」

「あたしはタルトがつくれるようになりたい!」

 

 リュフに続いてカミュやヘレンが走りこんでくる。

 手に掲げられた作文は綴り誤りだらけだし文法も怪しかったが、アウロラは安堵の笑顔で頷いた。

 どちらかといえば彼らの作文が、アウロラの想定していた内容に近かったからである。

 

 将来の夢などと大きなことをいってもなかなか出てこないのはわかっている。もとから次回以降への宿題にし、自分たちの置かれた環境を見つめなおしてもらうことが目的だった。

 その意味では、本当に自らの人生設計を固めきっているらしいスウェイの作文も、使用人たちのよい刺激になっただろう。

 

 勢いを得た生徒たちは次々に手をあげ、授業は大いに盛りあがった。

 

 

 一時間後、人気ひとけのなくなった講堂で片づけをしながら、アウロラ嬢はふと家庭教師の条件に『口の堅い者』があったことを思い出した。

 城の内部のことをあまりイエルハルトに知られたくないというマデレーネの希望だったのだが……、

 

(この個性的すぎる使用人たちを言いふらさないように、という意味だったのかしら……)

 

 アウロラはそう納得した。

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