14.北部貴族の噂話
ノシュタット家から届いた晩餐会の招待状にセルデン伯爵は手を打って喜んだが、そのような趣味の悪い態度はおくびにもださず、翌日のささやかな夜会ではほんのわずかな噂話程度にとどめたし、自分から話題をきりだすこともしなかった。
セルデン伯爵のかわりに招待状について口火を切ったのはリルケ子爵夫人だ。彼女は南方領の出身ながらすっかりと北部領の慣習に溶け込み、セルデン伯のよき代弁者であった。
「子爵家の分際で王女を妻に迎えるなど、身の程知らずもいいところですわ」
「まぁまぁ、リルケ夫人」
「わたくしならそんな畏れ多いこと、とてもじゃないけどできません」
内心の笑いを押し殺してセルデン伯爵はおだやかな苦笑を浮かべる。けれどなだめようとすればするほどリルケ夫人が反論するとわかってのことだった。夫であるリルケ子爵が物静かな男であるのに比べ、彼女は同じ子爵位で隣接する領地を持つノシュタット家を目の敵にしていた。
周囲の招待客たちも困ったような苦笑を浮かべながら口を挟むこともない。自分から声に出すのは憚られるが、他人の悪口は聞いていたい、そんな空気が場に流れていた。
「わたくしは国のためを思って言ってるんですのよ。国王陛下がご健在ならば、こんなに嘆かわしいことは起きなかったでしょう」
「本当にそのとおりです。これは私が懇意にしているフォルシウス公爵が教えてくださったのですが」
公爵の肩書に周囲からはため息が漏れた。北部にはなじみのない爵位である。
経済が発展してからというもの、あらゆる場所に金がでしゃばるようになってきて、品位や格式をぶち壊している。子爵家が伯爵家を凌駕するなどあってはならない。セルデン伯爵が公爵家にかしずいているように、リルケ子爵がセルデン伯爵のご機嫌をうかがっているように、ノシュタット子爵も誰かの顔色をうかがうべきだし、そこには序列というものがある。序列を飛び越えていきなり王族に接していいわけがない。
それが領主たちの総意であった。
ここだけの話にしてください、とセルデンは声をひそめて口元を手で覆う。
「可哀想に、あの王女様は宮殿では貧乏王女と呼ばれていたとか」
「なんですって?」
リルケ夫人は眉をつりあげた。
周囲の客たちにも小さな動揺が走る。
「では王女殿下は――いえもうそんな呼び方はやめましょう。あの娘は、小金欲しさに子爵夫人に成り下がったと?」
「新しいドレスを買い、子爵家を改築し、王都から料理人を呼びよせているそうですよ」
「わたくしたちだってまだ日々の暮らしに喘いでおりますのよ。母君エリンディラ妃はこの北部領に王都の先進的な制度を伝えてくださり、飢饉の折にもたくさんの支援をしてくださったというのに、その娘は……一人だけ贅沢に、遊び暮らしているのですね」
夫人のこめかみがぴくぴくと脈打つ。こらえきれぬ怒りがマグマとなって噴出してしまうかのように顔色は赤く染まった。
「しかし、なぜ貧乏王女などと?」
「借金があったそうです」
そばにいた男爵の呟きに、セルデンはすぐさまふりむいて答える。
「なるほど……借金が」
「ええ。王家の恥ですから、懐事情は秘されておりましたが……公爵閣下のお耳には入ったのです。莫大な額であると聞きました」
「まあ、それで」
誰が、誰に対してした借金なのかを確かめぬまま、その場にいた者たちはめいめいに了解した。
マデレーネが、ノシュタット家から借りたのだ。
そうして、返しきれなくなったから、子爵家に降嫁した。
とすれば、ノシュタット家の目論見は――。
沈黙を保ったまま、セルデン伯は、己の望んだように招待客たちの思考が流れていったことを知った。
顔中を歪めたリルケ夫人が絞り出すように、一同を代表して答えを告げた。
「ノシュタット家は、王家から爵位を買おうというのですね」
おぞましいことだ、とその声色は語っていた。
「招待を拒絶しましょう。態度で抗議するのです」
「それでは我々の品位を下げる。直接諭すのが紳士淑女のふるまいではありませんか」
そう言ったのはリルケ子爵領の隣に領地を持つゴード男爵だった。セルデン伯へ目配せをするとニヤリと笑う。周囲の者には気づかれぬよう、伯爵も軽く頷きを返した。
セルデンがなにも言わなくとも、ゴード男爵は常にその意を汲んでくれる。下の者は上の者に諂うべきだ、という意向も含めて。
「ゴード男爵の言うとおりですな」
セルデンが重々しく告げると、参加者たちの目に仄暗い愉悦の色が灯った。
ここにいる者たちほどではなくとも、ノシュタット子爵家に肩入れする家はあまりない。皆、交易のうえではノシュタットを頼りながら、王都に伝手を持つセルデン伯に睨まれることを恐れてつかず離れずの関係を保っている。
晩餐会の場で突然糾弾されたとしたら、その場に誰も庇ってくれる者がいなかったとしたら。
あのすかした若造はどんな顔を見せてくれるのだろうか。
***
北部領から届いた数々の報せを手に、イエルハルトは歪んだ笑みを隠せなかった。名目上は国王代理であるイエルハルトの執務のための部屋、ただし彼に国政を預かる自覚はない。カイルを責めるときだけ、王太子という己の地位を認識させるためにイエルハルトはその椅子に座った。
「ほら、どうだ、この報告は!」
見せつけるためにばらまかれた紙束が宙を舞う。カイルは青ざめた表情でそれを拾いあげた。
「マデレーネは命令どおりノシュタットの金を使っているようだぞ。ドレスや装飾品、家の改築に家庭教師と料理人を雇い入れ、国中から食材の買い付けも始めたとか。手袋にクリーム三ダースというのは意味がわからんが……城でできなかった贅沢を楽しんでいるようじゃないか」
イエルハルトの言うとおり、書類には各商会に問い合わせたノシュタット家の支出状況が連ねられていた。食料や日用品といったもののほかに突出した金額が複数含まれている。
最後に目を通した書状を見て、カイルは息を飲んだ。
ノシュタット子爵領に近いセルデン伯爵領からの報告である。
「マデレーネの浪費はすでに周辺貴族の反感を買っているらしい」
そこには、先だって行われた北部領主たちの夜会の様子が臨場感たっぷりに書き留められていた。
「まさか……ノシュタット子爵家を孤立させ、潰すために、マデレーネを?」
イエルハルトは、弱らせろ、と言った。カイルもその言葉を信じた。マデレーネは兄の命に従いながらも、子爵家の懐が痛まない程度に金を使っているのだろう。
しかしこの悪知恵の働く兄は、そんなマデレーネの儚い抵抗など見抜いていたのだ。
ニィ、とイエルハルトは唇の端をつりあげた。
「いずれ適当な理屈をつけてノシュタット子爵領はとりあげる。領地はセルデン伯が面倒を見ればよい」
「大義もなく領地を召しあげれば混乱のもとになります!」
「大義ならあるさ。あいつは不遜にも王家の弱みにつけこんで王女を娶り、公爵位を要求したのだから。皆が納得すれば混乱など起きまい」
「……!!」
青筋が浮かぶほどにカイルはこぶしを握り締めた。
止めようとすればするほど、ノシュタット家やマデレーネを庇おうとすればするほど、この男には気に食わないのだ。
(せめて父上が起きあがってくだされたら)
そんなふうに誰かを頼ることしかできない自分が恨めしかった。





