12.王宮からの料理人(中編)
贅沢な食卓とは大胆に捨てることだ、と師匠は言った。
色や形の悪いもの、新鮮でないもの、味の弱くなったものは捨てる。最高級のもののうちの最高の部分だけを使い、それすらも完食されることはない。
なぜなら相手はすべての頂点を極めた王家の方々。
報酬は名誉と桁外れの給金だ。
師匠はそう言った。
反論は許されなかった。
「なんなんだ、この食材は!!!」
城の台所にヨハンの怒号が響く。
うんざりとしたように腕組みをして首をふるリュフの背後で、下働きの子どもたちは作業台に隠れて様子をうかがっている。
「芋、芋、芋……芋ばかり! 肉はニワトリとウサギだけ。魚はないのか? ハーブは?」
「子爵領は国の北部で周縁の半分を山に囲まれてる。魚をとる海もねぇし……しばらくすればマスや川魚は獲れるが、いまあるのは干物ばかりだな」
「これでどうやって宮廷料理を作れというのだ!」
「あるもので作ってみればいいだろ」
「バカにしているのか!? 田舎料理とは違うんだ。最高級のもののうちの最高の部分だけを使うのが宮廷料理だ! こんなもので……」
「我儘な料理人だなぁ」
はあ~とこれ見よがしなため息をついたあと、リュフはうしろをふりかえった。
「おい、こいつはヨハンってんだ。口は悪ぃしうるせぇけどお前らをぶん殴ったりはしねぇから安心してろ」
「……!!」
本当かと問うように作業台から首をのばす子どもたちに、ヨハンの頬に血がのぼる。
先ほどから彼らに遠巻きにされていたのは、王都からきた高貴な料理人がもの珍しくてではなく、乱暴な男におびえていたせいだと気づいたからだ。
「さすがになにも作れないわけじゃないんだろ? なんでもいいから見せてくれよ。おれは本で読んだくらいしか宮廷料理を知らないんだ」
ガリガリと頭を搔きながらリュフはヨハンを促した。
そう言われてはこれ以上文句を言うわけにもいかず、ヨハンは食材の並べられた一画にむきあった。
(スープにもグリルにもふんだんなハーブが必要なのに、この城にはほとんどない)
フルコースには程遠い。宮廷料理を教えるといったって、まずは食材の発注から始めなければならない。
そのために商会と伝手を持つヨハンが呼ばれたのか、と納得がいく。
(とにかく、いまある素材で豪華さを出せるものは……)
ふと視線を感じて顔をあげると、作業台のむこうから姿を現した下働きの子どもたちがヨハンの手元を見つめていた。カミュ、エミール、ヘレンという、少年が二人に少女が一人。どの食材を選びなにを作るのか、興味はあるらしい。
その視線に既視感をおぼえてヨハンは眉根を寄せた。
まだヴァルデローズが危機に瀕していなかったころ、幼いマデレーネもまた、宮殿内を動きまわり、厨房にも侵入することがあった。そんなときはひそかに彼女の好物を作ってやったものだ。
料理人の手さばきを無邪気によろこぶマデレーネが脳裏をよぎる。
(……あれなら作れるか)
小麦粉にバター、卵。さすがに最低限のものは揃っているようだ。
「おい、卵を割るぐらいはできるのか?」
声をかけると子どもたちはびくりと肩をはねさせたが、やがておずおずと首を縦に動かした。
「なら手伝え」
言えば、三人の瞳がぱっと輝く。
駆けよる三人を相手に、(おれもまだ甘いもんだ)とヨハンは渋面をつくった。
室温に戻したバターと砂糖を白っぽくなるまでよく混ぜたら卵黄を加え、さらに小麦粉を加えてさっくり混ぜる。
まとめた生地を休ませているあいだにお次はクリーム作り。カスタードとホイップの二種。フルーツの下ごしらえを終えた子どもたちに手伝わせつつ、生地を五等分して小さな皿形に成型し、オーブンに入れる。
焼きあがった生地を冷ましたらクリームとフルーツを盛り合わせる。
カスタードの黄色にクリームの白、桃、オレンジ、ぶどうの紫と緑、ベリー類の赤や紺。それらをバランスよく散らし、さらにもう一つ。
砂糖と水を鍋に入れたら、火にかけて、焦がさないように煮詰める。濡れた布に鍋をおろし、粗熱をとったら、フォークを入れて――、
「わあ……!!!」
子どもたちの口から、思わずといった歓声が漏れる。
ヨハンがふわりと腕をふりあげると、フォークの先についた水飴が柔らかく踊った。それは細くのびて軌跡をえがき、空中で曲線をたもったまま固まる。
鳥の巣のように丸く重なった砂糖の糸を整え、ヨハンはもう一度水と砂糖を火にかけた。今度は飴色に変化するまで熱を加え、ふたたび糸を作りだす。先ほどのものが銀なら、これは金だ。
「食ってみるか」
形を整えたあとの切れ端をさしだすと子どもたちは一も二もなく飛びついた。
口の中で溶けて消えてゆく飴糸はまるで、魔法使いの杖から生みだされた甘い金糸銀糸。
五つのタルトに金銀細工をのせて、これで本当に完成だ。
宝石かと見まごうばかりのデザートは、新鮮な材料の手にはいる身分の者しか食べられない。
感嘆の念を隠しきれずまじまじとタルトを見つめるリュフにヨハンは勝ち誇った笑みを浮かべ、
「午後の茶会で出す簡単なタルトだ」
これが最低限のラインだと釘を刺すように言い放つ。
さてどんな反応が返るのか。実力の差を感じ、歯噛みして悔しがるか、おちこむか、無様に喚き散らすか――意地悪く口角をあげたヨハンに、真剣な表情のリュフがむきあう。
すぐにその表情はくずれ――。
「いやあ、いいもん見せてもらった!」
「はあ?」
現れたのは、にっかりと大輪のひまわりのように大仰な笑顔。
「糸飴は知っていたが二色を組みあわせるという発想はなかったな。ここにある材料でという要求にも応えているし、それでいて貴賓客に出しても恥ずかしくない出来栄え。素材にあわせて包丁を変えるだけでなく握りこみの強さや体重のかけ方も変えているのか。繊維がつぶれることなく均一に切りそろえられた素材は舌触りもよくなる……ふむふむ」
「!!!」
「なにより火加減が絶妙だ。クリームといい糸飴といい、思いどおりに作るには修業が必要だったのだろうな」
タルトをのぞきこみうんうんと頷きながら呟いているリュフに、ヨハンは息を飲んだ。
リュフがヨハンの調理をそれほど細かく観察していたとは気づいていなかったのだ。
「たしかにあんたは腕がいい、ヨハン。色々と学びがいがありそうだ」
「お前……オレを認めるのか?」
「そりゃそうだろ」
ヨハンの驚きに気づいたリュフはばつが悪そうに頬を掻く。
「奥様にも言われたしな。料理人としての目で見ろって。奥様はなぁ、相手の態度には惑わされない。きちんと働きぶりを見なさるのさ」
「言われたからって、それだけで……」
「それだけだが、当然のことだろう?」
あっさりと告げるリュフに、ヨハンは金縛りにあったように立ち尽くした。
ヨハンのいた宮殿の厨房では、料理の腕がどれほどよくともそれだけで認められるということはなかった。有力な貴族や王族の庇護、もしくは上司に気に入られることが必要だった。
いまになって気づいた。
リュフは、ヨハンの態度に反発し、貶めるようなことを口にしたが、宮廷料理をけなしたことは一度もなかった。ヨハンが食材にケチをつけていたときでさえ。
「……」
「ま、あんたもおれの料理を見てみてくれよ」
こぶしを握るヨハンの様子には気づかずリュフはオーブンへとむかった。タルトの生地を焼いたあとのオーブンにあるものを仕込んでいたのだ。
取り出されたそれにヨハンが目を見張る。
「スイート・ポテトってんだ」
天板に並べられたのはこんがりと焦げ目のついた五つの芋菓子。甘藷をふかしてクリームなどと混ぜ、固めて焼いたものである。
ただヨハンが知っているものとは違って、捨ててしまうはずの皮の部分を再利用して甘い菓子部分を包んでいる。ある程度厚みを残した皮には花型の模様が刻まれ、濃い色合いと相まって目を楽しませる。
「さて、おれらも食おうぜ」
ヨハンにではなく、リュフが呼びかけたのは下働きの子どもたちだった。三人の顔がぱあっと輝く。
「こいつらのためにわざわざ五つも作ってくれたんだろ?」
手際よく皿にとりわけ並べてゆくリュフ。呆然としている間に厨房のテーブルにはクロスが敷かれ、カトラリーまで揃ってしまった。
文句の一つを言う気力もなくヨハンは素直に席についた。
「食べてみてくれ」
リュフがうやうやしく手をさしのべる。言われるがままに芋菓子を手にとった。
口に運べば、絶妙な焼き加減のおかげで皮はパリパリと香ばしく、ほのかな苦味が内側のほくほくとした触感や甘さをひきたてている。
隣ではタルトを食べた子どもたちがきゃあきゃあと声をあげている。
「これ……」
「あぁ。飢饉のちょっと前に伝わったんだ。うまいだろ?」
リュフはにんまりと笑った。こんな粗末なものを出して、と言われることなど考えてもいないようだった。
もしもこの料理でなければ、芋だけでできた菓子など、ヨハンは認めなかったかもしれない。
しかしこれだけは特別だった。
スイート・ポテトとは、ヨハンが考案した菓子であった。
マデレーネの母――エリンディラ妃に依頼されて。