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1.成り上がり子爵に嫁ぎます

 追い立てられるようにペルメ城を出立してから半月、花嫁行列とは名ばかりの馬車一台に数人の供を連れて、マデレーネはようやく早朝のサン=シュトランド城下へとたどりついた。

 北端領に吹く風は常春の国といえども冷たい。

 

 貧相な馬車一台、地味なドレスに連れの侍女さえいないが、これはれっきとした輿入れ。

 突然のことに門番があわてて門を開き、下男たちも走りまわる。

 

 ヴァルデローズ国の唯一の姫君、マデレーネ・メルヴィ。

 彼女は今日、アラン・ノシュタット子爵へ嫁ぐ。

 

(文のやりとりすらなく、わたくしの夫となるお方。いったいどんなお方なのかしら……)

 

 〝成り上がり子爵〟と呼ばれる相手の姿を想像しながら、マデレーネはここに至るまでの状況を思い起こしていた――。

 

 

 *

 

 

 常春の国ヴァルデローズ。

 大陸の東に位置するこの国は、一年を通じて穏やかな気候に恵まれ、肥沃な大地には作物もよく育つ。王都の東と西では季節ごとに大市が開催され、中心にはペルメ城がそびえ立つ。

 

 しかしながら、そんなペルメ城に暮らすメルヴィ王家の三兄妹のあいだは、晴れやかとは言い難い空気がただよっていた。

 

「アラン・ノシュタット子爵と結婚しろ、マデレーネ」

 

 冷たく言い放つのは長兄イエルハルト・メルヴィ。

 病に伏せる国王に代わり、実質の権力を握る、王太子である。暗青色の瞳には声色と同じ、有無を言わせぬ氷のような鋭さがあったが、睨みつける弟はその奥に焦燥を感じとった。

 

「兄上!」

 

 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がったのは次兄カイル・メルヴィ。

 

「父上からの厳命です。マデレーネを政略の道具にしてはならぬと……!」

 

 カイルの脳裏に父の姿がよぎった。二人の妃を亡くし、憔悴しきった国王は、王太子イエルハルトを支えるように言いながらも、マデレーネの未来を案じていた。

 その最も大きな懸念は、異母妹の美貌を政略の道具に使われることであった。

 

「父上のお言葉を無視されるのですか!?」

 

 必死の声をイエルハルトは鼻で笑う。

 

「娘かわいさにそう言っているだけだ。マデレーネも王家の姫、国のためになることならば進んでしてくれるはずだ。そうだろう、マデレーネ?」

 

 イエルハルトとカイルの視線が同時にテーブルの向こう側――ひとりの王女が座る席へと注がれる。

 

 末妹マデレーネ・メルヴィ。

 艶やかな金髪を編み込みに結い、小さなティアラをのせた、かわいらしい少女。先日十六の誕生日を迎えたばかりの、まだいとけないともいえる仕草を残した姫であった。ただしよく見ればその顔色は悪く、ドレスはところどころ擦り切れて継ぎを当てた部分もある。

 兄たちの口論を目の前にしてなおマデレーネは白い顔に慎み深い笑顔を浮かべている。

 

「ああ、その笑顔。お前の母親と同じだよ。はらわたが煮えくり返る」

 

 ばしゃん、と音がして、ぶちまけられた水がマデレーネの金髪とドレスを濡らした。

 

「兄上!」

「こいつもこいつの母親も、なにをされても笑って座っているだけだ。ボロを着せられても粗末な食事を与えられても。もう一度言う。マデレーネ、国のためにアラン・ノシュタット子爵と結婚しろ。異論はないな?」

 

 カイルがふたたび反対を唱える前に、マデレーネはゆっくりと、だがたしかに、頷いた。

 

「はい、イエルハルト様。国のためであれば、わたくしはどこへでも参ります」

「マデレーネ……!」

「ははは、ほら見ろ。マデレーネもこう言っている。だいたい莫大な借金をつくったのはこいつの母親なのだから、こいつに責任をとってもらわねば」

 

 イエルハルトの傍若無人ぶりにカイルは唇を噛んだが、どうにもならない。

 国王という最大の庇護を失いつつあるいま、マデレーネに後ろ盾はない。むしろ、マデレーネが理不尽な扱いを受け入れるであろうことがわかっていたからこそ、国王はマデレーネを案じたのだ。

 

 ちらりと盗み見たマデレーネは相もかわらず、まるで侮蔑の水滴もイエルハルトの暴言もなかったかのようにそよ風のような穏やかな笑みを浮かべている。常春の国ヴァルデローズそのものといった彼女をかわいがる父の気持ちを、カイルは理解していた。

 

 イエルハルトが一通の書類を投げてよこす。

 リボンを解いてみればそれは婚姻誓約書だ。夫の欄にはすでにアラン・ノシュタットの名が記されている。

 

「大陸全体が不況に喘ぐ今、ありふれた話だ。むこうは王家とのつながりが欲しい……こちらは金が。子爵家の小僧というのが忌々しいが、マデレーネをくれてやるくらい、まあよいだろう。話を持ちかけたら二つ返事で誓約書にサインまでつけて送ってきた。下種な男だ」

 

 誓約書に署名しようとしたマデレーネの手がほんの少し、止まった。

 いったいマデレーネの顔も見ずに借金の肩代わりをするアラン・ノシュタット子爵とはどのようなお人なのだろうと不思議に思ったのだ。会ったことのない彼については、若くして成り上がった男、それしかマデレーネは知らない。

 借金とひとことで言っても、その額は並みのものではない。一年は国家が運営できるほど。兄たちが言うように己に美貌の価値があるとしても、とても見合うとは思えない。伊達や酔狂で出せる額ではないのだ。

 それに、イエルハルトが嬉々として自分を嫁がせるのだから、よい相手だとも思えなかった。

 

 一人だけ母親の違うマデレーネを、カイルは兄として慈しんでくれたが、イエルハルトは兄と呼ぶことすら許さなかった。

 

(――考えても仕方のないことね)

 

 マデレーネのサインした婚姻誓約書をつまみあげ、一瞥すると、イエルハルトは部下にそれを押しつけた。

 

「出立は明日だ」

「明日!? それはあまりにも……」

「大丈夫です、カイル様」

「マデレーネ! ぼくのことは、カイルお兄様と」

 

 カイルを制し、マデレーネは笑顔を見せた。これ以上自分のことで兄たちを言い争わせるのは本意ではなかった。

 

「こうなることは覚悟しておりました。だからお気になさらないでくださいませ」

「マデレーネ……」

「イエルハルト様の言うとおり、母が遺した負債です。わたくしは母を尊敬しておりました。わたくしが引き受けられるものなら、そうしたく思います」

 

 その言葉に、イエルハルトもまた唇を歪ませる。

 

「むこうについたらせいぜい贅沢しろ。あいつは爵位がほしいに違いない。いくらでもお前を甘やかしてくれるだろう。公爵位でも与えると言って、もっと金を引き出すんだ。あの家はもとから目障りだった……」

「もうたくさんです! ぼくはぼくで動かせてもらう!」

 

 今度こそ耐え切れなくなったカイルは荒々しく席を立つと部屋を出た。

 

「おまちください、カイル様! わたくしも、ごきげんよう、イエルハルト様」

 

 頭を下げて辞去の意を示すとカイルを追いかけるマデレーネの背に、イエルハルトの高笑いが響く。

 

「いいか。オレが王座に就いたときのために、ノシュタット子爵家を弱らせておけ!」

 

 けたたましい物音とともに閉まった扉にマデレーネは首をすくめたが、すぐにカイルを追い、廊下のむこうへと去っていった――。

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