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「紀文」青春伝(後編)

「紀ノ国屋文左衛門」 江戸時代から書かれていますが、幼年期からの話は本作品が初めてだったと思います、紀文はなかなか運の良い人でした。

運がよい叉は悪かったと片付けられる、偶然やたまたまの出来事は人の一生や国の将来に、多大なる影響を及ぼしています果たして逸れは、単なる神の気まぐれなのか神はサイコロを振らないと、アインシュタインは言いました、では必然的にそうなったのだろうか皆そう成るように努力しますがねぇ。

現在は夢を見にくい世の中かも知れませんね。こんな時こそ多くの本を読み自分を高め情熱もてれば成功者なれるチャンスかも知れません。自分に合った良い(アドバイザー)や、また良い本に巡り会えるといいですね。

けれど(一六三八年)に荷物船に限り解禁したが、その影響で大型船は、一時的に大きく減ったのだ。

文左衛門は和歌浦魚市場は従業員に任せ、自分は海南は下津大崎でぼろ屋敷を買い、周辺の若者を集め、大型船用水夫の訓練をするつもりであった。

「かよさん毎度本当に、すみませんねえ」

「いえかってに来て、ご迷惑ではなかったかしらねぇ?」

「いえ助かっています、夜店で買ったかんざしですが、どうぞ」

と言って紀文はかよの髪に、かんざしを挿してあげました。

確か前から緋牡丹のかんざしを挿していたが、どうも玉を無くしたようだった、それを知り紀文が苦労して、探して来たようです。

「まあこれ欲しかったの、見て私に似合うかしらねえ?」

かよはよほど嬉しかったのか、貰った緋牡丹のかんざしを、鏡に映し何時までも観ていた。

 新興の海運業者なので船員はすぐに集まらないので、若い漁師の中より壱から仕込もうとしました。

 教師には、祖父の船頭仲間に船の操船を頼み、自らは関口流の柔術を、皆に教えていました。

 如月(きさらぎ二月)で底冷えする。外は雪がちらほら舞っていた。文左衛門は忙しくても侍屋敷へは自分の持ち場と、心得て得意先を廻っていました。

 加納屋敷に来て御用聞き伺って台所方に入った。応対するいつもの、お女中衆に言った。

「今日は脂のった寒ぼらです、どうですか?」

 桶から生きのよい、飛び跳ねる寒ぼらを見せる。

「まあ丸々して、美味しそうだわねぇ」

そこへ加納久通奥方の乳母に連れられて、源六君がやってきた。にこりと笑う。

「あっ文左、持っているのはぼらか?」

「源六君持って来ましたよ、新鮮な脂ののったボラですよ」

「好物じゃ、わぁ嬉しいな!」

 理発な子供である、奥方が言った。

「あのう文左衛門さん、お由利の方よりお預かりしている物が御座いますのよ!」

 と言って本を出す(元和航海記)池田好運著作の幻の本である、西洋の天文航海術を表したその当時の帆船運用に於いて、優秀な本であった。

鎖国により商船は地乗りが主になっていて、小型船では航海事故も多くなっていました。

「これはありがたい、お方様には文左がお礼を言っていたとお伝え下さい」

 と言ってから、奥方に頭を下げる。

お由利の方が至れり尽くせりの事、それは紀文を根来忍者と知っての事と思われるが、藤林正武の口添えも多分に影響していると思われた。

 (心かけてくれるな、いやこれは藩主徳川光貞公の心も入ってるのだ)

その期待にたいして、めがねどうりの働きを後にして、根来忍者を中央に押し上げる、きっかけと成るのだが。

弥生(やよい三月)、いよいよまちに待っていた藩からの許可が下りて来た。

 紀伊國屋の屋号と回船業務の許可、凡天丸の使用名である。逸れを役人から聞くと、もう舞い上がるほど嬉しかった。 挿絵(By みてみん)

先ずはかよに言ったら、自分の事のように喜んでくれる、その場にいた皆にも聞こえるよう大声で言った。 挿絵(By みてみん)

 皆大いに喜こぶ、船も大分仕上がっていたので次の日早速伊勢にある木綿屋に、厚めの白の帆布を注文しました。

ここで「紀伊國屋文左衛門」の名前について、まずもっておことわりして、おきたいと思います。

今は江戸時代の戸籍はないし、この後紀州から江戸に移り住んだので紀文の戸籍は今となっては通り名だけ残っている、念願どうり紀伊國屋文左衛門と成り私としては読みやすい今ふうに、(紀ノ国屋文左衛門)と、記入しているだけなのでございます。

紀文は元々明るい性格だったけれど、最近はつとめて明るくしている、逸れは目には見えない運を意識しだしたからである。師弟の関係もそうだが能力有る者の近くにいれば、教えて貰えなかったとしてもその能力は移る事があるし、運のよい人の近くにいれば何故だか、運も良くなる事があるのです。

不運な人の元には、貧乏神しか寄り付かないからだ、人の集まるところに金も(福の神)も寄って来ると信じているからである、それは迷信かも知れないけれど、陰気な人には近寄り難いものがあるのだ。

あっそれと修験道について、書き足したいと思う

それは自然崇拝の神道であること、役行者は役の小角(おづぬ)と言う名前だったこと、東北の出羽三山で修行したこと、それは羽黒派古修験道と言われ千四百年の歴史があって、空海も大陸に渡る前に役行者と通じて、真言密教の修行をした事でも有名でもある。で神仏集合は平安時代から始まったこと。

人類が現れる前から自然は有り、宇宙は存在しましたならば恐竜の活躍していた時代から、大いなる宇宙の神は存在したのである。そして神を信じ崇める人類の現れるのを待った。


第二十一章、かよと和歌祭り


挿絵(By みてみん)

 弥生(やよい)三月二十六日玉津島神社の巫女かよを誘い、桜を見に紀三井寺に行く、花の紀三井寺はもう満開だった。

 山頂のお堂に登る石畳の中ほどで、かよの下駄の鼻緒が切れたので、おぶって登る。

寺から見下ろす景色は見事で、一面がピンクの絨毯みたいだ。

「よう兄さん見せつけてくれるやないか! この儂も混ぜてくれるか」 挿絵(By みてみん)

「うん邪魔するな、早々にあっちへ行きなよ!」

「何だこのやろう! なめくさって痛い目に会わしたろか」

 与太者が絡んできた、仕方なくかよを降ろすとその場で、相手を先ずは中国拳法、太極拳の熊手で相手のアゴを一発打つ。

「アッタア!」

後は合気でひねり上げ投げ飛ばす、それが効いたのか相手は、悲鳴あげ慌てて逃げて行った。

「フン、口ほどにも無い奴だな!」

 再びおぶって石の階段を降りる、重く感じない久しぶりに、楽しく満ち足りた一日だった。

(しかしこのところ、かよはよく暴漢に襲われるなあ? たまたま自分が居るときだからいいが)

「かよ今日から、私が護身術を教える!」

「ええっ、この私がやるのですか?」

「うん簡単な合気を教えるよ、いきなり無理だから先ずは関口流の基本からだなぁ!」

「あたしのきゃしゃな、身体でも大丈夫なの?」

「うんなるべく、解るように教えるから」

その日から練習が始まった、かよも頑張った。

「そろそろ合気技もやってみようか、この大東流合気術は古き言い伝えで義経(ぎけい)流でもある!」

「エッあの有名な源義経ですか、わぁ嬉しいわ逸れは是非にも習いたいですわ!」

「武田氏は源氏の流れそれで代々伝っている、義経(よしつね)とも縁がある源義経は鞍馬八流と呼ばれる山伏兵法を、鞍馬寺で鬼一法眼から習って、新たに義経(ぎけい)流の剣術または忍術や、合津藩保科家に伝わる、大東流柔術の開祖となった」

「では大東流とは、義経流なのですか?」

「そうとも言えるが今は定かではない、あくまでも推測である?」

「今は大東流合気術と言いますがね、逸れは剣術を除く柔ら(柔術)が主体の護身術です」

「其れでは女の私にでも、取得出来ますの?」

「うん合気技は気で、そんなに力は要らないよ!」

逸れから毎朝、文左衛門の特訓が始まった。初めは腰も引けていまいちだったが、教え方が良かったのか見る間にさまになってきた。合気のスイッチが入ると、動きがスロウモゥション的感覚になるのだか、自分の頭の回転が速くなるだけで、時間がゆっくりとならないので身体能力を高める必要はある。

合気といっても文左衛門も正式に習ったのでないので、今までの経験を生かして独自の技を教えるが合気は本当は技ではないのですが、文左衛門も必死で手取りあしとり教える、女と思わず激しくきびしくであった。かよは好いた男に構って貰えるのが嬉しいのか笑顔で楽しく練習に励んでいる、また気心知っているので文句も言わず率直に応えていた。

初め太極拳と思ったが、攻撃的で人を殺す恐れも有り、護身術には不適当と思い合気術にした。危険故に人体に有る経絡秘孔もわざと教えなかった。

戦争中で無い、平和な世の中では如何なる悪人でも、人が死ねば裁かれる側となりえますからねえ。

強い故に一子相伝の拳法、太極拳に一抹の不安を感じました。(ひょっとしたら、私は太極拳を受け継いだ相伝者なのかも知れないかとも思った?)

相伝者も事故で亡くなれば、伝えるすべがなく優れた術技といえども、世の中から消えるのである。

この時紀文に太極拳の相伝者たる自覚が無かったのと、余りに危険な武術だと判断し封印した為に日本や中国に於ける、太極神拳は誠に残念な事に相伝されなかったのであるそして体操として残った。

(あの太極拳相伝者、チャイナ娘は今どこでどうしているのかと、ふと思った)

どんなに優れた忍術も技術も、その人が居なくなれば消えてしまうものであるから、非常にもったいないがその技術の継承がないものもある。

例えば以心伝心の術と、云って鷹とかその動物の今見ている物が見えたり、聞こえたりする術だ。

一つのテレパスかも知れませんね。有名な北条早雲が、雲という鷹を使った話は伝説的な話です。

「はい私には合気技が、性に合っていますわ!」

「そうかぁうん、あれもこれもでは実際に身に付かんしな、(じゆう)よく剛を制すと云うしなっ!」

かよは神社の巫女で、神楽舞いをたしなんでいる動きが合気と、何か通じるものがあるのかも知れなかった、文左衛門が舌を巻くほどの上達であった。 しかし経絡秘孔はあえて危険故に教えなかった。

合気あくまで相手の暴力に対して護身術です、でも能力は近しい人に移る事があるかも知れません。

 桜の花散る卯月(うづき)四月を過ぎると、その後からすぐに和歌祭りがあるかよにせがまれて行くことにした。 挿絵(By みてみん)

 皐月(さつき)五月の第二、日曜日(ドドドンドン)と太鼓が鳴り響く和歌祭りである。和歌浦にある神君家康公を祀る紀州の東照宮にて、年一回祭りは開かれるのだ、侍や町の衆が晴れ着着て練り歩く。

 玉津島神社の巫女かよと連れ立って、文左は祭りを見に来た。 挿絵(By みてみん)

(神輿)は三台、神殿「本殿」から百八段の石段を降りると、片男波御旅所まで、神輿と徒千人ほどが外人含めて五キロを練り歩く。

 先頭は根来衆が勤める根来同心組である。模様しとして文左も片男波相撲大会を楽しんでいた。

場にいた人々は文左衛門の細身の体つきを見て、これはすぐに負けるだろうと、思い馬鹿にしてた。

「優勝すれば何か貰えるの?」

「鯛と饅頭が貰えますよ、あっそれと優勝すれば髪を結い直してもらえますよ!」

「ふうん饅頭が出るのか、それかよの大好物やの」

「必ず勝って饅頭貰ってねぇ!」

初めは遊び半分で参加したのだが、やり始めると面白くなってきて関口流や合気技が次から次ぎへと技がかかりまして、対戦相手が倒れこみついには優勝しました。何よりもかよの笑顔が嬉しかった。

 藩主御座所から、観ていた侍。

「おあれに見えるは、文左衛門ではないか!」

目立ったのか藤林正武が、指差して言った。

「そなたの弟子、紀ノ国屋文左衛門か」

 お由利の方が見たところ、文左衛門はこの前よりかなり若い様に思えた、藤林は手を振り合図した。

「これは藤林正武師匠、ご無沙汰しております」

 頭下げる紀ノ国屋文左衛門。

「隣りにおわすはお由利の方で、其方にお声を掛けてくださった」

見ると少し大柄だがその引き締まった身体、仕草は上品だが尋常で無いものを感じた。

「文左衛門、源六だ久しいのぉ」

 横にいた二歳過ぎの若君が言った、幼いながらも言葉がしっかりして来たように思う。

「これはご丁寧な挨拶、有り難き事に御座ります」

 深く頭を下げて一礼し、その場をかよと共に早々と立ち去った。

 戻り御輿が担がれ祭りは、最好調に達し花火も多く打ち上げられた。

二人は仲良く話をしながら、和歌浦にある各自の家へ歩いていたら、酒に酔った若者二人がからんで来たひとりは匕首(あいくち)持ちこれ見よがしにちらつかせている、いつもの様に文左衛門が相手になろうとかよの前に出た。

すると後ろにいたかよに、文左衛門は袖を引っ張られ止められる。

「今日は私に任せてくれる、では緋牡丹のかよ只今参上お相手をつかまつる!」

逸れを聞いた男達が、いきり立ってかよに向かって来た。かよは両手を前に手を開いて、ぐっと腰を落とすと合気八想の構えで身構える。

「生意気な女だ、おのれ手加減はせんからなぁ!」

先ず匕首(あいくち)持つ男が右から来る、左からは丸棒持った男がかよに向かって来た。

「ええっい、やあぁ!」

かよの高い声がこだまする。二人は左右から襲いかかっていったが、あっという間に前後に投げ飛ばされた。

「うううっ、なんという恐ろしい女だ!」

見事に合気の四方投げが決まった、けれどそれは相手の暴力に対しての護身術です、正義と言えども身に来る火の粉は払わねばならないのです。

「ねぇまだやるの、そこのお兄さん方?」

男達は 腰を打ったのか、もう半泣き顔である。

「めっそうもありませ ん、お見逸れしました」

酒に酔った若者達は、いっぺんに酔いが覚めたのか、足を引きずりながらその場から逃げて行った。

「ははん、女だと思って舐めんなよ!」

「大丈夫か? かよさん 何ともないか?」

「えぇ快感だわ、私とても気持ち良かったわ!」

今更ながら合気は凄いと、再確認した文左衛門であった。かよはいまだ興奮さめやらずである。

 帰り際かよを引き寄せて、ほほにせっぷんしたら

耳元からほほを赤く染め上げ、その場から逃げるようにして帰って行った。 挿絵(By みてみん)

(ああ早まったかな、彼女に嫌われたかな?)

文左衛門は帰ると、すっかり暗くなった空を見上げて、一面に散らばる星々を見るすると気持ちも落ち着く、それで早速寝床に入ってぐっすりと寝る。


第二十二章、嵐の五十日


 皐月(五月)ようやく凡天丸の修理も出来て、紀文喜びもひとしおだった。

 紀州有田地域の山々では、蜜柑の白い花が一斉に咲き、山が白くなったように見事である。文左衛門は忙しく動いた。船に乗る人集めや資金繰りにも当然、苦労したのである。

 貞享三年文月(七月)三日、紀ノ国屋文左衛門は満十七歳となった。

 青春まっただ中、紀文の心はもえていた、炎のごとくである。 挿絵(By みてみん)

 そう青春は誰にもあるが、それぞれ一度しかないのだ。何をしても悔いなく生きたいと思う紀文。

七月七日たなばただ、凡天丸が海草郡海南の下津大崎にあるせいか、文左衛門の行動範囲が和歌浦から、海南の下津や蜜柑の里有田の箕島に、当然のごとく移っていた。 挿絵(By みてみん)

 今日も有田周辺を、かよを誘って馬で一駆けして来た。かよを和歌浦まで送って、また有田地域をうろうろしている。 挿絵(By みてみん)

有田川の橋近くで、老婆がうずくまっていた。

「あのうどうなされた? どこか悪いのですか?」

「あぁどこも悪く有りません、ただ腹が減って動けません蜜柑が売れなくて米買うお金も無いので」

「そうですか取りあえず、私の持ってる握りめし食べて下さい」

「どなたか存じませんが、ご親切本当にありがとう御座います!」

老婆は手渡したおにぎりを、貪るように食べた。

「この世に神や仏はいるのでしょうか、悪い事が続きますのう?」

「どうでしょうか人の都合で神はいませんが人の心に:神が住むならば、助ける神も現れるでしょう!」

「いらぬ愚痴言いました、どうもご馳走さまです」

「いえいえ、少なくてすみませんね」

(まず思いそして願いあり、逸れを叶える事が商人だ!)武兵衛の教えが紀文の胸に蘇って来ました。

それは科学(発明)の世界でも有り得る事です、まず分からない事をメモしておきます、とある時何かの拍子に一機に解る事が有ります、ヒラメキそれが発明なのではないのかも知れませんね。

ここで注意しておきます、発明出来ぬ者は何とかして、人のアイデアや製作物を盗ろうと必死なのです、それは有名人や有名企業であっても油断は出来ません、そのソフトアイデアは、もはやあなたの目に見えない財産なのですから。

「おっ空が曇ってきた、こりゃもう直にでも一雨あるかな:、では私はこれで失礼しますよ……」

 有田川近くの箕島近辺を、馬に乗ってうろついている時突然俄雨が降って来た、仕方なく近く箕島神社の境内で雨宿りする事にした。

境内には先着の見掛けぬ男がいる、見たところその若者は自分と同じ年頃のように思われる。

「お主見かけん人やけど、馬に乗って豪勢やの! おっと失礼しました、私は高垣亀十郎と申す若輩者で蜜柑方荷親をやってます」

「そうですか、私は紀伊国屋文左衛門と言う最近下津の大崎で、回船業をやり始めた若造です」

 文左衛門は濡れた服を手で絞る。

「私は親に先立たれ、十六歳から商いし今十七歳と成りました」

「そうですか奇遇ですね、この私も十七歳です」

「へえ、そうですか? 二十歳ぐらいに見えましたがねぇ……」

「此から宜しく、お見知りおきを御願いします」

「へえこちらこそ、お頼み申しますよ!」

 二人は固く手を握り締め、此の日より友達と成る事を誓った。

それまで文左衛門には、友人はいなかったのである。最初の友人となった。

 箕島神社は(祭神水主明神・素戔嗚命)で、海運陸運交通の安全を祈願する人々に尊崇された。

 雨はあがる参拝した二人は別れて、文左は下津まで馬飛ばす、山では蜜柑の青玉が成っていた。

 文月(七月)十日、凡天丸は修理成って処女航海に出発することになった。

 もちろん安全を考えて瀬戸内は長州行き航行で、九州博多港まで行く。 挿絵(By みてみん)

湯浅から醤油・備長炭・鰹節などを運び、九州博多や長州からの戻り荷は、主に米を天下の台所である大坂まで運んだ。紀文は武兵衛からよく言われていた事があった、それは航海に於いて長期になるときは野菜や果物類をよく食べる事である。

それは壊血(かいけつ)病といって野菜不足によってなる病気で、大航海時代西洋の船員がよくかかったとされる病気である、症状は始め身体がむくみ次に歯がポロポロと抜け落ち、ひどくなると目玉が飛び出して死に至るという怖い病であった。後年に研究し解った事だが原因はビタミンCの不足である。

博多港で下船して、博多の町中を皆でぶらりと観て廻った日本というより外国に来たようだ。

「九州博多は美人多くて、人もさばさばして叉来たかっのう!」

「小僧さん、この船どでかいですなぁ南蛮船みたいに、がっしりとしてますね?」

「あのう……失礼しますが、この御方が船主の紀ノ国屋文左衛門です、どうぞ宜しくとの事です!」

「ハハハ、それは失礼しました」

どうもこの頃の文左衛門は、いつも若く見られるのである。聞いた人もばつが悪いのか知らぬ間に居なくなっていた。

 凡天丸は訓練の成果が出て、七月二十日無事に下津の大崎に戻って来た。かよも出迎えに来ていた。

喜びはひとしおで、文左衛門は笑顔で言った。

「皆様ご苦労さんやの、次もこの調子頼むでぇ!」

「へえわてらも、次の乗船を楽しみにしてますよ」

 宴会し皆の無事を喜び称えた。かよが来てくれるのでこうゆう時は大助かりであった。

もちろんかってに、和歌浦から自分で馬に乗ってやってくる、海南の下津まではかなりの距離あるのですが、馬に乗れるので毎日平気な顔してやってくるのです。どうも武家の娘なので、おてんばで勝ち気な所があるようです。 挿絵(By みてみん)

葉月(八月)に入り有田の蜜柑産地から有田北湊の、蜜柑方の倉庫にどんどん蜜柑が集まっていた。

「今年の蜜柑の出来は最高や」

「うん大きさも味も、最高の出来映えやのう!」

「そやなあ楽しみや、ええ正月出来るでぇ」

 蜜柑方は活気に満ちていた。蜜柑は紀州藩の統制品で蜜柑方荷親組合いが、小売りをのけて紀州蜜柑を独占てきに扱っていた。

 有田組合株主十九組、海草郡組合株主四組が独占して、藩内のみかんを仕切っていた。

 長月(九月)二日過ぎから嵐が来て、海は時化て大荒れになって来た。すぐに回復するやろと、待っていたが回復はなかった。

幸い蜜柑は倉庫に既に運び込まれいて、所狭しと積まれていた。

 神無月(十月)十日過ぎても、嵐と時化は治まる気配は全くない。

蜜柑方荷親組合員は、皆頭抱える。

 十月十一日文左衛門は有田川周辺を馬で観て廻った。鰻の仕掛けをするための場所を探していた。

 箕島神社の前で辰の上刻(午前八時)高垣亀十郎とばったり会った。

「おおっ高垣亀十郎どの久しいのう、儂や(わしや)紀伊国屋の文左衞門や」

 馬から降りてゆっくり歩く。

「文左衛門さん、おまはん蜜柑方及び船主の寄り合いに行かんのか?」

 文左衛門は、何か不思議そうな顔してる。

「高垣どのそれはいったい、何の話しかのう?」

「紀州回船の船主と蜜柑方の荷親の話し合いや! これから皆集まって会議する」

「あの儂はまだ紀州廻船に新入りなので、まだ組合員と認められて無いのや!」

 情けなそうに、頭をかいた文左衛門でした。

「そうか悪い事聞いたなぁ、話しは蜜柑の船出せ出せんの押し問答で、結論のない会合やと思うのやけども、そういえば湯浅におまはんの兄貴が営んでる、海船問屋あったかのうおとなしいのかあまり印象になかったけどねぇ?」

「うんあまり行き来して無いので、儂もさっぱり解らんのや今どうしてるかな? そうかぁ皆生活と運ぶ方は自分の命懸かってるから必死なんやろな!」

「それじゃまた! 遅刻せんよう行ってくらよ」

「ではまた、わざわざ引き留めてすまんかった」

 その日の午の刻(正午)寄り合いが始まった。蜜柑方と船主の意見は平行した。時化と嵐で誰も船を出そうと云う者はいない、調停役の藩の役人も、困り果てていた。

「そらあ金も欲しいが、命も惜しいさけいのう!」

「儂らぁかかあも、子供も居るからのう……」

 今日も堂々巡りの会議となりそうです、まったく話がまとまりません。外敵よりも内なる敵が(身内の親族など)最も厄介で、気をつけねばならないのである、外敵は警戒して対策も立てるが、身内の事は立てようも無く、信長もそれで倒れたのである。

 しかし急に現代的に言えば、台風が三つほど来たようなものである。台風の当たり年であったのだ。

「お前ら海で育った男が、誰ひとり行く者無いのんか! あまりにも意気地無さ過ぎる」

 高垣亀十朗がたまらず激昂して言ったが、本人は船は無くまた経験もないので、それ以上は何も言えなかった。

「困ったなぁ、誰か知り合いにいないのか?」

「お役人様、一人だけこころあたりか有ります」

「ふうん……それは誰かね?」

「それは、紀伊國屋文左衛門さんです」

紀文はその頃近くの滝で、無心に流れる水に打たれて、来るであろう要請の吉凶を、予知していました幸い吉と出ました。何だ占いかと思われますが、何もしないで引き受けるのは無謀で有ります。

「おおっあの鮫退治の…… 、ウム上にはからって早速に行ってみようかの!」 

 十月十五日の暮れ六つに(午後六時)下津大崎の紀伊国屋に、藩お勝手方の水野忠勝が訪ねて来た。

「儂は藩お勝手方の水野忠勝と申す者、文左衛門どのは御在宅か?」

「はい、私がその紀ノ国屋文左衛門です」

「おっと、お役人さまどうぞ上座へ」

「今日は貴殿に藩主から頼みがあって参った。お由利の方の願いでもあるのだが……」

それを 聞いた文左衛門は、額の汗拭く。

「それは何でござりましょうか?」

「今藩の蜜柑方は困っている、おぬし江戸へ蜜柑を運んでくれまいか?」 挿絵(By みてみん)

紀ノ国屋文左衛門は、 少し考えて返答した。

「はい喜んで、わたしがお引き受けしましょ!」

「助かった御願い申す、蜜柑の値段は、西村屋小一と相談してくれるか、あっそれとお由利の方から船磁石と望遠鏡を預かって来ましたが、文左衛門さん受け取って貰えますか」

「はいおそれいります、御配慮有り難く思い喜んでお受け取り致します」

その西洋風望遠鏡は、直径十センチあり、前後に伸ばすと五十センチあり、三十倍大きく見えた。

「それと紀州藩御座船の印し、それと旗差し物も預かっている」

「それは心強い御墨付きや! それならば船の関所も素通り出来ますなあ」

これで凡天丸は、晴れて紀州藩御用立て船と成ったのである。

 こうして文左衛門の、江戸行きは決ったのです。幸運の女神が微笑んだら躊躇無く前髪を捕まえなくてはならない、迷って一瞬を逃がして、後ろ髪掴んでもするりと滑って抜けるのである。

 十月十六日文左衛門は蜜柑を買う為、資金集めに走り回った。最初町の金貸しにあたったが足元観て色よい返事は呉れませんでした。

仕方なく最後に玉津島神社の神主、高松河内に相談しました。

「おお文左衛門どの今か今かと待っておった、紀州にある神社の関係者一同皆集めて事前に相談してましたのや」

「逸れは有り難い、御想像どうり困っていました」

「紀州の神社一同皆賛成してくれました神社金融は成りました、しかし担保は要りますよ危険な仕事故やからのう逸れに皆紀州の心意気感動受けました」

「有り難い事に御座います、私は男に成れます!」

和歌浦の店屋敷や魚市場の仲間株、それと下津の屋敷を担保に神主高松河内に頼み、神社金融で千二百両を作ったのです。それは文左衛門の今ある総てで御座いました。船は担保に成りませんでした。

 その頃の一両は値打ちあり(一両は四千文・一文を二十円と計算すると)八万円ぐらいであったと思われる。お金も変動するので一両は六万円の時代もあったが、この頃は値打ち有り今の十万ぐらいか。

大工の日給は銀五匁四分(五千四百円)米一升五十五から七十文(八百二十五円~千五十円)だった。

 十月十八日有田北湊蜜柑方会所の元締め西村屋小一の店に若者がやってきた。

「あのみかん買いに来ました」

「おおそうかぁ、そこらへんにある蜜柑どれでも一籠持って行ってくれ金は要らん」

 邪険に言う、紀文は周りをキョロキョロす。

「けったいな人やな背負い籠ですか? 今倉庫開けますよって」

 ギギギイ、倉庫の扉が開かれた蜜柑の甘酸っぱい匂いがする。

「わぁ西村屋さん、どえらい蜜柑の量ですなぁ!」

 西村屋小一は、にがりきって横目で睨む。もう破産を覚悟していたがその言葉は傷に塩でした。

「まあ八万籠は、有りますやろなっ!!」

「ほなそれみな買おうか、一籠四貫目(十五キロ)で八万籠を全部や!」

「えぇっ! そない仰る……もしやあなたは紀伊国屋文左衛門さんですか?」

「そうです、紀伊国屋の文左衛門です」

文左衛門はにっこり笑う。

「すみません知らずに、蜜柑方役人に聞いてます是非とも御願い致します、これは助けの船や!」

「あのそして、値段の事ですが?」

「ああ値段ですか、あって無いようなものですな」

「ではここに千両用立てました。これで仕切ってください、江戸に着いたらそれ相応に出しますよ!」

「ううんあんさんまだ若いのにどえらい男や! あのそれで船は、今どこに在りますのや?」

「下津大崎は加茂川河口に留めています、有田の橋から直接陸路で、運んでくれませんか?」

 西村屋小一、笑みで感極まりパンと手を打つ。

「それは有り難い、北湊は時化で動き取れません」

「では宜しくそうゆう事で、お頼み申しますよ」

「文左衛門さん、ありがとう!」 挿絵(By みてみん)

 交渉は成る意気揚々と文左衛門は帰る。

 十月二十日、下津大崎の屋敷で訓練生三十人に江戸行きを募集する。長男はのけ命惜しむ者も省いたら結局十一人が残った。それで今のところ文左衛門を入れて十二人であった。

「意外に少ないな、仕方ない誰も命がけだと尻込みするやろ」

去るものは追わずである。

 後お由利の方から藩船運用に長けた、根来同心組より三人来たので総勢十五人になった。

 十月二十五日、船に蜜柑八万籠を積載しましたと連絡が入る。


第二十三章、江戸に船出する


 嵐と時化は五十日経つが収まらなかった。

「紀伊国屋さん、高垣亀十郎ですこの度助かりました。私も江戸へ連れて行って貰えませんか?」

「これは命がけだよ!」

 文左衛門は亀十朗の、顔をぐっと覗いた。

「覚悟の上で御願いします、蜜柑方組合員の私なら江戸の蜜柑方にも詳しいですしねぇ」

「まあ人手も足らんことやし、こちらは願ったり叶ったりですよ!」

「それでは、良いのですね!」

「うん、先ずは前渡しで十両です良いですか? 着けばその上にもう三十両出します」

これで総勢十六人になった。船は少人数でも運行出来るように改造されている。 

 霜月(十一月)八日は、いよいよ江戸のふいご祭りだ。それまで蜜柑を送らねばならない。

 ふいご祭りは鍛治屋や鋳物師などふいごを扱う職人達の祭りで子供らは祭りにまかれる蜜柑を、楽しみに待っています。毎年その日まで紀州から蜜柑が届けられた。

 文左衛門は皆を集めて言った。

「なんぼ時化や嵐やとて、紀州から江戸へ一艘も出せんというのはのは、紀州商人や船乗りの名折れや儂は行くで!」 挿絵(By みてみん)

高垣亀十郎も続けて言った。

「その通りや、有田の蜜柑農家や問屋もそれで、頭を痛めてましたんや!」

「この凡天丸に積んだ蜜柑が唯一、紀州商人の誇り命懸けても祭りには、間に合わせるつもりです」

「それで、いつ船を出しますので」

「皆の安全考えて嵐治まるの待ったが、無理やったいよいよ二十九日に船出します、紀州の心いき見せるのはこの時や皆頼むで!」

「へい、一つ聞きたい事おます」

「あのう……(紀文)の若旦那は、死ぬのは少しも怖くないのですか?」

「怖くないと言えば嘘になるがのう、あまり考えないようにしているのだ!」

「その時来たら思うと、わたしはもう恐ろしくて体が固まっています!」

「人生は短い、やるべき時やらなんだら、この世に生まれた甲斐がない後々悔いが残るで!」

「そしたら、あの世とやらは有るのでしょうか?」

「この世に生まれてこの世あるのを知ったけど、まだあの世行ってないので、それは解らないなぁ!」

そう言って皆を見渡したが、特に恐怖する顔は見当たらなかった。

「嵐が男を試すとき、やらねば男の価値がない俺はやるでぇ、君らも一緒にやろうやないか!」

皆腹をくくったのであろう、言うは易くするは難しいのである誰も後講釈は言えてもその時に果たして実行出来るであろうか、逸れは疑問であるまして自分の命が掛かるとすればなおのことである。

「そうでんな、聞いて何や吹っ切れました、文左衛門さん要らんこと聞いて済みませんでした!」

「いやぁいいさ、儂とて不安で怖くなった事もある。今度は成功するかどうなるのか分からない?」

(今に至っては事が成るよう、創意工夫し出来るよう努力するしかない!)

「でも見てると中々堂々としてますよねぇ!」

「うん人には持って生まれた運とかさだめがある、ただ後で後悔したくないのだ、我が人生一回限り思った事をやるだけだ、結果は運しだいや!」

「ヘイ今更おかしな事聞きました、すみません!」

「うんまだ間に合うで、不安に思う者止めたら良いし、成功すると思う者だけついて来てくれ!」

「へい分かりました紀ノ国屋文左衛門の覚悟のほど、成功しますあなた様について参ります!」

(そうや後は成功するの信念自己暗示言魂で、幸運を引っ張り込んだろ!)

この一連のやり取りは直ぐに広まり、和歌山城下田中町の蜜柑市場に流れると、蜜柑相場は暴落から一転して活況に成り昇龍のごとく立ち上がった。

 十月十八日、紀文は下津大崎の屋敷にて、船出の前祝いに皆を集めて心尽くしの酒盛りをした。

「やっと間に合うた、揃いの半天襟に紀伊国屋、後ろに丸の中に紀と染めてある、これ着て行こう」

 玉津島のかよも手助けに来ていた、それは高松河内のはからいだろう。

「文左衛門さん、この人知ってますか? 昔は真田苔丸と名乗っていたそうですが今真田優奈」

「あっ根来の苔丸か、ゆえば面影ある、お主くの一だったのか?」

「はい藤林様の命令で、かよさんの元に手助け警護に参りました」

見ると女らしくて忍びとは見抜けない、人は変わるものであると、苔丸の顔見てしきりに感心した。

「逸れなれば心強い、頼むぞ苔丸いや優奈さん」

「はい私の身に変えて、御守り致します」

どちらとのう見ると二人とも十年の歳月、かなり変わってしまったと思った。

「それに久しぶりだった、全く気がつかなかった」

「はいお久しゅうございます、あれからもう十年になりますかね」

紀文はすっかり変わった、苔丸でなく今は優奈を観ていました。

「すっかり女らしくなったな、かよの事頼みますよ真田優奈さん」

「私こそかよさんに、大事にして貰ってます、言い遅れましたがこたびの、船旅ご成功祈ってます!」

そしてかよはというと船員達に半天を配り、ご苦労様ですと皆に声をかけていた。

「明日いよいよお立ちですね、おなごり惜しいですね、男児の御本かいを心より祈っています……」

かよは無事を、祈る気持ちで紀文に声を掛けた。

「嵐が男を試す時俺はやる俺はやるでぇ、そや君たちも後悔せぬように思い切ってやれぇ!」

皆に聞こえるように、文左衛門声を張り上げて言い放ちました。

勿論用意周到その夜は地図を広げて、江戸までの地形海路を夜遅くまで我が頭に叩き込みました。

孫子曰わく、地形についての道理を見極めることは、その頭梁と成る者の最も重大な任務である。

閏十月二十九日、辰の上刻(午前八時)以前に増して外は大嵐だったが、もう出発を延ばせない。

 下津大崎の屋敷を出た、十六人は加茂川河口堰に来て、船に取り付けた綱を引き寄せ長板を舷に渡し凡天丸に乗り込んだ。

「わぁ久しぶり新船みたいだ」

「さあみんな気を引き締めて、行くでやってやれぬ事はなしや!」 挿絵(By みてみん)

 見送りは三十人ほどで、かよも涙こらえて手を振ってる、しきりに文左衛門に対し、強気のはっぱをかけているが、よくよく顔見ると目が潤んで涙目であった。 挿絵(By みてみん)

 そこに馬のひずめの音、かよの父親の高松河内がやって来た。

「おお文左衛門どの! 間に合ったこれは箕島神社の海上安全の御札だ、それではくれぐれも気をつけての……皆期待してますよ!」

「はいお心遣い有り難く思います、ではこれにてさらば、おさらば……」

紀文らは気付ずかなかったが、近くの木かげからひっそりと由利の方も船出を見送っていました。

(やはり母親の千代は来てくれなかった、一生の別れかも知れなかった。少し期待をしていたのだ)

 意を決した文左衛門は船を引き留めていた麻縄二本を、先祖譲りの波きり丸でスパッと切った。

 さて船出を見届けてかよは近くの箕島神社に出向いて、海上安全の祈願込めて雨降りしきる中、お百度参りをしました。

船名の凡天丸であるが、梵天丸でないかと思われる人も有りますが、神仏の名で有りますし伊達政宗の幼年期の名前でもあるので、恐れ多いのであえてこの作品は凡天丸としています。


第二十四章、嵐の中凡天丸は行く


「さあ碇を揚げよ! 皆行くで」

ギリギリギイ、手回し巻き上げ機で錨を揚げる。風が強い帆をはってもないのに、凡天丸は加茂川の流れに乗って沖に繰り出す、陸からかなり出て潮流に乗ってる、それで岩に乗り上げる事はない、波は予想以上に高く猛烈な雨が、甲板を洗うようにザザザッと降りそそぐ。

「おお神よ、どうぞ凡天丸を守りたまえ!」

 天を仰ぎ見て思わず大声を張り上げると、皆文左衛門の顔見た。

すると文左衛門は、祖先譲りの刀である、波切り丸のさやを払って天上に掲げ大声を張り上げた。

「南無八幡大菩薩、八百万神々よ! 何とぞ我らを助けたまへ守りたまえ!」

「気づかいない心配するな、事成すのにはまずは思う事、そして信じる事そして最後に実行である!」

「あのうこれから旦那どうします、安全を考え陸づたいの近場乗りで行きますかねえ?」

近場航海(地乗り)とは、陸地を離れる事なく、沿岸の山容、地形を目標として行う航海である。

「あかんあかん、大胆にやらんと逆に危ないもっと沖へ船を出すのや!」

「この嵐の中、船を沖に出して大丈夫ですかね?」

「あのなぁこの大嵐、今までの常識で物事考えてはいかん、非常識の中にこそ突破口が、有るんやないのかと儂は思っている!」

「へぇ、そうでしょうかねぇ?」

見ると皆顔色青く、不安げである。

「文左衛門一世一代の大勝負、船玉大明神が我らを守って御座る!」

「みなええかあ、今から船を沖へ出すでぇ! 若旦那遠乗りですね?」

 船はさらに沖へと進む、文左衛門腰に縄をくくりつけ磁石片手に指図する、雨風は唸り上げて舞う。

 (ビュュウ、ゴオォゴゴゴゥ)

 寄せくる波は小山のごとく、連なり重なり襲って来る、船は上に下に木の葉のように翻弄される。

「若旦那、嵐には一服ないんかのう! 雷神様よお手柔らかに頼みます?」

 舷から眺める海は、沈み込み船を引き込んで、ああ今度はもうあかんと思うが、叉急に浮上する。

波をかぶって船上にそしてひざ下おおう、そんな波大したことないと思っていると、足を取られ流され帆柱で頭を打つ。

「ええい、帆を揚げよ帆を!」

「えっこの嵐に、帆を揚げるのですか?」

「速度上げて三角波を飛び超えて行くのや、そや飛んで行こう!」 挿絵(By みてみん)

「おお怖! ほな皆さん方親方の、指図出たよってに行くでえ~ええかぁ!」

ろくろ仕掛けで、がりがりと上げるピイン風受け帆が張る、今にも破れんかのように、南西から吹く大風を受けて、船足は飛ぶようだ。

 稲光りが頭上に走り波が船を殴りつけ帆柱は軋んで音をたて、海水は怒涛のごとく頭上から叩きつける、みんなは海水をたらふく飲み込んで、激しく咳き込んだ。

 紀伊水道の難所、日の御碕を一気に超えた頃嵐も少し収まったように思えた。

「皆気を緩めるなまだまだ波は高い、荒波よ何時でもきやがれてんだ!」

 船を波が叩く、それを紀文はゴウシュ音頭の、太鼓のごとく聞いて歌い出した。

 (♪よいとヨイヤまっか、ドッコイさぁの~さあ、ああ黒潮踊る熊野灘潮岬や大王の御崎~イ♪)

「若旦那まだ元気いっぱいで宜しいな、わてらもうじき限度です、とてもあきまへん!」

皆命綱を緩め肩で息した。波をかぶったので身体が冷え、凍え死にそうに寒く震えが止まらない。

 雨や嵐は少し収まるが、時化はきつく上下左右波に揺られて、全く方向感覚がなくなり、船磁石に頼るしかなくなった。

「紀文の若旦那大丈夫ですか?」

「ハハハッ何のこれしきのこと、ううん膝が笑うてござるわい!」

言う間もなくドドドッと、大波が来て船外にさらわれる、帆柱にくくりつけた命綱を手繰り寄せ、かろうじて船内に戻る事が出来たが、まったく冷や汗ものであった。

「若旦那忘れていました、かよ様からお手紙預かっています!」

高垣は手紙を紀文に手渡しました。紀文はその場で、手紙に目をとうしました。

(一言申し上げたくしたためました。どうかご無事で成功なされ御帰還なされますよう願っています。昼に夜にあなた様をお慕い申し上げます、拙き文を読まれし折りは燃やして欲しくそうろうぞ、十月吉日かよ) 

船は黒潮躍る本州最南端は、串本の潮の岬や大島須江崎の沖を東にまわり込み熊野灘から、伊勢の大王埼を遠く大回りして進んだ、みんな血の気無く青息吐息ある。

日は出てないが昼間なので、外海はぼんやりと明るい難所は過ぎた、これで島に乗り上げる気ずかいはなくなる、船との衝突の危険もない、この嵐に船は一艘も出ていなかった、けれど柔い木造船である海面に漂う流木が気掛かりであった、お寺のカネ付くように船に当たると危ないのである運任せだ。

紀文はと見ると、また俄かに歌い出している。皆気が狂ったかと心配そうに、紀文を観ていた。

「♪華のお江戸に蜜柑を運ぶ、度胸一つで生きる身だ。咲いた花ならよう一度は散るじゃないか~ 男文左の、男文左の-心意気♪」

「おおまともやないか、まあ少し狂ってなきゃやってられませんなぁ皆様方よ」

「へい、儂らも心配でのう」

夜に入って、空と海の区別も付かなくなった。凡天丸は暗闇の中ひたすら走り続けるのであった。

灯台もないし陸の風景も見えずでは、今どこを走っているのか皆目見当も付かない有り様で、もう気が触れそうになります。と朝日が差して来て周りが、ぼんやり明るくなってきました。

此処で紀文はどこからか、船上に和太鼓持ってきて叩き出した。

(ドドンコドンああドドンコドンそりやドドントドンドンドンドン)

またまた紀ノ国屋文左衛門は、調子良く唄う。

「♪えぇーさぁても、この場の皆様がたえぇ~お見かけどうりの若輩でぇヨオホーイホイそらぁえんやこらせのドッコイせい、古より唄い継がれた河内音頭に乗せまして血を吐くまでも、血を吐くまでも勤めぇましょうソウラアよいとこさサノヨイヤサッサアッ♪」

不思議です ねぇこれで皆の気持ちも、パア-ッと明るく成り久々に笑顔も出てまいりました。

音がする 鳥羽浦の漁師が、ふと何気に沖を見た。

「おい皆見えるか、この嵐の中に船が帆を上げて行きよるで!」

 人々集まり沖見る波に消えては浮かぶ船がある、横で竜巻が揚がり暴れ狂う龍王のようだ。

「あれは人間業の船ではない、あれは八大龍王の御座船じゃぁ!」

 目を凝らしてよく見てると。

「帆にまるに紀の字が有るで」

「おっあれは、紀州の蜜柑船やないか!」

 皆はたまげて、呆れて船を見ていた。

 (♪沖の暗いのに、白帆が見ゆるあれは紀伊国蜜柑船♪)

 漁師町に後の世に、歌い継がれた網引き音どだ。

新居の沖(浜名湖の近場)を経て

遠州・相模灘を、進む頃には日も差してきて、嵐も収まり時化も和らぐみんなの顔色も戻ってきた。

「皆よう頑張ったのう品川まで後もう少しだ! 其処で検問ある」

「あのうそしたら、品川で荷降ろしですか?」

「いや江戸の佃島まで行く、江戸神田には近いので佃島で荷降ろしするかの」

「えっでは儂らが、積み荷降ろすのですか?」

「いやそれは、江戸の蜜柑方問屋に任せる」

「それは楽でええなあ! もうあきませんわてらへとへとでおます」

 神無月(十一月)一日、品川の船番所に凡天丸は着いた。ここで江戸湊は佃島へ入津の手続きする。

 この時に紀州御三家御用達が役立つ、葵紋の旗差しは紀州藩船の通行証、お由利の方に授かった。

「ここまで三日で来たな、風が強かったので早かったのか?」

腕を組みながら誰にゆうでもなく、文左衛門はそうつぶやいた勿論安全に遠回りしたのだけれど。

 十一月五日、凡天丸は江戸湊佃島に着き、ふ頭に碇を降ろした。

ピンチは最大のチャンスでもある、生きるか死ぬかの難を乗り越えて、紀ノ国屋文左衛門は幸運の女神様の、前髪を掴みました。


第二十五章、江戸にて


「おおい、みんな江戸だぜやっと着いたな!」

みんな船縁に、ぞろぞろ出て来ました。

「へぇこれが江戸か皆見てみい、人も多くやっぱり江戸は湯浅と違うて活気あるで!」

誰もかれもの口の動きも、軽やかである安心がそうさせるのであろうか。

「あほやなぁ、ここはまだ江戸湊の佃島やでぇ」

「そうかい兎に角皆さん方、命あってほんまに良かったなぁ、まだ手も足も揃うてるしなあ!」

皆は生きて江戸湊に着いた喜びに、久々明るさと元気をにわかに取り戻したあちこち笑顔がある。

文左衛門は、着替えの羽織を着込んだ。

「若旦那、今からどちらへ?」

「お高垣亀十郎と、これから日本橋へ商売に行く」

「そうですか、では気つけて行ってくださいよ」

 そして二人は小舟に乗り、大川を日本橋に向かい登って行った。 挿絵(By みてみん)

 (ギイギイ)川風が冷たく肌を刺す、柳枝がゆらゆら揺らいでる。

「若旦那、波切丸は船に置いて来たんですか」

「おう、江戸じゃ町人の帯刀、禁止しているので置いてきた」

文左衛門は、江戸の地図を見ている。

「よし、この辺で良かろう」

 日本橋手前京橋に舟を停めた。

「高垣どの、お主は江戸蜜柑方問屋と、紀州藩役人に連絡頼む」

「若旦那はどちらへ行かれます」

「近くの伊勢屋嘉右衛門店で、江戸蜜柑方九軒が、揃うのを待つ」

「では、皆伊勢屋に集合ですね」

「ご苦労だけど、高垣頼むで」

 聞くと高垣は、紀州藩邸へ籠を飛ばした。

「ちょいと兄さん、野暮用があるんだがねえ! おう有金出さねえか!」

 やくざぽい男が、(から)んできた。

「ううんおぬしなんぞに、やる金はねえなあ……」

すると懐に手を入れて、匕首(あいくち)を出す。

すると横から、別の二人も出て来た。

「おいやっちまえ、ひょろこい奴だ!」

途端にスイッチ入る。

 この時文左衛門の内から、合気術の気が入った。それは皆さん方も経験された事もあるだろう、事故た時に一瞬の出来事なのに、スロモゥションのごとくなる感覚に似ているのだ。

 文左衛門は声より早く、横に飛び先ずは男の腹を一蹴りした。

「あちゃぁー!」

 そしてチャイナ娘から習ったカンフーで、流れるような素早い動きにて突きや蹴りを入れる。

 それを見た二人は一斉に斬りかかるが、右の男の長ドスを素早く手刀で払い落とした。

 左側の男のドスを蹴り飛ばし、熊手であごに一発もう一人の腹に一発足蹴りをいれる、三人はその場にうずくまったまま動けなくなった。

「どれ何だこのざまは、お前たち情けないのう」

「あっ空手の先生、どうか一つ頼みますよ」

出てきたのは琉球沖縄空手の使い手である、年の頃は三十ぐらい筋肉隆々鍛えられた身体は見事である。

「ではこの者らに変わり、儂が相手になってやろう」

「あのう襲われたのは私です、勘違いなされていませんか?」

「問答無用成り、では早速参るぞ!」

空手は合気と違って身体全体を鍛えている、はがねのような身体は全てが武器です強敵の出現です体格の差は牛若丸と弁慶のようなものです。

そして何やら竹か鉄パイプを鎖で繋げた、武器(ムンチヤク)を出しブンブン振り回して来ました。当たればかなりのダメージが有りそうです。

「有無いくぞ、そり-ゃ」

素手ではとても対抗出来ぬ、文左衛門は腰に差した鉄扇で身構える。

「とりゃ-ぁ!」

横殴りつけに飛んで来た、ムンチヤクを鉄扇で払いのけるとガツンと鎖が切れてあらぬ方向に飛び去りました。

武器が無力化したので、空手で向かって来ました合気で投げましたが、即受け身で立ち上がると足蹴り正拳突きを連続して来ます。そして空手は指も鍛えて強力で目潰しにあえば、本当に目を潰され兼ねない警戒しつつ、慎重に対戦して神経も遣うのだ。

「ふん、あたぁタッタッタ-タ!」

拳と拳、足と足、気合いの交差、そして雄叫び。空手は手足身体全体鍛えている、さすがに受ける手足がしびれて来ました、このままではもたない。

「おりや-ぁ、そりゃ-、チェイストッ!」  

しかたなく合気と混ぜて太極神拳のおおぎ経絡秘孔突くと、効いたのかその場にうずくまりました。

「お主の拳は太極神拳かまさかと思ったが日本にいたとは、しまった儂の命も後三年かふかくだった」

そして起きあがると青い顔し、その後何も言わずに力なくその場を立ち去った、太極神拳は沖縄まで名を馳せていたのでした日本本土まで来てません。

「あの剛力先生、まだ勝負はついてませんよ!」

文左衛門は、三人を縄で縛り付け、後ろに長板を差し込み(おれ達は強盗だ)と書き入れた。

「わっははは、よし此にて一件落着だ!」

紀文は何食わぬ顔で、その場を立ち去った。

 伊勢屋嘉右衛門の店先で、文左衛門が顔を覗かせ食い入るように中を見ていた。

「へい、あのう何かご用でしょうか?」

 丁稚が怪訝な顔して言った。店に入り片隅の台に腰掛けた時、客が顔色変えて飛び込んできた。

「おい伊勢屋、一定前提どうして呉れるんだよ、蜜柑はようどうなってるんだ何とかしてくれ!」

「へい済みません蜜柑は紀州より、いまだ一艘たりとも入ってませんのです……」

 手を揉むと、それから地面にはいつくばって、こすりつけるように頭を下げる。

「鞴祭りは三日後だよ、江戸子は気短けえんだ!」

「はあ何とも、申し訳御座いません!」

 店先に江戸中の鍛治屋職人、親方衆が押し寄せてきました、店中はもうてんやわんやの有り様です。 「ええごめん伊勢屋さん、蜜柑方問屋旦那衆八人が今お見えです」

 高垣亀十郎が蜜柑方役人を連れ伊勢屋にきた。江戸九軒の蜜柑方商人も揃う。

「あれ紀伊国屋文左衛門殿は、来てませんのか?」

高垣亀十朗が、不思議そうに店の者に聞く。

「高垣亀十郎よ、儂はここや!」

 店の隅から声がする店員が探すと、先ほど皆ばかにしていた若者だったから二度びっくり。

「若旦那! 今から蜜柑の値段を、客間で決めておくれやす」

「ええっこのお人が、紀伊国屋文左衛門さん!」

 皆は紀伊国屋文左衛門が、以外に若者なのでびっくりしました。

この頃名字の代わりに、宣伝の為なのか商人の間では屋号を用いる事が大流行りでした、伊勢屋長兵衛とか奈良屋茂左衛門とか、だから紀伊國屋文左衛門(紀ノ国屋文左衛門)でも、おかしい事では有りませんでした。

「紀伊国屋さん、先ずは上座にどうぞ、売り手はそちら紀伊国屋さん、独りだけです!」

 どんと上座に坐る、そして紀伊国屋文左衛門が声高く言った。

「私は紀州から来ました田舎者です、命がけで江戸にきました!」

「其れでは値段入札しますか」

 皆望外な値段付かぬか不安な顔色、それ見て文左衛門が言った。

「聞けば去年まで一籠一両だったと聞いています、色付けて一籠一両と二分金で如何でしようか?」

 (一分金四枚で小判一両と交換)

「紀伊国屋さん其れでよろしいのですか? 有り難い事ですが」

「私今回心意気で来ました! ほう外な値段は期待してません」

ふっかけられると思っていたのに、意外な申し出に皆同意した。 挿絵(By みてみん)

紀文は昔武兵衛に、教えられた近江商人の心得である三方良しの教え、売り手良し買い手良し世間良しを実践致しました。

「人には欲がありその欲は商いには必要だが、如何に強欲で金を貯めようとも逸れはこの世に於いての富で誰もあの世迄持って行けない、欲は切りがない足るを知る事だ適度に儲ければ良い!」

八万籠で十二万両です、各人の扱う蜜柑の数量はそれぞれ話し合いで決めて貰いました。

「いつものように、八万両は藩の蜜柑方に為替で御願いして。四万両は佃島の凡天丸に頼みます」

 文左衛門は心易くなった、蜜柑で儲けた金を預けている、住友の両替商に早速依頼した。 

 この時は、深川で短期に芸者呼んで派手に呑んで食べて、江戸から船出しようと考えていた。

 しかしながら、奈良屋茂左右衛門が船の(大きさ)件で、番所に訴え出たので、役人が来て取り調べ受け、出航を止められている。紀文は近くにいたまだ若い、遊び人に声をかけた。

「ちょっと其処の兄さん、あんたさん江戸子だってねぇ!」

「おお神田の生まれよ、俺に野暮用が有るのかい何だい?」

「江戸で一番の有名な遊ぶ所は何処ですか、紀州の田舎ものでさっぱり分かりません、ねぇ少し教えて貰えんやろか?」

「逸れは浅草田んぼにある、吉原という色町やろかけど一般の人は高くてとてもじゃないが遊べませんがねぇ」

田舎ものと小馬鹿にしたものの言いで、得意げに喋っていました。

「へえそれじゃ私、明日いっぺん行って見ます!」

「あのうあんたさん、お名前何やったかのう?」

「ハイ私は、紀伊國屋文左衛門と言います」

「えっあの蜜柑船で、名を上げた紀文ですか!」

逸れを聞き若い衆は、そそくさと退散しました。

そのはずです江戸の街は情報が速い瓦版で朝の事が夜には、号外で町中に知れ渡ってもはや紀伊國屋文左衛門という名前が江戸中に広まっていました。

そう知らぬは本人(紀文)ばかりで、御座いました。

それで再び、住友の両替屋に行き依頼しました。

「あのう、申し遅れましたが江戸には、吉原という遊廓御座いましたか? 其処へ私の名前で、一万両入れといて下さいますか?」

「よろしおます、今日でも入金しときます、後何か特に御座いませんか?」

 文左衛門はこの一万両を、命がけの仕事をしたねぎらいに、叉江戸の景気付けに、ぱっと使ってしまおうと思った。

この頃江戸は景気良くて、全国から男衆が集まっていて、極端に女の人が少なくなっていました。

「皆すまんの、ほれ此のとうり謝る、役人がよしと言うまで暫く船は動かせんのや?」 


第二十六章、吉原で大尽遊び


 逆に慰められた、文左衛門。

「まあまあ若旦那、頭上げておくれやす、仕方おまへんやろ!」

「それでやな、船の中でくすぶってても、なんやさかいな吉原でも行ってぱっと遊ぼかの! 金は儂が出すので心配要らん!」

 これで予定になかった、吉原での大尽遊びが決まりました。

「紀文の若旦那、金の力は凄おますなあ! わてがあれだけ頼んでも、あかんかった吉原が、了解するとはねぇ?」  挿絵(By みてみん)

「それでは皆にその事を、言ってくれるか、しかし船を空に出来ぬから三交代で行こうかのう!」

「人選は今から決めます、それでは三日間吉原を貸し切りですか?」

「安全を考えての事でもある、それに其れぐらい取り調べもかかりそうだ! なあにっ手は打っているから心配するな!」

「はいわかりました、そのように段取りします」

紀文は吉原からの迎えを待っていた。しまの着物をきて、羽織り掛け洒落込んだ。 

 半刻(一時間)ほど佃島で、待っていると猪牙(ちようき)舟で、迎えが来た。さっそくそれに五人が乗り込んだ。

 吉原は浅草寺の裏手にあり、浅草橋・柳橋を越え、隅田川をさかのぼり山谷掘に入り舟を降り、徒歩で日本堤(つつみ)要に土手八丁を行き、吉原大門に着いた。

此処で吉原について少し述べておきたい、実は戦国時代に風磨忍(乱波)者がいて、その時使えていた北条氏が滅んで箱根にいた風磨一族のうち、庄司甚右衛門(しょうじじんうえもん)という人物が、くノ一を引き連れ江戸に、作ったと言われています。

「みなさん私は紀州の田舎もんですがよろしくお願いします!」 挿絵(By みてみん)

 深々と頭を下げる文左衛門。太鼓持ちがひょいと出てきて、 挿絵(By みてみん) 挿絵(By みてみん)

「はあい今日は、即きょうでやりますよ!」

(♪そら行け、やれ行け、どんと行け!紀伊国みかんの船よ、どんと行け、宝の船でござります♪)

「待ってました、おいらん頼みますよ!」

 曲に合わせて、ひょうきんに踊る、すました顔だから面白い。黄色い声でヤンヤやんやの大騒ぎ。

 中の街大通りで、阿波踊り宜しく練り歩く。

「ワハハハ愉快ゆかい吉原祭りだ、どどんと行きましょう!」

 外でおとなしく見ていた見物人も、浮かれて踊る始末になって来た。 挿絵(By みてみん)

 吉原は三日三晩、飲めや歌えやの大騒ぎで昼や夜とも分からんほどになっていました。色町が色恋いなしの状況です。 挿絵(By みてみん)

そして吉原の元締めが挨拶に来ました。

「紀ノ国屋文左衛門さん、この度のご散財おそれ入りました、少しは楽しんで貰えましたか?」

「楽しみました。今日でお疲れ様となりましたが、預けた金子が少し残りましたので今から、豆金として撒いてぱっと使い切ります」

「それは重ね重ねありがとうございます、また江戸にお越しの折はご贔屓にお願いしますよ、猿飛佐助どの我が風魔一族は、総力あげてお役に立ち申すではこれにて……」挿絵(By みてみん)

(うむそうだったのか風磨一族のくノ一が、花魁に紛れていたのか女忍びなら鍛えているから、身体も均整取れているから綺麗な女も多いのもうなずけるなぁ)と、ひとり納得していたののです。

文左は大広間や通りに小粒の豆金を、ざるに入れてばらまいた。それを先を争って拾う人々、餅まきみたいな感覚要領でした。

文左衛門は笑顔て、預けた一万両を使い切りました。それが吉原だったので、まずは江戸中に広まり(紀文の吉原大尽遊び)として、次にそれが日本国中に広まった、その事が紀ノ国屋文左衛門の、信用となって効果絶大となりました。 挿絵(By みてみん)

 そこまで計算に入れた、大尽遊びだったので御座います、普通ならだれもそんなあほな事できませんなあ。新しい考え方を出来る人になっていました。

運の良いときこれが自分の実力だと、奢り高ぶった時につきは落ちる前兆なので、気をつけなければなりません女神が離れます。

紀文は自分の為に金を使ったのでなく皆の労をねぎらっての事ですよね、本人はつきが落ちぬように足元すくわれぬようにと、心の内に細心の警戒してました。逸れは己の思い考え方が運に作用します。

この頃はまだ西洋と日本の技術の差はなかったと思うが、新しき物新しい考え方は、一部の者を除いて鎖国によって心の封鎖されていた日本は、自由な考えの西洋に著しく遅れをとる事になるのである。


第二十七章、新たななる儲け


 紀州藩江戸役人混ぜての、会議が早く終わった。

 京橋から駿河町の三井越後屋で江戸土産の反物を、買おうと二人は出向いていたのだ。

「此処が、最近評判の呉服店か」

「若旦那のれんには越後屋三井八郎衛門と、書かれていますよ?」

「うんおかしいな、三井高利ではないのか?」

「聞いた話しでは創業者の三井高利は、五十二歳で日本橋で小さな店を、開業したらしいですね」

人生五十年と云われている時代、五十二歳での創業は当時の人々、皆びっくりいたしました。

「現金商売掛け値なしで、短期間みてる間に大店にのし上がったと聞いているぜ」

「凄いですねぇ伊勢の松阪の人はあっと、今は紀州徳川家の飛び地領土でした、で伊勢屋を名乗らんのですかねぇ其れでは今は紀州商人ですね!」

それで店員がにこやかに応対してきた、理由もわかりました。

「うん紀州から来たと言たら、ころっと扱い方が変わったしなぁ」

「私も早く江戸に来て商売したいなあ、江戸の町は人が多いし活気がある、人の集まる所金も集まる」

 紀文は越後屋の店内を、隅々まで見わたす綺麗に整っていた。 挿絵(By みてみん)

「三井高利さんは、今いくつですかね?」

「ええっと確か、六十四歳だったと思いますよ」

「すごい気力だ、たった十二年で大店ですか?」

 反物購入し、二人は船に戻ろうとした帰り道、日本橋でなぜか立ち止まった。

いつも客多い日本橋界隈の、魚市場に人はまばら見るに寂れていた、立て看板があり読んで見た。

 (生類憐れみの令、覚え書き)

「これを見て皆勘違いし、魚が食えなくなると思ったのかなぁ?」

 読み終えると文左衛門は、首傾げて言った。

「うむ、これは解釈のしかたにより、何とでもとれるからなあ?」

 高垣亀十朗も一席ぶった。

「わたしは生き物大事と、理解しました。お城での殺生に関しては魚や貝も、禁止となりますね」

「ううん? 噂は怖いからなぁ」

「このところは、開店休業状態になってますね」

ふと 後ろの方から誰かに、声を掛けられたような気がして、後ろを振り返る見たような人がいた。

「あっこれはこれは河村瑞賢師匠、お久しぶりで御座います!」

「文兵衛どのいや今は、紀伊國屋(紀ノ国屋)文左衛門でしたかな活躍の噂は聞いていますよ」

文左衛門は周辺を見渡し茶屋を探し、河村瑞賢を誘い店に入る。

「お主に伝えたき事あったが、会えぬじまいで今に至ったのだ」

「私もお会いして、師匠のお教え願いたく思っていました」

「うむ~さしあたって伝える事は投資投機時人の欲は限りが無いので、その欲を自分でしっかりと抑えるということかのう」

「欲張りは儲からないと、いうことでしょうか?」

瑞賢は言葉を、一言一言噛み締めて言う。

「材木屋のような投機的商売において、休むも相場である肝を据えて張るべしだ」

動あれば反動ありで相場も一直線に単純に動くべきにないものだ、そうだ波をうって動きます。

日本罫線では始値より終値が高ければ陽線と言い逆に始値より安ければ陰線と呼ばれる。途中高かろうが安かろうが、罫線の形は変わるが初め値段終り値段が基本的に大事なのである。

叉人々のウツプン溜まれば狂った者現れて、付け火の火事も頻繁に起こるので、材木相場の上がる可能性も出るのです。

「人々の暮らし生活も、相場(商売)する者の注意すべき事です、そして保会い相場と云って値段が上にも下にも動かぬ時は、商い無理はせずに休むベし」

紀文は 一言も聞き漏らさぬようにと、ゆっくり反復して真剣に聞くのであった。

「何事も限度が有り強欲になればそれが見えなくなるのじや、そして我が存念をみだり人に喋るな!」

「逸れはわかりますが、つい人に喋りたくなりますねぇ味方というか仲間というか、自分の考えに意見やら賛同欲しくなりましてつい口を滑らします?」

「誰にもある事だ己が考えや思いに、いまだ確信が持てぬからである、慎むべしその者敵かも知れぬ」

「はい、戒めよく心得たいと思います、それはそうと師匠ご用事の方は大丈夫ですか?」

「どちらも忙しいからなぁそれで儂が書きためた相場の覚え書きを、渡そうと出向いたのだしかし逸れは儂の考え、絶対では無いあくまでも参考にな!」

言いながら本を手渡すと、お茶を一気に飲む。

「では有り難く本を頂きます、此からは私が相場の事をこの上に書き足していきます」

と言って師匠に、深々と頭を下げる。

「文左衛門どのでは私はこれにて失礼致す、公共の仕事で役人と打ち合わせ有るのでのう」

言うと席を立ち、江戸城方向に歩いて行った。

富豪と名高い河村瑞賢、この頃十六万両の資産を持っていたと、世間では噂されていました。

「師匠くれぐれもお体を、大切にして下さいね」

瑞賢は急ぎ江戸城の方向に、足早に立ち去った。

此処で少し叉脱線します、河村瑞賢は他の商人が私利私欲に走る中幕府内で特異な存在で、金銀鉱山の経営やら公共の道路の修理とか安治川、淀川、中津川の治水工事もやりましてとうとう幕府旗本に成りました。まあ主人公で無いのでこの辺でお開き。

瑞賢にしてみればこれはと見込んだ者が、成功し出世する様をみるのは欲をのけて、我が事のように楽しく嬉しいことのようで御座いました。

紀文が後に江戸へ行った折にも何かにつけて、支援をして貰う事と成ります貴重な後援者ですね。

紀文は貰った相場覚え書きを少し目を通し読んで見ました、(眼に強変見て強変の淵に沈む事なかれ冷静になって売りか買いか定留るベし!)

「なかなか良い事を書いてる、自分の思案を人に言うなか言えは人に裏掛かれる恐れあるし、考え当たらねば人に恨みをかってその人に一生言われる、逸れは何の得にもならん自慢して言いたくなるがな」

戒めの言葉やなぁええ物貰たな、これは大事にしとかなあかん儂の一生の宝に成るなぁ。

此処でお断り申し上げたい、ここで相場格言を書いていますがあくまで商品相場の格言でして、株式相場にはあまりあたりません、なぜかと云うと株式には倒産があるからです、万人弱気時阿呆になって買って倒産に当たれば大損しますよ、倒産する時は万人弱気ですけれど格言どうりにはいきません。

紀文の不思議な能力、かって広八幡神社の神主の佐々木利兵衛が言っていたが、何故か教えたくなるという不思議力が影響していたのかも、知れませんが技を伝えないと人と共に技も消えてしまいます。

紀文と高垣亀十朗は、小舟にて佃島に帰る。

「あっ若旦那お帰りやす、それで蜜柑のほうはどうなりましたか?」

「おう売った売ったでぇ十二万両で! けれど儲けはほんの四万両だ」

 みんなは桁が違うので、ぽかんとしています。

「千両で買って四万両なら、儲かってるやろう」

それを聞いて納得したようだ。

「蜜柑の荷降ろしは順調かな」

「蜜柑方役人が来て問屋連中に指図し、めいめい自前の舟で持ち出して、変わりに手形や現金置いていきましたよ」

「儂らも肩の荷、降りました」

 皆晴ればれ、とした顔です。

「あのう東北から来たという、松前藩の船頭が訪ね来てますよ」

「今船長室で待ってますよ、でかい船やとびっくりしてました」

 紀文は凡天丸の船室へ急ぐ、中に西洋の机と椅子が有り、棚には稲荷神社が祀られていた。

「お待たせしたご用件は?」

「生類憐れみの令で、江戸で魚価暴落し売れなくて困ってます」

「私も立て札を見て、知りました大変な事になっていますね」

 文左は机の上に、徐にグラスとワイン出す。

「それで紀伊国屋さんに、買って貰いたいと思いましてまかり越しました」

「それで値段の方は、いかほどですか?」

「仕入れ値で、お願いしたいと思っています!」

紀文以外他に買い手はいませんでしたし、また買い叩きもしませんでした。 この時にはまとまって魚を買って呉れる人も無く、なまものなので腐る恐れも有りました。損なしで捌けたら逸れてよしとしなければ大損します。勿論積み荷の魚も確認し、まずは手打ち金をを振り込みます。

「では頼みます総額は二万両で足りますね、東北は小判でよいのですね荷と引き換えに代金を支払いますよ!」

商いですので取引の事は、しっかり決めておかねばなりません。

「わかりました、いい値で買いましよう……」

「それと仲間の分も願います、大方は塩鮭です私共が積み込みます」

「では頼みます、値段は逸れてよいですね?」

「へぇ紀伊国屋文左衛門どの、このたびは誠にありがとうさんにございました、助かりました」

 売れぬかと不安だったが話がつき、船主達は大いに喜びながら帰って行った。

無理して欲だけで考えた商いは失敗する、文左衛門とて今回リスクは有りましたが、商売相手のたっての願いで情報もあったので、文左衛門なりの思案もあり快く引き受けました。

紀文は高垣亀十郎と根来衆を呼んだ。先ずは根来衆三人が来た。

「若旦那、何かご用ですか?」

「そのほう達は、今から玉屋で江戸花火二十発仕入れて欲しい」

「へい、分かりました」

 言って外に出て行く、代わって高垣亀十朗が、顔を出した。

「文左衛門どの、私に何か用ですか」

「今のところ江戸で、何か変わったこと無いか?」

「へい特に、あっ吉原で奈良屋茂左衛門という人、若旦那の事を根ほり葉ほり、しつこいほど詳しく聞いてましたよ?」

「フウン奈良茂か怪しい奴だな詳しく調べて報告してくれ、どうも気にかかる奴だな歴史学んで新しきを知る人の思い考えや行動は、いつの時代でも人のする事は欲が有り似たようなものやからなぁ!」

善なる者反対の邪悪なる存在もあると認めなければならない、逸れでないと善は何時も悪に負ける。

「へい地元忍者風磨一族の皆さん方々、協力をお願いして詳しく調べてご報告します!」

奈良屋茂左衛門、後に文左のライバルとなる人物だが紀文より七歳年上ですこぶる評判悪く、芋場町材木商の柏木太左衛門を幕府用立て檜材売り惜しみですと町奉行に訴え出て、没落させ木材をただで手に入れて儲けた。

奈良屋茂左衛門この時柏木のような何か金儲けのネタはないかと吉原で情報を集めていました、そして最近紀州の田舎者が蜜柑て儲けた話しを耳にしてこれはこれはと紀文の事を嗅ぎ廻っていたのです。

「吉原は小金持ちや俄か成金の集まる所で、その儲けた情報も集まる処で有りました、故にこの近辺を探っていますとその噂とかが耳に入ってきましたので、少し金を出せば苦労なく情報が掴めます蛇の道は蛇で中々に賢い人で御座いますね」

「うんそうかぁおかしなけったいな奴やな、けど侮れん奴だなそれで許可まだ下りてこんのか! ううんそれではもう一度深川で芸者でも呼んで、どんとど派手に遊びなおそうかの!」

「あのう若旦那、魚の件は大丈夫ですかねぇ?」

「心配ないなにごとも今運は我に有り、その勢いに乗り押して押して、押しまくるのや!!」

「はあ……言うてること私にはようわからんわ?」

 江戸深川で、芸者の三味線、小さい太鼓や鼓で派手に騒いだ。挿絵(By みてみん)

 紀文らが江戸で遊んでる間、魚の積み込みが終わっていた、二日間交代で遊んで帰り皆は揃った。

「文左衛門の旦那、皆満足しました。深川の芸者さん粋な姉さん多くて、酒も旨く進みました!」

「そうやのう吉原と違うて、気兼ねなく庶民的でええし、粋な女そろってましだ」

「そうか、それは良かったのう、皆さん満足してくれたか!」

 とても十七歳とは思えぬ、大尽ぶりでした。

文左はその間も、根来同心より上方の情報は常に聞いていた、今も昔も情報は金である。信長も秀吉も情報の大事さを知り、それを活用して成功した。

 忍の真価は武術で無く如何に早く、必要な情報を探るかである。深川で遊んでいても抜かりなく、芸者衆から情報を聞いていた。

 云うなれば秀吉は、信長の猿面間者であった。話は飛ぶが実に文左衛門も、その大事さを知る根来流の、隠れ忍者であったのだ。

「皆ご苦労さんです、約束したかねを払う落とす事も無いやろ、一人あたり百両でよいかなぁ」

「そんなに貰って良いのですか」

「帰り船で、もうひと仕事有るからなあ!」

「若旦那、魚積んで何処へ行かはるのですか?」

「大坂へ行く、また頼むでえ金はずむよって!」

「若いのに、肝の太い気前よい人やな」

「ほな明日出るさかい、良く寝てや」

 皆小判を懐に入れて、めいめいにこにこ顔で機嫌よく寝床に入った。

後世の人は言う、紀文は投機的な商人だとそれは違う、情報に元ずき計画的な商売だったのだ。

 近年では松下幸之助氏のような人だったと思われる。それでも時代に流され名が消えていくのだ。

 何故名を出す? それは幸之助氏が湯浅の別所に、紀伊国屋文左衛門の碑を建立しているからだ。

 奈良屋茂左衛門、本名神田茂松というがやはり良からぬ事を企んでいた。江戸の神田雅吾郎というヤクザと組んで、佃島の凡天丸を襲う、乱取りをしているのであった。

 だから紀文の行動を、詳しく調べていたのである。神田組と念入りに相談し、儲けは半々と決まった今晩決行する事となった。

「神田雅吾郎親分、よろしくお願いしますよ! 私は家で吉報お待ちしていますから」

「任せておきな、たやすい事だ柏木の時は、たんまりと儲けさせて貰った、今回も大丈夫だろう!」

悪人と言えど、奈良屋茂左衛門は用意周到で自分の行動を、正当化し役人をも味方に引き入れる。

文左衛門は遊びながらも、逐次根来衆から奈良茂の行動や、情報を得ていたのである。(敵を知る)

「今夜が危ないか、早速帰って対策立てようかの、まだ出航の許可降りぬのか?」

「どうも奈良屋茂左衛門は、金を渡して下っ端役人とつるんでいるようですね」

「なんともしつこい奴だな、これで二回目だぜ! 紀州藩に急がせ幕府や役所に手配を頼め……」

「はい分かりました、早速そのように手配を致しますので!」

 といって、静かに立ち去った。

 文左衛門は佃島に帰ると、てきぱきと指図して対策を行った。

 まずは佃島人足場にて、人を雇い入れヤクザに対抗する、だけの人を集めた。それと魚網を凡天丸の周いに張り巡らせ、容易に島に小舟が入って来れぬようにした。

もちろん陸上にも、網を吊して囲っている。その中に素人の雇い入れた兵隊が見回り、先の尖って無い竹ざおを持たしている。

 案の定薄暗くなって来た時、ヤクザが手に長ドスや匕首を持って襲って来た。 挿絵(By みてみん)

「あのぅ皆さん方、どうなされました騒々しく大勢で?」

「あっ彼奴が紀文だ、何してる早くいてまえ!」

するとヤクザの若い衆が、立っている紀文にドスで突き刺した。

紀文は油断した、武器は何も持ってなかった。

「アチヤッ、おりゃあ!」

とっさに紀文は、太極拳の真空切りで相手の刀を折り、腹に足蹴りを一発入れて難を逃れました、相手はショックで泡を吹いて倒れ込んでいる。

中には聖人的な人もいらっしゃる暴力的だっていう人も、でもどうすればいいの相手は刃物こちらは素手で、自らを守らねば殺さるのであります。

「なんのあれしき、怯まず行けっ!」

そしてどっと来たが、暗いので網が見えない、皆はそれっとばかりに、そこを竹竿でつついた。

勿論尖らしてない平の方なので命に問題は無いのだが、身体が腫れ上がって、だいの男が大声で泣き叫ぶ、よほど痛いのだろぅヤクザも人の子である。

挿絵(By みてみん)

 網は強くドスで切れない、手間取っていると竹でつつかれ、殴られるし脅し言葉も効かない。

 さんざんな目に遭っている所へ北町の同心が駆けつけ、捕らえられた。呆気ない幕切れだが、奈良屋茂左衛門は捕まらなかった。

奈良屋茂左衛門はこの様な、やくざまがいのしのぎ仕事をせずとも、霊岸嶋で公義御用達を承る江戸随一の材木商人で御座いましたが出世しても、柏木の一件が忘れられなかったので御座いますかねぇ。

戦争も商売も勢いが大事なので御座います、奈良茂にとって最近の紀ノ国屋文左衛門の勢いが、この先不安で見過ごせなかった事も有ったのです、先々奈良茂にとって紀文は江戸にやって来て、強力なライバルと成る予感がしていたので、大きくなる前に叩いておきたかったのでしょう。

文左衛門は騒動が終わり、やれやれとはねを伸ばしお茶を飲んでいた。

「頼もう! あの 紀ノ国屋文左衛門殿はどちらにおわすか?」

「紀文の旦那、是非にも会いたいと申す者が来てますが、どうしましょうか追っ払いましょうか?」

「何という御仁か?」

「馬庭念流の本間忠勝様と言っておられてますが」

「はて来て間がない江戸に、そんな知り合いは居ませんがねぇ?」

いう間もなく目の前に、眼光鋭い古武士風の侍が現れた。

「あなたが紀ノ国屋文左衛門殿ですね!」

「はい私が紀ノ国屋文左衛門ですが、何か御用向きでも?」

「私に一手御指南願いたく、まかり越しました本間忠勝と申す者です!」

馬庭念流は関東では有名な古武術で、戦国時代から続く名門であるが、平和となった時代にはその使い手は数えるほどしかいなく柳生流と並ぶいや逸れ以上とも云われていた、そして町人までも学んでいる豪快なる古武術であったのだ。

後年幕末の北辰一刀流の開祖、千葉周作が不覚をとり唯一負けた古武術馬庭念流は如何なる流派か。

薩南示現流に近い流派と、言えばわかって貰えるかも知れない。兎に角その繰り出す一撃は、示現流のごとく凄まじいものがあると聞いていた。

柳生新陰流では稽古に袋竹刀(ふくろしない)を使用していて、人に優しい流派もあったのだが、馬庭念流ではもっぱら昔ながらの木刀を使用している。

柳生新陰流と北辰一刀流は現在盛んな剣道に近い流派です、動き早く防具使い竹刀を使用します。

紀文もどうしようかと少し迷っていたが、周りに人々が成り行きを見たいと集まりだしたので、今更というか引くに引けなくなってきました。

普通紀文の習った、関口流では宮本武蔵の流れをくむものであって、他流試合をするときは相手の研究を怠らない(敵を知る)が、今は馬庭念流とは如何なる剣技であるのか全くわからなく不利であった。

「それでは今回に限り一試合だけ、お手合わせいたしましょうか!」

「逸れは有り難い木刀を二振り用意しました、お改めお願います!」

紀文渡された木刀を見たが、特に木刀には細工はなかった。と文左衛門に一振り手渡されました。

「ではすぐ近く広場で、やりましょうか?」

「してお主の流派は、何で御座ろうかな?」

言いながら紀文を見ている、にやりとしている明らかにこの若造がと、馬鹿にしている顔である。

「紀州藩留め流の、関口流でございます!」

「ふうんそうか、でもあまり聞かん流派だなぁ?」

「私どもの流派は剣術よりも、柔術に重きを置いていますので」

こう言うより他なかった、腕前は確かなのだが相伝印かは受けていないのである。

「そんな事はどうでもよい、関口流では剣の技も有るのだな!」

鷹揚な口調に変わっている、高飛車な物言いはあるいは一つの手かも知れない。

それが悪いとも言えない、関口流の元成る宮本武蔵において剣術の他に心の一法として、兵法を盛んに用いて相手の裏をかいたり、相手を怒らせたりして相手の心の動揺を誘って自らの有利にしていた。

その手口を武蔵の残した本や師匠から聞いた話などでよく知っていました、武芸者にとって心の乱れは即勝敗に結び付くのです。そして勝てば官軍負ければ死ぬのです敗者の恨命の下名前も残らずに。

「はい勿論、関口流にも剣技も御座います!」

この頃木刀の試合と云っても現在の剣道の試合ではなく、かぶり面などの防具も有りませんので相手しだいでは、命に関わる事が有りました。

それに稽古では、寸止めといって身体に当たる前に止める流派が多かったが、他流試合ともなると勝敗をはっきりさせるために、容赦なく手加減は無しということになっていました。

真剣での勝負ではないがそれに近いものです、まかり間違えば死ぬか大怪我をしますが、勝ったところで何も有りません自己満足だけです。

(この試合は大義名分何もない武芸者でもない自分が、なんでとも思ったが引くに引けなくなった)

幸いなことに文左衛門は幼き頃より木刀に慣れ親しんできた、古武術の馬庭念流に近かったのです。

竹刀(しない)と木刀の動きは違う木刀は真剣に近かい、それは竹刀に比べて重いからであるが、その分動きはのろく見えるしかも竹刀のように軽快には動けない。しかし真剣に持ち替えた時違和感無く動けるので竹刀で稽古した者より逆に有利である。

人々はまだ二十人ぐらいで、試合に支障はなかった。二人して先ず礼をして軍配を一人付ける、二人は正眼の構えで対峙した見物人は息を呑んで身を乗り出し、その成り行きを見守っていました。

「では本気で行きますれば、そちら様もその覚悟にてお願い申す!」

この試合は昔の剣豪同士が対戦のごとく、一対一であったので良かった相手だけ専念すれば良い。

これがヤクザの出入りであったなら、不特定多数であるので何があるか分からない、宮本武蔵のように剣術以外の兵法も必要になって来るのです。

「はい其方の御口上しかと、確かに心得ました」

紀文はます関口流でやる事にした、相手は摺り足で声を出してじりじりと打ち込みながら押して来るが、逸れを受けながら後ろに退く手がしびれる。

「ヤアヤア、きえぇい!」

木刀で受ける、(ポキッ)と鈍い音がすると紀文の持つていた、木刀が折れた。にったと相手が笑うその時頭の中で何かがはじけたような気がした、手には何もない。

それを見た相手は、馬庭念流得意の兜割りの秘技を、紀文の頭上に炸裂する皆は一瞬目を伏せる。

気がつくと紀文の無刀取りが決まっている、そのまま身体を捻ると相手は勢いよく横に吹っ飛んだ。

「ま参りました 、 お見事です!」

場内しばらく沈黙した。それからいっせいに拍手が沸き起こって少しの間鳴り止まかった。遠くからその様子を見ていた者がいた、そうあの奈良屋茂左衛門である憎まれ子世にはばかるですなぁ、今回も悪知恵働かせて一騒動起こしたようです。

人の縁とか運は逃れようとしても、もつれるように絡む宿命もあるようです。

「本間殿これで満足ですか、宜しいですかな?」

「いやあ見事な技見せてもらい、誠にありがとうございました勉強になり申した!」

礼を述べ頭下げると、悪びれもせずにそそくさとその場を後にしました。

冷や汗ものであった、馬庭念流の兜割りの迎撃をよく止められたものである、思い浮かべるといつもとかっての違う感覚だった、あれは本当に止まったのだそして受け止められた、あれは合気技と超能力(念動力)の重ね技だったかも知れないなと思った。

紀文はこの時自覚して無かったが、とっさに合気術最高峰の技である合気不動金縛りの術を、相手に掛けていたのだそれが気合いなのかまぐれだったのか、どうかは解らないのだがいずれ解るだろう。

まあよく助かったなぁと思っている、相手の実力も分からず勝負するのは、止めておくべしてあったそれこそ無謀であった今更云っても後の祭りだが。

やはり若気の至りかな、相場でも勝とうとして打つな負けじと打てがある、強いのは避けるべし成。

超能力と云うと、いかにも子供騙しのように思われるが、親に異変があった時などむしの知らせや夢枕に立つなどの経験があったなど、よく聞きますがあれも一種の、テレパスのようなものでないでしょうか、すると普通の人でも多少は、能力が有りますかと思われます?

後自分の折れた木刀を手にとって見たら、重さが相手の使用した物より軽かった、木刀の材質が違ったのだ例えば樫の木と栗の木のように、儂の持っていたのはやわい栗の木刀だったのか冷や汗出た。

(ううん謀られたな、いったい誰がこの様な手のこんだ事を、仕組んだのだろうか?)

こうなった事のしだいを、分からない文左衛門はいったいこの試合は何だったのかと首を傾げた。

世の中にはいろんな人がいる、人と自分は違うのである。それぞれ考え方も信じる正義も違う、身勝手ながら悪には悪の論理があるのです。

自分が正しいと言っても、通じないのです。思いにそぐわない人もいるので、それを認めて対処しなければならない、でなければ正義であるはずの者がやられる。故に法律も、宗教もあるのですが。

紀文を狙う奈良屋茂左衛門は若い頃に、車力(大八車引いて運送屋)などして泣かず飛ばずで、金には相当苦労したらしく異常に執着心があったので御座います、金は怖いですねぇ特に親子や親戚に金貸したら、やったと思って下さいねその金は一生手元に戻って来ません、あっ少し脱線しましたかね。

とにかく相手が悪かった腐れ縁です、此より以降紀文と奈良茂は宿命的ライバルとなります。

のちに紀文が江戸に行った時に紀ノ国屋文左衛門と、奈良屋茂左衛門が何かにつけて反目してエスカレェェト対抗バトルしますが、この時期のこういった経緯があったからで、決して富を誇って競った訳ではないので御座います。


第二十八章、帰り船(海賊と戦い)


十一月十日、帰り船だ江戸佃島湊からゆっくりと船出す、風は北西へ吹いている波は少し高めだ。

空は青く海も青いその海原を眺めていると、何故か船が空を飛んでいるような感覚になる、塩風が肌にまとわり妙に気持ちが良い空気も甘く爽やかだ。

「オオイみんな、張り切って行こうぜ!」

「オオオッ!!」

 近場乗りで景色眺め進む、途中品川の船番所で役人が荷を改めるが、紀州藩御用達船と云う事、で簡単な手続きで許可がおりた。

「若旦那富士は日本一、美しい山やなぁ」

「うん日本一高いのや、いつか登ってみたいの」

「うう寒い、今日は潮風が特に冷たいですね」

「おう、でもこの寒さで魚が傷まないのが、何より助かっているそれに、匂いもあまりせんしのう!」

どうも天の理が、味方しているようである。大仕事時には運も一つの才能と言えますかねぇ。

すると文左衛門は船上で、温もる為か急に前転・後転・横転をして、見ている皆を驚かせました。

「若旦那、えらい身が軽いのですね?」

まさか文左衛門が、忍者とは知りませんので。

「小さい時から、こうして遊んでいたのでな」

「びっくりです、猿みたいに身が軽いのですね」

 船は遠州灘過ぎ伊勢の大王埼で、夕日が沈み海は真っ赤に染まっている。

紀文を視ると洋式のテエブルの上に湯のみを置いて、にらめっこをしている息を止めているのか顔が真っ赤である、念力の練習のようだが皆逸れを知らないので、不思議な顔してその様子を見ていた。

「若旦那 大丈夫ですかい、苦しく無いですか?」

「おおっ何ともないぞ? ほなそろそろ沖へ船出そう、船底すると危ないから遠乗りで行くでぇ!」

まさに そのとき 、 物見櫓の一人が大声で叫ぶ。

「島陰から変な船が、こちらに向かって来てますで! 三隻です」

(グワァン、ドンドコドンドコドコドンドン!)

船は五百石船ぐらいと少し小ぶりだが、海賊らしく赤と黄色のスマートで派手な装いである、ドラや太鼓や鐘を鳴らし、オールで漕ぎながら此方に向かって来る。

(ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ)

まず此方の戦う気力を削ぐ戦略だ、追い込み漁のつもりかも知れない、兎に角ど派手であった。

紀文は望遠鏡を取り出し、相手がたの様子をうかがっている。 挿絵(By みてみん)

「百足船です! 海賊ですか」

「わあっ、三方囲まれました」

 皆おろおろしている、この平和な時代に海賊は珍しく、九鬼水軍か熊野水軍の残党だと思った。

少し脱線して言うなれば九鬼水軍とは信長の水軍と活躍した当時、世界に先駆けて鉄張りの船を持っていたので有名です。

逸れを作ったのは第一次木津川沖海戦で、信長水軍は毛利連合水軍と雑賀水軍に第二次木津川沖会戦の二年前毛利連合水軍に完璧に負けたからである。

ヨーロッパで鉄を造船に用いるようになるのは十七世紀以降で、造船の常識を乗り越え世界初の装甲軍艦を信長の命令で作り持っていたのです、やはり信長の頭は常識を越えた天才であったのだろう。

少し詳しく言うなれば、一分(約三ミリ)の鉄板で覆われた装甲軍艦六隻と安宅大船一隻は、天正六年六月二十六日九鬼嘉隆と滝川一益の指揮のもと熊野浦より出て、七月上旬に紀州雑賀沖でまずは信長に敵対反抗的であった、紀州の雑賀衆の船百隻をまず手始めに雑賀沖にて、大砲で叩きのめしました。

次いで摂津の木津川沖戦、天正六年(一五七八年)十一月毛利水軍六百隻を相手に難なく勝利した此によって本願寺派水軍は信長に完ぺきに敗れ去った。

当時敵方の毛利水軍は九百隻の船を支配していたが、その内の三分の二が九鬼水軍の持つ大砲や鉄砲により沈没させられ兵船の大方を失った。

資源に乏しい日本の国で、鉄は貴重品であったし薄い鉄板は海水に極めて弱く朽ちるも早かった。

徳川の時代には海より陸に上がったカッパ同然と成り船も持てませんでした、逸れで鉄船の技術も無くなり日本の船の技術も後退しました、ここに云う九鬼水軍は残った残党である海賊は離散した一族の名残でありそれには正規の九鬼水軍の旗もないようです、熊野の海賊と九鬼水軍の漁師となった残党が合体したのだろうと思われます。

しかし昔の事なれど言い伝えにより、大砲の怖さは何代にも伝承されていたのです。

それぞれの舟には、どくろの旗がひらめく。

 一隻に二十人ほど乗っているようだ、総勢百人だろう。こちらはたったの十六人それは解るまい。

 右の船が凡天丸に寄せ、縄梯子を掛けて乗り込もうとしている。 挿絵(By みてみん)

 逸れを見た文左衛門は、手に持つ波切り丸のさやをはらって甲板を駆けまわる。

敵が矢射掛けてくる、けれど風が強いので矢尻があらぬ方向へと 飛んで行く、けれど敵の船が後少し近づいたら、危ないかも知れない。

敵もさるもの である火付け矢は、積み荷が燃えないようにと警戒して放ってこない。

「ダダッダッダダン」

一斉に火縄銃を撃ってきた矢では効果無しと思ったのか、それでも見えぬ人には当たらない、そもそも凡天丸に乗っている者が少ないのである。

「カッ、カッ、カッ、ガシャッ」

船の横側上部に、縄梯子が掛かる。

そして五・六人が登って来たが、紀文はその敵を次々と峰打ちで打ち込み海に叩き落とす。

更に船に掛けられた縄梯子を切り落とし、それで取りあえず差し迫った敵の乗船を防いだ。

海賊はこれ見よがしに、拡声器にて各船に連絡を取り始めた。

「そうだ船沈めぬ程度にいたぶったろうか、あの船の梶を目指して此方の船突っ込んで遣ろうか!」

船の梶やられたら航行出来なくなり、お手上げ万事窮すです。

「では先頭の船突っ込ませますので、頭合図宜しく御願いしますぜぇ」

「おう心得た儂が様子見て、合図する皆はそれまで待機せよ!」

大きな声だ近いので拡声器無しでも、十分に聞こえて来ます、凡天丸方は気が気ではありませんそれに海賊の方が、オール漕ぎなので足が早いのです。

「ああっ若旦那、どどうします?」

声が裏返って、もう大慌てだ。

「このままだとやられる、なにせ相手は人数が多いのである」

「根来衆はいるか、花火使おう!」

「はい分かりました、では大砲の代わりに海賊の船に向かって花火を打つのですね!」

その前に紀文は大弓で、打とうとしている船に鏑矢(カブラヤ)を放った、距離を測る為でもある。

(ピッピッヒユウゥゥン)

「若旦那どうですか、飛距離のほうは?」

海賊は変な音したので、首傾げてワイワイ騒いでいるようだ。

「よし花火打ち上げ木筒用意せよ、そうだ先ず左側の船から狙え!」

「この花火玉、以外と重たいですね?」

「オイ文句言わず、早よやれよ!」

すったもんだの末筒に花火玉入れ、二人掛かりでやっとこさ狙い定めて火を入れた。

 (どどどん)横殴りに火を噴く、筒ごともんどり返り、打っと同時に後ろにふっと飛ぶ。

「ウワワワアーッ!」

 けれど近かいので、まともに相手の船に当たる。

(ドバババァン!)花火で、海賊船が燃えている。

「おぅあれは新型の大砲か、海賊が商船を近くから見ると、後部に葵の旗が有る、徳川の軍船か?」

「お(かしら)やばいですよ、逃げましよう」

また残りの船めがけて、鏑矢(かぶらや)が飛んで来る。先ほどとは違ってもう、パニック状態です。

(ピッピッヒュゥゥン)それは恐怖の音であった。

「ねえ徳川の軍船では、勝目有りませんよ!」

「そらそうだのう、三十六計逃げるにしかずだ!」「しかし頭あの奈良屋茂左衛門の野郎、素人衆で簡単とぬかしやがって話がぜんぜん違ったよなぁ!」

退くのもド派手である法螺貝鳴り響き燃え沈んだ船を残して、我先にと尻尾まいて逃げて行く。

「どこどこドン、ヨイサー、ホイサー、ドッコイサーノサー! 」

「おお助かった! 人数では既に負けていた……」

遠乗り航法に戻し、凡天丸は帆をはらめつっ全走でその場から、急いで沖へと出ました。

「♪海はヨー海はヨー、でっかい海はヨー、大好きな黒潮の海だ、沖で塩吹く鯨の群れがー、ドンと逆巻く黒潮の流れが海の男の俺を呼んでいるぜ♪」

「若旦那鼻歌ですか、調子が出て来ましたねぇ!」

「おおさ取り合えず、危機が去ったのでなぁ!」

船を走らせながらも、文左衛門は考えた(思った)あの花火に、念力の解決策が有りそうだな外に放つ力か、合気は内攻の力が主だから念力と繋がらない、とすれば拳法(カンフゥ)は攻撃力だから念力と会うかも知れないな、特に真空切りの極意が的を得ているかな。紀文は皆の飯の支度をしながら念力の事に思い巡らせていたのである。考えるより思えという師匠の教えが、胸によみがえっていた。

「おーい皆握り飯出来たぞ、おかずは塩鮭やこれは飛びっきり旨いぞ、なぁ皆早よ食べよ!」

 紀文が、盆にそれを載せて運んで来た。

「若旦那何しても、上手いすね」

「ああ長いこと自炊してたんでな!」

本当はこのところ寒く冷えるので、船内にある温かい釜どで御飯焚きながら、暖をとっていたというところでした。けれど冬の寒さで積荷の魚も傷まずに助かっていました。

食事も済み、紀文はしきりにあっちこっち望遠鏡で覗き見ている。

「白浜の眼鏡岩が見える、そろそろ右に舵きり大坂へ向かうで」

 凡天丸は日ノ御碕過ぎ、紀伊水道を進みでて摂津湊へと急いだ。


第二十九章、大坂で大儲け


 十一月十四日、船は大坂の堂島川河口に着く、此処で錨降ろす。

 近くの安治川河口堰の船番所で入津手続きして利用金払った。

 此処でも紀州藩御用達船と云うことで、許可おりるのも早く優遇措置を受けた。

「若旦那、今から街の様子を観て来ます」

「では高垣よ、根来衆を連れて行け」

「はい逸れは心強い、では御願いします」

 二人は早速に堂島や、雑候場魚市の方に偵察に向かう(一刻)二時間ほどして帰って来た。

文左衛門は凡天丸の船上で身体が鈍らぬようにと、太極拳(カンフゥ)の型稽古をしていました、勿論念力の研究も兼ねていました。

「それでどうだったかね? 市場内の状況は」

「へい若旦那、さすがにあんたの目は高い!」

「それで大坂の、一般の人々らは?」

「時化が長引き町では大水溢れて病流行し、なまものは売れてませんでした」

「そしたら塩物干物は、飛ぶように売れるな」

「市場・問屋に在庫全く無しです」

「では儂も顔だそか、根来の衆よ此から凡天丸の噂を流してくれ」

「へい、分かりました今すぐにでも」

 それぞれ町に、散らばった。

 十一月十五日、朝から江戸越後屋で仕立てた羽織りを着て、高垣亀十郎と根来衆一人を連れて、雑候場魚市に出向いた。

行くと予め噂を流した、その効果も有り皆の注目を集めた皆喉から手がでるほど欲しいみたいだ。

「私四代目・淀屋の岡本重当ですが、あなたは紀伊国屋文左衛門さんですか?」

 当時淀屋は、大坂米市場を作った、当時日本一の大商人と云われていた。

「へい紀伊国屋で、ございます」

「そうでございますか、私共待ってましたんや、あちらに用意していますればどうぞお席に!」

「ご丁寧に恐れ入る、では行くか」

 市場の離れに部屋が有り、旦那衆三人がにこやかに座っている。

「紀伊国屋さん私共に江戸からの積荷、売って貰えませんやろか」

「それは値段次第ですね、ところでいくら出して貰えますかねえ?」

 商人達は、みんなめいめい顔見合わしている。

「品物見せて貰わんと、何とも言えませんな」

「松前藩は上物の鮭と干物です、気に要らないなら此から兵庫にでも行って売って来ますかな?」

「あの待っていくらなら、売って頂けますか値段を言ってくだされ、私共即金でご用意しますよ!」

「さよか大坂は銀使いですが小判で願います二十五万両です、此から見に行って皆様方で決めて下さいここから近くですから」

「ほな今から、皆で行きましょうか」

紀文は凡天丸に案内し、、旦那衆に聞くと納得即決で決まる、実はこの時文左は、読心術を使ったのであった。

「大坂は主に銀使い、私は金の小判が欲しい、宜しいですか」

「はい品物と引き換えで、取引は今日からでもよろしおますな」

「へい、待ってますよってに」

 堂島川河口凡天丸は、各商人問屋の平舟や人足の行き交いでごった返した。

大坂は日本全国から米が集まって来る、それで保管する大名の米蔵が林立しています。

それで現物の米商い全国から集まった米が、盛んに大坂で取引されているその保険に米相場の信用取引も生まれそれもまた盛んに取引された。

勿論米市場を開き仕切っていたのは淀屋(岡本氏)で有りますその頃商人では日本一の金持ちで御座いました、元々淀屋は材木商が始まりだったようで御座います紀文は知っての通りまだまだで御座いす。

紀文は河村瑞賢に商人は相場にも、注意しなければならないと聞いていたので、米の値動きを名もない相場師から買って見て熱心に 研究していた。

(うん相場は難しいなあ、需要と供給それに天気の予測人気など、複雑に絡んで日々の値段がある)

紀文は忙しいようで(ひま)であった、河村瑞賢翁から授かった相場覚え書きに、目を通しては頷いていた。(万人強気時あほうになって売れか!)

ちょうど近くに、淀屋の手代がいたので聞いた。

「今米相場は、値段どうなってるのかな?」

「へえ去年の大風で不作で、今相場は高いですね」

じっと値段を見ていると、上値を尽き天井の形を現している(河村瑞賢相場道では三山形は売りやな)

「儂も米相場少しはってみたい、出来ますか?」

「はい紀ノ国屋さんなら何時でも出来ますよ」

「先物取引で、現値段で十万石売っといてんか!」

「へえ番頭はんに言いまして、早速手続きします」

遂に河村瑞賢の、相場覚え書きを実戦した。

(正に灯火消えんとする時、最後一瞬パッと光り輝き増す棒上げ相場売るべし!)

その結果は、見事的中し三日で手仕舞った。相場の実際的な試しでしたので欲張らずでした。

あまり喜びはなかったのだ空売りは性分に合わない、やはり現物の買いが好きであったのだろう。

今回の相場は仕手筋の、米買い占めによる人為的なものでありました、しかし米が極端に上がると一般の庶民が困る、逸れを見かねての紀文の義きょうの売りでもあったので御座います。

しかし仕手筋も売りは紀文だと知ると、人為的な相場であったので狼狽して一気に崩れました。

ここに紀文という今までの、名前を売る効果が出て来たのです名もない者売っても効果無しです。

此処で少し脱線しまして日本罫線の話しをします、相場師が長年苦労し研究したもので有ります。

底値では毛抜き底三尊底W底が有ります、反発のきざしはN字型太陽線一本立ちなどが有ります。

そして天上では毛抜き天井や三尊天井などが有ります、下げ相場きざしで逆N字の型が有ります。

相場の解説書で無いので、この辺で止めて置きましょうかねといっても、すぐに私は脱線しますが。

「紀文の若旦那やりましたね、商い次どうします」

「まぁ偶然たまたまや後には休むも相場やまた今度にします、孫子曰わく始めは処女の如く、後には脱兎の如くですなぁ」

「気が変わりましたらその時には、ぜひお願いします待ってますよ」

「うん御苦労様、清算して金は後で届けてな!」

「へえ早速明日にでも、現金でお届けしますよ」

このように運良いときは、思い思案は自分の考え以上に運びますが、不利運の時は逆に裏目裏目にと運びます、何をしても付きませんので今運は有るかかどうかは、勝負時にはとても大事ですね。

家康のごとく無理をせず、実力を高めつっ時の来るのをじっと待つも一つの方法では有ります。満月もいずれ欠けるのは自然の道理ですねぇ、今盛運な者もいずれ考え当たらなく成ります道理です。

けれど運を司る神については、宮本武蔵曰く我神を信じるも勝負時神には頼らず。

織田信長曰わく人事を尽くして天命(運)を待つ戦いの七割は、戦争前の情報戦で決している残り三割は戦場に有ると、運とはとても計り難いもので御座いますねぇ凡人の私は書いているが掴めていない。

また脱線しますが、日本の第二次大戦に於いて山本五十六連合艦隊長官は、信長の戦術戦略を参考にしますが、肝心の情報戦略を参考に出来ずに敗北しました、矢張り徹底的に真似しないと駄目ですね。

それと信長は年功序列でなくて部下の能力を把握し、適材適所に配置する事に優れていました、逸れは信長の天才的な能力でしたが旧臣下には信頼を無くします。話を元に戻します度々すみませんね。

一応は成功したが何故だろうかこの相場覚え書きには世の中の目に見えぬものを見よは、一つの超能力通じる事なのか、歴史を参考にして今の動きを見て心を無にして冷静に判断する、そして自然の(ことわり)に、てらすは修験道に合通じる事だ。

なおこの河村瑞賢翁の相場覚え書きは、現在では残っておらず惜しまれる、忍術と同じく消え去った秘伝も有るのである。現在に残っている有名な物は本間「宗久翁秘録」と「三猿金泉秘録」であるがこの時代に、そのような秘伝書は在りませんでした。

またあったとしてもその考えにこだわって、考えを固定してしまっては、相場に曲がってしまう恐れも有り一般的出回って物は眉唾物もある、物事に捕らわれない自然に聞く柔らか頭が必要なのです。

本の中に良書や悪書が有りますよね書かれている事を総て真に受けられぬ、思想的な思案があり中には依頼者に金貰って流す為の悪意ある本もある。

罫線といっても万能では在りませんが、人の行いは今も昔もよく似ていますから、逸れは人々の群集的行動によるものでしょうか。

古きを尋ねて新しきを知るです似たような事起こると人は似たような行動をとるので、だからその系譜(罫線)を辿れば、次に起こりうる事(未来)を、予測し得るのでしょう予測と予知は違いますが。

それは修検道に通じる事かも知れませんね、未来を見る予知能力(超能力)が有ればいいのですがね。

「高垣どの聞きたいことがある、ちょっと来てくれるかのう?」

「若旦那何か、ご用命で御座いましたか?」

「紀州で、信用ある為替両替商知らんかなぁ?」

紀州は大坂や江戸に比べると金融は全く発展していませんので、そういった事は今まで皆紀州藩のお役所に頼っていました。

「あのう私は駆け出しで、蜜柑方し知りません」

「それは困った、千両箱山積で不安やなあ」

「あっ紀州に帰ったら何とか成りますよ、旦那と縁が在ります加納久光どのがいました、あの人は紀州徳川領松坂の三井家と繋がり有りますなので、三井に為替の口聞いて貰えますよ!」

「そう三井は紀州藩領の松坂出身やった、江戸に店あるしそういえば為替も取り扱っていたようだな」

徳川御三家のうち、紀州徳川家のみが上方銀経済圏に属していたそれで少し不安になったのです。

そこへ根来同心が、紀文に耳打ちする。

「あのう若旦那ちょっと、気になる事が御座いましてお耳を拝借宜しいですか?」


第三十章、甲賀忍者との戦い


 根来同心組の花岡十兵衛が言う、文左衛門の近寄って言った。

「実は町で探索中に、凡天丸の事を聞き回る女がいまして、不信に思い後をつけて見ると、天王寺屋という忍びの宿に入りました!」

 忍びと聞き文左衛門、あまりの事て声を詰める。

「別にそれは、不思議な事でも無いのでは?」

「へえ私はその女が細身の私好み粋な女でしたので、ついふらふらと執拗に追っていました」

「まあそれも仕事ならば、別に問題無いのではないのかなと思うよ?」

「途中気ずかれまして、問いただされましたけれどその女が言うのに、まあこんな不細工に肥えてる忍びもないわねぇ、と言って解放されました」

「ほうそれは良かったではないか、女の色香にほだされてしくじらず逆に手柄を立てるとはなぁ!」

「へえカチンと頭にきました、それで私はむきになり更に調べましたら、天王寺屋は実は甲賀忍者の出入りする忍び宿で、抜け忍の山中権兵衛を頭とする甲賀忍者の盗賊団で御座いました」

「そうムキになるとこみれば、その女忍びに惚れたのだろう別に惚れるのは人の自由だけどねぇ?」

文左衛門は少し落ち着いたのか、冗談交えながら話しを聞いていたが、この話は切羽詰まっている。

此処で簡単に甲賀忍者について述べておく、甲賀忍者は伊賀忍者と違って下忍少なく、いわゆるピラミツト型でなく独立した、五十三家武士団的要素有り、薬学に長けている勿論火薬もそう、鉄砲隊を組織して幕府に用いられている。甲賀忍者にも仲には真っ当でないはぐれ忍者もいたのでしょうか。

「うむ甲賀忍者団か、実に厄介な相手だなぁ」

「へい不思議な事なのですが、その忍び宿で江戸で会った奈良屋茂左衛門が、(かしら)の山仲権兵衛と親しげに話しをしてました見間違い有りません」

「あの奈良屋茂左衛門か、実にしつこい奴だなぁ儂らを追って大坂(今は大阪)まで来ていたか?」

「ヘイそれは更に厄介な事ですよね、では私は此にて失礼します、戦いの準備をいたしますので!」

「はいご苦労さま、では引き続き準備頼みますよ」

紀文も根来忍者、それとはなしに天王寺屋まで、かよの女物の着物着て様子見に行きます。

根来 同心 に器用な者がいまして髪結いもお手のもの、髪は丸髷でなく嶋田に結って貰いました意外感有るのでこれで皆に疑われなく、なんなく偵察出来そうですねぇ。

それに念を入れておしろい口紅も塗りました、あれっ男ばかりでそんな物一体どこにあったのかって不思議ですか、逸れはかよに江戸土産品にと思って買っていたのが思いがけず役だちました。

それ で皆振り返るほど見事に化けたので、問題なく色っぽい女に変装出来ました、なお内股で歩く練習もしました何か癖になりそうで御座います。

そして店に行く道すがら若い衆が此方をしきりに観てたので、からかい半分にウインクしたら。

「キヤゥン、ウッワンワンワン!」

そしたら犬のしっぽ踏みつけてたのか、犬に追われていました少し可哀想な気持ちになりました。

「ウワワァ-おお-ん!」

犬に攻撃出来ません、脱っとの如く走る走る。

そりやそうです今の将軍は犬公方と云われ、もしお犬さまに何事かあれば首が飛びかねませんし。

紀文は元々細身の女ぽい顔立ちしてましたし、女のしぐさはかよを見てその真似して、誰にも男だと気ずかれる事はありませんでした、化けるのも忍者の得意技で御座いますしね。

ただ天王寺屋では、店の客とおぼしき男に絡まれました。

「ねえさんちょっと、儂の部屋来て酒のしゃくしてくれねえか?」

手を掴んで、無理やりに引こうとします。

「えっ無体な、あの困りますわ」

と言って相手のその手を、そのまま合気技で捻り上げました。

「わあっいててぇ、この女えらいバカチカラだ!」

「きええぇい!」

見ていた甲賀忍者の頭の 、山中権兵衛は素早く刀に手をかけて、一刀の元にけさ切りに斬りつけるやられたか。

よく見ると 切られ血を流しているのは先ほどのヤクザ風の男であった。

「ううん変わり身の術か、よほどの手練れだな女は伊賀者か?」

「頭我ら甲賀以外伊賀者も、狙ってるのですか?」

「おぉ恐らくそうであろう、このしのぎは急がねばならんのう!」

紀文は殺気を感じ、猿飛びの術と変わり身術で難を逃れた。

「ふう何とも危ない所であった」

皆周りの人々が、その有り様を見ていたので、娘がやられたのかと思って関わらぬようにと、すごすご引っ込みましたけれど男とは全く疑われていませんでした。

危ない危ないで何とか、無難に偵察終えました。

この時甲賀は欲に目がくらみ情報をおろそかにしている、根来忍者を伊賀者と決め付けている、独断と決め付けは戦いに不利となるのである。

紀文は船室に帰って根来忍法の印を組み、瞑想にふけった心を無にしていると、気ずきが生まれアイデア(発明)が出る、決してどうしょうかと考えてはいないが、自然と水が流れるように解決策が出てくるのです。修検道が身についたかも知れません。

 そして紀文は船室に、皆を集めて言いはなった。

「今晩忍者崩れの盗賊が、襲って来るとの情報が今入った。それに対応する為に今から覚え書きを渡すので、今から各自町に出て用意してきて欲しい」

「要ったお金は、後で貰えますか?」

「まず五両ずつ渡すそれ以上要ったら、帰ってから高垣に貰ってくれ、急ぐのですぐに動いて欲しい」

人数少ないので半分ずつ交代で町にでる、船内は問屋の荷降ろしで混雑していた。

 堂島の問屋三人が、挨拶に来た淀屋・和泉屋・天満屋・の旦那衆代表で淀屋重当が礼を述べる。

「紀伊国屋さん、このたび私共をお選び下され誠に有りがとうござります、私ども感謝しております」

「ご丁寧なご挨拶、恐れ入ります!」

 三々拍子を打って別れた。皆も既に町より品を買い求めて凡天丸に戻っていた。

「おおい、船を少し沖へ出そう」

 暗くなったので、あまり大きくは動かせない。

 周りに目を凝らすと、他所より来た船が所狭しとひしめいている。

「此では船出せん、仕方ないな」

「若旦那、用意した品物どうします? 分かりませんのです」

「それは今から、皆に説明しようと思う」

紀文は並べた品を手に取り、使い方や工作方法を教えて廻った。

「まず茶色の着物に、着替えてもらおう船の色と同化するのだ!」

「ごみ箱の木の葢、どうしますので?」

「飛んで来る矢弾防ぐ盾だ、木板の外側に一尺格の鉄板六枚を釘付けして張り付けよ!」

 (一尺)は約三十センチである。

「唐辛子と小麦粉はどうします」

「紙に包んで目潰しにする、尚まんだらけなどの薬草を混ぜて吸い込んだ者の頭を朦朧とさせる! いわばこれは幻術だなぁ」

「菱の実は撒くと足の裏に刺さるので、それで敵の動きを止めるのですね」

紀文は皆の周囲を、せわしなく歩きました。

「竿だけはどう加工いたしましょうか?」

「おう先ず先を尖らせて竹槍、後矢弾除けにする」

紀文ひとりに、質問攻めです仕方ないのですが。

「あの小鍋は、頭に被るのですね、わぁ重たい」

言って鍋に紐付けて、すでに被っている。

「あっ忘れていました、百姓から買った案山子(かかし)どうしますのですか?」

案山子を持って、解らぬのか首を捻っている。

「それは船のあちこちに、細い縄で吊り下げて置いてくれ、見せ掛けで注意を逸らす身代わりや!」

「能面は解るな! 矢尻または鉄砲弾よけや!」

「気つけろ忍者は矢先に毒塗る、当たらず触らずだ心せよわかったか!」

「へい分かりました、言われたこと早速すぐに掛かります」

 (くれ六つ)夕方六時になった。

 (敵を知り己を知れば、百戦危うからず)心にいい含める紀文。この度は甲賀と根来忍者の戦いだ。

この日呑んでいた湯のみ茶碗に何気なく念を送ってみた、少し動いた気がした、船が波で傾いて動いたのかとも思ったので?

印を結び雑念を払いもう一度試してみたら、やっぱり動いた。(うん、これはいけるぞ! )

後はこの念力をもっと強力にしなければならぬなぁ。精神を集中して幾度も幾度も試しては、気の済むまで練習するのであった。

「ウウッ寒いなぁ、これはたまりません!」

空を見上げると曇ってきて、今にも雨が降って来そうだった、そのせいか霧が立ちこめる。

「この霧のせいで火縄銃は使えなくなったなぁ、これは全く有り難い事だウムついてるぞ!」

まあこの頃の、常識的な考えですねぇ。

「でもこれでは、対戦相手も見にくいですねぇ」

今回は不意に海賊に襲われた時よりも余裕があるし、対策や用意もしているが全くに面白くない。

「そろそろ来るぞ、声をころして身構えよ! 」

 皆は息をころして、今か今かと待っていた。

湊は灯台の登楼に火が灯り、今夜は潮風が肌に冷たく刺さる。

「おい皆、そこかしこの提灯に火を付けよ!」

 船の内と外が明るくなり、水に浮かぶ不夜城のごとくであった。

 ヒュー、カツカツカと矢が刺さる。ダダタン火縄銃の音もする。

「来たぞぉ! みんな身をかがめよ」

 集団の盾の内より、文左衛門の大きな声がする。

 暗闇に目を凝らすと、六隻の平舟が凡天丸を目指している。

「チイ感ずかれたか、(かしら)このまま引き上げますか?」

「あほぬかせ此処まで来て帰れるか、相手はたかが素人の船乗りや商人衆だ!」

紀文は望遠鏡を取り出して、様子を見てみると一隻に五人が乗り込んで、皆黒ずくめで背に刀を差している。

 六隻ならば三十人である。凡天丸の十六人の倍近い甲賀者だ。

「それ掛かれ!」

 先陣の三隻が漕ぎ手残し、寄せ手十二人で一斉に攻め掛かってきた。

 (カカツカツカ)縄梯子が左右舷に、掛けられる無気味に静かだ。

「おい野郎共火は絶対に使うな、船がそのために燃えて沈むと千両箱も海の底だ!」

「へい、がってんでさあ」

忍びは見えぬから強いのだ、黒い衣装も明るいと逆に目立った。

 かえって野良着のような茶色っぽい方が目立たずに、良い場合がある。

 上から何やら落ちて来る、目が刺すように痛んだ、唐辛子の粉が次々と頭上に落下したのだ。

 目が痛い頭がくらくらする、それにもめげず次々登る、けれど今度は何か頭上から、突然黒い物が落ちて来た。

 それは四方に重りを付けたあみである、被せられれば今度は海に落下する者や、そのまま浮かび上ってこれない者が多く出た。

「ううん何してる、では皆で一斉に掛かれ!」

総攻めに挑んで来た、守りは人数が少なく大方は素人衆で、守っていたので今度は乗り込まれる。

そのうちのひとりが、紀文を見つけ刀で襲いかかるが、とっさに持っていた波きり丸で受け止めた。 挿絵(By みてみん)

 (ヒュゥカッカッカ、ダダン)

再び矢弾が飛んで来る盾をかざし身を守るので、登る者押さえ込めずに、とうとう上がって来た。

「皆怪我無いか、敵が登って来たぞ!」

 皆盾をかざし、緊張して身構えている。

この頃は(タテ)は西洋では多く使われましたが、日本ではあまり使用されていなかったと思う。

「あれ奴らはいったい、どこへ行ったのだ?」

「おぉっ居たぞ、あそこだ!」

忍者は案山子に向かって、手裏剣をまたは矢を集中的に放った、紀文の考えが図に当たったのです。

しかし反応がない目を凝らしてよく見ると案山子であった。風に煽られゆらゆら揺れ動いてる。

「あん案山子か舐めた事しくさる!」

「あのうその案山子が、此方に飛んで来ますぜ」

紀文その案山子に乗って、正面の二人に当て身を入れ倒すそして振り子の原理で叉後方に下がる。

「ほっとけ、たかが木偶の人形」

 声する方に石つぶてが、集中して乱れ飛ぶ。

「わぁいてて!」

 敵はいったいどこから来るのかと、きょろきょろ見ている。

 足元に何か当っても気にせず歩く者は、竹に乗り上げ滑って足を挫く。

 転げると何処からか、人が出て来て棍棒で叉は竹ぼうきで、袋叩きに合うそして麻縄で縛った。

そして案山子のごとく細縄で吊し上げるこれで物言う案山子の出来上がりと成りましす、気がつくとガアガアと少しうるさい案山子ですがねぇ。

我慢強い忍者のはずが、殴られて青あざ作りそこが痛く疼く、それに仲間に殺されまいかと、恐怖が有り大の男が涙を流し喚くのだ。

「どうします、あの助けましょうか?」

「ほっとけ、罠かも知れないぞ!」

しばらくすると疲れたのか、あれだけ騒いでいた声も止まりました。

摺り足で歩くと、縄で足を引っ掛けられて転ける。くり返しやられると馬鹿にできない。

 (ヒュゥヒュゥ、カツカツ)

 文左衛門は拾った矢尻を手製の竹弓で射る、近いのででよく当たる甲賀者は鎖帷子着ているが、毒が塗られている為に少しの傷でも倒れる。自業自得だ自らの塗った毒矢である。

 甲賀者も負けじと手裏剣を投げて来るが、盾に弾かれ役立たず。

 紀文方は少ないが、単純に考えると一人で二人倒せば、勝つのである。文左衛門は鍋をヘルメット代わりにかぶっている。

 甲賀忍者にも体術はある、それを使って文左衛門に向かってくる。 

「うりゃあ! アッタタタタッタ」

 文左のカンフーが炸裂する、突然の奇声に戸惑って、金縛りあったように動けな無い。瞬く間に蹴りや突きを喰らって倒れた。

もちろんこの前取得した念力も使いました、飛び道具である忍者の手裏剣を封じ込める為です。

「うっどうした事だウワオッ、手裏剣持つ手がしびれて全く動かないぞっ!」

相手は武術に優れた忍者で、人数も多かったので自信なかったけどやむを得ず使いました。

帆柱の上から甲賀忍者が船員めがけて、短弓を打とうとしているのを眼にした、盾は真横に構えているので頭上はがら空きである。

「おおっと、危ない!」

紀文はとっさに猿飛びの術使ってよじ登り、敵の忍者に食らいつき腹に蹴りを入れて、忍者を柱から落としその船員を助けた。

相手が少なくなってきた、今度は皆で梯子を使い捕り物のように首に掛け数人で取り押さえる。

下から声がした甲賀者の頭だ。

「おい片ずいたら、早く千両箱降ろしな」

 いっこうに、反応が無い。

「おかしいな仕方ない、今から船に上がるぞ」

 縄梯子を伝って登る、甲板に上がり見わたすと、要るはずの仲間が誰一人もいなかった。

 薄明かりの中目を凝らすと、町人風の若い男が、天狗の面を付けて立っていた。

「あの、山中権兵衛どの」

「うん誰だ! おぬしこの儂を知っているのか?」

「甲賀忍者の山中権兵衛でしたね?」

「其処まで知っているのか、お主ただ者では無いないったいお主は何者なのだ?」

紀文は面を取り素顔を見せる、敵はまだあどけない顔に戸惑う、て刀を構えるといきなり斬りかかるが、太極拳で反撃撃退した。挿絵(By みてみん)

「忍びの盗人なら隠す事も有るまい、伊賀の本流である根来は藤林正武門下で、わが忍びのあざ名は猿飛佐助、また通り名は紀ノ国屋文左衛門だ!」

「ほうお主も忍びだったか! さもあらん」

「さぁ勝負は付いた、どうなされるか?」

「お主このまま、儂らを逃がしてくれるのか?」

「どうぞ、私怨は御座らん捕まえた子分も、連れて行ってくれ!」

「かたじけない、儂も人として忍びとしてこの恩は生涯忘れぬ、お主に何かあった時お役に立とうではさらばで御座る、あっそうだこれをやろう」

と言って手渡されたものは、握り鉄砲であった。十七センチ足らずの短筒であった。これは革新的な物でゆうなれば火縄を使わない銃である。

「最新式の鉄砲でござるな、これは珍しいありがたく貰います!」

忍者集団(科学技術集団)は、海外の拳銃に近い短筒を開発していたのだ、もしは無いが根来に海外の最新の情報や物が、入ってれば日本はそんなに、西洋に遅れてなかっただろう、紀州には紀文のような先進的な人もまだいたのである。

この一件で(紀文)こと猿飛佐助は 、忍者仲間内では 名を馳せるがそれは、影の世界であっては世の中に、名前は残らないのである。

そしていかに革新的な技術でも、それに気ずかねば発展はないのです信長のような人がいればねぇ。

「では紀文どの、さらばでござる叉いずれか……」

(昔から甲賀と伊賀は近く、仲が良かったのです)

 さすがに負けを認めと、去るのも早い風のようにいなくなった。

多分盗賊団から足を洗い、組織を維持するのに甲賀忍者の得意とする薬学で、身を立てるのだろうと紀文はふと思った。

戦い紀文が商人であるのと、守側は素人であったので死人はなく毒は、甲賀が解毒薬持っていた。

(甲賀流は特に、忍者仲間内でも薬草学では有名であったのだ)

薬は儲かるからなぁ平和な時代にあっては、忍者も転業しなければならない世になって来ました。

ちなみに根来忍者は、毒物に関しては詳しかったようです。

毒物も少量なら虫下しのように薬にもなり得ますが、それは使う人次第でも有るようです。まあ毒を盛るのは人です、殿様が食べる前お毒味役がいましたが、一般人では防ぐ手だてがありません。

人には欲が有ります、金次第で何をするかわかりません、現在は本当に狂った人もいますしねえ。

逸れだけお金が欲しい人々がいるのも事実です、お金は大事です欲しい時いる時なければ、生き死にも影響する事もあります、ネガティヴな話でした。

ちょっとした工夫やアイデアが大発明に繋がるのですが、この頃技術は一部の忍者のみでしか研究されていなかったし、甲賀や伊賀もしくは根来の秘密とされ、技術の引き継ぎもなかったのである。

鉄砲鍛冶に火縄銃以外の、新しい発想をする者いなかったかと思う、まさか幕府に止められいた。

プロ職人は経験から、こうであると決めつける癖がある、大いなる素人考えが大発明を齎すのだ。

戦闘で皆疲れたのか泥のように眠る。月光も陰りがちで、寄せくる波の音が心地良かった。


第三十一章、宝の入り船(最終話)


「朝だ、さぁ宝船の出航だ!」

 凡天丸は朝日浴びて皆の待つ紀州へと梶を切った。堺湊を過ぎだんじりで有名な岸和田に来た。

「若旦那、いったい儂ら此からどうなるかの?」

 訓練した若者十一人が、情けない顔して文左衛門聞いてきた。

「うむ儂が江戸に行くと言ったので、心配をしているのかな?」

 文左衛門は続け言う。

「お前達は根来同心が面倒見てくれる、侍にして呉れるらしい」

「それはほんまか、嬉しいのう」

「そのために、訓練して来た」

「あの時に皆に言ってたら、もっと残る者もいたと思うがのう」

「あれで良いのじゃ、今の武士は口に出せぬ、辛いことも多くあるからな」

「うん文左衛門さんは、若いのに何から何までようできたお人ですね!」

「そうかな儂とて、善良な心と悪い心を持っているのだけれど、悪い心は抑えて表に出ないようにしている、カルタの表と裏のように人は二つの面をもっていると思っている」

「悪人は悪い心の方が強いのでしょうかね?」

「そうかも知れませんね、幼き頃はむくなのに自我に目覚めると、どちらか強くなってくるのかなぁ」

「それで悪しき心抑える為、宗教があるのかな?」

「身を滅ぼさぬように、お互いに気をつけましょう心に隙間に悪魔が入らないようにね!」

「変な事言ってすみません、ご配慮ありがとう御座いました。」

横で聞いていた者が、更に紀文に聞いてきた。

「そしたらこの凡天丸も、紀州藩船となるのかな」

「ううん、それはまだはっきりと解らねえなぁ?」

「うん船と船員は一体で、藩が面倒みてくれるだろう、だから紀ノ国屋の海運業務も終わりて事だ」

「そしたら和歌浦にある、紀文の魚屋はどうしますのですか?」

「長年務めてくれた従業員に、店名変えて後を任せようる思う!」

皆が納得するように、考えていました。物事にこだわらない性格でした、それで皆納得しました。

立つ鳥後を濁さずです、人に憎まれたら後が怖いですからね。信長ももう少し人の心を知り、気配りしていればあんな最後はなかったかも知れません、紀文は人について本で勉強していました。

船は貝塚を過ぎ岬町だ、もう少しで紀州に着く懐かしい故郷に。

「あの、船は何処へ着けます」

「そやなぁ和歌浦に、着けてくれるか」

「下津では、ないのですか?」

「我が家は、和歌浦にあるんだ」

「はいわかりました、仰せの通りに致します!」

「あっ和歌浦に着ける前に、友が島に寄ってくれないか?」

高垣亀十郎が、不思議そうな顔して文左衛門を見ている、紀文は大人のようでまだ子供のようなところがある。(友が島に今度の儲けの一部分を埋めて、秘密の宝島にしようと思ったのです)

「紀文の旦那、友が島に着きましたよ!」

「根来衆よ、三人ほど来てくれ」

「はい若旦那、私共に何なりと」

「今から遊びに、友が島に上陸する少し手伝って欲しい事があります」

と言って友が島に上陸する、そして用事が終わったのか、ニコニコして帰って来た。子供の頃の夢物語を叶えたようである。

若旦那お帰り、どうでした?」

「おう友が島の漁師に無理言うて、つり道具一式と餌貰うてきた」

と言って早速船上から釣り糸を垂れる、ググッと引きがきて釣り上げたら、見事な真鯛が釣れた。

「おっこれは大きいぞ、今日の飯のおかずや!」

真鯛が、ピチピチ跳ねている。

「はいとても嬉しいですね、ご馳走になります大好物です、今から早速料理しますよ!」

それを見ている皆も、笑顔で楽しそうでした。

これを読む皆さん同様紀文には、若さという大いなる財産を持っていたのである。

逆境必ずしも逆境に非ず、順境必ずしも順境に非ずですよね、世の中の目に見えぬ運の荒波を、渡る時手探りで勘を頼りで、渡らねばならない一歩間違えば、人生の落伍者になりますから、本当に怖いですよねぇ、人生は一度やり直しはきかないのですifはないのだ。

「さぁ和歌浦に出発だ、錨を揚げよ帆をはれ!」

「紀文の若旦那、今度は何ですかこの前は湯のみとにらめっこしてましたが、今日はいろはカルタとにらめっこですか?」

三人ほどが椅子に坐る紀文を囲んで、その不思議様子を見ている。

「うん今度は予知能力の研究をしている、何とか裏返したカルタの表を当てられないかと思ってね」

「若旦那それは無理ですよ、仙人の超能力でもない限りはねぇ!」

「江戸へ行った時、商品相場の動きを予知しなければ、ならなくなるから超能力を得ようと思ってね」

紀文はお茶をのみながら真剣に言った。

「カルタとにらめっこして、予知能力が得られのでしょうかね?」

「ウムなるかならぬか、やってみなければ解らんからのう、ハハハッまあ暇つぶしでも有るのだ!」

あまりに熱心にしてるので、皆はそれ以上何も言えなかった。紀文は思い込めば何事も夢中になる。

この頃まだ紀文のような、冒険心の強い若者もいましたが、しだいにやる気ない無気力な者が増えて来ました。何が原因でしょうか夢をみない探求心の無い若者が増えて、忍びの研究発明も低迷するのです。まさに江戸時代最大の元禄バブル突入前です。

いつの世も若者が次の世を担う、原動力となるのでございます。

貞享三年(霜月)十一月二十日に、凡天丸は和歌浦漁港のふ頭に船は着いた。

 夕暮れ時花火を海に向けて、派手に打ち上げた。

(ドドドン、バリバリ、ヒューン)

 みんな花火に見惚れている、文左としては着いた合図だった。 挿絵(By みてみん)

 笑顔で高松河内がやってきた。

「おお紀文どの、でかしたようやったのぅ!」

「おかげで、やり遂げました」

 お由利の方、三十五歳も来ていた。源六若君を胸にしっかりと抱いている。

 源六君もう満三歳である。(後の八代将軍と成る徳川吉宗公である)

「文左衛門、ご苦労チャま」

「賢い和子様で、ござりますね」

 若君の頭を優しく撫でる。

「文左衛門どの、そなたの申していた江戸行きの件ですが、藩主に言えば綱吉将軍に頼んでおくと言ってましたよ!」

 一呼吸置いて続けて言う。 挿絵(By みてみん)

「江戸に行かれても、紀州藩は源六の事をお頼みしましたよ、あっそれとあなた江戸に行って何をなさるの?」

文左衛門の、まだあどけない顔を見て言う。

「頼り無いですがお任せを。それと私は江戸に行って金儲けをします、商売が面白くて」

何故か、気になって仕方ない。

「で、どんな御商売しますの?」

「へえ先ずは米屋、そして材木商いですか、熊野屋で習ったので」

「そうですか、でも金の亡者にはならないでね 欲は本当に きりが有りませんから」

「はい金の亡者にはなりません、お金儲けに飽きたその時はきっぱり止めますよ!」

「そうならば、良いのですがねぇ」

「金は天下の回りもの、金の情報掴んでドバット儲けてまた使います、近江商人のごとく牛のよだれのごとく儲けるも一手ですが、私の性格に合いませんので!」

「では江戸で頑張って、せいらい儲けて下さい」

「はい士魂商才にてまず私が江戸へ行き、きたる源六君の先駆けとなる所存に御座りまする!」

それを聞き、安心したようだ。

「そうですか差し出がましい事言いましたねぇ、もう言うことは有りませんよ楽しみですねぇ!」

 言うと由利の方は、役人に守られ立ち去る。

この頃二代藩主光貞と、次の藩主たらんとする綱教の仲は、険悪であったと噂されている、そして三男頼職は綱教と仲が良かった。

 隅で見ていた玉津島神社の、巫女かよがそっと紀ノ国屋文左衛門に寄り添い。挿絵(By みてみん)

「文左衛門どの今回の命がけのお勤め、誠にご苦労さまでございました」

かよが文左衛門に、ねぎらいの言葉をかけた。

「おっとそうだ江戸土産の越後屋で、買った反物だどうかな気にいって貰えるかな?」

「あたしに、まあ嬉しい!」 挿絵(By みてみん)

 男文左の名が上がる、一代分限と今も尚その名を誇る、「紀ノ国屋文左衛門」青春伝でした。

 この時掴んだ金は、行き帰り合わせて二十七万八千両でした。

「紀ノ国屋文左衛門」の江戸行きの夢は膨らむ。時はまさに元禄時代のバブル景気に、入ろうとしていました。

 余談ですが越後屋の三井高利一代にて、築いた財産は七万両を少し上と云われています。

どうも長らくお読みくださり、お疲れさまです。これで「紀文」とあなた様は三百五十年来の友人と成りました、心の絆が出来ましたね紀文は決して裏切りません、人生の困った時見てくださいね。

時は流れ動く変化する、誰も時の流れには勝てない、時を止める事も出来ない。

ならば時の流れを的確に読み掴み、その時の流れ時代に乗る。

紀文は江戸時代を駆け抜けた。いずれ令和時代を駆け抜ける者が出てくるだろう。

時を掛ける少年が現れるのだ。逸れはあなたかもしれませんね 出でよ! 今日本はあなたを必要としている、あなたを世界中が待っているのだ。いつの世も若者達によって開かれるのである。

運とはいったい何なのでしようかねぇ? その時の人の歴史なのか、今後幾百年人々に語り継がれるのであれば、第二第三の紀文が現れるだろう事信じて筆を置く。


 快男児「紀ノ国屋文左衛門」青春伝  劇終。

  

挿絵(By みてみん)

 (追伸)

「後は、江戸にて材木商をやります、おいら江戸の町が大好きに成りました。皆さんどうもありがとう御座いました!」 挿絵(By みてみん)

 アッそれと、江戸で結婚しますが吉原の花魁お蝶を見受けした事になっていますのですが、事情ありましてかよが手早く国替えし江戸へ行く為、吉原にお願いして改名した名前でございす。

挿絵(By みてみん)




どうも最後までお読みくださり誠にありがとう御座います。「紀ノ国屋文左衛門」青春伝、なのでこれにて終わりにしたいと思います。

子供が大人になるたびに夢を失う、何故どうしでと聞くのをやめる現在の忍者たるべし。何故の探求心がエジソンを生み育てるのだ、夢が少ないと直ぐ大人になるならば夢を数多く持ち、失っても次々増やしてゆけば良い、ヤケクソになり人をまきぞえにする人より、夢ある子供の心持った大人になろう。

江戸での話は、先人が書いていて(読んでいませんが歴史物はよく似る)重複すれば、盗作と云われ兼ねないので無理をせず、この辺で終わりにしたいと思います。(事実は同じになる!)

この後江戸に行き材木商をしますが、これが当って約百万両を儲けました。最終的に一万両残して仕舞うた屋(店を閉める)事となりますが、その金はどこに消えたのか? 皆さんの想像に任せます 謎が多い人です 、一代分限とその名前を残しますが。

何分なろうで一作目なので、不満な所はあると思いますが御容赦願います。



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