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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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大公はかく語れり

 聖杯を発見した……そんな知らせが舞い込んできたのは、東京インパクトから5年が経ち、その記憶も薄れてきた今年の始めのことだったそうである。


 300人委員会はその頃、これだけ時間が経っても犯人が見つからないことで、もはや東京インパクトの調査は諦めるしかないという結論に達してしまっていたらしい。犯人は自分たちの中にいると分かっているのだが、それを強く追求することが出来なかったのだ。世界を牛耳る秘密組織と言っても、結局は人間の集まりに過ぎないから、戦後からこれだけ長い時間が経ってしまうと内部が硬直化し、自浄作用がまったく働かなかった。元々、王侯貴族のメンバーは、戦後80年の間に婚姻関係などが進み過ぎて、身内に甘い体質だけが浮き彫りになってしまっていた。


 ところが、そんな時にFM社が襲撃を受け、上坂が保護されたことで犯人が誰であったかが判明してしまった。300人委員会はFM社に関わっていたメンバーを追求し、彼らが何をしようとしていたのかを調べようとした。そんな矢先、モサドから連絡が入ってきたのである。


「僕らのメンバーの中にはユダヤ人が多く含まれていたが、かといってイスラエルという国そのものが僕たちの傀儡国家というわけじゃない。あの国はあの国で、僕らとは全く別のルートで東京インパクトのことを調査していた。こと、ナチスに関して彼らの持つ情報網は、アメリカのそれを大きく上回っているんだ。彼らは初めからあの隕石騒動には、ナチスが絡んでいるんじゃないかと考えていたようだ。


 1998年にカトリックがボルマンの消息を伝えてから、彼らはその行方を血眼になって追っていた。仮に生きていたとしても100歳近い老人だったろうに、それでも彼らは自らの手でナチスの残党を始末したかったのだろう。物凄い執念だ。その執念が、ニーベルンゲンがアメリカに潜伏していたという情報を探り当てた。


 それ以来モサドは、僕らとはまったく別個に、ナチスの残党のことをずっと追い続けていたようだ。ホロコーストの犠牲になった彼らだからこそ、放って置くことなんて出来なかったのだろう。だから東京インパクトが起きた時、僕らとは違って、彼らは真っ先にナチスの関与を疑ったらしい。彼らが言うには、これだけ狂ったことをやれるのは、いかにも奴ららしいからだ。そして、その直感は正しかった」


 FM社が襲撃を受けたあと、その本社ビルは取り壊しが決まっていた。ドローン兵器の銃撃で、建物がボロボロになっていたからだ。いつ崩れ落ちるかわからない事件現場は政府によって立入禁止になり、現場検証を終えた後、速やかに爆破解体された。その瓦礫の山を回収業者が運び出していたわけだが……その中に不審な連中がいることにモサドは気づいたらしい。


 業者は瓦礫を処分場ではなく、わざわざ一旦別の場所に持っていって、こそこそ仕分けをしていた。これは何かあるとモサドは業者の背景を探り、彼らがナチスの残党であることに気がついた。


 そうと分かれば容赦はない。モサドは業者を拉致、拷問し、彼らがネオナチだったと判明する。そんな彼らが一体何を運び出そうとしていたのか……? 業者に変わり瓦礫の山を丹念に調べた結果、奇妙な一個の器を発見する。


「それが聖杯だった。聖杯は黒くて四角い器で、杯と言うよりは箱といった方が良いような代物だった。手のひらにすっぽりと収まるくらいの大きさで、仕組みは分からなかったが、その中にはいくらでも、何でも詰め込むことが出来て、何かの記録装置みたいでもあり、まるで時間が止まっているかのようにその表面は傷つかなかった。


 人間が触れても平気だが、人間以外の物を近づけると吸い込むようにそれを吸収し、中に入ったものは熱を加えると取り出せる。それは手のひらの温かさで十分だ。その中には無尽蔵に物を詰め込むことが出来るが、いくら物を詰めてもその重量は変わらない。そんな代物だ。


 これを調べたイスラエルの科学者は、極限ブラックホールのようだと言ったそうだ」

「……極限ブラックホール? それってどんなものなんですか?」

「僕にもよくわからないよ。そうだ。君らの国には何でも願いを叶えてくれる猫型ロボットがいるだろう?」

「ドラえもんのことですか?」

「そう。それの四次元ポケットみたいなものらしい。聖杯の中は別次元に繋がっていて、中に入ったものは、一旦、器の表面に情報として記述される。そしてそれは蒸発という手段で簡単に取り出せるらしい。


 科学者に言わせれば、この世の中のものはすべて情報として記述されているのだそうだ。色も形も重さも何もかも、目に見えるものは実際にはそこにあるんじゃなくて、どこか宇宙の別の場所に記述されている情報なのだとか。


 聖杯はその情報を記述しておくことが出来るもの……ということらしい。まあ、どうやって作るかわからないのだから、憶測に過ぎないのだがね。


 ともかく、ボルマンがヒトラーの遺言に従って、アメリカに持ち込んだのはこれだろう。しかし何故こんなものを持ち込んだのか……モサドは当初、これが何か分からなかったから、その理由も分からなかった。


 だがヒムラーの証言を思い出して、彼らの顔色が変わった。大戦中は誰も信じられなくて闇に葬られてしまったが、もし彼の証言がすべて本当のことだとしたら……?」

「ヒトラーの記憶は聖杯に移され、それがアメリカに持ち込まれたことになる……」

「そう。しかしモサドが聖杯を手に入れた時、それは空っぽだった。すると、それは最初から何も入っていなかったか、もしくは何かが取り出された後ということだ」


 縦川は自分の顔が青ざめていくのを感じていた。もしも、大公の言う通り、聖杯の中にヒトラーの記憶が入っていたとしたら、その行き先には心当たりがあった。ほんの数時間ほど前、ケルンの警察署で彼はそれを見せられたばかりだ。


 大公はその可能性も踏まえて話を続けた。


「ただ、ヒトラーを復活させるには色々と前提条件が必要だった。人間の記憶を移し替えるには、まず魂の入ってない無垢な身体が必要だが、生まれたばかりの赤ん坊に転生させても、ヴァイスハウプトがヴィリグートに転生したときのように不完全に終わる。子供が成長する過程で記憶が混濁してしまうのだろう。


 捕らえられたナチス残党は、それで始めは植物人間に移し替えることが出来ないかと考えたようだ。だがこれも上手く行かなかった。理由は分からないが、多分、植物状態と言ってもそこには魂があるからだろう。一つの身体に二つの魂は宿らない。だから次に考えたのは、その魂を肉体から分離する方法だった」


 聖杯に人間の記憶……つまり魂が記述出来るのであれば、魂を引き剥がすことだって出来るんじゃないか? 思えば仏教や汎神論、神智学ではその方法をずっと論じていたのだ。大昔の人はそれを修業によって実現させたようだが、今なら科学を使って実現することも可能ではないか。


 そう考えたFM社=ナチスの残党は、人間の脳とクラウドを繋げる方法を考えた。人間の身体から魂を剥がし空っぽにするには、人間の記憶を身体の外に持っていってしまうしかない。何故なら生まれたばかりの赤ん坊に『私』というものが無いように、『私』というものは経験から生まれるからだ。つまり、人間の記憶のある場所に魂もあると考えられる。


「そうして彼らが作り出したのが、あの移民監視チップだ。あれは移民を監視するのが主目的ではなく、実は脳に腫瘍を作り出し、コンピュータとリンクさせる方が目的だったんだ。そうして魂の分離する方法を確立したのが、いわゆる眠り病と呼ばれる現象だった」

「眠り病……?」


 縦川は困惑のあまり眉を顰めながら、その疑問を口にした。


「いや、でも、眠り病ってのは、立花先生が作ったヒトミナナが引き起こしている現象なんじゃないですか? 彼女は、東京インパクトの時に上坂君を助けようとして、人間にはもう何かよくわからないものに進化した。その結果、眠り病が起きるようになったんだって、俺はそう聞いていたんですが……」

「違うんだ。ヒトミナナは元からあった手法を、効率よく出来るようにしただけなんだ。よく思い出して欲しい。ヒトミナナが消えてから、特に被災地の東京を中心として、世界中に超能力者が現れたわけだが、眠り病患者の方はそれ以前から存在したんじゃないか?」

「……え?」

「眠り病と呼ばれるようになったのは、ここ五年のことで、それ以前から原因不明の謎の奇病はあったはずだ。それまではただの植物状態としか思われていなかったが、眠り病の症状のまま放置され、衰弱死してしまった患者に心あたりがあるんじゃないか?」

「あ! そうか! 上坂君のお兄さん……」


 上坂が天涯孤独になる切っ掛けとなった、謎の奇病で寝たきりになった兄である。彼は上坂がGBを追いかけていった世界で、この世界の記憶を持ちながら、平和に暮らしていたという。


「それじゃあ、眠り病ってのは」

「ナチスがヒトラー復活の過程で偶然に見つけた奇妙な症例のことだったんだ。僕は詳しいことはさっぱりだが、すべての人間の魂というものは高次元で繋がっているらしい。その時、たまたまナチスは聖杯という次元を越えるための道具を持っていた。


 彼らは当初、聖杯を使って、その中のヒトラーの記憶と、拉致した被験者の魂を入れ替えようとしていた。しかしそんな魔術的な方法では上手く行かなかった。それが出来るんなら、ヒトラーは自分の魂を聖杯に移して間もなく復活してなければおかしいからね。


 どうやったら上手く脳を乗っ取ることが出来るのか……次に彼らは外科的な手法を試みた。頭を切り開いて、脳を削り取ったり、電気ショックを与えたり、非人道的なことを色々と試みたようだ。その過程で、偶然に眠り病を発見した。


 人間が強いストレスを感じると現実逃避するように、中には魂の分離を引き起こすものもいるらしい。眠り病患者は、実は大昔から存在したらしく、それまでは治療法も原因も何もわからない、ただの植物状態ということで片付けられていた。


 ナチス残党は偶然にそのことを発見し、眠り病患者の身体を手に入れようと画策したようだ。ところがこれもまた上手く行かなかった。眠り病患者を確実に手に入れる手法が確立出来なかったからだ。


 しかし偶然発見されたというなら、また偶然に頼ればいいだろう。彼らは眠り病になる条件がストレスと逃避行動だと考えると、例のチップを作り出し、特にストレスの多い社会中心にそれをばらまいた。そして脳とネットをリンクすることで、魂の逃避先を作り出すことに成功した。人間の記憶も情報であるから、魂はデジタル化出来ると考えたわけだ。


 この方法は案外上手く行った。問題は、どこの誰が眠り病になるかわからないから、そう都合よく被験者を手に入れることが出来ないことだったが、時間をかければそれも解決するだろう。彼らはそうして気長に実験体が手に入る機会を待っていた……ところが、そんな矢先に彼らの悪事を一人の女性が発見してしまう。それが立花倖博士だったわけだ。


 博士はこのチップの目的が、非人道的な移民監視にあると考え、それを告発しようとしていた。実際にはナチス残党の目的はそうではなかったんだが、それを公にされるとまずい。


 FM社に騙されて出資していた金持ち達の中には、情けないことに僕たちイルミナティのメンバーも含まれていて、アメリカ政府に働きかけることが出来る人物も居た。そして僕たちが預かり知らないところで、あの東京インパクトが起こされたと言うわけだ」


 大公が初めに東京インパクトを引き起こしたのは、自分たちではないがイルミナティではあると言っていたのは、そういった事情があったからだ。


「結局、僕たちはこの事件の真相を探り当てることが出来ず、モサドに指摘されるまで5年もの時間を無為に過ごしてしまった。あのパルチザン活動の支援のために始まったはずのイルミナティという組織が、実は最初からナチスと裏切り者に利用されていたことに気づいた僕らは非常に落胆したが、今はもうそんなことを言っていられる場合でもなかった。僕たちは速やかに裏切り者を排除し、ナチスの……ヒトラーの魂の行方を追った。


 その過程で、立花倖という存在を知った僕たちは、彼女をこっちに引き込めないかと考えた。正義感の強い女性のようだから、説得すれば応じてくれるとそう思った。そのためにその身辺を洗っていたんだが、そんな時にAYF社の白木ノエルと、九十九美夜なる人造人間の存在を知った。


 白木ノエルと言う男は独特な行動理念を持った男で、僕たちには計り知れない理由で産業界を駆け抜け、のし上がってきた人物だ。彼は現在、医療機器メーカーとして世界に冠たる大企業グループを作り上げたわけだが、実はそのはじめの一歩は大人のオモチャを作ることだったらしい。あの男は、欲望に素直な、マッドサイエンティストなんだ。


 それだけ考えると実に馬鹿馬鹿しい理由で取るに足らない男であるが、しかしこの男がまた馬鹿馬鹿しい理由でとんでもないものを作り出していたために、僕たちは彼を無視することが出来なくなった。


 白木ノエルはある日、メイドロボとか欲しいから! ……という単純な理由だけで、人造人間を作り出してしまったらしい。大金持ちの彼には沢山の使用人がいたし、美しい奥方だっているくせに、ただ単に趣味でそんなものが欲しくなり、周囲の止める声も聞かずに作り上げてしまった。それが九十九美夜だ」


 それは縦川も本人から聞いていた。


 立花倖は、上坂の作ったドローン兵器から人格の部分を取り出し、コンピュータ上にオリジナル美夜として再現していた。そのオリジナル美夜を使って、上坂の行方を探ろうと考えていたのだ。ところがそんな時、たまたま乗せられる身体があったから、『趣味』で美夜の人格を乗せてしまった。そしたらあの妙ちくりんな美夜が生まれてしまったのだ……確かそんな風に言っていた。


 彼女はあの時、他には何も言ってなかったが、その時たまたま手元にあった身体と言うのは、元々白木ノエルが邪な気持ちで作り出してしまったメイドロボだったわけだ。


「さて……あとは何が起こったか察しがついたんじゃないか。白木ノエルは、メイドロボットを作ったは良いが、それを動かすことは出来なかった。唯一、それを動かすことが出来たのは、もう一人の天才・立花倖だったが、彼女が彼の邪な欲望を満たすために力を貸すわけがない。白木ノエルのメイドロボ計画はそれでおじゃんになった。


 だが……その過程で彼が作り出してしまった、身体は人間そのものだが、頭が空っぽの人造人間というものは、誰かにとって非常に都合のいい道具だったと思わないか?」

「……ヒトラーを復活させようとしていた、ナチスの残党達ですか……」


 大公は首肯した。


「奴らは、立花博士を狙ってその身辺を探っていた時に、偶然にそんなものがあることに気がついたんだろう。こんなものがあるのなら、いつ手に入るかわからない眠り病患者など用済みだ。彼らは目的は眠り病患者の確保から、九十九美夜の身体を手に入れることに変わった。


 そして恐らく、簡単に手に入れることが出来たんだろうね。立花博士が協力してくれなければ、白木ノエルには人造人間のAIを作ることが出来なかった。白木ノエルはある意味天才だったが、非常に偏った天才だったんだ。夢破れた彼は、それでメイドロボ制作を諦めて、今まで作った制作物を封印した……ナチスはそれを手に入れたんだ」


 それが3年ほど前からドイツ国内で暗躍していた九十九美夜なのだろう。


 いや、美夜ではなく、その中身はおそらくヒトラー……本物の美夜が日本でのほほんと暮らしている間に、ヒトラーの方は欧州で着実に自分の勢力を伸ばしていた。その目的が何なのかはわからないが……


「以上だ。立花博士が生きていたら、僕が彼女に話すつもりだったのは、こういうことだったんだ。彼女が死んでしまった今となってはもはや後の祭りかも知れないし、君たちにこんなことを言っても仕方ないのかも知れないが……彼女のことを救えなかったせめてもの償いとして、老人のたわごとだと思って聞き届けて欲しい」

「いえ、そんな……」

「この話を誰に話そうとも、逆に誰にも話さなくっても、君たちの自由だ。改めて、愛さん。君のお姉さんを救うことが出来なくてすまなかったね……そして縦川君。上坂君に伝えて欲しい。孫娘を救ってくれてありがとう。もし君が必要とするなら、いつでもこの老体と、ローゼンブルクを頼ってくれてかまわないと。


 僕たちイルミナティは、今後ネオナチを壊滅させるために動くことになるだろう。とは言っても、もうメンバーは老人だらけだし、まだ他にも裏切り者がいるかも知れない現状では、胸を張って任せてくれとは言えないけどね……情けない限りだ」


 大公はそう言うと、話し疲れたと言った具合に、ソファに埋まるように身を沈めた。背筋はピンと伸びていて、しっかりしてそうに見えるが、齢80半ばの老体である。この年で徹夜は相当きついだろう。


 テレーズが呼び鈴を鳴らすと、執事が颯爽とやってきて、大公を抱き抱えるようにして去っていった。この使用人だってもう相当な歳であろうに、まったく疲れを感じさせないカクシャクとした姿は、見ているこっちのほうが若さを吸い取られるような思いがした。


 窓の外を見ればいつの間にか空は白み始めており、欧州に来て最初の夜が明けようとしていた。飛行機で仮眠を取ったとは言え、丸二日分くらいは夜が続いていたような気がする。ソファから腰を上げると身体の節々が悲鳴を上げた。縦川たちは大公の執務室から出て、立花倖の眠る聖堂へと戻った。


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