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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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かつて科学はオカルトだった

 かつて科学はオカルトだった。せいぜい産業革命が興るまで、世界はスコラ哲学の世界観に支配されていた。即ち、物質とは火・風・水・土の四元素で出来ていて、人間の霊魂は呼吸とともに口から出入りしているというようなものである。このような世界に生きている人たちにとって、十分に発達していなくても、科学は魔法にしか見えなかった。


 それも仕方ないことだろう。実体験に基づいて、我々は球体の上を歩いていると言われても信じられない。それじゃ端っこまで行ったら落ちてしまうではないか。ニュートンみたいに物質には万有引力があって、りんごは地球に引っ張られてるなんて言っても、酔っ払いのたわごとにしか思えないだろう。2つの薬品を混ぜたら、全く未知の薬品が出来たり、水の中から突然銀や銅が出てきたら、誰だって錬金術はあるんだと信じてしまうだろう。


 19世紀後半。王政復古のロマン主義と科学発展著しいモダニズムの時代がやってくると、人々は電磁気学や化学の発展により、見たこともないことだらけの時代に生きていた。この時期、めまぐるしく科学が発達するのに比例して、神秘主義(オカルト)に傾倒していく人々も増えていた。


 例えば電球や蓄電器やら、仕組みはわからないのに、何だかすごいものを人々は日常的に見ていた。哲学者たちは神とは何だ? 人間とは何だ? と喧々諤々戦わせていた。テレビはない、ラジオもない、車はもちろん走ってない。識字率は低く、情報は酒場で仕入れるものであり、現代の社畜も真っ青の労働時間に拘束され、教会の権威はとうに失墜し、信仰も失われつつあった。カトリックにあっては、教義を現代風に直せという動きすらあった。何を信じ、どう生きればいいかわからなかった。


 こんな時代に颯爽と現れたのが、ヘレナ・ブラヴァツキー率いる神智学協会で、彼らは人間も修業によって神になれると主張した。この時期インドはイギリスの植民地で、彼らはヒンズー教や仏教の概念をヨーロッパに持ち込んだのである。


 これはヨーロッパ的な神秘主義と混じり合って、やがてグノーシス主義としてリバイバルする。グノーシス主義は紀元2~3世紀に失われた、原始キリスト教の教義で、長らく西方教会では異端とされ、悪魔崇拝として禁じられていた教義だった。


 ところがこの時代、バチカンにはもうこれといった権威もなく、人々はカリギュラ的な好奇心から、あちこちに魔術結社をぽこぽこと誕生させて、そんなものを研究していたのだ。薔薇十字団。神智学協会。ゴールデン・ドーン。トゥーレ協会。


 20世紀は正にオカルトと共に始まった、科学と魔術が入り交じる、最後のフロンティアだったのだ。


*********************************


 同じ神を戴いているはずなのに、一神教の国々は仲が悪い。戦争ばっかりしている。ユダヤ教徒とキリスト教徒。キリスト教徒とイスラム教徒。同じキリスト教徒でも、正教とカトリックとプロテスタントで分かれて、やっぱり戦争ばっかりしている。昔はユダヤ教徒とイスラム教徒はそれほど仲が悪かったわけではないらしい。だがイスラエルが建国してからは、中東で血で血を洗う戦争を繰り広げている。


 なんでこいつらは戦争ばっかりしてるのかと言えば、私利私欲な理由が半分以上あるんだろうが、建前上は神とは何か、その解釈を巡って争っているようである。


 モーセが十戒を授かってから、人には絶対の法が生まれた。即ち、殺すなかれ、盗むなかれ、姦淫するなかれ。自分自身のように隣人を愛せよ、と言った戒律のことで、これを守っていれば神は天国に連れてってくれる。逆にいえばこれを破れば地獄に落ちるわけだから、殺しても構わないではないかと、殺すなかれと言われてるのに彼らは殺しまくってたわけである。


 ずいぶん都合のいい考え方だが、一神教が成立した当時のことを考えれば、甘っちょろいことを言ってたら蛮族が殺しにやって来るわけで、そうなるのも仕方なかったのかも知れない。しかし、この考えからすれば、解釈の仕方によってはいくらでも人を殺してもいいことになる。それじゃ困るからどこまで行ったら戒律違反になるか、はっきり決めて欲しいという需要が生まれ、その解釈を行う律法学者(ラビ)が力を得るようになっていったわけである。


 律法学者は主にモーセ五書から人々に戒律を教えた。神様から十戒を授かったモーセが言ってるんだから間違いないと、そこに書かれてることが絶対だと人々に説いた。しかし、モーセが活躍した時代は、紀元前16世紀ないし13世紀と幅は広いが、とにかく今から3千年以上も昔の話である。時代が流れて紀元前一世紀……キリストが活躍した頃ですら、モーセ五書が書かれてから千年以上の時が過ぎていた。


 となると、それが書かれた時代とは生活様式から何から何まで変わってしまっていたわけで、頑なに戒律を守ろうとしたら無理が生じた。ところが、宗教にとって戒律は絶対だから、これが簡単には変えられない。ましてや、一神教にとって戒律とは神の言葉なのだから、人間が勝手に変えるわけにもいかない。


 神に人格のようなものがあるなら、きっとそんなつもりで言ったわけじゃないと言うだろう。だが、神はそんなものを超越した存在だから、人間的感情的な解釈の仕方は禁じられねばならない。人はただ神によって定められたことだけを盲目的に守っていれば良いのだ。ユダヤ教の律法学者たちはそう言った。


 しかし、それは違うんじゃないか? 神は人間を我が子のように愛し、親のように見守ってくれているはずだ。そう言ったのが、ナザレのイエス、つまりキリストだった。彼は当時の律法学者たちの解釈は間違っていると、実践をもってそれを訴えた。キリスト自身は別に宗教を起こそうとしたわけではなく、単にユダヤ教の改革者に過ぎなかったのだ。


 実際、ユダヤ教の戒律はかなり格式張っている。例えばヒラクリティーというものがあって、ググってみればすぐ出てくるが、ユダヤ教の聖職者などが頭や腕に箱のようなものを身に付けている。これは何をしてるのかと言えば……


 旧約聖書の申命記の第六章に「律法をいつも語り伝え、手に判のように結び、目の間の下げ飾りのようにしろ」と書かれてある。彼らはこの言葉をそのまま受け取り、頭と腕に戒律の入った箱を結びつけているのである。


 冷静に考えれば、それは比喩表現だと分かるだろう。だが、律法学者から言わせれば、神がどういうつもりで言ったかはわからないのだから、書かれてある通りにしろと言うわけである。古代のユダヤ人は度々戒律を忘れて痛い目に遭ってきた。だから、我々はそうすべきなのだと。


 しかしキリストはそれを守らなかった。言葉の表面だけをなぞり、その真の意味を知ろうとしないのは愚かであると。それよりも、聖書にも書かれている通り、神は汝の隣人を愛せ、弱者を救済しろと言ってるのだから、そうしようと彼は博愛を説いたのである。


 例えば、ユダヤ教徒にとって戒律は絶対だから、安息日には医者は急患があっても休まなければならない。眼の前で患者が死にそうになっていても手を出しちゃいけない。ユダヤ人じゃなければ人じゃないのだから、ユダヤ教以外の人間を助けちゃいけない、ましてや娼婦や異教徒なんてとんでもない。だがキリストはこういう者こそを助け、安息日であっても休まなかった。


 これは当時のユダヤ人たちには許せない行為だった。だから律法学者は、ある日、自分は救世主であると言っていたイエスを捕らえ、裁判にかけた。そこでイエスは堂々と、自分は神の子であると言って更なる怒りを買った。律法学者たちは彼を死刑にしたい。しかし、当時ローマに支配されていたイスラエルでは、彼を裁けても勝手に処刑を行う権利が無かった。


 そこでユダヤ人たちは、イスラエルの地の行政長官ピラトにイエスを処刑するように求めた。しかしローマ人であるピラトには、イエスに罪があるとは思えなかった。だから始めは処刑を拒み、のらりくらりと交わそうとしたのだが、それでは納得できないユダヤ人たちが詰め寄り、このままでは暴動になると根負けした彼は、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」と言った。するとユダヤ人たちは、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と答え、イエスは磔刑にかけられた。(マタイ伝・第27章)


 この時、ユダヤ人たちがキリストを殺すことを望んだから、キリスト教徒はユダヤ人を大罪人と見做しているわけである。さらに彼らは、「われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と答えているから、その罪は子々孫々まで受け継がれる……と考えられているわけで、それがあの過酷なユダヤ人差別とホロコーストに繋がった。ナチスは二千年前の出来事を理由に、あれを行ったのである。


 何でもかんでも水に流してしまう日本人の感覚からすると、もはや異常にしか思えないのだが、キリスト教世界ではそうやって二千年近くもの間、ユダヤ人は差別され続けてきたわけである。


 だがそうやってユダヤ人を差別してきたカトリック教会も、啓蒙思想が流行し、フランス革命が起きると権威が失墜し、逆に差別される側になっていく。


 ところで、アメリカが差別の国だということは、もう全世界的に覆しようがない事実だろう。と思う。先住民差別、黒人差別、アジア人差別、毛色は違うが、女性差別やLGBT差別。最近ではヒスパニック差別があるそうだが、これは先住民差別とあまり変わらないそうである。そんな差別だらけのアメリカで、恐らく最も差別されてきたのは、実はカトリックだった。


 彼の国はピューリタンが作った国で、元々プロテスタントが多かった。北アメリカの覇権を争って、イギリス系移民がスペインとフランスと戦って勝ったわけだが、そのどちらもカトリック国だった。だから建国当時から第二次大戦頃までは、カトリック差別が露骨だったらしい。かの有名なKKKもはっきりカトリックを批判しているくらいである。


 暗殺されたケネディ大統領以外に、歴代大統領の中にカトリック教徒がいないのだから、きっと何かあるのだろうなとわかるわけだが、そういうことである。たまにクリスチャン相手に、カトリックかプロテスタントかを尋ねると、カトリシズムはキリスト教ではないと返ってくることがあってビックリするのだが、そういうことである。


 ドイツ第二帝国でもカトリックは弾圧された。ビスマルクは国民の結束を図るために敵が必要だった。ドイツの敵は主にフランス=カトリック国であり、そしてプロイセンの優位を維持するためには、同じ連邦のバイエルンを牽制する必要もあった。ドイツは地理的に南部に行くほどローマに近く、カトリックが多いのだ。


 ヒトラーが政権を握った頃も、カトリックは差別の対象だった。特にヒトラーははっきりと無神論者であり、最初はカトリックも批判する側だった。だからユダヤ人が弾圧され収容所に送られる始めると、カトリック信者は今度は自分たちの番だと恐れ、教皇はヒトラーに近づいていってしまったわけである。ヒトラーはそれをホロコーストのための宣伝に利用した。


 そのカトリックもまた無神論を敵視している。無神論は無宗教とは違って、神は居ないと言ってるわけだから、カトリック教会からすると、おまえたちは神を騙る嘘つきだと言われているようなものである。そのため、唯物論的な観点から神は必要ないと言ったマルクスの共産主義を彼らは認められないわけである。


 無神論は無神論で、また一種の宗教なのかも知れない。戦後、ユーゴスラビアを建国したチトーは、共産主義者の立場から宗教こそが人々を分裂させる根源だと批判した。ユーゴスラビアはスラブ人という単一民族の国なのに、以前は宗教によって国が分けられていた。だから宗教を禁止すれば、我々は一致団結することが出来るはずだと彼は主張して、サラエボに互いに宗教の違う人々をごちゃ混ぜに住まわせて称賛を浴びた。


 ところが、上手くいってるように見えていたそれも、チトーの死後はあっという間に不満が噴出し、ソ連が崩壊する頃にはユーゴスラビアも分裂し、民族浄化とジェノサイドを引き起こした、ボスニア紛争が起きてしまうのである。


 東洋にだって宗教はあるが、宗教的なイデオロギーの違いで、ここまで何度も何度も戦争が起きたことはない。ブッダと孔子が覇を競い合ったことはない。仲が悪いのはヒンズー教のインドと、イスラム教のパキスタンくらいで、これも元は一つだった国から、イスラム教徒が分離独立したことから始まったものだ。


 だから一神教はおかしいんじゃないか? ……と考える人は、キリスト教徒の中にも昔から居たらしい。これがグノーシス主義と知られるもので、異端とされたためにずっと謎だった教義である。


 先に述べた通り、イエス・キリストはあくまで改革者であり、宗教を起こしたかったわけではない。だから、初期キリスト教には今の新約聖書のようなキリストの言葉を記した聖典はなかった。この頃はまだユダヤ教だったわけである。


 故に、ペテロやパウロのような実際にキリストに会ったことがある者たちが、彼の言葉を口頭で伝えて布教していたわけだが、彼らだっていつまでも生きているわけじゃないから、布教を続けるにはその言葉を記した文書、福音書を残しておくしかない。


 そういった理由で新約聖書の4つの福音書は、パウロの弟子であったルカやマルコが記述したとされている……尤も、実際にはその著者が誰かを示す手がかりは何もなく、彼らの話を聞いた誰かがまとめたものだろうと考えられている。恐らくは名もなき教会の神父達だろう。この時期、キリスト教の教会は布教のために、教会ごとに独自の福音書を持っていたと考えられる。中には実際にイエスやその弟子たちに会ったことも無いのに、彼らの言葉と偽ったものも存在したはずだ。


 今と違って情報を共有する手段がほとんどない時代では、布教すればするほど福音書は増えていってしまうわけで、数百年もすると、コレクター的な感覚で、沢山の福音書を所持していることを自慢するような者まで現れてしまった。


 これではどれが本物でどれが偽物かわからなくなってしまうから、紀元2世紀末期頃にこれ以上福音書を増やさないように、一つの聖書としてまとめようという動きが起こりはじめた。それから更に数百年かけて、今の4つの福音書と27の手紙などの書物にまとめられ、それが新約聖書となったわけだが……


 教義を選ぶと言うことは、選ばれなかった物を否定するということだから、かなり激しい論争が続けられたようである。そしてその中に入らなかったすべての福音書はどうなったかと言えば、異端とされ、それを信じるものは悪魔崇拝者として糾弾されることとなり、それを信じていた人たちは福音書を隠すしかなくなった。


 だが異端とわざわざ決めつけることは、その異端にそれなりの説得力があると認めているようなものである。実際、グノーシス主義とは言われてるような悪魔崇拝的なものとはかけ離れていた。それは一体どんなものであったのか……? 多くの福音書が焚書されされてしまったため長らく詳細不明だったが、20世紀中期、ナグ・ハマディ文書の発見によって、その内容が判明した。


 それによると発見された福音書では、生けるイエスが禅問答を繰り広げたり、他のユダヤ教徒やキリスト教徒のように神を隔絶された他者として認識せず、自己認識は神認識であり、自己と神は同一であると、釈迦が言っているようなことが書かれていたのである。


 イエスとは自己の霊を神に近づけるための霊的な導師であり、弟子が霊的に覚醒すると、もはや霊的主は仕えるものではなくなり、2つは同一になると……要するに、悟りを開いたら仏になると、そのようなことが書かれていたのである。


 これは明らかにヒンズー教や仏教の影響が見られ、恐らくこの時期の地中海にも、東方からそのような考えが入ってきていたのだろう。思えばキリストは博愛を説いて、ユダヤ教を変えようとしていたのだから、ユダヤ教的な一神崇拝から脱却して、自己の霊性を重んじようとする動きは、寧ろ正当な行為だったかも知れない。


 しかし神と自己を同一に語るのは、唯一神を騙るようなもので、一神教的には絶対に許されなかった。そのため、彼らは悪魔崇拝者のレッテルを貼られて闇に葬り去られたのだろう。


 こうしてグノーシス主義は歴史の影に葬り去られた。ところが、これと同じような考えが、それからおよそ1500年後に復活するのである。


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