亡国の魔術師
「僕たちは核兵器が不用意に使用されないように、経済をコントロールして、西側諸国の動きを抑制していた。彼らはアメリカの資本力に依存していたから、特にアメリカさえコントロール出来れば、全体の調和を図るのは容易だった。幸いと言っていいか分からないが、二度の大戦によって世界の富はアメリカに集中していた。多くのユダヤ人セレブがアメリカに亡命していたし、多くの企業が僕たちの資本下にあった。そしてアメリカの選挙戦は何と言っても資金力が物を言う。僕たちにとって、代議員や選挙人を買収することは造作もないことだった……
全ては順風満帆にいくかと思われた。実際、邪魔だった共産主義者をアメリカから一掃することにも成功した。ユーゴスラビアを抱き込み、ソ連を牽制する防波堤にした。ところが、それにもかかわらず、暫くすると、徐々に我々が予測もしていなかった不可解なことが度々起こるようになっていった。
スターリンは何故か死ぬまでヒトラーは生きていると言って、僕たち西側諸国のことを批判していた。アメリカはあれだけ手をかけていたはずの中国利権をあっけなく喪失した。カトリック教会内ではおかしな連中が跳梁跋扈し、教皇が殺されるという前代未聞の事件が起きた。そして僕たちの仲間だったジョン・F・ケネディ大統領が、まったく予期せぬ形で暗殺された。
イランで宗教革命が起き、アメリカと敵対してしまった。冷戦が終結すると平和になるどころか湾岸戦争が勃発し、中東和平のために骨を折ったらイスラエルのラビン首相が暗殺される。21世紀に入るとアフガン、イラクの二度の戦争の果てに、イスラム国の台頭を許した。そして極めつけが東京インパクトだ。
これらの事件はすべて、僕たちの預かり知らぬところで起きた。ソ連は、共産主義者の国で、資本の介入が難しい。従って、これらの事件は、彼らが西側諸国を揺さぶるために起こしたものだと考えられた。実際、冷戦中はみんなそう思っていた……
ところが、ソ連が崩壊しベルリンの壁が崩れると、徐々に冷戦下の東側の情報が入ってくるようになった。それによると、ソ連はもう70年代には経済が立ち行かなくなっていて、そんな力は無かったらしい。
それじゃ、これらの事件は誰が引き起こしたのか?
90年台に入り、僕たちはカトリック教会……バチカンとの交流を再開した。キリスト教徒でない君たちは意外に思うかも知れないが、プロテスタントとカトリックは思った以上に仲が悪い。特に、戦時中、ファシストを認めるような態度を取っていた教皇は、ユダヤ人に憎まれていた。ローマは枢軸国のど真ん中にあり、地理的な問題で発言が難しかったのかも知れない。でも彼は障害者を虐殺したT4作戦は強く批判したのに対し、ホロコーストに関しては何一つ言及しなかったからね。
それでも、同じ西側諸国として、度々関係の改善を試みていた。だが、最大のチャンスだったカトリック教徒の大統領が誕生したとき、そのケネディが暗殺されたことでふいになってしまう。結局、98年にバチカンの反省文が発表されて、一応の解決を見た僕たちは、この時になってようやく、カトリック教会内で起きていた出来事を知ったんだ。
カトリック教会はアメリカとはまた別個に、共産主義と戦い続けていた。彼らにとって共産主義者=無神論者の存在は、自己の否定でしかない。そのため、南米の国々が共産化するのを阻止するために、僕たちとはまた別個に、経済面、軍事面で密かに支援を行っていたようだ。この時期、イタリアやバルカン半島からは、ファシスト党やナチスの戦争犯罪人が南米に逃亡していたが、バチカンはこれを黙認していた。
南米に渡ったファシストたちは共産ゲリラとよく戦ったが、この黙認のせいで多数のナチス残党が助かってしまったのまた事実だった。忸怩たる思いのイスラエルは、それでも地道に戦争犯罪人共を追って、ついにアドルフ・アイヒマンを発見する。
アイヒマンと言う男は、戦時中、ユダヤ人の大量輸送の責任者だった男で、多くのユダヤ人をアウシュビッツに送った主犯だったものだから、彼はイスラエルに連行されて処刑された。ところで、このアイヒマンは取り調べの際に、南米でマルティン・ボルマンを見たと証言を残しているんだ。
ボルマンというのは、長らくヒトラーの秘書を務めたため総統の覚えがよろしく、戦時中には党の官房長官にまで上り詰めた男だった。彼はベルリン陥落時、総統のための地下壕にいて、ヒトラーの死を見届けた後にそこから脱出した。一説にはその時、流れ弾に当たって死んだとも、毒をあおって死んだとも言われているが……先のアイヒマンの証言もあるように、生存説も根強く、その潜伏先と言われていたブラジルでは、よく偽情報が飛び交っていたそうだ。
このボルマンの行方を、バチカンは掴んでいたらしい。バチカン銀行は資金洗浄をする際に、P2という秘密結社を利用していた。彼らはファシストたちが作った結社で、元ナチス党員も含まれていた。だからボルマンも気を許したんじゃないだろうか……そんな彼らは南米でボルマンと接触した。
P2の幹部が会ったという彼は、ヒトラーの遺言執行人として、何らかの使命を帯びていたようだった。恐らくはナチ党が軍資金を流用した莫大な資産を彼は所持しており、P2からアメリカの反ユダヤ主義者と知己を得ると、米国へ渡って身を隠したらしい。以来、彼の行方は誰も知らないところになったのだが……
その彼の足跡が明らかになったのは、今から5年前の東京インパクトが切っ掛けだった。あれを引き起こしたFM社は、イルミナティの資本の入った会社で、僕も彼らが移民監視装置を作ろうとしていたことは知っていた。そういう需要が金持ちの間にあり、それをとやかく言うつもりは無かったんだが……
ところがドローン兵器に対する報復でFM社が襲撃された時、東京インパクトを起こしたのが彼らだと判明したら、話が変わるだろう。僕なんかは孫娘が危うく死にかけたのだし、大使館が吹き飛んで、大切な部下が大勢死んでしまった。経済的にも大打撃で、結社を構成するメンバーの企業や財団には、存続が危ぶまれるような被害を被った者もいた。
当然、300人委員会では、これを引き起こした真犯人探しが始まった。こんなこと、僕たちが起こすわけがないのだけど、こんなことが出来てしまうのも、また僕たちしかいない。現に、やったのはFM社とその関連企業で、これは僕たちの仲間のはずだった。FM社のCEOは死んでしまっていたが、こいつを唆したのは何者か。僕らがそれを調べていたところ……このFM社と言う企業に設立当初から関わっている人物に、不審な者が含まれていることがわかった。
こいつがボルマンだった。
ボルマンはアメリカに渡ったあと、反ユダヤ主義者と結託し、企業家として姿を変えて、我々の中にこっそりと紛れ込んでいたんだ。彼は僕たちの中に潜んでその裏をかき、自分の都合の良いように細工していた。それが度々起きていた不可解な出来事の正体で、僕たちは世界をコントロールしているつもりで、逆に利用されていたんだよ。
屈辱だった。かと言って仕返しをしたくても、もはやボルマンは生きていない。彼は前世紀にとっくに寿命で死んでいたからね。姿を変えた彼に後継者はおらず、ただ、ヒトラーに託された遺言を行使したあと、穏やかな死を迎えてこの世を去っていた。
こうなるともはや復讐なんて言ってられないだろう。一体、ヒトラーは何をしようとしていたのか。ボルマンは、我々の内部に、何を仕掛けて死んでいったのか? 僕らはFM社に残った資料をかき集めて、血眼になってその答えを探した。
そして一つの答えにたどり着いた。ヒトラーは……彼は自殺したのではなく、その魂を何らかの装置に封じ込め、そして来るべき日に復活しようとしていたのではないか……
そう考えねばならないような予言を、彼はクレムリンに残していたんだよ……」
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大公の話は淡々と続いた。聞きたいことは山程あったが、その内容の荒唐無稽さと、それが事実だという驚愕とで、縦川たちは何一つ口を挟むことも出来ず、ただただ聞いていることしか出来なかった。
しかし、その途中で突然現れた単語の違和感には、唖然としているばかりであった縦川も、それを質さずにはいられなかった。
「クレムリン……? それってモスクワの宮殿のことでしょう? ナチスとソ連は敵同士だったはずなのに、どうしてそんなところに、ヒトラーの遺物が残ってたんですか」
すると大公は、もっともだと言わんばかりに二回頷いてから、
「ヒトラーが自分の手で残したわけではなく、厳密には瓦礫の山と化したベルリンで発見され、それがモスクワに持ち込まれたといった方が正しいな。予言……と言った通り、それは言葉で、実はラジオ放送の録音原盤のことなんだ。
ヒトラーは敗戦間近の3月頃……もしかしたら4月かも知れない。正確な日付は分かっていないが、最後のラジオ演説を行った。ラジオ聴取は国民の義務だったんだが、何しろ、その頃には40万のアメリカ兵がライン川越えていて、東からは100万の赤軍がベルリンに迫っていたから、殆ど誰も聞いちゃいなかった。おまけに、その内容は支離滅裂で、ヒトラーの気が狂ったとしか思えないような内容だったから、戦後暫く経っても誰も話題にすらしない、戦争とともに忘れ去られたものだった。
その内容を要約すると……戦争は間もなく米ソの勝利で終わる。だが、真の勝者は彼らではなくて、彼らを操る裏にはユダヤ・イスラエル、世界的なユダヤ資本がある。米ソは1990年頃まで、妥協を繰り返しながら世界を支配しようとするが、いずれ世界は米ソの手に負えなくなる。哀れなアラブ4カ国、中東で最終戦争が始まり、東西に分かれて激突する。その時、ユダヤは自ら征服に乗り出し、世界を支配するだろう。それが旧約聖書の約束だからだ。黙っていればやがてそうなる。だが、ヒトラーがそうはさせない。そのための秘技をヒトラーは打っておく。真のハーケンクロイツの日、ラストバタリオンが現れ、ユダヤを倒す。世界を支配する。そしてナチスは蘇る。真のヒトラーの時代が来る。宇宙からカタストロフと共に復讐にやって来る。それからが真の究極だ。終わりの始まり。天国の地獄。21世紀のその年に、それは必ずやってくる……
以上だ……言ってることはめちゃくちゃで、子供じみているけれど、君らは今これを聞いてどう思うかな?」
縦川は何も言うことが出来なかった。先の大公の話を聞いていなければ、きっとこんな予言など鼻で笑い飛ばしていただろう。だが、たった今、大公は自らがイルミナティの一員であることを告白し、ユダヤ人を含めた欧州の王侯貴族連合で、この世界をコントロールしようとしていたと言っていた……
これじゃまるで、ヒトラーの言う、ユダヤによる支配そのものではないか。
「ヒトラーは、戦後、僕たちのようなのが出てくると、予言していたんだよ。僕はただ、核兵器を使わせないようにしたかっただけで、この世を支配してるなんてつもりは毛頭ないが、見ようによったらそう取られても仕方ないかも知れない。
だが今、注目すべきはそこではない。ラジオ放送で、ヒトラーはそうさせないために、予め秘技を打っておくと言っている……秘技。これが何かはよくわからないが、ヒトラーは死の直前、恋人のエヴァ・ブラウンと結婚式を挙げた後、自分たちの部屋に引き上げて、実際に何かやっていたらしい……そして、先の通り、ボルマンに何かを託して、彼は自殺した」
「それが、先程言っていた、ヒトラーの復活ということの根拠ですか?」
「そうだ。このラジオ放送の原盤は戦後に失われて、残ってるのは冒頭の8分程度しかない。だがヒトラーはこの後も延々と喋り続けていて、実際には演説は40分から1時間くらいあったらしい。となると、この後、彼が何を言ったかは非常に興味があるところだろう? それが、密かにクレムリンに運び込まれていたようなんだ。
終戦後、ナチス党員は恨みを買われて、物凄い弾圧を受けると共に、西ドイツでは未来永劫その活動を禁じられた。しかし、東側では同じ社会主義政党だからという理由で、党自体は禁止されずにそのまま残っていたんだ。尤も、弾圧は西側とは比べ物にならないほど厳しく、党員達の末路は悲惨極まりないものだったそうだが……ところがこれが士官クラスになると話が変わり、逆に手厚く保護された。
何故なら、ソ連はまだ建国してから日も浅く、その基盤は脆弱だった。これから米英と覇権を争うには、全く力が足りなかった。核兵器だってまだ作れない。だから、米英と互角に戦ったドイツの技術は喉から手が出るほど欲しかったんだ。
そう言う事情があったから、ナチスの高官や彼らに協力した技術者たちは、国籍選択で東ドイツを選んだ。そして発足した東ドイツ政府は、独裁者は居なくなったが、中身はナチスドイツそのものだった。東ドイツ政府は死に物狂いでソ連のために働いただろう。自分たちはいつ首をはねられるか分かったもんじゃない。ありとあらゆるナチスの技術を提供し、ソ連のために尽くした。ソ連は、このドイツの技術と、広大な領土に抱える資源を元に、アメリカと戦ったわけだ。
そしてそれは科学だけにとどまらず、魔術に関してもそうだった。ヒトラーがオカルトに傾倒していたのは有名な話だが、彼は来るべき最終決戦に備えて、ヒトラー・ユーゲントの中から選抜したエリートを教育して、本気で超能力軍団を作ろうとしていた。ユンカー学校と呼ばれた教育機関で実力を示したそのエリート集団は、ニーベルンゲンと名付けられ、戦時中は確かな存在感を見せつけていたが、ドイツの敗戦が決まると忽然と姿を消した。連合国は彼らの行方を追ったが、結局見つからなかった。彼らは子供で、実際には超能力なんてものは存在せず、見つかったら殺されるから、怯えて逃げ回っているのだろう。人々はそう考えて、彼らのことを忘れることにした。
しかし、その集団は生きていた。彼らは終戦後、ヒトラーの予言どおり、東ドイツに渡り、ソ連のために働いた。彼らが持ち込んだ予言……ヒトラー最後の演説の原盤はスターリンの手に渡り、彼はそれを用いて未来を予測し、西側諸国の裏をかいてその勢力を拡大することに成功した。
スターリンはこれに気を良くして、ニーベルンゲンを重用することにした。ところが、予言というものは不思議なもので、それをなぞればなぞるほど外れてしまうものらしい。間もなく、ヒトラー予言の恩恵を受けられなくなったスターリンは不満を貯めこみ、その怒りの矛先を、予言の主ヒトラーに向け始めた。もしかして、ヒトラーは初めから自分を騙すつもりでこの予言を残したのではないか。
彼はマルティン・ボルマンが、死ぬ間際のヒトラーに何かを託されたことを知っていた。そこに自分が上手く行かなくなった理由があると考えた彼は、そのボルマンが見つからないことを西側諸国の妨害工作だと考えた。それが、スターリンが死ぬまで西側諸国がヒトラーを匿っていると言い続けた理由だった。
尤も、知っての通り、僕らもボルマンの行方なんか知らなかったんだけどね。それどころか、ボルマンが生きていることすら信じちゃいなかった。だから僕らは単にスターリンが難癖をつけてるだけだと考えて相手にしなかった。それが彼の不満を更に煽ったのかも知れない、スターリンは重用していたはずのニーベルンゲンを疎んじるようになっていった。
結局、彼らはキューバへと左遷された。表向きはカストロの支援であったが、事実上はただの厄介払いだった。彼らはそこでカストロのために働くと同時に、密命を帯びてアメリカ国内に潜伏した。その密命とは、ボルマンを捜索するというものだったのだが……ところが、彼らがキューバへと渡った直後、スターリンは脳卒中で倒れてしまい、キューバ革命を見届けることなくこの世を去ってしまった。残されたユンカー学校の出身者たちは、スターリンが死んだ今はただ出自の怪しげな者でしかなく、その後は誰にも相手にされず潜伏先のアメリカでその消息を断ってしまう……
さて、冷戦終結後、ロシアとの国交が再開すると、西側諸国の僕たちにも、こんな連中が居たという情報が入ってきた。僕たちはまさかユンカー学校なんてものが本当にあったのかと驚くと同時に、その構成員の名前に目を剥いた。ニーベルンゲンを率いていた指揮官の名前は、アダム・ヴァイスハプトと言った。この名前が一体なんだか分かるかね?」
突然、そんなことを振られて、縦川たちは困惑気味に首を振った。大公はそりゃそうだろうと言った感じにつまらなそうに肩を竦めてから、
「イルミナティの創始者の名前なんだ」
「イルミナティの?」
「そいつが、こともあろうに、謎の超能力者軍団を引き連れて、アメリカに潜伏していたんだ。そして先に触れたように、マルティン・ボルマンも……
彼らがアメリカ国内で接触した証拠はない。だが、あまりにも出来すぎているだろう? 東京インパクトを起こしたFM社の中に、ナチスの裏資金が入っていたことが発覚した直後、僕たちは自分たちが何者かに踊らされていたことに気付かされた。そしてその何者かとは……」
ヒトラーではないか……
大公はその言葉がどうしても出てこないようだった。あまりに荒唐無稽で、そしてあまりに凶悪すぎて、これだけ証拠が揃っていても、どうしても信じたくないのだ。体が、脳が拒絶する。そんな感じだった。
沈黙が場を支配する。縦川はゴクリとつばを飲み下すと……
「……ヒトラーってのは何者だったんですか? 陛下は、彼が本当に生きていると思いますか?」
「さあ、それはわからない……普通に考えて、こんな人間がいるとは信じがたい。だが、少なくともヒトラーという男が本物の魔術師であったことは間違いないようだ。それを裏付ける証拠は今挙げただけでも十分かも知れないが、彼が元々ナチスの前身であった魔術結社に参加していたことも理由の一つになるだろう」
「魔術結社……」
「二十世紀初頭は、今にして思えばバカバカしい限りであるが、失われた魔術と科学が入り交じる、最後の時代だった。あの頃、数多くの秘密結社が存在し、そして我こそは本物だと声高に叫び、そして消えていった魔術師たちがいた。その中の一人が、ヒトラーだったんだ」