警察署にて
立花倖のドイツの邸宅に現れたのは、怪しげな秘密結社の構成員でもなんでもなくて、地元の警察官のようだった。闇の中、いきなり取り押さえられて地面に寝転された縦川は、最初は意味が分からず、驚いて抵抗してしまったが、ある程度時間が経って、向こうに敵意がないことが分かってくると、状況を察することが出来るようになった。
どうやら彼らは、ただ単に通報を受けてやってきただけの、警察官のようである。
考えても見れば、縦川たちは際どいことをやっていた。何しろここは、つい最近殺人事件があった現場で、近所の人たちは相当ピリピリしていたはずだ。そんな場所に、夜も更けた頃合いに、謎の東洋人がやってきて勝手に入り込んでゴソゴソやっていたら、近所の人たちもびっくりすだろう。
そうと察した縦川は、いかにもな観光客がやりそうな感じで『アイムジャパニーズ』と連呼して警官たちの注意を逸らすと、スマホを指し示し、アプリアプリと言って翻訳アプリを起動するように促した。
縦川に敵意が無いとわかった警官たちは、それでようやく抑えつける手を緩めて、縦川の言う通り、翻訳アプリを使って事情聴取をはじめた。多少手間取ったが、内容は概ねこんな感じである。
「あなたたち、ここで何やってたんですか? 泥棒じゃないでしょうね」
「誤解です。私達はここの住人の知り合いでした。彼女が死んだと聞いて、日本から駆けつけたのです」
「まあ、それはお気の毒です。でも確認しないとだから、パスポートを出してちょうだい」
大人しくパスポートを差し出す。
「確かに日本人みたいですね。出国スタンプは……今日の日付じゃないですか。まっすぐここにやってきたの?」
「ホテルに向かうつもりでした。でも、タクシードライバーに間違ったメモを渡してしまって、ここに到着してしまったのです」
縦川の話を聞いていた警官は、別の警官に何かを指示した。恐らく、運転手に確認しにいったのだろう。
「ここは立入禁止なんです。入り口のロープは見えなかった?」
「見えました。ですが、あちらの彼女は遺族だから、入ってもいいだろうと判断してしまいました……」
「御遺族の方でしたか。ふーむ……それでは仕方ないでしょう。でも、すべてを信じるわけにはいかないから、一応警察署で調書を取らせてもらいます」
「調書ですって!? ……それはどんなものですか?」
「簡単なものです。あなた達のパスポートのコピー、あなた達がここに居た経緯、あなた達の滞在先、これから行動を簡単に聞いて、それを控えておくだけです」
「まあ、それくらいなら。こちらにも落ち度があるし」
「あなた達を犯罪者扱いしてるわけではないです。念の為に。ドライバーが支払いを求めていますから、精算してもらえますか」
警官に連れられて、庭から玄関の方へ戻ると、乗ってきたタクシーに横付けするようにパトカーが停まっていた。
車から出てそわそわしているタクシードライバーに謝罪し支払いをすると、彼はHave a good trip! と言って逃げるように去っていった。多分、ドイツ語で言っても通じないと思って気を利かせたのだろうが、ものすごく聞き取りやすい英語だった。最初からこっちで会話しておけば良かったのだと判明し、脱力する。
その後、縦川たちはパトカーに乗り換え、ケルン市内の警察署に連れて行かれた。
まさかホテルにチェックインする前に、警察署にチェックインする羽目になるとは思わなかった。
縦川はどこぞのラノベ主人公みたいだなと呆れつつ、せっかくのドイツの景色をパトカーの窓越しに眺めた。助手席に座った女性警官が、緊張している愛にしきりに話しかけていた。警官は二人組で地元出身らしい。ドイツ人らしくサッカーが好きだそうで、地元クラブの日本人選手の話をしたら大いに盛り上がった。
そんな風に和気あいあいと連行されたため、警察署に着いてからも縦川たちはそんなに悪いことが起きるとは思っていなかった。ところが、二人が警察署に到着して暫くすると、なにやら署内が騒がしくなってきて、警官たちがこちらをチラチラ見ながら、何故か忙しそうにしはじめた。
何か状況が変わったのだろうか? 不安に思いながら、当初の予定通り、調書を取るからと言われて一人ずつ別室に連れて行かれた。
やってきたのは最初の制服警官ではなく、私服の刑事といった感じの男だった。青い目をした金髪の男で、いかつい顎に髭をはやした、いかにもゲルマン人といった風貌である。格闘技をやってるのが見ただけで分かるくらい、スーツ越しの体がゴツくて肩幅が異様に広かった。彼に話しかける署員の様子がどことなくよそよそしく感じられるから、多分、この警察署の人間ではないのだろう。
どうして急にこんなことになってるんだろうか。もしかして、警察署に連れてこられる前に、領事館に電話した方が良かったのだろうかと不安の中で後悔していると、
「そう硬くならないで。本当に調書を取るだけだから」
男が表情を変えずにそう言ってるのが、何故かすんなり理解できた。縦川は最初、どうして言ってることが分かるんだろう? と驚いてしまったが、それもそのはず……
「え……? あ、日本語!?」
男は頷き、
「はい。機会があって日本の警視庁に出向していたことがあるんだ」
「あ、そうなんですか」
「普段はデュッセルドルフで勤務しています。たまたま、事件でケルンに滞在していたもんだから、あなたがた日本人が現場で捕まったからと、日本語が出来る私が呼び出されたんだ」
「はあ、そうだったんですか……事件ってのは?」
「とにかく、あそこで何をしていたのか、少し話を聞かせてください。疑問はその都度話します。まずはじめに、あなたが本邦へいらした目的は?」
縦川は少し威圧的な男に対し戸惑いながらも、まさかここで嘘をつくわけにも行くまいと話し始めた。本当に、どうして自分は遠い異国の地で、警察なんかに捕まっているのだろうか……
「理由もなにも、俺の連れの、お亡くなりになられたお姉さんの、御遺体を引き取りに来たんです。尤も、そのままお連れすることは難しいそうですから、こちらで火葬しまして、ご遺灰を持ち帰る予定なのですが」
「故人とあなたの関係は? 家族ではないですよね」
「ええ、まあ。それほど親しい関係ってわけではないんですが……」
言われてみると、なんて答えて良いのか困ってしまった。彼女と知り合った切っ掛けは上坂なのだが、彼は未だに日本で死人扱いのはずである。話せばややこしくなるのは明白なのだが、かと言って彼の存在を無視してことを進めようとすると、一緒に捕まった愛の供述と矛盾する可能性が出てくる。これが囚人のジレンマというやつだろうか。いや、何も悪いことはしていないはずなのだが……
仕方ないから、縦川は出来る限り大雑把に話すことにした。細かいことを突っ込んで聞かれたら、その時はその時である。
「立花先生は、うちで預かっている少年の保護者だったんですよ。それで彼女がうちを訪ねて来た時に知り合ったんです。関係と言ったらそれくらいのものですね」
「それが何故、わざわざドイツまで?」
「俺は僧侶なんですよ」
「僧侶?」
刑事は少し意外そうな表情で縦川の目をじっと見つめた。彼はコクリとうなずくと、
「はい。先生がお亡くなりになられたと聞きまして、お葬式も挙げられないんじゃ可哀想だと、せめてお経くらいは読んであげようじゃないかと、それでやってきたんです」
「はあ……ブッディストね。寺でワケありの子供を預かるようなことは、よくあるんですか?」
「ええ、総本山がボランティア的に行っていて、俺は独身でフットワークが軽いから、よく頼まれます」
「なるほど」
刑事は感心した素振りで調書になにやら書き込みながら、ふと思いついたように、その調書に挟んでおいた一枚の写真を取り出した。彼はそれを縦川に見せながら、
「ところで、この少女に見覚えは?」
縦川はまるで刑事コロンボでも見てるような、いかにもなタイミングで出されたなと思い、出来るだけ平静を装いつつその写真を見たが、
「あれ? 美夜ちゃんじゃないか……」
そこに写っていたのがあまりにも意外なもので、ほとんど素のまま答えていた。
写真に写っていた彼女は日本に居たときのようなメイド服ではなく、開襟の軍服らしき服装に、鷲のマークがあしらわれた帽子を被っていた。どこかで見たことがあるような……そう思いながらよくよく見れば、帽子の中央には不気味なドクロマークの徽章が取り付けられている。
それを見て、ようやく昔見た映画を思い出した。これは確かナチス親衛隊の制服ではなかったか? いつもコスプレみたいなメイド服を着ていたから、彼女らしいといえば彼女らしいのかも知れないが、どうしてこんなコスプレなんてしているのだろうか。そもそも、これはいつ撮影されたものだろうかと首を捻っていると、
「彼女のことをご存知で?」
「え? ええ……まあ……」
縦川は曖昧に答えながら、内心失敗したと思っていた。美夜のことを聞かれたら、今度こそ困ってしまう。彼女は実在する立花倖とは違って、死人扱いどころか人間ですらない。どこの誰で、何をして生きていたのかと言われると、どう答えていいのかわからなくなる。
そもそも、人造人間なんてものを作っても良かったのだろうか。倫理規定みたいのはないのか。自分には関係ないことだからと、今まであまり突っ込んで考えてこなかったが、もしも彼女の存在自体が法的にアウトだったら、それを作ってしまった立花倖や、AYF社はどんなペナルティを受けるかわかったものじゃない。
と、そこまで考えたところで、縦川はピンときた。
待ち合わせの空港に来なかった白木会長。連絡がつかない家族。立花倖の家に飛んできた警察官。そしてこの不自然な事情聴取。
もしかして、美夜の存在がバレてしまって、AYF社は現在窮地に立たされているのではなかろうか。今思い返してみても、美夜は人間とまったく見分けがつかなかった。ご飯を食べて、よく眠って、色んなことに悩んで、喧嘩もした。人間が人間を作り出すことに忌避感を感じる人からすると、それは許されない存在であるかも知れない。
「彼女について、何か知ってることがありましたら、何でも良いから話してくれませんか」
刑事が問う。今更しらばっくれる事はできない。幸い、愛は美夜のことを殆ど知らない。だから彼女と口裏合わせをする必要はないだろう。だったら、縦川は単に、彼女のことをみたことあると言及するだけに留めておけばいいんじゃないか。
「えーっと……とは言いましても、俺もちょっと見たことがあるくらいで、詳しいことは何も知りませんよ?」
「具体的には」
「彼女は、私の知人の家の家政婦です。シャノワールと言うレストランで、一度会ったことがあります。何をしている子かまではちょっと……」
縦川がそんな具合にはぐらかそうとすると、刑事はそんな彼の嘘を見破っているとでも言いたげに、上目遣いで彼の目を覗き込みながら言った。
「何か、誤解しているようだな。私が知りたいのはあなたと彼女の関係ではない。彼女が一体何者なのか、なんだ」
そう言って刑事はまた別の写真を取り出して、縦川の前にポンと投げ捨てた。
その写真には、縦川の寺で猫と戯れる美夜の姿が写っていた。こんなもの、いつ撮られたのか……いや、それよりも、この刑事はさっき、縦川が僧侶であることを知らなかったような素振りを見せていたはずだ。つまり、あれは演技だったわけだ。
縦川は内心、ちっと舌打ちしながらも、
「ああ、そうそう、彼女はうちの寺に遊びに来たこともありました。うちは意外と人の出入りが激しいんで、ど忘れしてしまいましたよ」
「思い出してくれて何よりだ。それで、他にも何か思い出したことは?」
「いいえ、なにも」
縦川は腹を括った。こんな、人を引っ掛けようとするようなやつに、話すようなことはなにもない。聞きたいことがあるなら、ストレートに聞けば良いのだ。縦川と美夜が知り合いであるという確固たる証拠があるんだから、最初にそれを示しておけば、彼がへそを曲げることは絶対になかっただろう。
刑事はその後もしつこいくらいに色々と聞いてきたが、決意を固めた縦川がのらりくらりと話を交わしているのを見ているうちに、自分の方針が間違っていたことを理解したようだった。彼は肩を竦めると、
「ふっ、困ったな。揺さぶればボロを出すと思ってたが、見当違いだったようだ……」
「……」
縦川はもう最低限しか口を開かないぞと言った感じに涼しい顔で座っていた。日常的に嘘を重ねる者なら、一つの嘘のほころびに焦りもするだろうが、基本的に正直な人が嘘を吐く時は、ただ黙るだけだ。刑事は苦笑しながら、
「わかった。わかった。認めましょう。あなたは彼女を知らない。そのうえで、一つ見てもらいたい映像があるんですよ」
「……なんでしょうか」
「別室にプロジェクターが用意してあるから、そちらで見て貰えますか」
刑事にそう促されて、二人は部屋から外に出た。
警察署内は深夜も近づいて、人がまばらになっていた。生活安全課みたいなところから、酔っ払いの声が聞こえるくらいで、建物内は静まり返っていた。
相手が金髪青目のドイツ人とはいえ、ずっと日本語で話していたせいですっかり忘れてしまっていたが、ここは異国の地である。どうして、生まれて初めての海外旅行で、いきなり警察のお世話になってるんだろうかと、諸行無常を感じながら、縦川は刑事に続いて狭い廊下を進んだ。
階段を上り、建物の奥に進む。プロジェクターが用意してあると言っていたように、連れて行かれたのは普段使いの会議室の一角のようだった。
すれ違う人も制服ではなく私服が目立ち、他の署員とは違って通りすがりの刑事に親しげに挨拶をしているところを見ると、彼らもデュッセルドルフからこちらに派遣されてきた者なのではなかろうか。
デュッセルドルフという地名から、もはや白木会長が警察に捕まってるのは疑いないだろう。刑事は美夜のことを頻りと気にしているようだが、一体全体、なにがどうなっているのやら……他人事みたいに思いながら、刑事に連れられて一番奥の会議室の前まで歩いていく。
すると、その部屋の前の長椅子に、立花愛が座っているのが見えた。
「あ、愛さん。良かった、あなたもこちらの方に……?」
縦川はその姿を見てホッと安堵すると、少し小走りになって彼女の方に近づいていった。ところが、近づくに連れ見えてきた彼女の顔色は死人みたいに真っ青で、そのくせ目が真っ赤なのを見て、彼は瞬間湯沸かし器みたいに頭が熱くなっていくのを感じた。
刑事はその空気を察したのか、慌てた様子で、
「私達に彼女を害する意図はない。多分、映像を見て気分が悪くなったんでしょう」
「そんな言い訳は無用ですよ。不慣れな土地だし、頼れるものもなにもないから、さっきから黙って従ってましたが……もうこんなことに付き合う義理はありませんよ。これってなんかの取り調べでしょう? 外国人に、勝手にこんなことしていいんですか? これ以上なにかするってんなら、こっちだって覚悟しますよ。総領事館に連絡して、弁護士が来るまで、もう何も話しません。スマホを返してください。日本の友人に電話するから」
「落ち着いてくれ! あなたが協力したくないというなら、私達も無理強いはしないから。でももう少し話を聞いてくれませんか」
「もう沢山ですよ。俺たちが勝手に事件現場に入っちゃったのは悪かったですよ。でも理由ならもう話したでしょう? これ以上何を知りたいってんですか」
縦川がいよいよ怒り心頭と言った感じに捲し立てると、
「いいのよ、縦川君、少し落ち着いてちょうだい……」
そんな彼を嗜めるように、愛が口を挟んできた。その顔は相変わらず真っ青で、今にも倒れてしまいそうだったが、その口ぶりはまだしっかりしているようだった。
「私のことで怒ってくれてるのね、それはとても嬉しいわ。でも、刑事さんの言う通りよ、私は彼らに酷いこと言われたりされたりしたわけじゃないの」
「……そうなんですか?」
「ええ、ちょっと……映像を見て、気分が悪くなったんだけど……あなたも、これを見に来たんでしょう?」
これ、と言われてもまだ見てないから何のことだか分からない。けれど、仏頂面の縦川が刑事を睨んだら、彼が黙って首肯したところを見ると、どうやらその通りらしい。
「なら、あなたも見てちょうだい。見て、何があったか分かるなら、私にも教えて欲しいわ」
「……一体、何を見たんです?」
縦川がそう訪ねても、愛は何も答えなかった。刑事がそんな縦川を遮るように、彼女との間に手を差し挟む。縦川はまだ納得が行かなかったが、愛を介抱している女性警官の同情的な表情で、ここは引くことにした。
「まあ、愛さんがそう言うなら……」
「では、こちらに」
ホッとした表情の刑事が室内に誘う。その後に続きながら後ろを振り返ると、愛はうつむきながらげっそりして、もうこちらに気を配る余裕もなさそうだった。
一体、何を見たらあんなふうになるんだろう……彼は不安に思いながらも、室内に入って、映像を見ることにした。




