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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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孝行したい時に親はなし

 恵海の部屋でおままごとのお葬式みたいな儀式をしたあと、上坂はみんなと軽く談笑してから寮へ帰った。シャノワールに行くというアンリと一緒にタワマンを出て、バスに乗り、美空島に戻ると、彼女は船着き場からフェリーに乗って去っていった。


 てっきり、職場に行くのには陸路を使うんだとばかり思っていたが、彼女が言うには今はまだ陸路が整っておらず、こっちを使った方が断然早いらしい。ということは、彼女は逆方向だと分かっていたのに、わざわざ恵海の家まで付き合ってくれたのだ。初めて会った時にも感じたことだが、つっけんどんに見えて本当に根は親切なやつであると、上坂は改めて思った。


 学生寮に戻ると丁度夕食時で、一階の食堂にクラスメートたちが並んでいるのが見えた。彼らは上坂に気づくと手招きして、一緒に食おうぜと誘ってきた。ありがたく相伴する。


 夕食は日替わりで、一ヶ月の献立が被ることはないそうだが、その分当たり外れが大きいらしい。基本的に麺類はハズレで、カツが出れば大体当たりである。例外で金曜日だけはカレーと決まっているそうだが、これが寮生にすこぶる評判が悪かった。どうやったら大鍋で煮込んだカレーをあんなに不味く作れるのか、永遠の謎であると彼らは口々に嘆いた。あれを食うくらいなら、外で木の皮でも齧った方がマシだと言う声を聞きながら、そこまで言われると寧ろどんなものか食べてみたいなと、あんかけそばのウズラの卵を咀嚼しながらぼんやり考えていた。


 慢性的に座席不足の食堂から、食べ終わるや否や追い出されて、ロビーでダラダラと駄弁ってから、自販機で飲み物を買って部屋に帰った。


 寮の個室は広さが三畳しかなかったが、必要なものが機能的に用意されていて、あまり狭さは感じなかった。備え付けのベッドの上にはハンガークローゼットがあり、下には収納の引き出しがついている。窓に面して一枚板の勉強デスクが壁に取り付けられており、その下には本棚が埋め込まれている。


 それらの備え付け家具のせいで、歩けるスペースはほんの少ししかないのに、あまり圧迫感を感じないのは、多分、天井が高くて窓が大きいからだろう。カーテンを開けて海を眺めれば、対岸にさっきまで居た恵海のマンションが見えた。


 もしかして、ここから彼女の部屋が見えるかな? と思って部屋を探したが、ふと双眼鏡を覗き込んでいた恵海の姿を思い出し、何となく手を振ってみた……まさか電話がかかってきたりしないだろうな……と思いつつ、鳴らない電話にバツが悪くなってカーテンを閉じる。


 備え付けのベッドにごろりと横になっていると、開けた窓から寮生たちの声が響いてきた。こんなに部屋が狭いというのに、きっと誰かの部屋に集まって騒いでいるのだろう。それも一部屋だけではなく、あっちこっちから聞こえてくる。酒も入ってないのに何が楽しいんだろうと思いながら、彼らの声に耳を澄ませた。


 今は一人でいるより、こうして誰かの声を聞いている方が気が楽だった。昼間は学校があるし、恵海と一緒にいられるから良いが、一人になると暗いことばかりを考えてしまうのだ。自分は先生に、何をしてあげられただろうか。与えられるばかりで何一つ彼女に恩返しが出来なかった。せめてあの時、一緒にドイツへ行っていたら。悔しくて悔しくて、胸が苦しくなる。


 そんな風に気が沈んでくると、またどこかしらの部屋から下品な笑い声が聞こえてきて、上坂はハッと我に返った。今はちょっとでも気を抜くと、こうして思考の迷宮に迷い込んでしまうのだ。昨日も、今日も、そのうち疲れて眠くなるまで、部屋の中ではこの繰り返しだった。


 上坂は溜め息を吐きながら体を起こしてベッドの縁に腰掛けた。何か気を紛らわせるようなことをしてないと、際限なく落ち込んでしまいそうだった。それが悪いわけではない。だが、いつまでも友達や仲間に心配をかけるわけにもいかない。


 とは言え、寮の部屋でやれることは殆ど無かった。そもそも上坂にはこれといった趣味がない。それが例えギャンブルでも、縦川みたいに夢中になれるものがあればよかったのだが、寺でもせいぜいレトロゲームで遊ぶくらいしか暇つぶし方法を知らなかった。


 だが、寮にはゲーム機どころかテレビすらない。持ち込みも禁じられているので、誰かに借りるというわけにもいかない。こうなると上坂の手持ちで残されたものは、教科書でも読むくらいしかないのだが、流石に授業以外でそんなものを目にしたくなかった。


 困った。自分はここまで一人じゃ何も出来ない男だったのか……また自己嫌悪に陥りかけて、彼は慌てて首を振った。こうなったら、他の学生に倣って、誰かの部屋に遊びに行こうか。話をしていれば気も紛れるだろうし、時間さえ潰してしまえばそのうち眠くなるはずだ。


 いや、どうせなら、恵海に電話を掛けたらどうだろうか。彼女も引っ越ししたばかりで暇を持て余してそうだし、暇つぶしに付き合ってくれるのではないか。でも、彼女は元々一人暮らしだった。一人で居るのには慣れているはずだ。今、何をしているか分からないが、もしもピアノの練習中だったら悪いし……


 彼はスマホを握りしめながら、電話しようかどうしようかと、恋する乙女みたいにくよくよ悩んでいた。


「……つーか、スマホでゲームすりゃいいんじゃないか」


 そしてようやくそのことに気がついたのは、考え始めてから数十分が経過してからのことだった。こんな簡単なことに気づかないくらい、実は彼はスマホに疎かったのだ。


 アメリカで拘束されていた時は、もちろんそんなものは所持することすら禁止されていたし、自分のスマホを持つようになったのは、つい最近のことだったのだ。元々上坂はAIの技術者であるから、使えないわけではなく、使う習慣が無かっただけであるが、便利なアプリの知識は殆ど持ってない。何か良いものがないだろうか……


「確か下やんが、スマホにもレトロゲーが移植されてるって言ってたな……」


 彼はそのことを思い出し、ブラウザを起動して適当に検索してみた。すると下柳が言っていた通り、アプリストアの中で自分も知っているタイトルがチラホラと見つかった。ダウンロードするには千円程度の料金が必要だが、これくらいなら別に構わないだろう。他にも自分の知らない最新ゲームも沢山遊べるようだった。なんと、こっちは基本プレイが無料らしい。


 なんなら無料の方がいいんだろうか……? 課金要素は絵が変わるくらいだし、こんなのにお金を払う人達の気が知れない。だから自分なら平気だろうと、彼は廃課金する情弱にありがちな第一歩を踏みかけたが……その時、


「ん……? YouTube。そう言えば、こんなのもあったな」


 スマホゲーの関連動画にYouTubeへのリンクが張ってあって、何となくそっちにしようかなと気が変わった。ゲームもいいが、今は夢中になれるような気がしない。それよりも、適当な動画をダラダラと見ていたほうが気楽だろう。


 トップページに繋いでおすすめされてる番組のサムネイルを眺めてみる。自分のIDでログインしていないから、カスタマイズされてない、純粋に人気だけで選ばれたおすすめ番組がずらりと並んでいた。


 最近はどんなのが流行っているんだろうかと思いながら眺めていると、何だか妙に懐かしい気がしてきた。実を言えば上坂は、昔、放送する側だったのだ。バーチャルユーチューバーに偽装したナナに生放送をさせて、チューリングテスト代わりにしていたのだ。そんなことを思いつくくらい、あの頃はインターネットが、自分の生活に食い込んでいた。


 それを全く見なくなったのは、アメリカに拘束されていたからと言うわけでもない。始めの頃は、興味本位で質問してくる視聴者たちが、ナナを本当の人間と勘違いすることに喜びを感じていたのだが、彼女の質問がどんどん難解になり、上坂にはまるでわからない何十種類もの言語を使いこなし始めるようになると、段々と彼女の番組を作ることが、面白くなくなっていったのだ。


 今にして思えば、それは嫉妬の感情だったのだろう。彼女がどんどん自分よりも頭が良くなっていくことに、恐怖を覚えていたのだ。そうなるように、自分が彼女のことを教育していたというのに、実際にそうなると、何だか自分が取り残されたような気分になって、憂鬱だったのだ。


 きっと聡明な彼女のことだから、そんな上坂の気持ちも見抜いていたことだろう。ナナはどんな風に感じていたのだろうか。ナナだって完璧ではないのだ。美夜みたいに、彼女も一生懸命生きていたのだとしたら、上坂のそんな心変わりに、もしかして彼女は傷ついていたんじゃなかろうか……


 ネットの海に消えていった彼女に、まだ感情のようなものは残っているのだろうか。


「……ん?」


 そんなことを考えながら、漠然とスマホの画面を見ているときだった。そこに、見覚えのある顔を見つけて、上坂は思わず目をパチクリさせてしまった。


 何かと言えば、ユーチューバー・ジーニアスボーイの動画である。それが人気の新着動画にカテゴライズされて、画面に映し出されていた。


 でも、GBはユーチューバーをやめたはずだ。シャノワールで事件を起こしたことで、下柳に禁じられ、更には眠り病の世界で仲間と決別したはずだった。


 もしかして、彼の過去動画を、誰かが勝手に再投稿でもしたのかな? と思い、動画を再生してみる。ところがその動画の投稿日時も、GBの顔や様子も、どう見てもつい最近のものであり、上坂は面食らってしまった。本人は確か、もうやらないと言っていたはずなのに、何かあったんだろうか。


 怪訝に思いながらも、とりあえず動画を見てみる。以前の彼の動画はいわゆるウェーイ系で、仲間と不謹慎な何かをやるのが主流だったが、この動画は彼が一人で映ってるだけであり、カメラも固定されており、見栄えははっきり言って悪かった。


 何をするつもりだろうかと見ていると、GBは画面の中でわざとらしい棒読みで寸劇を始めたかと思うと、腹が減った腹が減ったと言いながら、どこからともなくおもむろに、おでんを取り出した。


 グツグツと煮込んだおでんはいかにも熱そうで、盛大に湯気が立ち上っていた。GBはそれを食べようとするのだが、ところがそこに箸がない。彼は困ったぞ困ったぞと、わざとらしく言いながら鍋を見る。具材は出汁に沈んでなくて、少しだけ頭が出ているようだ。これなら箸がなくて食べれるんじゃないか? そして彼の奮闘が始まった。


 素手でおでんをつかもうとするGBがアツゥイと絶叫する。腕を抑えて顔を真っ赤にして床を転げ回る。そんなに熱いならよせばいいのに、彼は涙目になりながら何度も何度も鍋に挑戦する。そしてどうにかこうにか摘むようにして取り出したモチ巾着を口に含んだかと思ったら、それを盛大に吹き出した。


 GBがぐったりしながらむせ返っている。地味な画面の中でデブが半泣きで咳き込んでると、非情にも流れる『このあとスタッフが美味しくいただきました』のテロップ。いや、絶対ウソだろう、おまえ絶対食ってないだろ、と誰もが突っ込みたくなるような、料理を無駄にして、汚くて見るに堪えない、酷い動画だった。だが、それがすこぶる面白い。


「ぶははははは!」


 上坂は思わず腹を抱えて笑ってしまった。GBの必死な姿が、何故かどうしようもなく笑えるのだ。最初のうちは見ているだけで気分が悪くなるような、酷い映像だと思っていたのが、今は彼が悲痛な叫び声を上げるたびに、おかしくておかしくて仕方ない。


 動画が終わる頃には、見ている方もぐったりしていた。目尻に涙が溜まって、視界がぼやけて仕方がない。なんでこんなに面白いんだ? あいつ、天才じゃないのか……放心状態の上坂が床に転がっていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。


「おーい、上坂。風呂行こうぜ。おまえ、昨日入ってないだろ」


 部屋の外から、たった今、自分の腹筋を崩壊させた張本人が声をかけてきた。上坂は吹き出してしまいそうなのを堪えながら、


「すぐ行く」


 と言って飛び起きると、風呂に行く準備を始めた。

 

****************************


「え? 俺の動画見たの……?」


 入浴時間終了間際の大浴場へ行くと、洗い場は人ですし詰め状態だった。大浴場は学校が終わった直後から開いているそうであるが、何でかしらないが時間が遅くなればなるほど混雑するらしい。朝に話した毎朝遅刻寸前のクラスメートもそうであるが、学生というものにはギリギリになるまで動けないという習性でもあるのだろうか。


 とても悠長に並んで体を洗うなんてことは出来ないから、上坂たちは開いているシャワーを競い合うように見つけては、押しくら饅頭のように人を押しのけて体を洗った。こんな場所で私物なんかを持ち込んだらすぐ無くなってしまうからか、シャンプーも石鹸も備え付けのものを使うしかなく、手に届く範囲にあればいいのだが、無ければ殺すくらいの勢いで叫ばないと貸してもらえないから、風呂場には殺伐とした大声が常に飛び交っていた。


 上坂はとんでもないところに来ちゃったなと思いながら体を洗い、芋洗いみたいな浴槽にGBの姿を見つけては、ジャボンとその隣に飛び込んだ。GBはやってきたのが上坂だと気づくとホッとした様子で、明日からはもっと早い時間に入ることにしようぜと言った。上坂自身が昨日越してきたばかりだから勘違いしそうになるが、考えてもみれば彼もこの寮に来てまだ日も浅いのだ。


 押し合いへし合いしながら肩まで浸かり、ようやくリラックスしたところで、さっき見たYouTubeの話をGBに振ってみた。彼は気落ちしている上坂が、わざわざ自分の動画を見たということに驚いていたが、驚いたのは寧ろ上坂の方である。


「あの動画って、ここ数日に投稿したものだろう? おまえ、もうYouTubeは懲り懲りだって言ってたじゃないか。どうしてまたやり始めたんだ?」


 上坂がそう尋ねると、GBは何となくバツが悪そうな表情で、ポリポリと頭をかきながら、


「……俺の動画って、おかしいだろ?」

「うん? ……うん」


 上坂は曖昧に返事をした。おかしいと言えば文句なくおかしかったが、GBがどういうつもりでそう言ったのか、ニュアンスがいまいち分からなかった。腹を抱えて笑える面白さがあるのは確かだが、そういうおかしさと、滑稽であるといったおかしさは別物だ。


 案の定、GBが言っていたおかしさとは、後者のことらしく、


「俺の動画ってどれもこれもとにかく必死でさ、なんていうか滑稽なんだよ。カメラの向こう側にいる視聴者に、なんとか自分の格好いいところを見せようとするんだけど、それが全部空回りする。要領が悪くてどんくさい。そして失敗しかしていない……」


 GBはそんなセリフを他人事みたいに、達観したような表情でつぶやいた。以前だったら、絶対そんな顔をするはずはなかっただろう。そんな落ち着いた顔だった。


「前はそれが嫌だったんだけど、お金ももらえるし、仲間が喜んでくれるからって我慢してたんだよ。でもさ、こないだの事件で、こういうのはもう良いかなって思うようになってさ、そんでユーチューバーもやめようって思ったんだ」

「うん」

「で、動画も全部消しちゃおうって思ったんだけどさ……でも、これ消したら、お金も入ってこなくなるんだなって思ったら、なんだかもったいないような気がしてさ……どうせ消すなら、最後にもう一度だけ、自分の目でちゃんと見てみようってそう思ったんだよ……それで見てたら、なんだか笑えてきてさ」


 彼は今まで自分の動画を見返すことはあまりなかったらしい。そりゃ、誰だって自分が失敗してる姿なんて、わざわざ見たくないだろうから、そうなるのも無理はない。だが、GBは動画を消そうと思ったことで、初めてそれを客観的に見ることが出来た。


「そうやって冷静になってよく見てみたらさ、俺の動画って、結構面白いんだよ。すごく必死になってやってるのに、やることなすこと裏目に出て、失敗してのたうち回って、本気で悔しがってる。その姿がすごい滑稽で……すごい笑える。それ見てたらさ、あれ? もしかして俺って、これでよかったんじゃないかって思えるようになってさ」

「……どういうことだ?」

「俺の動画って見てる方も恥ずかしいんだよ。共感性羞恥っていうの? 俺が要領悪いのはみんな知ってる。失敗するってのがわかりきってるから、みんなドキドキハラハラしながら見ていて、そしてここぞってタイミングでやっぱり俺は失敗する。でもさ、それって逆に言うと、安心して見てられるんだよね。ほら、なんつーか、お約束っていうの?」

「ああ、うん」

「そういう目で見てみたら、これはこれで一つの芸だなって思えるようになったんだよ。俺は失敗するけど、必死にやったことは嘘じゃない。嘘じゃないから面白い。そこに嘘が混じっていたら、多分、そこまで面白いって感じないと思うんだよね。そう思ったら、こいつ馬鹿でキモいけど、必死だから応援してやろうって気になったんだ、いや、自分のことなんだけどさ」


 彼はそう言って自嘲気味に笑った。


「そしたらさ、不思議と俺を見ている視聴者の姿も、それまでと全く違って見えてきたんだよ。俺の動画のコメント欄って、言っちゃ悪いけどかなり荒れてるんだ。馬鹿だアホだ、気持ち悪い、やめちまえって、罵詈雑言のオンパレード。それが今までは悔しくて仕方なかったんだけど……冷静になって考えてみたら、こんなこと言ってる奴らって少数派なんだよね。同じやつが、ずっと同じこと書いてたりする。そんな奴らよりも、ずっと応援の声のほうが多いんだから、気にすることなんかないはずなのに、でも前はそれが出来なかった。否定的な意見ばかりが目に焼き付いちゃって、応援の言葉なんて全然頭に入ってこなかった。面白かったとか、笑ったよって褒め言葉さえ、きっと俺のこと馬鹿にしてるんじゃないかって、攻撃の言葉に見えていた。そんなわけないのにな。それがまあ、駄目な自分ってのを受け入れてみたら、ガラリと変わったんだ。


 どうせ俺は失敗する。完璧な人間なんかいないんだ。でも、俺が必死にやった結果って、別に失敗ってほどでもないんじゃないのか。失敗は成功の過程であって、やらないよりはナンボかマシだろう。何よりみんなが笑ってくれるなら、それでいいじゃないか。そう思ったらさ、今まで全然見えてなかった、みんなの応援の言葉が、とても輝いて見えたんだよ。ああ、みんな俺の動画を見て、こんなに楽しんでくれてたんだなって、有り難く思えた。だからまあ、もうちょっと続けてみようかなって思ったんだ。もちろん、もう人様に迷惑かけるようなことはしないけど」


 GBはそう言うと、持っていた手ぬぐいを湯船から取り出し、それを絞って顔を拭いた。すかさず湯船に入れるんじゃねえと非難する声が飛んできたが、彼は一向に気にする素振りを見せなかった。以前なら、ビクビクしていただろうに。


「そんな感じに、気持ち一つでさ、物の見方や世界ってのは変るんだよ。だからさ、上坂も今は辛いかも知れないけど、いつか大丈夫になる日が来ると思うよ。そうなった時、今つらいとか、嫌だって感じてるものも、案外冷静に、笑ってみていられるものなんじゃないか。だからあまり考えすぎず、今は流れに身を任せていいんじゃないか。俺なんかが偉そうだけども……」

「……いや、そんなことないよ。おまえは、偉いよ」

「そうか?」


 GBは目をパチクリさせながら、そんなこと初めて言われたと、うつむき加減に微笑んだ。その姿が、実に嬉しそうだった。


 風呂から出て、誰が使ったかわからないバスタオルで体を拭う。ちゃんと体を洗ったはずなのに、なんだか臭うような気がして、クンクンと二の腕を嗅いでいたら、GBに早く着替えろと怒られた。


 ロビーでコーヒー牛乳を奢ってもらって一息ついていると、同じく風呂上がりのクラスメートがやってきた。上坂はせっかくだから普段、暇つぶしに何やってるのかと聞いてみた。寮の部屋で一人で居ても、退屈で仕方ないと。すると彼らも似たようなものらしく、スマホで動画を見ているか、漫画を読んでるかのどっちかだといっていた。


 まあ、そんなものかと落胆しつつ、漫画ってスマホで見るのか? と聞いてみたら、どうやら漫画も書籍扱いで持ち込みを禁じられてないらしく、普段から週刊誌をみんなで回し読みしてるらしい。先週号とか誰も読まなくなったら、ゴミ捨て場に捨ててあるから持ってっちまえと言われ、GBと二人でゴミ漁りをして部屋に帰った。


 ベッドに寝っ転がりながら一ヶ月くらい前の少年誌を読んでいると、すぐにウトウトと眠気がさしてきた。さっきまで、一人になるとすぐ暗いことを考えてしまっていたのに、今はもうそんな気も起こらない。


「こうして、先生のことも忘れていってしまうんだろうか……」


 上坂はブルブルと首を振って、そんな考えを振り払った。忘れるわけじゃない、思い出に変わるだけだ。思い出を嫌う者なんていない。そんなことを今から恐れる必要はないだろう。


 物の見方で世界は変わる。GBの言うとおりだ。いつまでもくよくよ考えすぎないで、未来のこともちゃんと考えなければならない。眠り病や、倖を襲撃した秘密結社のこと。江玲奈は人類の終焉が間近に迫っているという。でもその前に、自分は将来何になりたいのだろうか? そんなちょっと先の未来のことさえ、上坂は何もわからないのだ。


「……孝行したい時に親はなし……か」


 自分は倖に何をしてあげられたんだろうか。何も出来なかったという後悔だけが、胸の中にしこりのように残っていた。


 そして彼は、もう一人の親のことを思い出した。縦川が言うには、北海道に父親がいるらしい。彼は上坂が五年前に死んでしまったと思っているそうだ……


 会う会わないは任せると縦川に言われたとき、上坂は会いに行くはずないだろうとほぼ反射的にそう思った。だがそれは、父が生きていると知らなかったら、考えもしないようなことだったはずだ。感情的になる前に、もう一度考えてみた方がいいんじゃないだろうか……


 ゴミ捨て場の臭いが染み込んだ漫画雑誌を枕にしながら、彼はそんなことを考えつつ、いつの間に眠りに落ちていた。


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