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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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そうなんですか

 午後になったら午前中とは打って変わって、教室は静かになっていた。昼休みに恵海に会いに行った上坂は、教室に戻ったら絶対に茶化されるだろうと思っていたのに、なんだか拍子抜けだった。


 どうしたんだろうと思いきや、どうやら上坂が居ない間に、GBがクラスメイトに倖の死を知らせていたらしい。彼女は上坂にとって養母のようなものだから、本人もかなり堪えているので優しくしてやれと、彼は自分のことでもないのに頭を下げてくれたようだった。


 言われてみれば、ここ数日上坂は学校に来てなかったし、今日もなんだか気落ちしているようだった。思えば朝から意味もなく念仏を唱えるなんてまともじゃない。きっと上坂の悲しみは相当なものなのだろう。クラスメイトたちはそう判断すると、午前中のイジりを反省して午後は大人しくしていたようである。


 別に、念仏なら毎朝唱えていたのだが……いつか縦川にも聞かせてやろう、おまえはまともじゃないらしいぞと。


 ともあれ、放っておいてくれるのは有難かった。恵海との関係を聞かれると、好きなものは好きとしか言いようがないから、かなり気恥ずかしかったのだ。おまけにそう言えば言うほど、彼らの怒りを買ったから、面倒くさくて仕方なかった。


 だが放ったらかされていたら放ったらかされていたで、一人で考え事をする時間が増えてしまってどうしようもなかった。午後の授業を聞き流しながら、頭の中では色んなことが渦巻いていた。


 倖の死。父の居場所。眠り病。江玲奈の予言。


 将来、自分は何になりたいんだろうか……自分にも、将来なんてものがあるんだろうか……上坂は縦川に、いつか寺に帰りたいと言ったが、どうして帰りたいのかその理由は漠然としていた。


 そんなことを考えているといつの間にか放課後が訪れていて、上坂は帰り支度をすると教室を出た。外では野球部が試合をしてるらしく、GBがやってきて、気晴らしに日下部の応援に行かないかと誘ってきたのだが、恵海を待たせてると言って断った。


「放課後デートとは羨ましいな、ちっくしょう」


 と言われたから、


「なんなら一緒にくるか?」


 と誘ったら、全力で断られた。デートの邪魔をする気はないと言う彼に対し、実はアンリも来ると種明かししたら少し興味を惹いていたようだが、行き先が倖の家だと言ったら、尚更行けないと断られた。


 倖の家と言っても、昔住んでた自分の家があるわけではないのだ。新しく出来たタワマンなんて、なんの思い入れもないし、遠慮するなと言ったのだが、


「それでも変わらない何かがあるだろうからな」


 と彼は言った。


 まあ、確かにそうかも知れない。毎日のように見ている何の変哲もない景色も、数十年経って改めて見たら、人は懐かしく思うのだ。街はすっかり様変わりして、背丈が伸びて目線も変わって、同じ景色はどこにも無いのに、毎日のように歩いていた通学路にある坂道を、体が覚えていたりするのだ。


 だから多分、そのなんの思い入れもない家に行っても、上坂は先生のことを思い出すだろう。思い出はいつも心の中にあるのだ。目を瞑っても思い出せるのは、そういうことだ。そう言われると、なんだか厳かな気持ちになった。


 校舎を出て校門に向かっていると、野球場からひときわ大きな声が聞こえてきた。見れば、生活指導の外田(とだ)が大げさな身振り手振りで何かを叫んでいるのが見えた。


 またいつもみたいに、元気にパワハラしてるのだろうかと思ったのだが、よく聞いてみると、頑張れとか、負けるなとか、やれば出来るとか、なんだか松岡修造の霊でも乗り移ったかのようなセリフばかりを吐いている。


 あれはどういう風の吹き回しか。ヤバイものでも食べてしまったのだろうか。


 首を捻っていると、GB曰く、日下部に聞いた話では、外田は2学期に入ってから別人のように感じが変わったらしい。前は頭ごなしに言うことを聞けといった感じのヤクザな指導者だったのが、今はどんな些細なことでも必ず逐一説明し、部員の一人ひとりの長所を挙げて、的確なアドバイスをくれるようになったのだそうだ。


 日下部も、背が小さいのはストライクゾーンが狭いという長所であり、お前のパンチ力は天性のものがあるから、いつか必ず一流のスラッガーになれると太鼓判を押してくれたとか。彼はそれを真に受けて、最近は練習に身が入っているようだった。


 他の部員も同じくやる気を出していて、野球部は活気に満ちて溢れていた。外田がどうして変わったのかは上坂には分からなかったが、多分、夏の事件で思うところがあったのだろう。何はともあれ、日下部が元気そうで良かったと思いながら、GBと別れて校門をくぐった。


 通学路からちょっと外れたベンチに腰掛けていると、暫くして恵海とアンリがやってきた。今日は初日だから、放課後に担任と少し話しこんでいたらしい。恵海は音楽室登校だから、別にHRに参加する必要はないのだが、話し合った結果明日からは朝だけではなく、帰りのHRも出るそうである。


 自分なら大喜びで寝坊するのに奇特なものだとアンリが呆れていたが、理由はなんとなく分かる気がした。恵海はアンリ以外に友達らしい友達が居ないのだ。だから朝夕ちょっとだけでもいいから、おしゃべりをしたいのだろう。


 合流した二人とバスターミナルへと向かう。美空島へのアクセスは陸路と海路の二種類があったが、学園都市という性質上、車両の侵入を原則禁止しているために、大金持ちの恵海と言えども車で通学することは出来なかった。タワマンはここからでも見えているのだが、実際に徒歩で行こうとすると小一時間はかかるから、仕方なくバスに乗ることにする。


 渋谷のスクランブル交差点もかくやといわんばかりに人でごった返したバスターミナルを、ひっきりなしにバスが出入りする。バスはほぼ一分間隔でやってくるのだから、次のを待てばいいのに、ギューギューに詰め込まれた車内には閉口せざるを得なかった。


 蒲田まで約10分間の道のりを、恵海のために必死にスペースを作りながら耐え続けていたら、バスを降りる頃には汗だくになってしまった。こんなことを毎日続けている日本の学生は本当に偉大だと痛感する。恵海はフラフラになりながら、明日からは帰りが遅くなっても、バスが空くのを待ってから帰ることにすると言っていた。それはそれで少し心配だから、せめて自転車通学にしてはどうかと勧めておく。


 今はまだ鉄道が開通していない、蒲田のバスターミナルから大森方面へ歩いていくと、復興の際に乱造されたタワーマンションだらけの区画が見えてくる。これから恵海が住むという家はその中にあるのだが、間に海さえなければ学校から直線で1キロ程度の距離しかなかったから下手したら泳いだほうが早そうだった。こっちにも橋を架けて欲しいものだが、カーフェリーの水路の問題があって難しいらしい。


 高速エレベーターで最上階に近い階数で降り、空中庭園みたいな中庭に面したエントランスを歩いていくと、やがて表札に立花と書かれた玄関が見えてきた。GBが言っていた通り、そこがかつて自分が暮らした家だったのかと思うと、なんとも言えない気分になった。恵海に誘われて中へ入る。


 昨日、学生寮からもタワーマンションが見えていたから、もしやと思って窓から外を眺めてみたら、ばっちり美空学園の寮が見えていた。恵海に上坂の部屋はどこかと聞かれたので、大体の方角を指しながら彼女の方を振り向いたら、双眼鏡を熱心に覗き込んでいる恵海の横顔が見えた。


 上坂の部屋を見つけ出し、これならいつでも会えるねと、はにかむ彼女の顔が可愛いものだから、一瞬スルーしかけたが、よく考えてみればこれは犯罪だろう……上坂が遠回しにそう言うと、彼女はショックを受けて固まっていた。昔からたまに、恵海は想像もつかないようなおかしな行動を取ることがある。これが芸術家の性というやつなのだろうか。


 ともあれ、そんな具合に窓の外を見ながら3人で学校の話などをしていたら、インターホンが鳴った。引っ越しで色々と荷物を頼んだから、それが届いたのだろうと言いながら、彼女が応答すると、やってきたのは運送屋ではなく、この家の本来の持ち主である立花愛だった。


 来るとは聞いてなかった恵海が驚きながらも、上坂も遊びに来ているからちょうど良かったと歓迎すると、彼女は靴を脱ぎながら、


「多分、あんたも来てるんじゃないかと思ったのよ。私の勘も捨てたもんじゃないわね」


 と言って、部屋に入ってくると、そこに上坂の姿を見つけて、


「だいぶへこんでいたみたいだけど、もう平気?」

「はい……ご心配おかけしました」

「いいわよ別に」


 愛はそう言って上坂の前に立つと、手を伸ばして彼の頭を触ろうとした。


 額に傷がある彼が、ビクリとしてそれを避けようとすると、彼女はほんの少し躊躇するように手を止めてから、やがてまたゆっくりとその腕を伸ばし、彼の前髪をかきあげて、額に刻まれた深い傷跡を見つめた。


「……最後に会った時、私とそんなに背丈も変わらなかったのにね。男の子って本当に大きくなるの早いから、びっくりするわ」

「姉さんは、お変わりなく……」

「変わらなすぎてやんなっちゃうわよ。世界に取り残されてる気分だわ。縦川さんたちに聞いたけど、ひどい目に遭ったみたいね……どう言って、慰めてあげればいいかわからないのだけど……」

「……もう昔のことですから」

「そうね。何もわからないくせに、中途半端な言葉はかえって傷つくと思うから……それより、今日は大事なものを持ってきたのよ」

「大事な物……?」


 上坂と恵海が顔を見合わせると、愛はちょっと待ってと言いながら、何故かシルクの手袋を身につけた。何をするんだろうと見ていると、彼女は慎重にカバンの中から何かを取り出し、


「本当はこんなことしちゃ駄目なんだけどね。母さんの目を盗んで持ってきた」

「……位牌ですか?」

「姉さんのよ」


 上坂はハッとして息を飲んだ。位牌は死者の分身みたいなものだから、死んだ倖が目の前にいると思うと、すごく緊張感が走った。でも、彼女が死んでからまだ数日しか経っておらず、葬式すら行われていないのに、どうしてこんなものがここにあるのだろうか。


「おかしな話だけどね、姉さん5年前に死んだことになってるから……実は、あんたの位牌もうちにあるのよ」

「そうなんですか?」

「うん。生きていたんだから、これに意味があるのかどうかわからないんだけど……でも、こういうものがあるって知ったら、多分あんた見たいんじゃないかと思って」


 愛はそう言って、まだ買ったばかりで何も置かれてないキッチンテーブルの上に置いた。つやつやしたテーブルの表面が、それを逆さまに反射する。大きなテーブルの中央に、位牌だけがぽつんと置かれている様は、やけに物悲しく見えた。


「なんなら仏壇ごと持ってこれたら良かったんだけど、そうもいかないから。家に来てもらうのも……今は母さんが混乱しちゃうから、申し訳ないんだけど」

「いえ、これだけで十分です」

「そう……どうせならお寺に居る時に持ってきてあげられたら良かったわね。そしたら、和尚様がお経の一つも読んでくれたかも知れないのに」

「それなら、俺がやりましょうか……?」

「え? あんた、お経なんか読めるの??」


 愛は目をパチクリさせた。上坂は自然と口元をほころばせながら、実は自分でも意外なのが、寺に住んでいた時に憶えてしまったと告げた。彼女は、ふーんと感心しながら、


「なら、そうしましょう。どうせならお線香くらい買ってくればよかったわね。今から行ってこようか?」

「あ、なら私買ってきます!」


 愛が来てから少し居心地が悪そうにしていたアンリが手を挙げる。彼女は来る時に見かけたコンビニにあるはずだからと出ていった。


「使いっ走りにしちゃって、悪かったわね……彼女、どういう知り合いなの?」

「クラスメイトです。俺たち二人共通の友達で、雲谷斎……お寺さんとも知り合いです。どっちかといえば、彼との付き合いのほうが長いんですよ」

「ふーん……って、あの人、30代でしょう? なんで女子高生なんかと知り合いなのよ? なんか胡散臭いなあ、ヤバイことやってんじゃないでしょうね」

「そんなんじゃないですってば」


 上坂が苦笑しながら経緯を説明する。愛はそれを聞きながら、手持ち無沙汰にテーブルの椅子を引き出すと、そこに腰掛けて位牌に手を合わせた。話を終えると、上坂と恵海も、それに習って手を合わせた。3人が食卓を囲んで手を合わせてる姿は、まるでクリスチャンが食事前にするあれみたいだったが、誰も茶化す気にはなれなかった。


 何となく会話が途切れて沈黙が場を支配する。そう言えばこういう時、天使が通り過ぎると言うんだと、昔誰かが言っていた。天使かどうかはわからないけれど、なんなら倖が天国から遊びに来てくれてるならいいなと上坂は思った。


「お墓もね、もうあるのよ。でも、母さんの故郷にあるから、すぐには会いに行けないわ」

「そうなんですか」

「一応ね、あんたもそこに入ってることになってるのよ。遺骨もなんにも見つからなかったし、実は生きていたんだから変な話だけどさ。あんたもちゃんと、姉さんと一緒だからね」

「そうなんですか」


 声が詰まって、それ以上言葉が出てこなかった。油断すると目頭が熱くなってしまって、上を向いているくらいしか対処法がなかった。今ここで泣いてしまうと、寮に帰りづらくなってしまうと思って、上坂はぐっと手のひらを握りしめて我慢した。


 やがてアンリが線香を買って帰ってきて、一緒に買ってきた豆大福をお供え物にして、4人は簡単な儀式をした。ワイングラスから立ち上がる煙は、トイレの芳香剤みたいな香りがしていた。


 上坂は手を合わせると、ここ3ヶ月、何度も何度も聞いてきたお経を唱えた。立花家の宗派がなんだか知らなかったし、自分がこんなことしても意味のないことかも知れないけれども、途中何度も声が詰まって、つっかえつっかえしながらも、彼はただ死者を思ってそれをやり終えた。


 こうして彼は別れを受け入れた。本当なら自分がドイツに行って彼女を迎えに行きたかったのだが、あとは縦川と愛に任せることにしようと、そう思えるようになるくらいまで、ようやく気持ちの整理がついたように感じた。


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