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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第四章・永遠の今
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長い夜

 立花倖の死はすぐに知らされた。彼女を見送ってから、わずか二日の事だった。

 

********************

 

 その日、上坂は一日掛けて、朝から都内の病院巡りをしていた。饗庭江玲奈(あいばえれな)との話し合いで、眠り病患者を救おうと決めた彼は、御手洗の案内で実際の被害状況を確かめていたのだ。


 今の所、眠り病は症例が少なく、全世界を見回しても、その割合はせいぜい10万人に一人程度という稀有な病気だった。だが、それじゃあ患者を見つけるのは困難ではないかと言われれば、寧ろ逆で、患者がどこにいるのか見つけるのは非常に簡単な話だった。


 何しろ、その症状が非常にわかりやすいのだ。原因不明で眠りっぱなしで、何をやっても起きない患者がいれば、それが眠り病である。


 そのため、都内ではすでに病院同士のネットワークが出来ていて、患者はいくつかの大病院に集められていた。その情報は都知事にも報告されていたから、御手洗経由で上坂が患者と接触するのは簡単なことだった。あとはその一人ひとりを、じっくり治療していけばいいわけだが……そこから先が面倒くさい。


 そもそも、上坂と患者は面識が無く、相手がどんなパーソナリティをしているのかがわからない。そんな状態で上坂が眠り病患者の夢の中の世界へ行っても、説得するどころか話を聞いてすらもらえないだろう。まずは自分の正体を明かして信用を得なければならない。だから、家族や友人からヒヤリングをして、ある程度の情報を得たいわけなのだが……これがすこぶる厄介なのだ。


 GBの時もそうだったのだが、眠り病患者は基本的にこの世界に絶望して夢の中に逃げ込んでいる。彼らがどうしてこの世に嫌気を差してしまったかと言えば、大抵の場合は家庭や職場、対人関係が問題だった。


 つまり患者の話を聞こうとすると、かなりの高確率で、患者が眠り病になった原因そのものがやってくるのだ。例えばGBみたいに息子に関心を持たないような親や、患者が原因不明の奇病になっても攻撃をやめない職場の上司や同僚、はたまた服役中の親族だったり、中には上坂みたいに天涯孤独な若い患者もいて、彼の周辺を探ってみたら、当たり前のようにイジメが存在していたりする。


 そんな彼らに話を聞こうとしても、大抵の場合は非協力的であり、会うだけでも一苦労だった。それに、話を聞いているうちに気づいてしまったのだが、結局、眠り病患者を治療しても、彼らが居る限り、患者はまたこの世に絶望して戻ってしまうかもしれないのだ。誰も彼もがGBみたいに、達観してくれるとは限らないのだ。


 そんな具合に、上坂が患者を救うには、まずは汚物貯めみたいなどうしようもない人間関係を直視せざるを得なかった。都内には約100人くらいの患者がいるそうだが、その殆どが似たようなものだと思うと、げんなりした。これが日本全体となると、どこまで増えるのだろうか。


 世界には今、どれだけ眠り病の人がいるのだろうか。その一人ひとりに、こんなうんざりするような原因があって、しかも患者は江玲奈に言わせれば、これから先どんどん増えていくのだ。そう考えると、どうにも遣る瀬無かった。


「お疲れみたいですねえ……まあ、あんな話を朝から晩まで聞かされていたら、気が滅入るのも仕方ないでしょう」


 帰りの車の中でそんなことを考えていると、運転席の御手洗が話しかけてきた。彼は今日一日、上坂に付き合ってくれたうえに運転手まで買って出てくれたのだ。上坂はそのことに感謝しつつ、


「ええ、まあ……正直、眠り病患者を助けるって決めた時は漠然としていて実感湧かなかったんですけど、いざこうして現実に患者さんに会ってみると……想像以上にしんどいですね」

「私はよくわからないんですけど、眠り病患者は心のケアが必要なんですよね? 上坂君は眠ってしまってる患者の夢の世界へ行って、彼らをケアする。なんか、医者というよりは、カウンセラーの仕事みたいですよね」

「そうですね。しかし、今日一日色んな人に話を聞いた限りでは、必要なのは患者本人ではなく、家族の方なのかも……」

「もしくは社会ですね。政治家もマスコミも、不必要に幸福を煽りすぎるんです。この競争社会で、誰もが幸せになるなんてありえないですよ」

「御手洗さんがそれを言いますか……」

「だから抜本的な改革が必要なんです」


 上坂が苦笑交じりにそう言うと、御手洗はさも当然と言わんばかりにそう返した。彼の言う改革とは、東京都のやってるBIとかその手のものだろう。


「ところで、これからどうするんです? 江玲奈さんから上坂君が眠り病患者を治療してまわるって聞いた時は、それはいい考えだと二つ返事で同意しましたが。実際にどういう方針でそれをやっていくのか、私にはまだよくわからないんですが」


 御手洗がそう言うと、同じく後部座席の上坂の隣にふんぞり返るように腰掛けていた江玲奈が言った。


「今、君が言ったとおりだよ。上坂が患者が逃げ込んだ先の世界へ行って、患者に今起きている出来事を話す、それだけさ。彼らは自分を取り巻く世界が変わったことは自覚している、それを追認してやれば、考えが変わるかも知れない。最初は駄目だろうけどね。でも、一ヶ月、一年、そのくらいのスパンで何度か会いに行ってるうちに、気が変わるかも知れない」

「それだけ……? なにか特別なことはしないんですか?」

「ああ、今の上坂なら、もしかすると患者を無理やり現実に戻すことも出来るかも知れない。だが、今日、彼らの親兄弟を見て、そうしたところで無意味なことは分かっただろう? かと言って、患者一人一人の悩みを解決していては時間がいくらあっても足りない。そんなことをしていては、上坂は人生を棒に振ってしまうことになるだろう? だから、やれることは患者本人に現状を認識させるだけ。ただそれだけなのさ」


 江玲奈がぶっきらぼうにそう言うと、御手洗は少し意外そうな目をバックミラーに投げかけた。


「そうなんですか……? でしたら、あなたがおやりになったらどうなんですか? 私にはよくわかりませんが、確か、上坂君が出来るようなことは、あなたにも出来るんですよね? ……いや、責めてるわけではないのですが。なんだかまどろっこしいというか」


 彼はそう疑問を口にしてから、少し言い方がきつかったかなと思ったのか、段々と語尾が小さくなっていった。江玲奈はそんな彼の言葉など一向に気にした様子も見せずに、


「やったさ。僕はこの世界が滅亡の危機に瀕していると気づいてから、ありとあらゆることをしてそれを回避しようとした。でも駄目だった。今はまだ、眠り病患者は少ないが、これから加速度的にどんどん増えていく。そうなると、いくら僕が患者を治して回っても、増加するほうが速くてどうしようもなくなる。実は、上坂だって、物理的に全部を救うことは不可能なんだ」


 信号待ちで車が交差点に停まると、御手洗は驚いたように背後を振り返り、彼女の顔をマジマジと見つつ言った。


「だったら、どうして彼に同じことをやらせるんですか?」

「その先に、未来があるからだよ、御手洗くん。尤も、それがどんなものなのかは、僕にもさっぱりわからないんだけどね。そこに僕はいないから」

「……いない?」

「多分、死ぬんだろう」


 まるで他人事のようにそう吐き捨てる彼女に対して、御手洗は言葉を失った。いや、彼女の言う人類の滅亡と言うものが本当ならば、そこに彼女がいないのは当然のことなのだろうが……少なくとも普通の人間は、自分の死をそうやすやすと受け入れることは出来ないだろう。


 御手洗が唖然としていると、後方の車がクラクションを鳴らした。いつの間にか信号が変わっていたようだ。彼は慌ててサイドブレーキを下ろした。江玲奈は、そんな彼の背中に向かって苦笑交じりに言った。


「何か誤解しているようだが、僕は500年の時を生きてきたとは言っても、その間、ずっとこのままの姿だったわけじゃない。肉体の死なら、幾度となく経験してきた。時には残酷に殺されたこともある。だから、君達の言う『死』をそれほど大げさには捉えていないのさ」

「そ、そうなんですか……なるほど……」

「その僕すらも生まれ変わることの出来ない人類の終焉に、一体何が起きるのか……僕はそれが見たいのさ。僕が生まれ変われないということは、おそらく人類は生物的に絶滅するということだろう。核戦争か。宇宙人の襲来か。それとも、人類全部が眠り病に罹ってしまうのか……僕は最後の可能性が一番高いと思ってるけどね。それを変えられるのは、僕じゃない。上坂だけなのさ」


 車が発進し、窓の外の景色が流れ出す。


「……本当に、俺にそんなものを変える力なんてあるんだろうか」


 上坂がそう独りごちる……車内にはエンジン音が響くだけで、誰の返事も返ってこなかった。


*****************************


 やがて縦川の寺がある池尻大橋まで来ると、車は幹線道路を抜けて路地に入り、御手洗は入り組んだ狭い道を器用に通り抜けて走った。もう夜遅いので人通りは少なく、月に照らされた地面は、薄っすらとブルーに染まって見えた。


 寺の裏手にある急坂を越えて門が近づいてくると、その前に道を塞ぐように車が停まっているのが見えた。車が二台すれ違えるようなところではなく、このままでは通れそうもない。


 閑静な住宅街であるし、御手洗はクラクションを鳴らそうかどうしようか迷ったが、


「あれ? エイミーの車じゃないかな」


 上坂がそう言うので、彼はクラクションを押そうとしてた手を引っ込め、寺の少し手前に車を停車させた。普通ならすぐ近くに待機しているはずの運転手が飛んできそうなものだが、暫く待ってみても誰もやってくる気配がない。


 仕方ないので三人は車から降りると、歩いて山門まで近づいていった。すると何故だかわからないが、もう夜遅いというのに、門が開きっぱなしになっている。


 中を覗けば参道の両脇にずらりと立ち並ぶ墓石が、月夜に照らされて薄気味悪い。奥を見やれば寺務所から灯りが漏れているから、縦川がいないわけではなさそうだった。彼は夕方必ず食料調達に出かけるはずだから、門を閉め忘れるとは考えにくい。


 はて、何かあったのかな? と不安に駆られながら寺務所に近づいていくと、中から何やら女性のすすり泣くような声が聞こえてきて、上坂たちは顔を見合わせた。場所が場所だけにオバケでも出たのだろうか? ……内心ドキドキしながら寺務所の扉を開けると、そんなものよりもっと意外なものが視界に飛び込んできた。


「あ! 上坂君! 今帰ってきたのか。御手洗さんも……ちょうど良かった。いや、ちょうどいいのか?」


 三人が寺務所の中に入っていくと、すぐ縦川が彼らに気づき、深刻そうな顔をしながら何故かそんな具合に自問自答するように話しかけてきた。その隣には、恵海の運転手が困った顔をして立っている。


 一体どうしたんだろう? と思いはしたが、いま気になるのはそれではない。さっきから絶えず聞こえてくるすすり泣きは、一体どこから聞こえてくるのかと目をやると、寺務所の応接セットに力なく座っている恵海に行き当たった。彼女の顔色は悪く、目尻は赤くただれて泣き腫らしているように見える。


「エイミー!? 一体どうしちゃったんだよ。雲谷斎が泣かせたのかよ?」


 上坂は自分の恋人が泣いているのを見て、非難するように縦川の顔をじろりと睨んだ。彼はすぐさま首をブルブル振って、


「いやいや、とんでもない。俺は何もしてないよ……何もしてないんだけど……ああ……何から話したらいいものか。俺だって泣きたいくらいなんだよ?」


 彼は困ったように眉根を寄せた。何か言いたいことがあるのだが、すごく言いづらそうな感じである。


 上坂はどうしたんだろう? と疑問に思いつつ、応接セットの方へと歩み寄ると、泣いている恵海の隣に腰掛けた。半分放心状態の彼女は、隣にやってきたのが上坂だと気づくと、一瞬安堵の表情を見せたが、すぐにまた悲しみが襲ってきたかのようにクシャクシャに顔を歪ませると、上坂の腕をギュッと握りしめて、震える唇で絞り出すように声を発した。


「いっちゃん……(わたくし)、あなたにお伝えしなければならないことがあるんですの」

「あ、ああ……なんだろう?」


 その深刻そうな表情を見て、上坂の脳裏に緊張が走った。彼は続く言葉を辛抱強く待ったが、いつまで経ってもその先が出てこない。恵海は何かを一生懸命話そうとしているのだけれど、まるで息の仕方を忘れてしまったかのように口をパクパクさせるだけで、何の言葉も発しなかった。ヒューヒューと掠れた空気の音だけが、虚しく寺務所に響いた。


 何かのっぴきならないことが起きたことは明白だった。御手洗も江玲奈もその空気を察して、黙って縦川の横に立っていた。


 このままじゃ埒が明かない。もう少し、強く問い質したほうがいいだろうか……? そう思っていると、ついに堪えきれなくなった恵海の瞳から大粒の涙がポロポロこぼれ落ちた。驚いた上坂がハンカチを差し出しても、彼女はまるで子供みたいに両手をギュッと握りしめたまま俯いている。


 一体全体どうしたものか。オロオロとしながら事情を知ってそうな縦川に目をやると、彼はやっぱり自分が説明するしかないのかと、顔面蒼白のまま諦めた感じで口を開いた。


「……エイミーさんが来たのはかれこれ数時間前のことなんだけど……」

「うん」

「実はその……夕方に欧州から……ドイツにいるお父さんから、彼女に連絡があったそうなんだ。緊急だから彼女から上坂君に伝えてくれって言われたらしくって……それがその……ちょっと信じられないもんで」

「だから、一体何なんだ?」


 上坂は少しイライラしながら尋ねた。いつの間にか心臓がバクバクと鼓動を打っていた。彼は血管が収縮するような奇妙な倦怠感を感じて、寒くもないのに何故か身体がブルブルと震えだした。


 何故だろう。嫌な予感がする。その先は聞いてはならないような、野生の勘のようなものが彼の胸をしめつける。


 だから上坂は一旦会話を区切ろうとして口を開きかけたが、それを制するかのように、縦川の声が彼の耳に飛び込んできた。


「落ち着いて聞いて欲しい……昨晩のことなんだけど、立花先生が……ご自分のラボで、お亡くなりになったそうなんだ。白木会長は警察に協力してて、それで連絡が遅れたそうなんだけど……」

「え……なんだって? ごめん、聞き取れなかった。もう一回言ってくれる?」


 縦川が、奥歯を噛み締めながら、必死に絞り出すような声でそう言うと、驚いたことに、上坂がぽかんとした表情で、あっけらかんとそう返してきた。


 縦川はギョッとしながら上坂のことを見返した。


 それが余りにも普段どおりの口調だったから、最初はもしかしてふざけてるのではないかと思った。だがその顔は心底意外そうで、ふざけているわけでもなんでもなさそうだった。彼は本気で縦川の言葉が聞き取れなかったのだ。


 いや、ちゃんと耳には届いているのだが、その内容を頭が理解したがらなかったというべきだろうか……彼はその事実を拒否するあまりに、聞いた瞬間にその内容を忘れてしまったのだろう。


 ぽかんとする彼の表情はあどけなくて、まるで子供みたいだった。だがその瞳を覗き込めば、とろんと濁っていて何も映し出していないことが見て取れる。現実逃避する人が見せる、半笑いににも似た諦めの表情だ。


 職業柄、人の死によく立ち会う縦川だからこそわかる。上坂は理解が出来ないわけではなくて、それを信じたくないだけなのだ。


 御手洗と江玲奈の視線が左右から突き刺さる。ソファから恵海のすすり泣きが聞こえてくる。縦川は仕方ないとばかりに上坂の前に歩み出ると、中腰になって彼の目を覗き込みながら、出来るだけゆっくりと、平板な口調で言った。


「立花先生が、お亡くなりになったそうだ。白木会長の話では、先生はドイツのご自宅で、遺体となって発見されたそうだ」


 縦川が再度そう伝えると、上坂は今度は何も返事をせずに、ただぽかんとした表情のまま、身じろぎ一つすること無く縦川の顔をじっと見ていた。縦川は胸を抉るような視線に耐えながら、上坂が現実を受け入れるまで、じっとその目を見つめ続けた。


 寺務所には誰ひとり声を発する者は無く、恵海のすすり泣く声だけが辺りに響いている。長い夜が始まろうとしていた。


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