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終末の笛吹き男  作者: 水月一人
第一章・エリートとニートは紙一重、語呂もよく似ている
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妙なガキだろう

 鷹宮が死んだ……


 いきなりの訃報に戸惑う縦川のもとに、更にかかってきた次の電話は、驚いたことにその死んだはずの鷹宮からだった。


 もちろん、死者が電話をかけてくることなんてありえない。不審に思いながら、縦川が恐る恐る電話に出ると、それは鷹宮の弟からだった。


 年が近い鷹宮の弟とは、彼の家に遊びに行った際に何度か会ったことがある。懐かしいねと挨拶を交わし、本題に入る前にお互いの近況を報告し合ったが、おそらくこれも下柳同様に訃報を知らせる連絡だろう。


 よそよそしい挨拶が終わってから、相手が切り出すのを待っていたが、なんだか歯切れの悪い弟に、仕方なく実はさっき下柳と話していたことを伝えると、彼はホッとしたような、それでいて残念なような複雑な声を出して、そういうわけだから葬式を執り行わなければならないのだが、段取りがわからないから相談に乗ってくれないかと言い出した。


 驚いたことに、彼は縦川を僧侶として頼ってきたようなのだ。


 鷹宮の家は江戸時代の旗本に始まる由緒正しい家柄で、普通に考えて先祖代々の墓があるはずだった。そんなのがどうして縦川なんかを頼ってきたのかと怪訝に思っていると、どうやら、その先祖代々の菩提寺と先代が揉めてしまったらしい。そしてその時に改葬までしてしまったので、もう頼ることが出来ず、どうしていいのかわからないのだそうだ。


 縦川は困惑しつつも事情を理解し、自分が葬儀を執り行うことを応諾すると、本山にその旨を連絡してから、袈裟に着替えて鷹宮の家へ向かった。元々、縦川みたいな若い僧侶は、信仰心の失われた現代人の、突然のこういったニーズのために居るようなものなのだ。


 それにしてもまさか友達の葬式をあげることになるなんて……彼はなんとも言い難い焦燥感を感じながら、愛車の小型電気自動車に乗り込んだ。


******************************


 寺を出て淡島通りを世田谷方面へ向かい、環七通りにぶつかったところで北上する。いくつかの陸橋を越えて、エゴタなのかエコダなのかどっちか分からない線路を乗り越えて、練馬区から板橋区に入ると間もなく鷹宮の家はあった。


 近隣の中では比較的大きな家の建ち並ぶ閑静な住宅街を走っていると、やがてトトロの森みたいな鬱蒼とした林が見えてくる。近づくとぽっかり林が途切れたスペースところで、突然アスファルトが砂利道に変わっており、そこが鷹宮家の外門だった。街灯が無くて薄暗く、場所を知らなければ誰も近づかないような、家の入口としては失格の門であった。


 中へ入って道なりに徐行していくと、やがてだだっ広い殺風景な広場に突き当たり、その片隅に複数の車が並んでいた。警察車両が3台と、その隣に下柳が乗っているガソリン車が見えたから、多分、彼はもう到着しているのだろう。縦川も自分の車を停めて外に出る。


 その広場のすぐそばに立派な棟門があり、生け垣に囲まれた純和風の家がその奥に覗いて見えた。高校時代から何度か来たことのある鷹宮家の母屋だが、もう何年もご無沙汰であった。心なしか生け垣が荒れて見えるのは、手入れをするものが居なくなったからだろうか。


 呼び鈴がないので勝手に門をくぐり、苔が生え放題の石畳の上を歩く。因みに母屋の玄関まで行っても呼び鈴はないから、始めてこの家に遊びに来たときには、こんなんじゃ外から人が来た時困るんじゃないかと心配になった。


 すると鷹宮は、そもそも知らない人間があの森の砂利道を通って入ってくるとこはないし、仮に泥棒が入ろうとしても、下手なところを触ればすぐにセキュリティ会社に通報が行く仕組みだから大丈夫だと言っていた。


 まるで一見お断りの店のようである。入り口が不穏すぎて、ここに入ろうなんて思わないのだ。そんなことを考えつつ、玄関へたどり着き、


「ごめんください」


 と声をかけると、中から家人ではなく下柳がひょっこりと現れた。


「おう、雲谷斎じゃねえか……なんだその格好、まるで坊さんみたいだな」

「坊主だよ」


 下柳と挨拶を交わし、そのまま家人を待ってみたが中々出てこないので、土間に腰掛ける。下柳が近づいてきてうんこ座りするのを待ってから、縦川は改めて彼に尋ねた。


「……えっちゃんが死んだって、本当なのか?」

「ああ、おまえもその格好でここまで来たなら、まさか嘘だとは思ってないだろ」

「分かっちゃいるけど……信じられなくてなあ。だってつい先日会ったばかりだろう? 警察が来てるってことは、もしかして死因に不審な点があるのかい?」


 すると下柳はゆっくりと首を振った。


「いや、結論から言えば不審な点はなかった。俺たちが来たのは、実は、発見されたのが風呂場の浴槽の中で、死体の腐敗が始まっちまってたからなんだよ」


 縦川は眉間に力が加わっていくのを感じた。知らない内に奥歯を噛み締めていたみたいで顎が痛かった。後でその腐敗した友人を拝むことになるのだが、そんなこと想像もつかなかった。今でも脳裏には、あの日笑いあった姿しか思い出せない。


「そんな状態だったから死亡推定時刻がはっきりしなくって、事件の可能性がないかどうか調べられたんだ。司法解剖の結果は何もなし。軽く現場検証もしてみたが、ガイシャは……えーっと、えっちゃんは、多分、早朝、寝る前に離れの風呂に入ったところ、酒を飲んでいたことからどうもそのまま眠ってしまったらしいんだ」

「まさか、風呂で溺れたってことなのか!?」

「ああ。普通なら顔が水に浸かったところで目を覚ますんだが、疲れ過ぎていたり酒を飲んでいたりで、意識を無くしてそのままお陀仏ってことが、実は結構あるんだよ。最悪なことに、風呂は自動追い焚きが設定されていて、彼が死んでからも42度を維持してたから、普通なら2~3日かかるはずの腐敗が早く始まっちまった」


 それで警察の出番というわけである。


「だが十中八九、事故で間違いないだろう」

「いつ発見されたの?」

「今晩の19時過ぎだ。今日は珍しく弟の栄二郎が早く帰ったものだから、兄貴を飯にでも誘おうと思って、離れに行ったら発見したそうだ」

「離れで……? さっき風呂場で発見されたって言ってなかったか?」


 すると下柳は苦虫を噛み潰したような顔をしてから、


「彼はその離れに、新たに自分専用の風呂場を増設してたんだよ」

「……そりゃまた、なんのために?」

「えっちゃんは生活が昼夜逆転してただろう? 深夜に母屋でゴソゴソやってると、ご両親に嫌味を言われるから、洗面所やらなんやらをあっちに作って、離れで一人で暮らしてたらしいんだ」


 それじゃまた引きこもり時代に逆戻りしたような生活ではないか……なんだか知らない内に、またおかしなことになっていたのだなと呆れていると、


「どうやら親子仲はあまり良くなかったらしいな。父親はユーチューバーと言うのを相当見下していたようだし、母親は元々露骨な弟贔屓で金にしか興味がない感じだった。家族の中では弟だけが彼と普通に接していたようだけど、弟は弟で仕事が忙し過ぎてあまり家に居ない」


 確か弟も父親も外務官僚だったはずだ。


 それじゃ鷹宮の飯はどうしてたんだ? と気になったが、それは家の使用人が朝昼晩と作って運んでいたらしい。元々金持ちの家だから、高校時代から使用人が居たことは縦川も知っていた。あの頃と同じなら、家政婦のおばさんと庭師のおじさんがいるはずだが……さっき見かけた、荒れ放題の生け垣を思い出す。多分、庭師の方はもう居ないのだろう。


 と、そんなことを思い出しているときだった。家の奥に続く廊下からパタパタと足音が近づいてきた。どうやらようやく来客の応対に家人が出てきたようである。縦川が挨拶しようと立ち上がると、その足音の主がひょっこりと顔を覗かせた。


 縦川は足音の主に挨拶しようと手を上げて愛想笑を浮かべた。しかし、てっきり自分も知ってる顔が出てくると期待していたから、出てきた男が見たこともない相手であることに戸惑ってしまい、声を発することが出来なかった。


 そこには初見の者は必ず当惑してしまいそうな、異様な雰囲気の男が立っていた。


 長身で痩せぎすな体躯に色白の肌、頭髪も真っ白で、眉間には彫刻刀で彫られたようなくっきりとしたシワが刻まれている。一見すると老人のように見えるが、だまし絵でも見てるような妙な違和感が拭いきれず、よくよく見直してみればその肌ツヤから男が見た目よりも若いことに気付かされる。それでいて、その眼光はギラギラと光ってて、まるで歴戦の兵のような、この世のあらゆる地獄を見てきたとでも言ってるかのような、殺伐とした迫力があって見る者を圧迫した。


 なんだこの男は……と、縦川が圧倒されてぼんやりしていると、


「……お寺さんですか?」


 ぼそっとか細い声が響いてきてハッとなる。縦川は慌てて、


「え、ええ、そうですが……栄二郎さんに呼ばれて来たんですけど、ご在宅ですか」


 すると男はじっとこちらの方を睨みつけるようにしてから、


「呼んできます」


 と言って、また来た道を戻っていった。


 トットットっと足音が遠ざかっていくと、縦川は何故か安堵すると共に、いつの間にか自分がぎゅっと拳を握りしめていることに気がついた。


「妙なガキだろう……」


 男の背中を見送っていると、縦川の緊張に気づいたのだろうか、下柳が刑事らしい凛とした眼光を光らせながら言った。


「……ガキって言うからには、やっぱりああ見えて年が若いのかい」

「ああ。最初は俺も戸惑ったが、正真正銘ガキらしい」

「何者なんだ?」

「この家の居候らしいんだが……」


 下柳はそう言ってから肩をすくめると、妙なことを言い出した。


「何しろこの状況だろう? 詳しい事情を聞こうとしたんだが、どうも外務省絡みで預かっているらしくて警察にも言えないと言われて……そんな馬鹿な話があるかって詰め寄ってみたんだが、役所に問い合わせろ、省庁間で話し合ってくれと、とにかく歯切れが悪い。しょうがないから今問い合わせてるところだが……」

「そんな馬鹿な話があるのか?」

「もちろん、こんなことはまずないよ。おまけに本店も確認するって言ったきり連絡を寄越さない。えっちゃんの件が事故じゃなかったとしたら、これ以上わかりやすい容疑者も居ないもんだよな」


 彼は呆れる素振りをしながら手帳を取り出すと、


「年齢は18、職業は無職、名前は上坂(こうさか)一存(いちぞん)。数字のイチに、存じ上げるの存ずる。私の一存でやりました~、とかのあの一存だ。珍しい名前だろう」

「いちぞん……一存(かずまさ)じゃあないのか。十河一存の」


 だとしても珍しいが。


「国籍は日本、あの髪の毛は染めてるんじゃなくて地毛だそうだ。わかってるのはこのくらいだな。もっとも事情は聞かせてもらえなかったが、聴取には素直に応じてくれて色々と聞けた。それによると、昨晩、生きているえっちゃんを確認したのは、おそらく彼が最後だ」

「そうなのか?」

「ああ。夜中に目が覚めてトイレに行ったら、彼の部屋からパソコンをカタカタやってる音が聞こえてきたそうだ。そのまま洗面所に行って、手を洗って、またすぐに寝たらしい。その時、風呂場は真っ暗だったそうだから、死亡推定時刻はそのあと、早朝から遅くとも昼前と踏んでいる」

「……どうして離れのえっちゃんの部屋の前を通ったんだ? まさか彼も離れで暮らしてるわけじゃないだろう?」

「いや、そのまさかだ」


 縦川は目を丸くした。


「それじゃあの少年は、どう考えても怪しいじゃないか!?」

「怪しいことは確かだが、死因に不審な点がないからな。事件じゃなくて事故に容疑者もへったくれもないだろう」

「そりゃあ……そうか」


 ミステリ小説みたいに何かのトリックを使ったのなら話は別だが、それなら警察の検分をかいくぐらなければならない。流石にそれは考えにくい。


 それにしても、元々大きなお屋敷だ。母屋にも空いている部屋はあるだろうに、どうして離れで暮らしていたのだろうか。預かっていると言っているそうだが、お客さんというよりもこれじゃ厄介者といった感じである……


 高校時代から陰気な家だと思っていたが、暫く来ていない内に、それに拍車がかかっていたようだ。仕事だし、なにより友人のためだから仕方ないが、出来ればあまり付き合いたくない家族だなと思っていると、


「縦川さん!」


 廊下からバタバタと忙しない足音が聞こえてきた。奥から鷹宮の弟の栄二郎がやってきて、玄関にいた縦川を見て、わ~! っと懐かしそうに顔をほころばせた。


「お久しぶりです。高校以来です。元気してましたか。兄さんに聞いていましたが、本当にお坊さんになっちゃったんですね?」


 人懐こい彼の笑顔に、思わず昔話の花を咲かせそうになったが、縦川はすぐに気を引き締めると合掌して、


「ええ、お久しぶりです。それと、この度はご愁傷さまでした」


 と挨拶をした。弟はそれでハッとして、バツが悪そうな顔をしてから、


「ご足労おかけしました。他に頼るあてが無かったものですから……何しろ、こんなことになっちゃって、いきなり喪主をやることになっちゃったもんだから」


 とおかしなことを言い出した。縦川は面食らって、


「……喪主? お父様がやるんじゃないのかい?」

「あ、はい。父は少し疲れてる様子で、自分はお祖母ちゃんの時やったから、今度はおまえがやれって言われて」


 まあ、子をなくした親の気持ちを考えればそういうこともあるかも知れない、縦川はなんだか釈然としないものを感じたが、それ以上は聞かなかった。


「それじゃあ、二郎くん。これからいろいろやってもらうことになるけど、その前にまずはお兄さんに会わせてもらえないか」

「あ、はい! 失礼しました! いつまでもこんな場所で立ち話なんて……気が利かなくてすみません。どうぞお上がりください」


 慌ててスリッパを差し出す弟を制して、縦川は自分で持ってきた内履きの足袋を出して履き替えた。


 久しぶりに踏み入れた友人の家はひんやりとしていて、まるで血の通っていない怪物の胎内にでも入っていくかのような、冷たくて嫌な感じがしていた。


 下柳が先頭に立ち、弟に案内されるままに廊下を進んでいくと、廊下の影にあの目立つ白髪の頭が見えた。


 上坂一存はイヤホンをして音楽でも聴いているのだろうか、縦川たちが横をバタバタ通り過ぎても、部屋の隅で瞑想するかのように座禅を組み、目をつぶって微動だにしない。18という若さの割りに落ち着き払っていて、まるで生きている彫刻みたいな印象を受けた。


 そんな彼を横目で見ながら、縦川はふと、生前に鷹宮が言っていたことを思い出した。


 ラーメン屋で超能力者(ユーチューバー)の話をしていた時、彼らが精神的に不安定だと聞かされた鷹宮は、もしかしたらそんな人物に心当たりがあるかも知れない、というようなことを言っていた。それはこの奇妙な少年のことなんじゃないだろうか。


 だとしたら、今回の事故はただの事故ではないのでは……?


 もちろん、それは発想の飛躍でしかないし、全くもって根拠も無かったが、捨てがたい思いつきではあった。あとで機会があったら下柳に確認してみよう。縦川はそんなことを考えながら弟の後に続いて、鷹宮が生前暮らしていたという屋敷の離れへと向かった。


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